《 母 へ の 思 慕 》 椋陽児 画 まっくらななかに、しろくひかるものがあった。 しろくひかるものは、おんなのひとだった。 おんなのひとがなにもきていない、はだかのまま、たたされていた。 おんなのひとのからだには、たくさんのなわがまかれていた。 かおにもてぬぐいがまかれていた。 でも、それがだれか、すぐにわかった。 わたしのだいすきなおかあさんだった。 わたしのなかに刷り込まれているひとつの像である。 幼稚園の年長のとき、六歳ごろに経験したことだ。 わたしはひとりっ子だったが、幼いときから部屋で独りで寝かされていた。 夜中に目が覚めて、恐くなっておとうさんとおかあさんの部屋まで行ったとき、 かすかに開かれていた扉の隙間からのぞいた光景だった。 裸のおかあさんが縄で縛られている姿を知ったとき、 わたしはただ、もうびっくりして立ち尽くすばかりだった。 そのあと、どのようにして寝床へ戻ったのか、まったくおぼえていない。 朝、目覚めたとき、いつものようにおかあさんの笑顔が眼の前にあった。 夢を見たに違いないと思ったのだろう。 そのことは忘れてしまった。 お母さんは物静かで優しいひとだった。 わたしはお母さんが怒りをあらわしたところを見たことがない。 お父さんに何を言われても、はい、はいと答えるだけで、 わたしが何を言っても、そうね、そうねと答えるだけだった。 お父さんは高校の先生をしていたから躾にはとても厳しかったが、 わたしが叱られたときでも、お母さんはいつもわたしの味方になってくれた。 わたしはお母さんが大好きだった。 わたしも大きくなったら、お母さんのように子供を大切にするひとになりたいと思った。 これは小学四年のときの作文に書いたことだった。 小学五年の終わりごろ、わたしはひとつの出来事に出会った。 体操の授業で、校庭でドッジボールをしていたときだった。 パスされたボールをそらせて、わたしは校庭の端までそれを追いかけて行った。 小学校に隣接した公園のベンチにサラリーマン風の男のひとが一人腰かけていた。 わたしの方へ背を向けて何か雑誌のようなものを見ていた。 境になった金網まで近づいたときだった。 わたしは思わずそのひとが見ている雑誌のページに眼がいってしまった。 女のひとが何も着ていない、裸のまま、立たされていた。 女のひとの身体には、たくさんの縄が巻かれていた。 顔にも手拭いが巻かれていた。 そういう写真だった。 わたしはびっくりしてボールを手にしたまま立ち尽くすばかりだった。 運動場にいるクラスのひとたちから大声をかけられて、やっとわれに返った。 その大声は同時にサラリーマンのひとをも気づかせてしまった。 そのひとは振り返るとわたしが見つめてるのを知って、 雑誌をあわててカバンにしまい込み逃げるように立ち去っていったのだった。 男のひとの顔は見たこともない険しい表情をしていた。 そのとき以来だった。 わたしは縄を見ると胸がどきどきしてしまう自分を感じるようになった。 中学へ行くころになるとそれはますますはっきりとしたものになってきた。 犯罪物のテレビドラマで、誘拐された女性が薄暗い部屋に監禁され、 後ろ手に縛られ胸縄をかけられた上、布で猿轡をされている場面が出てくる。 たとえほんの一瞬の場面でも、胸がきゅっと締めつけられて動悸が高まるのだった。 或いは、時代劇のなかで、捕らわれた女性が縄で縛られた姿でいる場面に出会うと、 高まる胸の高鳴りは頬が火照るくらいのものにさせられるのだった。 このような反応をする自分に気づいてからは、わたしはそこで席を立つことに決めていた。 それ以上場面を見続けることが恐かったからだ。 家にはテレビは居間に一台しかなく、それをわたしはたいていお母さんと一緒に見ていた。 わたしの様子の変化をお母さんに知られるのはとても嫌だった。 だが、同じ場面を眺めても平然としているお母さんを見るのは納得のいかないことでもあった。 高校三年の夏だった。 父と母は北海道へ旅行に出かけることになった、わたしは受験を控えていたので留守番だった。 四日間、両親から毎晩連絡をもらう以外、家にひとりきりになることができた。 わたしがそれまで感じていたことの答えを出すのに絶好の機会であった。 問題はふたつあった、母のこととわたしのことである。 まず、母のことである。 わたしが幼稚園のときに見た母の姿は本当に事実であっただろうかということだ。 実は、わたしはサラリーマンの写真を見るずっと以前から幼稚園のときの記憶を甦らせていた。 しかし、それは哀しさとおぞましさの混濁としたわけのわからないものだった。 毎日一緒に暮らす母と同じひとが行なったこととは思いたくないことだった。 だから、わたしは思い出すまいとし続けた。 それがサラリーマンの写真を見たことで、そうできなくなってしまった。 いや、正確には写真というよりも、サラリーマンの浮かべていた表情がきっかけだった。 思いが高ぶって鋭く眼光を輝かせながら頬を紅潮させている男の険しい表情。 それはあのときの父の表情と同じだったのである。 わたしが見た全裸姿を縄で縛り上げられた女性が紛れもなく母であったことは、 そのそばで下着ひとつの裸姿で麻縄を握りしめていた父が立っていたことで明らかだったのだ。 わたしは躾に厳しい父をいつも恐れていた。 その父が本当に鬼のような形相を浮かべて、わたしの大切なお母さんをいじめていたのだ。 お母さんはわたしが叱られたときはいつも優しく味方になってくれた。 けれど、わたしはお母さんがいじめらていても、何もして上げられることができなかった。 このことがずっと心にひっかかっていた。 だが、縄を見ると、わけもわからなくどきどきしてしてしまう自分を感じるようになってからは、 裸姿を縄で縛られていた母はそうされることが嫌でされていたのだろうかと考えるようになった。 女性が縛られているテレビの場面を見て、わたしは顔が熱くなるくらいにどきどきしているのに、 平然とした穏やかな顔つきをしている母が信じられなかった。 ひょっとしたら、幼稚園のときに見た光景は本当は夢であったことではないのか。 そうとさえ思った。 だから、わたしはそれを確かめなければならなかった。 わたしは父と母の寝室へ入った。 それがどこにあるか、まるで見当がつかなかった。 しかし、朝から始めて、部屋にある戸棚という戸棚、引き出しという引き出しを調べた。 途中に父と母から電話が入ったが、何ごとも起こっていない振りを装った。 夜に入って、捜すのに疲れきったころ、わたしは目的のものを見つけたのだった。 確かにそれは父と母の寝室にあったのだ。 使い古した麻縄の束の数々である。 わたしがずっと拒み続けていたことであり、信じたくなかったことである。 だが、扉は開かれてしまった。 あのときかすかに開かれていた扉はついに開け放たれてしまったのだ。 この部屋でこの縄を使って、全裸になった母は父に縛られたのだ。 どうしてそのような浅ましい行為をするのだろう。 いまもわたしが寝入った夜中になると行なっているのかと思うと嫌悪さえ感じさせた。 普段の生活では立派なふたりだった。 その同じ人間がどうしてそのような下劣な行為をするのか理解しがたかった。 答えの出ない問いを繰り返していくうちに考え疲れて、 わたしは父と母のベッドの上で眠ってしまった。 そして、わたしは夢のなかで、いままでになくはっきりと母の像を見たのである。 まっくらななかに、しろくひかるものがあった。 しろくひかるものは、おんなのひとだった。 おんなのひとがなにもきていない、はだかのまま、たたされていた。 おんなのひとのからだには、たくさんのなわがまかれていた。 かおにもてぬぐいがまかれていた。 でも、それがだれか、すぐにわかった。 わたしのだいすきなおかあさんだった。 真夜中に目が覚めた。 眼の前には窓から差し込む月明かりで白く浮きあがった麻縄の束があった。 それを見つめ続けていると、わたしはときめきのようなものを感じるのだった。 生まれたままの裸姿でいる母の身体には縄が巻きついていた。 逆らうことを許されないように、後ろ手に重ねあわされた両手首を縛られ、 ふたつの豊かな乳房を上下からはさんだ胸縄をかけられ、 腰のくびれを締め上げた縄は縦におろされて股間を通され、 われめが際立つほどに肉を盛り上げて食い込まされていた。 さらに、いっさいの口答えを許されないように、豆絞りの手拭いできつく猿轡されている。 母のまなざしは身体にかけられた縄の拘束感に囚われているかのように一点を凝視していた。 残酷で醜悪でおぞましい姿にある母。 そんな姿にありながら、母はそうされていることがむしろ喜びであるような輝きをはなっている。 まったく信じられないことだが、母の像はその現実とは逆さまなものをあらわしている。 わたしのなかに刷り込まれているひとつの像はそのように教えるのだった。 わたしは縄を見つめ続けていると、ますます高まってくるものを意識せざるをえなかった。 そして、わたしが問題としているもうひとつのこと、 わたし自身のことと向き合わざるをえなくなった。 わたしは身につけていたブラウスとスカートを取り去って、シュミーズとパンティの姿になった。 こんな姿になることだけでも、ものすごく勇気のいることだった。 だが、高まってくる興奮がわたしを行動へ駆り立てていた。 わたしはもっと大胆なことをこれからするのだった。 わたしはみずからの像を頭のなかに描いていた。 シュミーズとパンティだけの姿で立たされた。 麻縄できびしく後ろ手に縛られ、 乳房が突き出るくらいの胸縄をかけられ、 腰に巻かれた縄にいたっては股間をとおされ、 女の恥ずかしい箇所を締め上げられるような具合に食い込まされた。 それから、シュミーズをはだけられ、ふたつの乳房を剥き出しにされた。 柱を背にして立たされてつながれ、わたしはさらしものにされたのだった。 恥ずかしさと屈辱感が募ってきて、それがますます興奮してくる思いとまざりあって、 悩めるような苦しさとも快感ともつかない、うわずった気持ちにさせるのだった。 わたしはこのようなことが理解できるために、わたしの身体にみずから縄をかける、 母がその素肌に密着させて縛られた同じ麻縄を使って。 愚かなことをしている自分だということはわかっていた。 しかし、わたしにはどうにもならない血が熱くほとばしって導いていくのだ。 母にも流れていて、わたしにも流れているもの。 父にも流れていて…… それは、わたしも父に愛される存在になりたいと望ませるものだった。 |
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