女性の美しさが外見の造りだけであらわされるものでないことは当然のことである。 それを言えば、男性の場合であっても同じことで、言わば、美しさは造作だけではないということだ。 よく言われるように、見えない内面に抱えているものこそ、美しさの本質をあらわすものだということになる、 もっとも、その本質と言われることも、心と呼ばれている深々とした池のなかで、 他人の美しさを羨望する、嫉妬する、憎悪するといった思いと一緒になって棲息しているものだとすれば、 外見であらわされるものが、やはり、美しいかそうでないかの決定的な要因とならざるをえないのは、 見えないものはいくらでも想像できるが、見えるものには限りがあるということによるのではないだろうか、 とまあ、このような小むずかしいことを成瀬が考えていたとしたら、 それは、中村秘書の放つ美しさが眺めれば眺めるほど、得体の知れないものとして感じられてくるからだった。 たとえて言うならば、日本古来のおとぎばなしに出てくる、かぐや姫、雪女、鶴の女などといった美女のような、 人間ばなれした美しさをかもしださせているところがあったのだ。 だが、それは神秘的で幻想的でロマンティックな雰囲気としてあるだけならば、わかりやすかったのだろう。 一方では、彼女は、これまたたとえれば、ジュスティーヌ、マドモワゼルO、アンヌといった、 フランス歴代の被虐の美女たちがあらわすような破壊されることで示される美を漂わさせてもいた。 いや、そればかりではない、 俗に言う娼婦性を持った、純真な美少女、清純な美しい乙女、貞淑で綺麗な妻といった、 善悪の両極性の相対から計り知れない女の性とされている宗教的なあらわれを表現してもいたのである。 つまりは、何とも言いがたい、得体の知れないということのひと言に尽きるのだが、 それは、中村秘書がれい子という名前を明らかにした以外、 ほとんど何も彼女自身について語らなかったということにもよるのだろう。 東北自動車道で福島までの約四時間の道のり、ふたりは楽しげに会話をはずませたが、 実際は、成瀬がほとんどひとりで自分自身のことを語っていたようなものだったのである。 彼の人柄がよりよくわかると、中村秘書はいっそう打ち解けたように、冗談なども頻繁に出るのだった。 彼女の年齢を聞くことは、少しためらわれたので、実際の年齢は何歳になるかわからなかったが、 外見から想像するのに二十七・八歳くらいには見えたので、成瀬とは十八は離れていたのかもしれない。 いずれにしても、福島市へ到着する頃には、ふたりは旧知の間柄のような親しさを増していたのであった。 「明朝、研修所の方へ向かいますので、今夜は市内のホテルで一泊します。 もう間もなくですわ、わたしのつたない運転で、本当にお疲れさまでした」 車が福島駅前のとあるホテルへ到着したときは、すでにあたりはネオンサインの輝く宵闇に閉ざされていた。 ホテルには会社名で二部屋の予約が入れてあったが、中村秘書は馴染みらしく支配人から挨拶を受けていた。 「遅くなりましたが、夕食に出ましょう。 行き付けのレストランがありますの、感じのいいところですのよ」 ホテルの玄関からタクシーへ乗り込むと、彼女は目的地を運転手へ告げた。 各地へ出張の多かった成瀬であったが、福島市は初めて訪れた場所だった。 何もかも、彼女の導くままに行動しているという感じだったが、 それが不思議と楽しくて心地よい気分にさせるのであった。 何よりも、彼女と一緒にいられるということが幸福な気持ちにさせていることは確かだった。 長くて辛くて暗澹とした失業のトンネルを抜け出ると、そこは雪国だった、 就職のまばゆい銀世界が広がり、美しい雪女が待っていた、 などと大してうまくもない比喩を思い浮かべては、ひとり悦に入っているのだった。 タクシーの座席で隣り合わせに座った彼女の身体がほんの少し触れてきただけでも、 どきっとさせられるようなそのぬくもりは、発熱する雪女のなまめかしさを伝えてくるようなものだったのである。 彼女が語った通り、案内されたレストランは、静かで落ち着いた雰囲気の夜景が美しく眺められる場所だった。 テーブルを挟んでふたりで向かい合わせに座ると、まるで恋人同士のような情緒がかもしだされてくるのだった。 実際、他のテーブルを見まわしてみても、男女のカップルしか席を占めていなかった。 「成瀬さん、あらためて、おめでとうを言わさせて頂きます。 わたくしのこと、これからも、宜しくお願いします、乾杯……」 ワイングラスを掲げてそう言われたとき、成瀬は就職の喜びに浮き立っていた、相手の心遣いに舞い上がっていた。 もとより、酒は弱い方ではなかったが、彼女に勧められるままにグラスを次々と干していくのだった。 中村秘書も、「わたし、あまり強い方ではありませんから」と言いながらも、彼の酌に応えていった。 何を話題にして話したか、おぼつかなくなるほど、とりとめのない会話であったからこそ、 ふたりで話し、酒を飲み、料理を食べるということが、 こんなにも幸福を感じさせることであったことにあらためて気づかされた。 成瀬にとって、久しく感じたことのなかった思いだった。 その思いを考えると、相手の美しい顔立ちが浮かべる愛らしい微笑みが、 激しく胸を突き刺すもののように感じるのだった。 「そろそろ、ホテルへ戻った方がよろしいかもしれませんわね」 まわりを見渡すと、彼らふたりが最終の客となっていた。 ここでも、中村秘書は顔なじみらしく、サインだけで支払いを済ませるとマネージャーから挨拶を受けるのだった。 ホテルへ向かうタクシーへ乗り込んだとき、成瀬は初めて、かなり酔った状態にある自分に気づいた。 不思議と会話が途切れていた。 車が一度大きく揺れたとき、隣りに座っていた彼女の手が思わず彼の手に触れた。 彼は、それは行き過ぎだと思いながらも、そのほっそりとした華奢な感触をしっかりと握り締めたのだった。 中村秘書は顔を振り向かせたが、突然のことに戸惑いを覚えているという表情を浮かべるだけで、 振り払うこともせず、拒絶の言葉をあらわすでもなく、じっとなったまなざしを投げかけているだけだった。 車の走る前方へ顔をそらせるようにしていく相手を見つめながら、 成瀬は、失敗したことをしでかした、と思いながら手を離していくのだった。 何やら気まずい雰囲気がふたりの間に漂い、沈黙がお互いの存在感を意識させるだけになっていた。 「……では、明朝、九時に出発致します、宜しくお願いします。 おやすみなさい……」 ホテルへ戻って、部屋の前で別れようとしたとき、中村秘書の言葉は抑揚のない事務的そのものの口調だった。 会釈をして部屋へ姿を消して行く彼女の背を眺めながら、成瀬は、「わかりました」と言うのが精一杯だった。 部屋に入ると、ベッドへ身体を投げ出して、薄暗い天井を眺めながら、残る酒の酔いのままに思うのだった。 今日一日、いろいろなことがあった―― 是非就職を決めてきてね、連絡を待っているわ、と快く送り出してくれた妻の麗子、 倉庫のなかの暗闇の一室で行われた就職面接、 甲高い声と太い声としわがれた声の取締役たち、 彼らの言いなりになるままに、素っ裸になって、尻の穴まで見せることをさせられた面接試験、 無事採用は決定した、 入社誓約書へサインをさせられ、福島で研修が行われるということで、車でこの地まで来た、 自分の意思というよりは、組織に属したことで仕向けられているという行動だった、 それは仕方のないことだ、 企業に就職して一定の報酬をもらう以上、自分を捨て去ることがあっても、それはやむを得ないことだ、 これで、妻も息子たちも安心して生活ができるというのであれば、ようやく、元へ戻ったようなものだ、 ところで……麗子だが…… 彼女は面接の結果連絡を待っていると言ったのに、どうして不在だったのだろう? 彼女にはわがままなところがもとからあるが、気まぐれで出かけたのだとしたら、残念な思いだ、 せめて携帯電話だけでも繋がるくらいのことはしてくれてもよさそうなものなのに、まったくがっかりする思いだ、 女にはよくわからないところがある、麗子が何を考えているのか、さっぱりわからない…… ……れい子……妻と同じ名を持つ女性だが、彼女はなんて素敵なひとなんだろう…… 素敵なひとだと思うのに、酔った勢いから、手を握るなんて失礼なことをしてしまった、 まったくセクハラもいいところだ、 別れ際の態度からすれば、彼女も大分気を悪くしているに違いない、 明朝、会ったとき、男らしくきっぱりとあやまろう、 彼女には笑顔が似合う、彼女の笑顔を見ていると、それだけでやる気を起こさせるところがある―― 成瀬は、酔いと一日の疲れから、うとうとしかけていくのであった。 そのときだった、ベッド脇のテーブルに置いてある電話機が鳴り出したのである。 大きな音ではなかったが、かかってくる相手が想像のつかない呼び出し音は、彼をひどく驚かせるものだった。 だから、電話機の受信口から綺麗な声音が響いてきたとき、 驚きは狼狽に変えさせるようなものでさえあったのだ。 「……成瀬さん、こんな時間に…… 驚かせてごめんなさい、わたし…… わたし、どうしても気になって、眠れないのです…… 先ほど、わたしの取った態度で、成瀬さんが気を悪くなされているのではないかと思って……」 ……… ……… ……… 「いっ、いや、とんでもないです…… ぼっ、ぼくの方こそ、突然、手を握ったりして、失礼なことをして」 「いえ、そんなこと……そんなこと…… わたし、本当はうれしかったのです…… 成瀬さんに気をかけて頂けて、うれしかったのです…… それをあのような態度を取ったりして……」 酒の酔いが残っているせいか、成瀬にとって、頭がぐるぐるするような会話だった、 うれしくてぐるぐると舞い上がっていくような出来事だった。 「……中村さん……こんなこと言って…… こんなこと言って、本当に失礼かもしれませんが…… よかったら……よかったら、こちらの部屋へ来ませんか、ぼくも寝付かれなかったところだったのです……」 ああ、言ってしまった、と彼は感じたが、思い返す間もなく、彼女は答えたのだった。 「えっ、本当に、宜しいんですの…… 喜んで、参ります、お待ちになっていてくださいね……」 隣同士の部屋というのは壁一枚を挟んであったわけであるから、 電話で感じる距離のほどは遠くなかった。 扉に小さなノックが聞こえたとき、 成瀬の心臓の鼓動は、それよりも遥かに激しく鳴り響いているのだった。 中村秘書、中村さん、いや、れい子さん、れい子……。 扉を開けたとき立っていた女性は、美しい顔立ちにはにかんだような微笑みを浮かべ、 優美な姿態をブラウスとスカートに包んで、匂い立つような色香をなまめかしく漂わせていた。 成瀬は、そのほっそりとした華奢な感触の手を取ると、引き込むようにして室内へ招くのだった。 有無を言わさずに相手の柔らかな唇へ自分の唇を押し付けると、部屋の扉を閉めるように口を閉ざすのだった。 強引に唇を重ね合わされても、彼女は嫌がる様子を見せることはなく、されるがままになっている。 大胆なことをついにしてしまったという思いが高まる一方で、 彼女の女という存在感が煽り立ててくる官能的な、欲情的な、淫欲的でさえある思いが、 大胆に、激しく、強引にふるまうことを男の存在感であると意識させる方向へ向けていくのであった。 ようやく押し付けていた唇を離して、眼と眼を合わせたとき、もはや、言葉など必要がないことだと感じた。 自分はれい子が好きだ、という確かな思いがあれば、それ以上考えることは、 どのように愛し合ったら、ふたりは気持ちのよいところへ行けるのだろうかということだった。 若い頃、妻の求めに応じて、性戯の四十八手なるものを試みさせられたことがあった。 久しくご無沙汰していた男女の肉体のふれあいではあったが、いまこそ、経験の役立つときがきたのだ。 どのような役立つ経験であろうと、使われないでしまって置かれれば、なかったも同然である、 とまで言わないが、錆び付いて、いずれは風化してしまうことは避けられない。 妻の求めに応じて経験した性戯を、他の相手で試すことのできる機会に遭遇したということである。 他の相手で性戯を試すことのできる機会? 待った、やばい、それでは不倫ではないか。 どれほど、れい子を好きになったからといって、麗子を裏切ることになる行為ではないか。 まずいぞ、絶対にまずいぞ、どれほど、酔った勢いがあったからといったって、不倫は不倫に違いない……。 相手のなよやかな両肩へ両手を置いて顔立ちを見続けるばかりの成瀬に対して、 れい子は優しい微笑みを浮かべながら、されることを待つようにじっとなったままでいるのだった。 成瀬がそれ以上何もしなかったら、それこそ、この物語の完結に至るまで、そうしていたかもしれない。 しかし、眠っていたものがふくらみを持ち、首をもたげ始めたということは、行き場を求めているのであった。 やり場のない欲求は、抑えられれば抑えられるほど、拒絶されれば拒絶されるほど、 大胆に、激しく、強引なあらわれとなって表現されるものであるが、 それが表現できないときには、内面において同じくらい大胆に、激しく、強引に、 ねじれられ、歪められ、折られることで収拾をつけられようとする、 次にあらわれるときには、異様なものとなるのは避けられないくらいのこととなる。 成瀬は、れい子の優しい微笑みの顔立ちを見つめていて、抑圧も拒絶もなし崩しになっていくのを感じていた。 彼女がかもしださせている女の色香は、 されるがままになることをふくいくとした自然の成り行きと感じさせているのであった。 彼は彼女をベッドの上へなし崩しに押し倒していった、 きれいで柔らかな唇へもう一度唇を重ね合わせると、手は相手の身に着けているものを脱がせ始めるのだった。 開き加減になった唇の間へ舌先を差し入れようとしても、 さらに開いて導き入れてくれるように、 成瀬の手がブラウスのボタンを外してはだけさせ、ブラジャーの上から乳房を撫でさするようにしても、 彼の動きが取りやすいように身体を応じさせてくるのであった。 それは、彼女の心遣いのあらわれとも感じられたが、男ずれしているのではないかとも感じられたことだった。 ただ、ブラジャーとショーツ姿にさせられた女は、顔立ちを恥ずかしそうに上気させているだけであった。 「中村さんは白くて、すごく、きれいな肌をしていますね……」 成瀬は、横たわる女の優美な曲線が作り出す姿態をしげしげと眺めながら、言うのだった。 「……れい子と言って頂いても…… わたしも、成瀬さんのことを、薫さんとお呼びして、構いませんか?」 彼は、身に着けていたスーツがもどかしいもの以外に感じられなかった。 それを脱ぎながら答えるのだった。 「もちろんです……。 れい子さん、素敵な名前ですね……。 ぼくはあなたと出会えて、本当によかったと思っています。 ぼくは、これまで夢中で仕事をしてきて、 会社を解雇され失業者となって初めて、自分が本当は孤独な人間だったと気づかされた。 失業者でいた暗澹とした一年は、まさしく独房にいるようなものだった。 世間は……妻を始め、息子たちも、何ごともないような平穏な生活を送っているさまを、 暗くじめじめとした狭い独房の冷たく頑丈な鉄格子の間から、のぞき続けているようなものだったのです。 あっ、こんなときに、妻や息子たちのことを話すなんて、ぼくは無粋な男だなあ……」 裸になりながら語り続ける男を見やって、女は、はにかんだ微笑みを浮かべて口をはさむのだった。 「そんなことありませんわ……薫さんが奥様やお子さんたちのことを話されても、無粋なんかじゃありません。 そういう薫さんだから、わたしは……わたしは、好きになったのです。 わたしも、ずっと独りぼっちだったのです、小さいときからずっとそうだったのです。 でも、今日、薫さんとお会いできて、あなたと一緒にいられるときのわたしは孤独ではないと感じられるのです。 このような思いになったのは、初めてです。 わたしも戸惑っているくらいです……」 男は、身にまとっているものを何もかも取り去り、生まれたままの全裸をさらけ出していた。 下腹部には、相手に対する思いの丈をあらわすように、そり立つものがあらわされているのだった。 「れい子さん、あなたにそう言って頂けるように、 ぼくだって、あなたの前で自然に振る舞える自分がうれしい…… ぼくは、あなたのことが好きだ、大好きだ…… そうでなくて、あなたとこのようなこと……」 彼は、思い高ぶらせる女の前で、堂々と全裸をさらけ出せている自分がうれしかった。 「わたしだって…… 薫さんに負けないくらい、薫さんのことが好きです……」 女もベッドから身を起こすと、横座りになって、身に着けている残りの下着を脱ぎ去っていくのだった、 そして、純白のなめらかな生まれたままの全裸を輝かせながら、ほっそりとした手を男の方へ差し伸べるのだった。 彼はその手を取るとベッドの上へあがっていき、掻き抱くようにして相手の裸身を抱きしめ唇を寄せていった。 ひとつの思いをふたりで作り出そうと、彼の差し入れてくる尖った舌先を彼女の柔らかな舌が絡める。 もつれ合い、うごめき合い、撫で合いされながら、口の端から熱い唾液の糸が引くまで続けられる。 次は彼女の華奢な首筋である。 男の唇と舌先は優しく上下を繰り返して、ほんのりとした赤みを帯びさせる。 白い胸もとはすでに汗ばんでいた。 ふっくらとしたきれいな盛り上がりを見せるふたつの乳房がふたつの薄紅色の乳首を、 含んでもらうことを待ち受けるような愛らしい風情を漂わせて立ち上がらせていた。 その可憐な突起を男の舌先はくすぐり、押し付け、こねまわしていく。 ああっん、と女の口から甘いため息がもれた。 男の口に含まれた乳首は舐められ、吸われ、噛まれたりされながら、 男の手がもう一方の乳房を指先でもてあそぶのに合わせて、女の情感を徐々に煽り立てていくのであった。 その煽られる高ぶりは、女の片方の手を男の頭の上へ置かせ、もう片方でシーツをつかまさせていた。 愛撫のひとつひとつに、 ああっ、ああっ、となまめかしい声を響かせて敏感な反応をあらわす相手に、 男もそり立っていたものへ固さを加えられるはずみを与えられて、 いとおしいものを愛でるという愛撫の熱心さで応えていく。 ふたつの乳房への飽くことのない執着は、乳首を恥ずかしいくらいに立ちあがらせるものとさせて、 それに気づかされる女は、戸惑っているような恥じらいの表情を浮かべて、男の方を見やるのだった。 「すごく、感じてしまうんです…… あなたに愛されていると思うと……すごく、感じてしてまうんです…… 触れてもいいですか?」 女の華奢な指先が男のそり立っているものへ近づいて、 こわれものにさわるような優しさと慎重さで手のひらへ包み込んでいった。 「素敵……わたしのことを思って頂いて、 こんなになっているんですか?」 しっかりとつかまれているものへ優しく力が込められるのを感じながら、男は答えていた。 「もちろんです…… ぼくは、あなたとこうしていて…… 心からあなたが好きだということがわかったのです…… ぼくは、もう、あなたを離したくない……」 女はうれしそうな笑顔を浮かべて、仰臥させていた裸身の半身を起こすと言うのだった。 「わたしの番です、横になってください……」 男が言われたとおりに仰向けになっていくと、 女は握り締めていたものへそっと顔を近づけていった。 可愛らしい舌先を綺麗な形をした唇の間からのぞかせると、 そり立って皮のむけた箇所へ触れさせていくのだった。 魚の口に似た突端へ尖らせた舌先をツンツンと挨拶でも交わすようにすると、 ためらうことなく一気に口へ含んだ。 頬張られたものは柔らかな舌でうねりくねりされながら、ぞくぞくする快感を下腹部から伝えてくるものだった。 成瀬は、込みあがってくる気持ちのよい官能以上に、妻にさえしてもらったことのない愛撫に感激していた。 四十八手の交接の性戯を行うことはしても、 麗子はただの一度でさえも夫のものを口に含んだことはなかったのだ。 それに対して、れい子は、まるでそうすることが手慣れているとでも言うような巧みさで、 そり立った男をさらにそり返らせる勢いで、舐めあげ、舐めさげ、舐めまわしていくのだった。 これだけの愛らしい顔立ちと美しい姿態をしていて、心根のよい女が男性経験に乏しいとは考えられなかった。 彼は、彼女が関係してきた見知らぬ男たちを想像すると、強い嫉妬さえ覚えさせられた。 彼女を自分だけのものにしたいという思いは、ますます思いの丈を固いものにさせていくのであった。 男は半身を起こすと女を優しくシーツの上へ横たわらせた。 彼女のふっくらと淡い漆黒のもやに隠された割れ目の箇所へ顔を埋め、 舌先で掻き分け内奥へ潜り込もうとした。 女も男の思いの丈をしっかりとつかんだまま離そうとはしなかった。 仰向けになる女の上へ男の身体が覆いかぶさり、 互いの頭を上下にさせて互いの下腹部を愛撫し始めるのだった。 女性が四つん這いになりその背後から男性が覆いかぶさって交接を行う体位が、 地球上の動物が一般的に行うマウンティングという種族保存の伝統的様式であるとすれば、 俗に<69>と呼ばれているこの体勢は、少なくとも、人類であることあらわす様式であると言える。 この体勢であるかぎり、性欲、情欲、愛欲は交接を目的とされず妊娠を伴わないありようを示すからで、 種族保存と自己保存という生命の合目的性からすれば、自己保存のみが選ばれていることになる。 自己保存とは、この場合、性欲、情欲、愛欲において、どれだけ自己を維持できるかという快と満足の欲求である。 人類はこの体勢において、種族保存と離れた快楽の追求のみの性を獲得しているということになる。 いや、そのようなことはわかり切っている。 この<69>が形態から見ても象徴的なことは、頭部と下腹部が結び合っているところにあり、 しかも、それが男女の円環を示していることにおいて、 形而上と形而下の結び付きを性行為が比喩させているところにある、 と書き続けていくと、せっかく、官能的に盛り上がっていた場面を一挙に萎えさせてしまうことになる。 つまり、形而上と形而下は相容れないということをみずから証明しているようなもので、 <形而上と形而下の結び付きを性行為が比喩させているところにある>などと言うことが、 相反しているか、矛盾しているか、或いは、でたらめか、妄想であるとされても仕方がないことになる。 このように、われわれ人類が脈々として紡いできたことは、われわれの思う以上に身に染み付いているのである。 だから、ポルノグラフィはポルノグラフィであることで、ポルノグラフィであるとした方がわかりやすい。 従って、成瀬薫と中村れい子がこのようなことを考えながら、愛欲の行為に耽っていたとは当然考えられないし、 ようやく盛り上がり始めた官能の場面を萎えさせ、それをもう一度、掻き立てようとするこの物語は無茶苦茶である。 無粋なのは成瀬ではなくて、作者であるとそしりを受けても反論のしようのないことだ。 では、ふたりの孤独な男女の性愛を描く箇所は、 女が眼の前にそり立った陰茎を慈しむように口へ運んでいくところへ、一挙に戻ることにします。 充血して硬直をみなぎらせた男の思いの丈の美しさは、 そこへ柔らかな舌が絡ませられ、口中へ優しく含み込まれ、 突端の魚の口から糸を引くようにさせられるまで愛でられることこそ、その輝きをあらわすものであったのです。 女は淫らとさえ聞こえるくらいに音を立て、口の端から唾液が流れ落ちるままに熱心に頬張り続けたのでした。 男にとって、下腹部の箇所から突き上げられる激しく甘美な疼きは、 それだけで放出を余儀なくされるほどのものになったのは当然でした、だから、彼はこらえたのでした。 こらえることによって、やるせない苦痛さえ伴って掻き立てられていく快感に、さらなる高まりを感じたからです。 男の舌先も黙ってはいません、言葉を吐くわけではありませんが、愛撫は言葉以上の表現を持っているものです。 舌先がふっくらと淡い漆黒のもやを掻き分けていきますと、そこには深い亀裂が待ち受けていました。 冒険心に富んだ男の思いは、指先を使ってその亀裂を左右に押し広げるようにします。 すると、真珠の輝きを示すような小さな突起が肉のなかに顔をのぞかせているが見えます。 それは慈しみ愛でるにふさわしい愛らしさをあらわしたものでありました。 男も最初は軽い挨拶を交わすように、尖らせた舌先で優しく突っつくような真似をします。 女は思わず腰をうごめかせるくらいの敏感な反応を示しました。 舌先がうねりくねりされて、まるで掻き出さんとするような強い調子で真珠が舐め上げられていくと、 ああっ、ああっ、と女の悩ましそうな声音が高まり、それが男をさらに勢いづけるものとさせるのです。 閉ざされたようになっていた花びらの箇所も、蜜にふくらんでいくように口を少しずつ開き、 愛らしい突起がつんと立ちあがる固さを示すときには、しずくをのぞかせるのでした。 女は、男の舌先の愛撫で官能を高ぶらされていくことをあらわすように、 頬張って舐め続けているだけでは物足りないとばかりに、口中のものを前後へしごき始めました。 それには、男も、うっ〜、うっ〜、という唸り声をあげて、逃げ腰にさえなっていくのでした。 しかし、女は絶対に離そうとはしませんでした、離さないことが彼女の思いの丈だったのです。 男は突き上げられていく思いから、蜜をあふれ出させている箇所へ舌先を移しました。 尖らせた舌先を花びらの奥へと差し入れると、どろっとしたぬめりがあふれ出してきます。 そのぬめりを淵のあたりでぐるぐるさせていると、男にはもうこらえ切れない限界が感じられてきたのでした。 「れい子さん、入れますよ……」 男はそう言うなり、急いで体勢を反対にし、女のしなやかできれいな両脚を両腕で抱えながら、 行き場を求める思いの丈は、ひとつの場所にしかその求める場所はないというように、 互いの身体を密着させようという力さえあれば、すんなりと沈めることができるものだということを示したのです。 しかし、男が腰をうごめかせる余裕は長い時間ではありませんでした。 彼は、うっ、と気張った声をあげると、気持ちのよい高ぶりのなかへ落下していったのです。 彼女も、相手の腰の動きに合わせて、煽り立てられた官能を持ち上げようと懸命だったかもしれません。 けれど、高みへ達する前に、相手が落下してしまったことは事実でした。 成瀬にも、それは理解できたことでした。 久しくご無沙汰であったこととは言え、ひとりで満足を感じてしまった後ろめたさがありました。 「……すまない、こらえ切れなくて……」 萎えていくものは、自然と離れていってしまうものです。 れい子は、桜色に火照っている美しい顔立ちに優しい微笑みを浮かべながら、言うのでした。 「いいえ、薫さん、何をおっしゃるの……始めたばかりではありませんの? れい子はあなたと一緒です、あなたと一緒に山を登ります。 高い山であれば、一気に昇り切ることができるなど、ありえないことです…… さあ、横になってください、わたしがあなたを元気付けて差し上げます」 女は男を離すまいとしているのだった、男にもそれがわかり過ぎるほどにわかることだった。 横たわった男の裸身へ絡みついて、女は相手の乳首へ唇を寄せることからふたたび始めていた。 これで、四十八手の体位のうち、ひとつが行われたわけであるが、 残り四十七の体位を果たして限られた時間で成し遂げることができるのだろうか。 ふたりの行動予定としては、明朝九時にホテルを出発となっている。 だが、そのような詮索は無粋と言うものだ。 愛し合う成瀬とれい子にとっては、相手に夢中になることのできる永遠の時間であったのだから。 |
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