あるとき、私は庭の片隅にある土蔵の二階で柱につながれている母を発見した。 金網窓からさしこむ光に浮かび上がって、 一糸もつけない素っ裸を縄で縛り上げられた母の姿が、 階段を昇っていった私の眼の前に何の予告もなくあらわれたのだった。 最初にそれを発見したとき、顔は横に伏せられていて、 白く輝くきれいなものがうごめいているとしかわからなかった。 それが素っ裸の女の身体で、縄でくくられているのだと見て取れたときはびっくりした。 さらに、その女が母であるとわかったとき、激しい衝撃に全身を貫かれた。 心臓は張り裂けんばかりに鼓動し、窒息するくらいに胸がつまらされた。 茫然となったまま見つめているだけの私に母の方も気がついた。 顔にかかる乱れた黒髪の間から、飛び出さんばかりに大きく見開いたまなざしを向け、 それまで一度も聞いたことがないような引き裂かれる悲鳴を発したのだった。 「あっ! だめっ! こ、ここへ来たら嫌っ、あっちへ、あっちへ行っててっ!!」 乳房も陰部も全部さらけだして、身動きの取れない姿にきびしく縄で縛り上げられて、 柱を背にして立った姿でさらしものになっている女が紛れもなく自分の母であったとき、 柱の根もとから長持のある壁のあたりまで、 板敷きの上を濡れてたまっている水の糸が母のもらした尿であったとき、 私は階段の上がりばなでぶるぶる震えていることしかできなかった。 そのとき、私は九歳、昭和八年のことだった。 どうしてそのような恐ろしいことが起こったのかと言えば、 いまにして思うと、偶然のできごとであるというよりも、 運命の導き、もしくは血のなせるわざであるに違いなかった。 私はいずれはあのような母の姿を見なければならなかったのだ。 庭にある土蔵に最初に足を踏み入れたのは、そのできごとより半年以上前のことだった。 大叔父や大叔母からは、土蔵へは危ないからひとりでは絶対に入ってはいけないと厳命されていた。 だが、いけないと言われるとやりたくなるのは男の子の性分である。 時折、大叔父や大叔母や母でさえ外出してしまうことがあり、 留守番の退屈をまぎらわせるために土蔵へ忍び込むことを思い立ったのだ。 忍び込んだ土蔵は古びた家財道具が収められているだけで、 子供が見てもおもしろそうなものは何ひとつ見あたらなかった。 そのなかで二階へ通じる階段が秘密めいた感じがして、昇るのにどきどきしたものである。 しかし、あがってしまえば、下と同じように古びたものがきちんと片付けられてあるだけの場所だった。 明り取りになっている金網の窓も、のぞくには自分の背丈がまだ低すぎた。 土蔵が思っていたよりもつまらない場所であることにがっかりして、下へ降りようとしたときだった。 ひとつだけ新しい感じのする長持があることがどうしても気にかかった。 母との出会いを運命と言うならば、 その長持のふたを開けたことが始まりであったと言わなければならない。 それはまた、後年、絵を志した私の原体験とも言えることだった。 長持のなかは整頓されてあって、和綴じ本と麻縄の束がおさめられていた。 本を取り上げてめくってみたが、何が書いてあるのかよくわからない。 十冊ほどあったものを次から次へと開いていったが、ほとんど読めるものはなかった。 底には最後のものが残った。 それはうるし塗りの平たい箱だった。 開けてみたときの驚きはいまも忘れない。 手書きの浮世絵が五枚、写真が三葉入っていた。 五枚の浮世絵に描かれていたのは、いずれも素っ裸にされた女性が縄で縛り上げられ、 あられもない格好にさせられて弄ばれている姿だった。 お姫様と雲助、奥女中と殿様、武家娘と商人、奥方と同心、町娘と坊主といった組み合わせで、 女の秘部さえもが露骨にあらわされたけばけばしい彩色の絵だった。 生れてはじめて見るみだら絵に、ただのぼせ上がったように夢中になって眺め続けるだけだったが、 その眼がふと写真の方へ落ちたときだった。 しゃがみこんでいた板敷きから身体が浮き上がってしまうようなめまいさえおぼえた。 写真には、これも素っ裸にされた女性が縄で縛り上げられている姿が写っていた。 そのうちの二葉はとかれた黒髪がおどろに乱れて顔を覆っているためにわからなかったが、 残りの一葉には顔立ちを見て取ることができた。 少し若かったが、一緒に暮らしていた大叔母そのひとだったのである。 長持に一緒に入っていた使い古した縄の束がその事実であることを間違いないものに感じさせた。 ただの縄の束であるのに、 大叔母の肌や乳房を歪めるほど荒々しくむごたらしく用いられたそれは、 触れることさえ恐ろしがらせる不気味な生き物のように感じられた。 大変なものを発見してしまったという思いだった。 このことを大叔父に知られたら、どのくらい叱られるかわからない。 そう考えると恐ろしさがつのった。 だが、その恐ろしさは、胸を激しく高鳴らせていた底でうごめく甘美な思いを打消しはしなかった。 それはいままで経験したことのないようなめくるめく発熱となった。 それが発熱であったのは、土蔵の二階へあがって以来、 日を追えば静まっていくと思えた衝撃がむしろ恋しい思いのように、 せめてもう一度だけ浮世絵や写真を見てみたいという気持ちをつのらせたことだった。 大叔母とは毎日顔をあわせていた。 だが、うるさく整理整頓を言う几帳面な人柄からは、 恥ずかしい裸姿を凄まじい格好で縛り上げられたありさまは考えられなかった。 若くてきれいだった写真の女は、大叔母には間違いないが別人と思うこともできるのだった。 それは理解に苦しむことだった。 わけがわからないと思えば思うだけ、 その不思議を明らかにしてくれるものがあの長持のなかにあるような気にさせた。 留守番をまかされる日が待ち遠しくてならなかった。 そして、二度目に土蔵の二階へあがる日がきた。 はやる思いは心臓を高鳴らせ、 一段一段昇る階段は遥かな高みへたどりつくもののように長かった。 開いた長持のなかは、最初に見たときの状態のままではなかった。 誰かがなかをのぞいていたのだ。 そのことが後ろめたさを感じていた行動にいっそうの不安と恐れを感じさせた。 いつ、自分がこうしてのぞいている背後から誰が来るかもしれないという切迫感を意識させた。 だが、そう意識することが浮世絵や写真を貴重なもののように感じさせたことは確かだった。 五枚の浮世絵をひとつひとつじっくりと眺めていった。 お姫様と雲助の図では、場所は山中、扉をこわされた駕籠のそばで、 かんざしもきらびやかな可愛らしい顔をしたお姫様が、 ひげ面のあくどい顔つきをしたふたりの雲助に後ろ手に縛り上げられた素っ裸の身体を押さえられ、 開かされた両脚のつけ根へ太い木の枝を入れられようとしていた。 奥女中と殿様の図では、場所は大広間、 素っ裸を後ろ手に縛られた美人の奥女中が鴨居から宙吊りにされ、 好色そうな顔をした殿様が刀の鞘先をその股の間へさしいれて突き上げていた。 苦痛にゆがむ奥女中の顔を殿様のそばにすわる立派な衣装をつけた奥方が笑いながら見ていた。 武家娘と商人の図では、場所は太い格子の牢、 猿轡をかまされた武家娘が素っ裸の姿を後ろ手に縛られて台の上へ立たせられていた。 娘の首にぶらさげられた木札には番号が記されていた。 台帳を手にした商人はにやにやしながら、 娘の乳房や下半身に触れて品定めするふたりの異国人を眺めていた。 奥方と同心の図では、場所は奉行所の拷問蔵、素っ裸を後ろ手に縛り上げられた武家の奥方が、 三角に削られた木材を四本の脚が支えた木馬にまたがされていた。 奥方の首には十字架がさがっていた。 ふたりの同心は、跨がされて伸びきった双方の足首へ、重そうな石を吊り下げようとしていた。 町娘と坊主の図では、場所は御堂、 菩薩像の代わりにすえられた町娘の素っ裸を四人の坊主が酒をくみかわしながら眺めている。 娘は後ろ手にきびしく縛られた上、股をぱっくりと開かされた縄をかけられていた。 あからさまになっている娘の羞恥の箇所に、坊主たちはよだれを垂らし赤い顔を淫らに歪めていた。 じっくりと眺めれば眺めるだけ、毒々しいいやらしさが伝わってくる浮世絵だった。 眼の前に展開される見たことも考えたこともないような絵の光景は、夢のような不思議を感じさせた。 だが、それが夢ではないと思わせるものが大叔母を撮った写真にはあった。 一葉の写真では、大叔母は一糸まとわぬ姿を後ろ手に縛り上げられ畳の上へ横臥させられていた。 その姿が足もとの方から撮られていた。 横を向いた顔は乱れた黒髪がかかって表情はよく見えなかったが、 豊満な乳房はその上下に掛けられた麻縄で激しく歪められ、 悶えるように乱した両脚がいま裸姿を縛り上げられたという臨場感を伝えていた。 もう一葉の写真では、大叔母はうつ伏せにされて畳の上へ転がされていた。 写真の角度は同じように足もとから撮られたものだった。 足首を重ね合わせて縛られ、後ろ手に縛った手首の箇所とつながれていた。 捕らえれた女が逆海老の格好で縛りの責めを受けさせられているという残虐感を伝えていた。 最後の一葉では、今度は仰向けの格好で畳の上へ寝かされていた。 撮られている角度はやはり足もとの方からだった。 後ろ手に縛られ胸縄を掛けられた上半身に対して、両脚を交錯させられた格好の下半身だった。 足首をあぐらを組むように重ねあわせているために、女の秘部があからさまになっていた。 黒々とした毛の間にのぞく幾重にも折り重なった肉の襞は濡れて輝いているように見えた。 その写真だけが大叔母の顔立ちをはっきりとあらわしていたものだったが、 肉の襞の不気味さに比べ、表情のうっとりとしている感じはちぐはぐなものを感じさせた。 裸で縛られているという恥ずかしくて残酷なありさまを眺めているのに、 私のなかで悩ましく甘美なものが疼くのも、ちぐはぐな感じだった。 女の身体の不思議というものを実際に知らされたような思いだった。 それから、しばらくの間、土蔵へ入ることができなかった。 家には必ず誰かいて、特に大叔父と母の外出のときは、大叔母が面倒を見てくれたからだ。 だが、時が経つにつれ、もう一度あの浮世絵や写真を見てみたいという思いはつのるばかりだった。 その日、母と大叔父は出かけていて、家には大叔母とふたりきりだった。 大叔母は心地よい初夏の陽射しに居眠りをしていた。 わずかの時間だったが、絶好の機会だと思った。 ちょっとでよかったからあの絵や写真を見たかった。 忍び足で母屋を出て庭を抜け土蔵へ入り込んだ。 いままでにないほど高ぶる思いを感じながら、浮き立つ足で階段を踏みしめながら昇っていった。 階段のあがりばなまで来たとき、見なれない白いものを発見した。 それが何であるかを知ったとき、信じがたい衝撃にただ身体をぶるぶると震わせるばかりだった。 母はものすごい形相で叫んでいた。 「あっ! だめっ! こ、ここへ来たら嫌っ、あっちへ、あっちへ行っててっ!」 私は言いつけられたとおり、階段を駆け下りると母屋へ夢中で駆け戻った。 あまりのことで顔面蒼白になっているありさまを大叔母に気づかれないように、 別の部屋へ閉じこもって気持ちを落ち着かせようと必死だった。 母が一糸もつけない生れたままの姿を縄で縛り上げられ柱につながれていた。 小便さえもらしていた汚辱の姿にある母だった。 やがて、気持ちが落ち着いていくと、 自分の見たものは現実ではなかったのではないかと思い始めた。 大叔母が現実の姿とは異なり、写真のなかだけであらわしている姿のように、 一糸まとわぬ生れたままの姿で、後ろ手に縛られ、乳房をはさんで胸縄を掛けられ、 畜生のように首縄をされ、その上、腰縄から縦へ下りた縄は恥ずかしい箇所にもぐらされていた、 そのような姿にされても、小便さえ漏らすに及んでも、それでも、 あのように美しいと思える表情を浮かべた母の顔を私は見たことがなかったからだ。 裸で縛られた姿であるという恥ずかしくて残酷なありさまであるのに、 その表情は写真の大叔母が浮かべていたのと同様な恍惚とした美しさがあった。 母の表情とその姿は、自分の母でありながら、その美しさにおいて、 悩ましく甘美な疼きを意識させ、想像することを超えた不可思議な思いを植えつけたのだった。 私は母によって、女の絵姿を教えられたのである。 その後、画家を志した私の意識の底には、母のあの像がしっかりと刻み込まれていた。 母が浮かべた美しい表情を再現するために、私は女の絵姿を描き続けていると言えるのだ。 私が絵を描いて表現を行うのは何のためか。 それは、見ることを超えた、考えることを超えた、それらの向こうにある不可思議な美を描くためだ。 それは、ひとがひとでなければ、感じることのできない美であるからだ。 今日もモデルを頼んで私はアトリエで仕事をしている。 順子さんは時間どおりにやってきた。 紺地に紫陽花の描かれた柄の着物を身につけ、膝の上に両手をおいて椅子に座っている。 目鼻立ちのはっきりとした顔は正面へ向けられていたが、まなざしは物思うように下に落ちていた。 ウェーブのかかった艶やかな黒髪が若々しく、小さい子供のいる未亡人には見えなかった。 そうして座っている姿を描くだけでも充分に絵になる風情があった。 しかし、客からの注文は日本女性の座像の肖像画ではなかった。 私は、これから、亡くなった母と同じ名前の女性をモデルにして、 縛り絵、女の絵姿を描くのである。 |
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