《 秘 密 の 場 所 》 椋陽児 画 「女なんていうものは、縄でふんじばってしまえば、好きなように男の言いなりになるものさ」 何とも乱暴な発言である。 もっとも、女性を縄で縛り上げる話をしているのだから、乱暴なことには違いない。 女性を縄で緊縛するということは、女性に乱暴をはたらくことである。 いや、乱暴をはたらくばかりではない、虐待することである。 虐待というのは、 「弱い立場にあるものに対して、強い立場を利用してむごい扱いをすること」であるから、 この場合、強い男性が弱い立場にある女性に対してむごい扱いをしているということになる。 縄で後ろ手に縛られ胸縄まで掛けられた女性がうつ伏せにひざまずかせられ、 女性の腰へ足を置いて踏ん張った男性の手で、 股間へ通された瘤付きの縄をちからまかせに引き絞られている、 しかも、女性は身動きの自由を奪われているばかりでなく、 口には意思を伝える言葉さえ封じられた猿轡がなされているのである。 このありさまを虐待の表現と見ることに、だれしも異存はないはずである。 虐待されているのは女性であるから、女性が不快感をもって接するのは当然のことである。 また、ひとを虐待する行為でもあるから、男性が不快感をもって接するのも当然のことである。 要するに、縄で緊縛された女性を虐める男性のありさまは、快い光景ではないということだ。 不快というのは、望まない状況と面と向き合わされることである、 できるならば、面と向き合わされることを避けたい状況から誘発される心理の状態である。 接したくもない光景を無理やり見せられれば、ひとは不快になるにきまっているのである。 従って、女性を縄で緊縛して虐待しているありさまを表現したものは、 ひと目につかないところにひっそりと置かれているのが本来のありようである。 そのようなありさまに接したいと望む者だけに開かれる扉として、 開くためには固有の鍵が必要とされる秘密の場所として位置すべきもののはずである。 そうした秘密めいた場所では、同じ感受性からでも特有の価値観が発揮される。 常識と呼ばれていることが価値転倒されている。 常識というのは、ひとが社会を構成し文明を形成するためには欠くことのできないものである。 常識という価値の基準があって、はじめてひとは自分がどこに位置するかを知ることができる。 だが、それは備えていて当然のものではあるが、 ひとが本来所有している属性のすべてにおいて、当然であるという価値観をもたらさない。 ひとが望もうとすることのくびきとさえなることがある。 くびきというのが牛や馬の首にあてて車を引かせるための横木を意味し、 自由な思考や行動を束縛するもののたとえとして用いられるものであれば、 この場合、ひとは常識という縄で拘束されていると言い換えてもよいかもしれない。 つまり、女性を縄で緊縛し虐待しているありさまに接することは、 自分が常識の縄に拘束されている姿を眼の前に見せられていることと通じ合っているのである。 何とも乱暴な発言であるかもしれない。 しかし、女性を縄で縛り上げる話をしているのだから、乱暴なことには違いないのである。 さて、秘密の場所の話であるが、秘密クラブといったものの話をしているわけではない―― 秘密クラブ、そうした場所では、確かに常識の価値転倒は行なわれている。 むしろ、そう成しうることがクラブに関わる共通の意思を結束させることになっている。 愛好者の集まりということであり、愛好者の嗜好がどのように常識を外れていても、 ひとが好み望むものということにおいて、素直な意思をあらわすという共同の意識がある。 共同の意識があれば、クラブにおいては、特有であってもそれが常識ということになる。 クラブの開催されていた薄暗がりの部屋には、三十人ほどの男女が集っていた。 男女はカップルであったから、十五組の男女がいたことになる。 そのなかで、主催者とそれを補佐する者もカップルの単位としてあった。 カップルとしてある男女は、明確に主人と奴隷とにわけられて定義されていた。 男は絶対的主人であり、女は絶対的奴隷であるという関係を定められていたのである。 「女なんていうものは、縄でふんじばってしまえば、好きなように男の言いなりになるものさ」 これはその絶対的主人の発言であった。 クラブに加入するためには、主人は奴隷を持ち、奴隷は主人を持っていなければならなかった。 そとの常識の世界ではその男女の関係が、 恋人であろうと、夫婦であろうと、親子であろうと、兄妹・姉弟・いとこ、或いは姻戚者であろうと、 クラブのなかでは、単に主人と奴隷という身分でしかあらわされなかった。 そこでは、主人と奴隷という位置付けしかなかったから、固有の主人と奴隷もありえなかった。 主人は奴隷を共有することで主人をあらわし、奴隷は主人に共有されることで奴隷をあらわした。 それを示す<お披露目>と呼ばれている儀式がある。 クラブの新しい加入者である主人と奴隷がほかの会員へ紹介されるためのものである。 クラブにおいては、主人と奴隷の人格を希薄にさせるために緑色のマスクの着用が行なわれていた。 いま、三十人が集った部屋の中央に設けられた壇上へ主催者が立って口上を述べていた。 「今夜あらたに加わる、尊敬すべき同胞の主人と愛すべき共有の奴隷のお披露目をいたします」 主催者はそう言い終わると、新参の主人と奴隷が座るテーブルまで近づいていった。 主催者から差し出された手を新参の奴隷はおずおずとした様子で取るのであった。 椅子から立ち上がらされた奴隷は主催者に手を引かれて壇上まで進んだ。 そこにいる主人はすべて紺碧のローブ、奴隷は真紅のローブをまとっている服装だった。 ふたりが壇上に立っても、それは主人と奴隷が並んでいるだけのものにしか映らなかった。 その真紅のローブが主人の手によって取り去られた。 あらわれたのは、生まれたままの全裸の肉体だった。 肉体には幾分脂肪が付き、色艶の失われているところから、四十歳台の奴隷のように見えた。 若くはつらつとした美しい肉体ではなかったが、鑑賞のさらしものとなっているうちに、 取り囲むテーブルのなかからひと組の主人と奴隷が立ち上がり、壇上へ近づいてくるのだった。 奴隷の手を引いてあらわれた主人は晒しものになっている奴隷の前へ立つと、 相手の顔を優しく両手ではさみ、マスクで半面覆われている顔にのぞく唇へ熱いキスを贈った。 それから、床に用意されていた麻縄の束を取り上げて、 晒しものになっている奴隷を後ろ手に縛り、手際よく胸縄まで掛けて緊縛の姿にするのだった。 そして、みずからの奴隷を壇上へ残すと、緊縛の奴隷を引き立てて集会の間を出て行くのだった。 ふたりは用意された別室で心置きなく主人と奴隷の愛欲を交し合うのである。 壇上に残された奴隷には、新参者である主人が近づいていた。 主人は奴隷の前へ立つと、先ほど行なわれた先達をまねて相手のローブをまず取り去った。 目もあやな雪白の若々しい肉体があらわになった、主人は思わずその姿に見とれていた。 感激したように相手の両頬を手で押さえつけると、そのみずみずしい唇へ唇を重ねるのだった。 それから、相手を麻縄で後ろ手に縛り始めたが、高まる興奮のせいか手つきはぎこちなかった。 それでも、奴隷はおとなしくされるがままになって、胸縄を掛けられるまで待っていた。 奴隷は主人に引き立てられ、用意された別室へ向かって集会の間を出て行くのだった。 <お披露目>が無事終わると、定例の<交歓>が始まった。 <交歓>を求める主人がみずからの奴隷を壇上まで連れて行き、全裸の晒しものにする。 それを求める主人がみずからの奴隷を連れて壇上へ上がり、晒しものの奴隷を連れ去る。 <交歓>を求める主人は連れて来られた奴隷を全裸の晒しものにし、望むものであれば連れ去る。 望みの奴隷でなければ、それを求める主人がみずからの奴隷を連れて壇上へあらわれるのを待つ。 望みの奴隷があらわれれば、それを連れ去って、新たに始められ繰り返されるというものである。 ひとの好みというのは移ろいやすく、どのような美しいものであっても、繰り返されれば飽きがくる。 その時々の気分や心理状態に合わせて望む相手を選べるというこの方法に不満の声はなかった。 だが、これは秘密クラブの話である。 入会するために相応の審査と相当な会費を支払い、小さなホテルを借り切って行なわれることである。 特別な世界が作られ、そのなかで行なわれる常識が成り立つ閉ざされた状況の話である。 ――われわれが見ようとしている秘密の場所とは、もっと開かれた場所としてあるものである。 「秘密の場所は開かれた場所である」、また、なんという矛盾をはらんだ表現であろう。 だが、われわれが見ている秘密の場所は世の常識にあるところのものだから、仕方がない。 それは、われわれ自身のなかにある、男性女性に関わらず抱いてる秘密の場所のことを言っている。 秘密クラブの扉を開くには、相応の審査と相当な会費という固有の鍵が不可欠であるのと同様に、 われわれの抱く秘密の場所にも固有の鍵が必要とされる。 それは、縄である。 <緊縛の因縁>とも呼ばれている縄をどのように見るかということが扉を開かせるのである。 これまで、脳におけるエロスの領域は理解しにくい問題として、秘密めいた場所とされてきた。 秘密めいた場所であるからには、扉を開いてその領域へ入ったからといって、 領域の全貌が明らかになるとは限らない、むしろ、入ることはその住人になるようなことに近い。 ただ、秘密めいた場所の不確かさから、あれやこれやと空想をめぐらして翻弄されるよりも、 扉の鍵を手にすることさえできれば開かれる領域として、 そこは特別な世界でも、閉ざされた状況でもなく、世の常識にあるところのものだと理解できるだろう。 われわれは、われわれのそとに常識があって、 それに従属したり反抗したりしているように感じているが、 実はわれわれのなかに、みずからが最も居心地のよいありようにとりなしていることである。 しかし、そのような自分勝手な常識というものも、 秘密の場所が老若男女を問わずに行なうことをさせている常識と相対するとき、 その矛盾と相反から、ひとはエロスの衝動が常識を超えた物々しいものだと判断するのである。 ありきたりのあからさまにひとの性行為が表現された下世話なものに接して、 それがあらわしている剥き出しにされた性器の下品で低俗で下卑て卑俗なことによる劣情が、 不快とされる光景が快い甘美さをおびたものしてあると価値転倒されることに、 むしろ、われわれはみずからのなかにある矛盾と相反に居所を見つけたと感ずるのである。 整合性を求めていることは確かであるが、実際の居所は矛盾と相反の全体性である<ひと>。 現象がそこにあるのではない、 われわれのなかにある居心地のよいありようが現象をそのように見せたがるのである。 常識、その概念は言葉の織りなすあやによって、居心地のよいありようを確認させるのである。 麻縄の束が眼の前に置かれていたからと言ったって、そんなものに何の意味もない。 その現象にエロスを感じるのは、サディズム・マゾヒズムの性的性質を持った者に限られるからである。 この一般論には、残念ながら、居心地のよい場所から眺めようとする常識しかない。 もう一歩引き下がって、すべての人間の性的性質にはサディズム・マゾヒズムがある。 これによって、縄の現象にエロスを感ずる者の相違が明らかになるように見える。 だが、これさえも、エロスの領域を明らかにしていることにはならない。 サディズム・マゾヒズムというのは現象化されたあらわれであって、 相応されるものがひとのなかにあるわけではない。 われわれがエロスの領域と矛盾・相反するありようから表現し現象化するものだからである。 縄は縄である。 このように、あたかもわれわれと無縁であるように物質化し対象化しても、答えにはならない。 縄はわれわれの作り出したものである。 同じように、われわれを取り巻く現象はすべて、われわれが概念化して居場所を定めたものである。 われわれの抱くエロスは単なるエネルギーである。 それが活動をあらわすためには対象と結びつかなければならない。 そうしてはじめてエロスの活動はあるが、知覚されるされるためには概念化されなければならない。 われわれを取り巻く現象のすべては概念化されているから、その対象のいずれかと結びつくのである。 ここに志向性というものが働いているのは確かで、 志向性はその結びつくことを最も安定な状態とさせる対象へ向かわせる。 女性に接してエロスの活動を行なわせるのは男性ばかりでなく、女性にもあることである、 動物や植物に接してエロスの活動を行なわせることもあれば、 海や山岳に接してエロスの活動を行なわせることもある。 縄に接してエロスの活動を行なわせることはそのなかのひとつにすぎない。 サディズム・マゾヒズムという現象化されたあらわれになるのは、 その縄にエロスを感じることをどのように居心地のよい場所とするかという葛藤から生まれる。 どうしても、縄でなくてはならない、 どうしても、相手を虐待しなくてはならない、 どうしても、相手から虐待されなくてはならない、 この<どうしても>という葛藤を現象化しているあらわれということである。 これを性的性質と言うと、性を持つひとはすべて生まれながらにして持っているように思える。 常識という概念化されたものとしてあれば、結びつきやすい志向性の対象ともなる。 縄はひとの手によって植物繊維を撚って作り出したものである。 この概念は、縄が目的の行為を成し遂げるための道具であることをあらわしている。 ひとによっては、樹木を繋ぐもの、岩石を繋ぐもの、荷車をつなぐもの、船を繋ぐもの…… そして、動物を繋ぐもの……ひとを繋ぐもの。 繋ぐ目的は安定させることにある、ひとを繋ぐことも同様である。 葛藤から生まれる現象的行為は安定させることにある。 安定のために、虐待さえもが男性と女性を結ぶ絆の行為として望まれる。 縄はたんなる結束や拘束のための道具ではなく、 熱い思いを伝える言葉であり、 伝えられた言葉を感受させる官能であり、 恍惚の高みへと引き上げさせる認識という命綱であるとさえ考えられる。 髪の縄 猿轡の縄 手首の縄 腕の縄 首の縄 胸の縄 腰の縄 股の縄 太腿の縄 足の縄、 縄、縄、縄、縄、縄、縄、縄、縄、縄、縄…… 秘密の場所で行なわれる行為には、男性と女性、そして、縄があるだけだった。 縄は男性と女性を繋ぐ絆をあらわし、ひと筋の光明をもたらすものであった。 もっとも、光明はそこにいる男性と女性が互いを見分けるだけの明るさしか、 いまだないものだったが。 |
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