かおる殿には、可哀想な真似をするかもしれない、 だが、切支丹の詮議で行われるような残虐な拷問に比べたら、優しい取り扱いのものだ。 拙者らだって、奥方様を眼の前にしているのだったら、このような思いに掻き立てられはしない、 二度と会えないような類稀なる美女を前にしているから、思うことなのだ。 いまどきは、戦などないから、言い伝えのようなものになってしまっているが、 男は戦にでかけたら、何人の大将首を取ってこられるかと同様に、何人の敵の女をものにしてこれるかと言われたものだ。 かおる殿も罪人である以上、敵の女である辱めを受けても、それは人の世の定めだと思って諦めてもらいたい。 申し渡していることが少々熊田を真似ていて、また、ちぐはぐではあったが、武士としての潔さを示したつもりだった。 かおる殿は、涙のあふれたきれいな瞳の顔立ちをそむけたまま、美しい唇を真一文字に閉ざしているだけだった。 熊田は抜け目がなかった、用意していた豆絞りの手拭いで、かおる殿の口もとへ猿轡を噛ませるのであった。 そのときは、さすがに、かおる殿も進められていくことに恐れを抱いたのか、あらがうような身悶えを示した。 しかし、三人掛りの男の前では、か弱いひとりの女があらわす力など、その女に権勢力でもあると言うならばともかく、 或いは、柔術のたしなみでもあると言うならばともかく、普通の女が発揮する抵抗などたかが知れていた。 戦においても、敵の女をものにするのに、多勢に無勢が行われている常道と同じである。 牛尾重役は、あらがいを封じるように、ふっくらと柔らかな乳房をおもむろに鷲づかみにすると揉み出したのだった。 そればかりではなかった、愛らしい乳首へ口を寄せると、ぴちゃぴちゃと音を立てながら舐め始めるのだった。 重役にばかりいい思いをさせてはなるまいと、拙者も、もうひとつのきれいな形の乳房へむしゃぶりついた。 乳房はふたつしかなかったから、熊田は、当然、寄るべき場所を失っていた。 かおる殿のふっくらとした乳房と乳首の瑞々しいしこりは果物のようなかぐわしさがあって、 一度味わったら離れがたいものであった、ふたつを独り占めにしていた亭主に嫉妬さえ感じさせるものであった。 ふたりの男から左右の乳房を吸われて、美しい奥方は、右に左に顔を振り向かせ、激しくいやいやを示していたが、 押さえつける者のいないしなやかな両脚は、羞恥の股間を少しでも隠そうとぴったりと閉ざされるようにされるのだが、 愛撫の熱心さに反応するように、すぐに力を失って開いていってしまうのだった。 熊田は、そのきれいに伸びた片脚を抱きかかえると、つま先の方から付け根へ向かって蛭のような舌先を這わせ始めた。 かおる殿は、豆絞りの手拭いで猿轡をされた美しい口もとから、くぐもらせたうめき声をあげるのがせいぜいだった。 唾液の航跡をてらてらと残した熊田の舌先がなまめかしい太腿のあたりにまで来たときだった。 いやあ、美女は名器の持ち主だと俗に言われるが、見栄えばかりが美しいのではないぞ、と驚きの声をあげるのだった。 いや、それとも、拙者らの心を込めた愛撫が奥方の情感を高めているのか、 美しい花びらは見事にふくらみ、かぐわしい輝きの蜜をほんのりと浮かべ始めているぞ、とうれしそうだった。 それを聞きつけた牛尾重役は、むしゃぶりついていた乳首からおもむろに離れるのだった。 わかっておるだろう、年功序列である、拙者が最初に味わう権利がある、しわがれ声は命じるような口調で言うのだった。 言われた熊田は、きれいな両脚をこれでもかと言うほどに左右へ大きく割り開かせて、 股間の箇所へ入りやすい段取りまで行った、これでまた重役の心証に得点を付け加えたわけだ。 拙者から見ても嫌らしいと感じるくらい両眼をぎらつかせた牛尾重役は、 よだれを垂らしながら、まるで乾き切っていた咽喉をうるおすかのように、 花びらからにじみ出している女の蜜へ吸いついていくのだった。 余りにも激しく接吻するものだから、かおる殿も、こらえ切れずに身体をのけぞるようにさせて、 くぐもった声音で叫び声をあげながら、込み上げさせられる情感を懸命になって抑えようとしているようだった。 この場に及んでさえ貞淑を守ろうと必死になるかおる殿は、ますます愛らしさを発揮させて存在感を高めていたが、 愛らしさは愛くるしくなるほどに、破壊してしまいたいくらいの愛着の思いを煽り立てるものでもあったのだ。 その破壊は、男の思いの丈を伸び切るまでにそり上げさせている、わが身こそが行うことだと思わせるのであった。 このような部下の燃え上がる焦燥など微塵も気に掛からないという感じで、 牛尾重役は、粘っこい舌先の愛撫だけで、相手が敏感に反応を示すことに夢中になって 放って置いたらひと晩中でもしゃぶり続けているという執着だった。 だが、時間は無制限にあるわけではなかった。 お願いします、あとがつかえていますので、そろそろ交代を、熊田がついに我慢できずに言った。 牛尾重役は、名残惜しそうにしながらも股間から離れると、 ひと休みするように床にへたり込んでいた、やはり、歳はあらそえなかった。 今度は、拙者がかおる殿のしなやかな両脚を持つことになったが、 そり上がりは固さを増す一方で、順番を待たされることがこのように辛いものだと感じたのは初めてだった。 だが、辛さを感じていた者と言えば、拙者以上にかおる殿であっただろう。 熊田の蛭の舌は、花びらへ吸いつくというばかりのものではなかった、 営業戦略の常道として弱い所を徹底的に責めるというものであった。 割れ目からのぞかせていた愛らしい豆粒が集中攻撃にあっていたのは、 両手にしていたかおる殿の両脚が振りほどかんばかりの激しいばたつきを示して、 髪型を乱れるにまかせて顔立ちを打ち振るい、くぐもった絶叫の大きさはのけぞる身体のしなりにあらわされていた。 熊田には、かおる殿をそのまま一度いかせてしまうおうというつもりが明らかにあった。 誰が止めたにしても、もちろん、誰が止めるどころか、奨励していることであったが、 熊田は、舐める、吸うばかりでなく、歯さえ立てて、女の最も敏感な箇所が身体全体へ及ぼす効果を体現させていた。 かおる殿は、着物姿にあっては、気品あふれる淑やかな麗しさそのものの女性だった。 一糸も身つけることを許されない生まれたままの全裸にさせられても、貞淑の自尊心は失われることはなかった。 だが、本人がどのような思いを抱いていようと、たとえ、天女でありさえするような神々しさを持った女であろうと、 女は女に違いなかった、また、そうであったからこそ、女であった。 素っ裸にされ、後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、女の羞恥の翳りをすっかり奪われ、 為すすべの自由を奪われたその拘束の身を、男三人から一方的に責められている境遇にあっては、 その思いがどのように気高くあろうと、女としての身体は、されるがままに女としての官能をあらわすだけであった、 どのように不本意な振る舞いであろうと、ただ、女を示して見せるだけのことだった。 その厳然たる証拠が眼の前に露呈されているのであった。 女は、強引に押し上げられていく官能を懸命になって抑えようと、必死になって抵抗しているというありさまだった。 だが、そのか弱い力がもろくも崩れ去っていく光景は、 そり立ったものが噴出を余儀なくさせられるほどの婀娜っぽさがあった。 しかし、拙者は何とかしてこらえた。 だが、かおる殿は、こらえ切れず…… ついに、その美しい裸身をびくんと強く硬直させると、昇りつめていくのだった。 熊田は、口のまわりをてらてらと光らせながら、してやったりという満足そうな顔つきをこちらに見せていた、 いやあ、思わずいかせてしまった、余りにも可愛らしい反応を示すものだから……本当にいい女だ…… 照れ隠しのような薄笑いを浮かべると、床に置いてあった木製の張形を取り上げて拙者へ示すのだった。 さあ、今度は、おぬしの番だ、これを使ってやってくれ、気が冷めないうちがいいぞ、そう言って手渡された。 生身で行いたかったのは、やまやまだった、 眼の前に花びらを開いて、甘くかぐわしい蜜を光らせて待っていると言うのに、 擬似で行うことしかできないというのは、男として、屈辱以外の何ものでもなかった。 だが、我が国には、この擬似の行いも立派なこととされる信仰があるのだ。 古くからの言い伝えで、あらゆるものには神が宿るとされてきた、拙者らは神に囲まれて生きているのだ。 この太くて長い艶やかなそり上がりをかたどった木製品にも、神は宿っている。 このようなものが考えられ、丹精込めて作られたのは、交接の代用、自慰の目的と言うばかりのことではない。 我が民族の永久の繁栄のために、妊娠を祈願するという崇高な目的が秘められているのだ。 拙者らは、これを用いることによって、用いる者と用いられる者と神との三位一体の繋がりを通じて、 張形という神物に備わる霊力をもって、女性に懐胎の兆しをあらたかにさせるのである。 かおる殿は、心の迷いから、誤って切支丹の神を信じてしまったようであるが、 我が民族の本来の神に目覚めるということでは、与えられた絶好の機会と言えることでもあるのだ。 かおる殿も、それを望んでいるかのように、開き切った美しい花びらを求めるようにひくひくと息づかせている。 拙者は、望まれるままに、神物の先端をそこへあてがった。 あふれ出させている蜜の豊饒さが示すとおり、 大した力を必要ともせず、押し込むほどになかへ入っていくのだった。 太くて長い霊力を呑み込まされていくかおる殿は、まさに神物の伝える力が立証されていくように、 熊田に押さえつけられていたしなやかできれいな両脚を折り曲げようとするほどに強くうごめかせ、 それがかなわないと、ふくよかでなまめかしい尻を浮かせて、 逃れようとするように懸命に身体をのけぞらせるのであった。 異端の神と我が本来の神とのせめぎあいが行われているようであった。 だが、古くから尊ばれてきた事柄に優るものはない、 それは、いま行われているすべての事柄をあらわしているものなのである。 かおる殿も、呑み込めるだけ深く沈められなければ、我が民族の神の目覚めはあり得ないことであろう。 我が民族の神の勝利はあり得ないことであろう。 拙者は、噴出寸前のそり上がりのままであることを念じながら、神物の霊力を最奥へ至るようにねじ込んでいった。 かおる殿は、崩れていた髪を打ち振るって、猿轡を噛まされた口もとからくぐもった叫び声をあげていたが、 そのまなざしはきっとなって一点を見つめてはいるものの、涙にあふれかえり、さ迷っているようにも見えるのだった。 奥まで入りきると、かおる殿は、観念でもしたかのように、激しく身悶えするのを徐々にやめていった。 拙者にも、ご利益をあずからせてくれ、牛尾重役がへたっていた床をにじり寄りながらこちらへやって来た。 重役は、しっかりと咥え込まれた神物をつかむと、前後へうごめかし始めるのだった。 女も、うごめかされる強さに合わせて痙攣を引き起こされ、びくっびくっとのけぞりをあらわすのだった。 天女の美しいよがり声を聞かないで、何の賜物があると言うのだ、 熊田が押さえていた両脚をそっちのけで、女の豆絞りの手拭いをはずしにかかっていた。 女には、もう、抵抗するような力は見受けられなかった。 牛尾重役の丹念な抜き差しは、逃れられない場所へと追い込んでいくように、情感を押し上げていくものであった。 すでに一度昇りつめていた女にとっては、 そこが更なる高みへ昇るための休息場所に過ぎない、と感じさせられていることだった。 女は、猿轡を解かれたことによって、 かえって声をあげることを恥辱と感じているかのように、唇を懸命になって噛み締めていた。 だが、抜き差しに応じて、どろっとした蜜が豊かにあふれ出してくることがあらわしているように、 声をあげまいと必死なっているきれいな口もとは、ああ〜ん、ああ〜ん、と悩ましく泣き出していた。 こと、神物の力に優るものはないのだ。 拙者ら三人は、高まっていく、悩ましく、やるせなく、切なく、甘美そのものである女の声音を耳にしながら、 神物のうごめきに合わせ、花びらをひくひくと息づかせながら、 とめどもなく蜜をあふれ出させる箇所を魅入られたように眺めるだけだった。 牛尾重役の祈願成就は見事に達成された、女は見事に昇りつめていった。 次は、熊田の番であった。 差し入れられたままの神物は、そこからまたさらに高みへと昇ることをさせるのだった。 熊田の激烈とも思える強姦的な成就も無事達成された。 かおる殿は、激しく甘美な声音で泣きじゃくりながら身体を打ち震わせて、なまめかしい恍惚をあらわすのだった。 最後は、拙者の番であった。 拙者は、八歳の幼いときよりその成長を見守ってきたごとく、 かおる殿を愛する思いは、実は殿にも負けないくらいのものがあったのでござる、 かおる殿に本来の神に目覚めて欲しいという祈願も込めて、拙者は、誠心誠意の奥深い抜き差しを行ったのでござる。 舞い上げられた官能にほだされて、火照った裸身を震わせながら、激しくよがり泣く美しさそのものの顔立ち、 ついには、華々しい喜悦の声をあげて、全身をのた打たせながら、法悦のなかに浮遊していくように痙攣する姿は、 麗しく、なまめかしく、妖美でさえある、まさに、天女のようなかおる殿であり申したのでござる」 猪木政明によって語られた内情暴露によれば、このような次第があったのである。 だが、成瀬には、まったく身に覚えのないことであったのだから、 仮に聞かされたとしても、納得のいくところでは到底なかった。 だが、納得がいこうがいくまいが、全裸の姿を縄で縛られ柱へくくり付けられていたことは、紛れもない事実であった。 その事実が意味するところを、腹に一物あるような陰険な顔つきをした男は、 嫌な口臭を撒き散らしながら説明したのである。 「拙者が参ったのは、かおる殿を引き立てていく役目があってのことでござる。 かおる殿が切支丹の罪人である以上、やむ得ない処罰であると観念してもらいたい……。 拙者も命じられた役目でござる。 決して、拙者の本音ではござらぬことを……拙者を恨むようなことは是非なきよう、お願い致したい……」 相手が白木の柱へ繋いでいた縄を解き始めるのを、成瀬はあわててとめるように叫んだ。 「まっ、待ってください、わたしは、わたしは切支丹なんかではありません! 処罰を受ける理由などありません!」 猪木は、合点したようにうなずきながら、残念そうな声を出すのだった。 「そうであろう、拙者もその言葉を信ずる。 かおる殿は、間違いなく、神物の霊力によって本来の神に目覚められたのだ。 それは、拙者も、その喜悦の証拠をしかと見た。 だが、かおる殿がどのようなことを思われようと、或いは、白を切って見せられようと、 奥方の運命は定められておられるのだ、拙者にはどうにもならないことなのだ。 全裸のまま十字架にはりつけられて、花見の宴の見世物とされるような気の狂ったお遊び…… 良識のある者だったら到底考えつくようなことではない、鬼の奥方様だからこそ思い付かれる邪悪なのだ……」 最後の方の言葉は独り言のようになっていた。 侍姿の男は、成瀬を縛っていた縄尻を取ると、階段の方へ歩ませようと引っ張るのだった。 「いやっ、いやです、そんなこと! どうして、わたしは、そのようなことまでされなければならないのです! いくら研修だからと言って、ひど過ぎます! わたしは、いやです、もう、たくさんです、いますぐ、研修をやめにしてください!!」 猪木は、相手がわけのわからないことをわめいているとしか思わず、 その乳色をしたなめらかな背中を無慈悲に小突いて進ませようとするのだった。 成瀬は、身悶えをして抵抗を試みようとしたが、縄で縛り上げられたか弱い女の全裸である、 無理やり引き立てられれば、されるがままになっていくだけだった。 そのか弱さを思い知らされると、女であることがとことん嫌になる男の思いがもたげてくるのであった。 生まれたままの裸を縛られているという屈辱ばかりでなく、身に覚えのない異端信仰の罪まで被せられ、 その上、十字架にはりつけられるなどという想像を絶する恥辱にさらされるわけも、 すべて、女であるということが原因のことに思えるのだった。 どうして、女であるというだけで、これほどまでに虐げられなければならないのだ。 だが、その虐げられる女をやめるということは、舌を噛み切って死ぬことでもしない限り、できないことだった。 それでは、堕胎させた胎児の生まれ変わりが自分であるという目覚めは、いったい何だったのだろう。 そうじゃない……そうじゃないわ…… 生き続けること、その果てに見出せること、それが最も必要なことのはずだわ……。 成瀬は、毅然とした態度を取ろうと努めるのだった。 「わかりました……わたし、覚悟を決めました、お好きなようになさってください……」 猪木侍は、一念を心に抱いたかおる殿の気高さを見せられて、たじろぐような思いさえ感じさせられるのだった。 さて、これから行われることを歌舞伎の一場面のようなものとして描写できるならば、それに越したことはない。 しかし、この物語を書いている作者の筆力では、せいぜい三流のポルノ小説のような文体でしか行えない。 それは、これまで見たきたとおりである。 つまり、現代文学としての表現でしか行えないということである。 ここで、現代文学であると言って差し支えがないと思われるのは、昨今の風潮では、 「文学」や「芸術」という語が「ブンガク」「ゲイジュツ」といったカタカナ語に置きかえられて、 死語とまでは言わないまでも、廃語化されているような傾向にあるからである。 本来の伝統ある文学が「ブンガク」である以上、ポルノグラフィの作品が正面切って「文学」と言い切っても、 他に言い切れる作品がいまどき存在しなければ、文句も出ないことであろう。 「ブンガク」を「文学」ということの可能として表現できる現代文学論が示されない限り、 ポルノグラフィが旧来の「文学」と同義語であると言っても、言い過ぎではないとさえ言える。 もっとも、「文学」という語にこだわっているわけではない、実は、そのような「語」はどうでもよい。 どうでもよくないのは、「ブンガク」や「ゲイジュツ」と言うことによって、意味不明の定義とされることである。 実は、その意味不明の定義とされることは、規準を失わせるということで、それを価値観の多様化と言っても、 人間は古くからの言いまわしで十人十色であれば、もとより価値観は多様であり、いまさら始まったことでない。 問題は、そこではない。 意味不明の定義は、画一化したものを流通させるにはもってこいの状況を作るということである。 経済と流通の原則に従って、画一化したものを大量に動かすことが繁栄を意味するものであるとすれば、 「文学」や「芸術」などという小数的な高い規準のものがあっては、繁栄を阻止するばかりのことになる。 文化を担っているような事業の立場からすれば、「文学」や「芸術」は繁栄を阻止するものなのである。 従って、「ブンガク」や「ゲイジュツ」に置きかえられることは、事業として好都合ということになる。 現在のような人口の増加と情報の蔓延にともなった流れからすれば、致し方のないことだとも言える。 きれいごとを言っていても、会社がつぶれてしまえば、事業も文化も文学も芸術もへったくれもない。 ただ、ここで、どうでもよくないのは、画一化するものが流通するのはやむを得ないことであるとしても、 それが表現の多様化を阻止するようなことまでも行っているとしたら、絶望的状況だと言わなければならない。 画一化する作品を大量に流通させることが繁栄をもたらすものであれば、 画一化する似たような作品をどのように需要喚起するために企業戦略を行うか、そのことに躍起になる。 流通可能であるという画一化した規準が表現を規定し、そうした表現だけが意義あるものの規準として流布される。 事業であるのだから仕方のないことだが、画一化した表現がひとつの規準であると思わされるごまかしである。 そのごまかしを、文化、社会、人道を目的として行っているとしたら、おためごかしである。 だが、変りようのないこともまた事実である、深刻な事柄を生活に持ち込みたいと思っているひとはまずいない。 答えの出にくい問題……だからこそ、表現の多様性が可能性として阻止されてはならないのである。 このようなことが、「或る美しい奥方の受難」とどのような関係があるのかと言えば、ほとんどない。 あるのは、成瀬薫の物語の方である。 成瀬薫は現代に生きている、彼は、いや、彼女は、「文学」についてはほとんど関心を持っていないが、 「文学」のありようが取り沙汰される同時代に生きていることは、紛れもない事実である。 もっとも、成瀬にとって、作者が描写に悩む問題などはどうでもよいことだ、それは直接命には関わらない。 彼女には、命にさえ関わるかもしれない、直面させられた緊急の事態があるのだった。 猪木侍に引き立てられて、土蔵から外へ出されたとき、広々とした庭にあった桜の大樹は満開であった。 咲きほころんで、時折、舞い落ちる白い花びらのかもしだせる豊饒とした美しさは、 その根元の大地へ骨を埋めてもらえれば、この国に生まれて、これ以上の至福はないと感じさせるものであった。 だが、かおるは切支丹であった、その証しとして白い胸もとにはロザリオが掛けられていた。 身に着けているものと言えば、それだけの姿であった、後は、生まれたままの全裸であるだけだった。 麻縄で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられた姿にあったのだが、 それも桜の大樹のそばまで連れて行かれると解かれたのだった。 ただ、そこまで歩まされていく間に、きちっと着付けた奥方様の腰元たちが控えていた。 彼女たちは、問題の美女を間近で見られる興味にわくわくとしながら、立ち並んでいるのだった。 これも、実は、かおるの屈辱を倍加させようという鬼の奥方様の配慮であった。 罪人に聞こえよがしの品評を投げつけて、最も売りの文句となるようなことを言った者に報奨金が与えられるのであった。 一番目の腰元の品評。 「へえ〜、聞かされていた通りのたいそうな美人じゃありませんこと、顔立ちも身体付きも申し分がありませんわね。 どうしたら、あんなふうにきれいになれるのかしら、やはり、生まれや育ちが違うということかしらねえ。 でも、どうして素っ裸でいるのかしら、いくらきれいだからって、あのような恥ずかしい格好で人前に立つなんて。 そればかりじゃありませんわ、縄で縛られ、女の最も恥ずかしい割れ目まであからさまにさせているなんて。 わたしだったら、耐えられない恥辱ですわね、それを、よくもまあ、平然とした顔でいられるものだわ。 わかったわ、性根が悪いのよ、きっと」 二番目の腰元の品評。 「性根は悪くないのかもしれないわ、信仰を真面目に抱いているひとの心はきれいなものよ。 ただ、このひとは邪教を信じているというだけ、邪教を信じるとすべてはその教えを中心にまわるようになり、 ほかのひとの考えていることなんか、みな、嘘で、ごまかしで、おためごかしで、下卑たものにしか思えないようになる。 このひとの毅然としているような表情を見てごらんなさいよ、まるで、わたしたちを見下しているようでしょう。 女だったら、とても耐えられないような姿にされて、いや、人としてだって、屈辱そのものの姿にあって、 自分の美しさを誇らしげに見せることができるなんて、邪教を信じているからこそ、できることなのよ」 三番目の腰元の品評。 「そうね、女として風上にも置けない女であるということよね、同情される余地など、これぽっちもないわ。 天下のご法度を破るような者はろくな者ではないということよ、ご法度は人を正しく導くためにあるもの、 世間に流布している考えだって、世間の人が良いと認めているから広まっていることだわ。 そういったご法度や世間の常識に楯突くようなことをする者は、心底ろくな者ではないということよ、罪人よ。 まして、女でしょう、女の身分をわきまえない女がしゃしゃり出て、ろくなことにはならないのよ。 情けなく、浅ましく、惨めな姿をさらけ出すというのは、眼の前の女を見ればわかることじゃない、ざまを見ろよ」 四番目の腰元の品評。 「肝腎な点が抜けているわね、この女がどれだけ容姿が美しかろうと、心がきれいであろうと、罪人であろうと、 所詮は、ひとの慰み物にしかならないということ、まあ、ちやほやされているうちが花で、そうでなくなれば、屑だわ。 ここで花見の宴の余興として見世物にされた後は、いったいどこへ行くのかしら、少なくとも、もっと酷いところよね。 まさか、犬ころと一緒に屋敷内に飼われ続けていくとは、とても考えられないわ。 奥方様は、慈悲深い方だから、いじめるだけじゃ可愛そうといって、お手討ちになされてしまうでしょうから。 それとも、女郎屋にでも売り飛ばされるのかしら、でも、大枚が使われているそうだから、それじゃ採算が取れないわね」 五番目の腰元の品評。 「いや、ご重役様のもらされた話では、身分の高い方専用の女郎として客を取らせ、元手以上の利益を出させるということよ。 そのための業を設立するのにすでに商人と話がついていて、来月にも業は立ち上がるということだわ。 やはり、女は見栄えがよいと一枚得ね、身体さえ立派であれば、屑のようなものにはならないのよ。 屑になるのは、何もひけらかすものを持っていなくて、ただ、お追従している女だけ、文句を言っている女だけ。 もっとも、このひとが見栄え以上の中身をどれだけ身体に持っているかは知らないけれど、 それが感度がよくって殿方を喜ばせるものだとしたら、高級女郎としての生活保証はあるのだから、素晴らしいじゃない」 六番目の腰元の品評。 「この女の成り行きを浮世草子にでもしたら、売れるんじゃないかしらねえ、『或る美しい奥方の受難』なんて題にして。 知られていないことを暴露するのが文学というものでしょう、『源氏物語』の昔からそうじゃない。 世間にあまねく知れ渡っているようなことを書いたって、誰も興味を持たないし、売れるわけもないわ。 人が知らない人の真実、それを書いて見せなきゃ、人は喜ばないのよ、それには、自分の身のまわりに起こったことね。 自分が体験したことをありのままに伝えようとすることに現実感が生まれる、その現実感は読む人に肉迫し感動させる。 後は、感性の薬味を文体に加えて妙味を出す、いいわねえ、わたしも腰元をやめて、売れっ子の作者になりたいなあ」 七番目の腰元の品評。 「まあ、どのように品評されようと、この女が罪人として処罰されるというのは、厳然たる事実だわね。 見る人によっては、さも、奥方様が悪いことをしているように考えている人がいるけれど、それは大きな間違い。 奥方様がどのような思いを抱かれていようと、奥方様は正義を執行なされているだけのこと、それが事実ということだわ。 季節は、ちょうど花見に適した頃合だから、花見の添え物として考えられただけ、この女は美しさを褒められているのよ。 だから、光栄に思うようなことはあっても、奥方様を恨むようなことはゆめゆめあってはならない、だって、罪人ですもの。 人はみずからの定められた運命に従ってしか生きられないものよ、この女の場合は、罪人という運命をね」 腰元たちの品評は、通りすがるかおるの耳もとにもとどく、はっきりとした声音で語られたものであった。 かおるに、その内容のひとつひとつを吟味するだけの時間は許されていなかったし、褒賞の結果を知る由もなかった。 彼女は、ただ、澄んだまなざしを一点に投げかけ、毅然とした態度を崩すようなことはしなかっただけだった。 だが、さすがに、白木で作られた堂々とした十字架を眼の前にさせられたときは、はっとなった。 頑丈な角柱が縦横に組み木にされてあらわす木質の重量感は、人ひとりを優に支える頑強な存在感を示していた。 そこへ身体をはりつけられるのかと思うと、想像を絶する思いからめまいすら感じて、足もとさえもおぼつかなくなるのだった。 その横たえられた十字架のまわりには、五人の足軽が控えて女囚の到着を待っていた。 猪木侍の役目は終了した、足軽のひとりへ引き立てて来た縄尻を渡すと、名残惜しそうに立ち去っていくのであった。 女囚の全裸は、足軽たちによってただちに緊縛の縄を解かれ、処刑の組木の方へと連れていかれた。 左右の足軽によって両腕が取られ、もうひとりが束ねた両脚を取ると、 身体は軽々と持ち上げられて十字架の上へ仰臥させられていくのだった。 双方の手首が縄で縛られ十字架の横木へくくり付けられたが、締め上げられるような強烈な緊縛はされなかった。 揃えさせられた両脚についても、小さな台に足を乗せられて、縛り付けられた縄もしっかりとしていたが同様のものだった。 短い時間の晒しものとして、身体を傷付けずに、できるだけ負担のかからない配慮がなされていたのだが、 それも、女囚に高級女郎としての将来が約束されていたからのことで、所詮は、余興の出し物に過ぎなかったのである。 かおるには、反発を見せるという素振りはまったく見られなかった。 ただ、観念しているようにされるがままを引き受けているだけであった。 彼女も気づいていたが、広々とした庭と屋敷の開け放たれた居間の双方には、総勢でおよそ三、四十人の人物がうかがえた、 その者たちの視線が一斉に自分の方へ向けられているのだった、それを意識しないではいられない極度の緊張があった。 だが、その人たちの前で何ができよう、何もできないから、されるがままになっているしかなかったのだ。 ただ、何とか気を保ち続けさせていたのは、生き続けること、その果てに見出せること、という一念でしかなかった。 未来へ希望を託するということが、来世へ思いを掛けることと同義であるのは、人は現在にしか生きていないからである。 どのような宗教的教義であろうと、死後の世界へ思いを託する教義にあっては、 実現される至福はすべて、未来へ希望を掛けることにしかない、現在をより良く生きることのためにそうあるからである。 それはまた、現在には決して訪れることがないゆえに、至福と称されることでもある。 従って、未来へ託する一念の思いこそ、人にとって気高き幻想はない。 どのようにいじめられ、嬲られ、辱められようとも、その気高き幻想にあっては、生き続けることを可能にさせる。 かおるのはりつけられた十字架が五人の足軽の手によって地面から起こされ、 その場へ掘られた穴深くへと突き刺されていくと、場内からは、思わず歓声とため息の入り混じったざわめきが湧き起こった。 咲きほころんで、時折、舞い落ちる白い花びらのかもしだせる豊饒とした美しさをあらわす桜の大樹のそばに、 清楚な美貌を持った女が、股間の翳りを奪い取られたくっきりとした割れ目を剥き出しにさせて、 生まれたままの姿にある優美な全裸をはりつけの見世物として見せしめられているのだった。 「………………………… …………………………」 屋敷の居間から眺めていたこの家の主である殿は、まなざしこそぎらつかせていたが、 複雑な表情を浮かべながら魅入っているだけで、口に出す思いの言葉は、口へ運ぶ酒の頻度があらわしていた。 「いやあ、見事なものじゃのお、日本の女の美しさは桜の大樹とあいまってこそ、あらわし得るあかしというものじゃ。 このような風流、このような優雅、このような粋なはからい、日本の興趣と言わずして何であろう。 それにしても、桜の花びらに引けを取らない女の柔肌の白さ、なまめかしさ、優美さ、まことに絶品である。 胸もとのロザリオなど、まったく艶消しもいいところ、ああ、そのまことの柔らかさに早く触れてみたいものじゃ」 「素晴らしい、被虐の姿にあってこそ、女は、女としての美しさを最も発揮する、それをまのあたりにさせられているようだ。 この女は、普通の姿にあっても、たいそうな別嬪だ、だが、この女の美しさは、嬲られた姿にこそ真価があらわれている。 すべての女がそうであるというわけではない、嬲ることを求めずにはおかない女らしさを持った女でこそ、あり得ることだ。 この女があらわしていることは、かけがえのないものだ、この手で泣かせて味わうことができるなら、高い買い物ではない」 「美しい天女の裸身、そのなかでも、白くふっくらとした無垢にある深々とした神秘の切れ込みが一段と輝きを放っている。 その内奥にある花びらはどのようなものだろう、このような麗しい顔立ち、このような艶麗な姿態をしているのだから、 さぞかし、満開の桜の花びらにも負けない豊饒とした艶やかさをあらわしているものだろう。 その花びらが恥じらいをもって甘美な蜜をにじませるのを思うと、ふたりきりになれる日がただ待ち焦がれる」 「女などは、どのような別嬪であろうと、持っている穴のみだらがわしいところに変わりはない、この女も同じこと。 だから、見栄えがどれだけよくても、男を楽しませるだけのみだらがわしさがなければ、なまめかしさもへったくれもない。 男を楽しませる女であってこそ、麗しさ、艶やかさ、あだっぽさも、あらわれるというものだ。 裸を晒して見せたところで、よがって泣き声をあげて見せたところで、入れてみなければ、女の値打ちなどわからんことだ」 「確かに、顔立ちも身体付きも申し分がない、だが、切支丹の罪人であるということが玉にきずなのではないか。 一念の思いを抱いた女というのは融通がきかない、身体もその思いが邪魔をして開き切るということがない。 まあ、これだけの別嬪であるから、抱くのはやぶさかではないが、これで高い料金を取ると言うのなら、騙りである。 業を為すための商品なら、健全な料金、健全な奉仕、健全な身体の三拍子が揃っていなければ、客は納得しないであろう」 本日の宴に招待を受けた五人の方々、つまり、将来の顧客となるだろう金づるのお歴々は、 酒と料理のくつろいだ接待を受けながら、余興の感想をそれぞれに口にし、それぞれの未来へ思いを託していた。 「返す返すも残念なのは、生身でことに及べなかったことだ。 一生悔いることは、いまこのように女を眼の前にして、眺めさせられるだけの高嶺の花、二度と触れることのできない珠玉。 いまも口に残るあの乳房の柔らかさ、乳首の甘いしこり、女の花びらの瑞々しさ、かぐわしさ、悔いても悔い切れない」 「せめて、尻の穴でもやり遂げるだけの大胆さが必要であった、悔いることはしたくないが、戦略の甘さと言えよう。 顔立ちも、身体付きも、心根も、情感をあらわす仕草も、すべてにおいて愛くるしさそのものをあらわした女だった。 売りに出されるような安手な使い方をされて、本来の価値を損ねてしまったら、もったいないとしか言えまい」 「拙者はかおる殿の後見人とさえ感じている、このような美しい晒しものにされて、まさに嫁へ送り出す父親の思いである。 どうか立派な高級女郎になっていただきたい、かおる殿であれば絶対に果たせることでござる、拙者はそれを信じている。 見納めはまことに辛い、だが、拙者は、誠心誠意、最後までかおる殿を見届けるでござる」 これらは、縁側に控えていた牛尾重役、熊田、猪木ら三名の言葉、やはり、肉体と親近性を持ったことは、 大分感傷的にしているようで、三名ともほとんど水のごとくに酒をあおって、すでに赤鬼ような真っ赤な顔付きをしていた。 「切支丹の罪人であるのだから仕方がないのだろうが、本当に可哀想なことをするなあ」 「身体を触ったときは冷え切っていたから、長い時間、裸のままでいさせられたのだろう、それだけでも耐えがたい」 「それが、また、あのような何もかも剥き出しにされた酷い姿で晒しものにされているのだから、生きた心地もしないだろう」 「誰かが楽しむためには、誰かが犠牲にならなければならない、この世のめぐり合わせというものか」 「それにしても、何を思っているのかわからないが、人形のように美しい姿だ」 かおるを十字架にはりつけた足軽たちは、庭の端に控えて、茶碗一杯だけの酒をちびちびとすすりながら、 余興の撤収までの時間を待ち続けているのであった。 「全裸で十字架に掛けられた女の姿、花に劣らず美しい女の花、みなから注目されて、女冥利に尽きるという姿なのかしら。 いえ、そうじゃありませんわ、さらけ出しているのは、恥ずべき姿、浅ましい姿、淫らな姿……、 美しいだなんて言葉の汚れだわ、殿方の慰み物になるのがせいぜいの女の恥っ晒しの姿そのものよ」 「澄んだまなざしの毅然とした顔の表情、あれほどに恥ずかしく、残酷で、苦しい姿にあるというのに、どうしてできるの。 辱められた姿にあるのに、そのような美しい表情でいられるのは、女の抱く思いの一念というものからなの。 女の抱く思いの一念は山をも動かすという、そういう思いからできることなの、そのような思い、わたしだって欲しい」 「処罰を受けるような女は、どのような酷い格好で見せしめられようと、その犯した罪をあらわしているだけのことだわ。 どのような状況にあろうと、どのような場合にあろうと、どのような事情にあろうと、 あらわされた処罰の姿は、人としての非をあらわす行いの報いを示しているだけ、不潔極まりないということだわ」 「女もちやほやされているうちが花、売れなくなってきたら、何もかも剥き出しにして見せるまで売ろうとするのだから。 この女も、ここまでさらけ出してしまえば、後は、女郎屋で行うことにしか終始できないわね。 下のことは下のことに過ぎないのよ、下へ降りれば、後はどれだけ下へ降りていくしかないのよ、それが道理と言うもの」 「殿方に喜ばれるため、女は、精一杯女らしさを発揮するために、みずから努め、他人から仕込まれ、成り変っていく。 どのように素晴らしく女らしさを発揮しようと、所詮は、殿方の慰みものとして利用される用向きしかない。 慰みものとして役に立たなくなれば、打ち捨てられるだけのこと、どのように抱かれる本人の自尊心とは関わりなく」 「ここまでやって見せられる女であれば、やはり、浮世草子の主人公にはもってこいじゃないかしら。 いや、芝居にもなる、醜聞は世間が欲望する最大最高の持続する叡智、いつの世にも決して途絶えることがない。 ただ、殿様や奥方様にばれないような脚色ができないと、わたしの首も胴体から離れる、何かぞくぞくしてくわね」 「人の運命とはこのように過酷なものであるということを、この十字架にはりつけられた女は教えてくれる。 人は、決してみずからの運命に逆らうことはできない、そのいま在るありようこそ、運命をあらわしているからだ。 神仏にすがろうが何をしようが、その生きているいまこそ、みずからの運命である、この女もそれだけのものでしかない」 品評役の腰元たちの再登場、賓客の接待などに大忙しで、まともに庭の鑑賞物を眺めている時間はなかったが、 そこは業務の手際のよさを見せ、ちらちらと眺める断片を継ぎはぎしてまとめてしまうのであった。 総勢でおよそ三、四十人の人物がその場にいたわけであるから、これでは台詞を言った者はまだ半分に過ぎない。 全員を登場させたいのはやまやまだが、描写が冗長になる、現代文学とは言え、読者を飽きさせてしまうのは本望でない。 ひとの意見は十人十色であると言うから、この程度で勘弁していただきたい。 最後は、この趣向を企画した奥方様の言葉である。 感情を掻き立てられての発言だったので、意味不明なところもあるが、取り合えず、リアリティの点からそのままを表示。 ちなみに、居間から廊下へ出て、相手の方へ身を乗り出すあまり、庭へ落ちるのではないかという勢いであった。 「見なさいよ! 何という恥ずかしい格好! 何という下劣な格好! 何という卑猥な格好! 女が素っ裸で、しかも、割れ目まで剥き出しにさせて、これ見よがしに十字架に身体をおっぴろげている。 最低の女が最低の姿をあらわすとしたら、まさにこうなる、それ以外に何があると言える姿なの! あなたは、わたしを愚弄し続けたのよ、いいえ、あなたは正統なる美と尊厳ある妻の立場を貶めたのよ。 あなたがいまそうして愚弄された姿にあるのは、あたりまえのことなのよ、殿のせいでも、わたしのせいでもないわ! あなたは、みずからの思い上がった気持ちから、そのような姿になることを招いただけ、自業自得なのよ。 人はあなたのことをどのように言うか知らないけれど、あなたは最低の女であることを実証して見せただけなのよ。 それも何も、あなたが思い上がった気持ちを抱いているからよ。 何故、あなたが美しい桜の大樹の横へ置かれているのか、わかるかしら。 あなたのその下品な姿は、桜の美しさを引き立てるものではあっても、それと競い合うようなものではないからよ! だって、そうでしょう、聞こえているかしら、世の中の常識から見て、 どうして、そのような人としての恥辱、屈辱、猥褻をあらわしている女が美しいだなんて、言えるわけがないでしょう! そのような異常は、好色な病をわずらった殿方が蔭に隠れてお遊びするようなことに過ぎないのよ! 浮世草子にもあったわね………… 或る立派なお武家様の屋敷で、好色殿は奥方を被虐の奴隷に仕込んで、日々楽しい生活を暮らしていた。 好色殿は、或るとき、婚姻したばかりの若侍と知り合いになり、その若妻の美しさに心底から惚れ込んでしまう。 当然、好色殿には、美しい奴隷奥方があったのだから、表立ってちょっかいを出すようなことはできなかった。 折りしも、好色殿は、罪人の責め具として使われる三角木馬の風変わりな噂を耳する。 何でも、その漆黒の木馬に跨がせられた女は、苦悶の絶頂において官能の法悦をあらわすというものだった。 そのような摩訶不思議な責め具が実在するなら、是非とも手に入れたいと激しく欲求を掻き立てられるのだった。 その木馬へ奴隷奥方ばかりでなく、あの美しい若妻を跨がせることができたら、これ以上の喜びはないと考えるのだった。 激しい野心を抱く者は、その望むところを如何様にしても手に入れるものである。 噂の木馬を探し出し、大枚はたいて入手したのだった だが、それが本当に摩訶不思議な責め具であるかどうかは、わからなかった。 摩訶不思議は、実証されてこそ摩訶不思議であって、実証されなければ、ただのでまかせに過ぎなかった。 そこで、好色殿は、一計を案じた、まず、奴隷奥方と若妻を引き合わせて、ふたりを懇意な間柄にさせよう。 奴隷奥方には、妻のたしなみとして、夫の奴隷であることの立場とその幸福を若妻に教えさせよう。 そうして、奴隷奥方と若妻はふたりだけで引き合わされた。 ふたりはすぐに気が合って、古くからの友人のような間柄で出会いを楽しんだ。 奴隷奥方の心には邪念というものがなかったのだ、それを受けとめる若妻も同じように邪念がなかったのだ。 しかし、奴隷奥方は、好色殿から命じられた奴隷であるあかしとその喜びを相手に教えなければならなかった。 好意を抱く友人になったばかりの間柄を壊すことは、決して行いたいことではなかったが、奴隷奥方は好色殿の奴隷だった。 命じられたままに、剃毛された女の恥ずかしい割れ目へ埋没させられるように掛けられた褌縄を晒したのだった。 若妻は驚愕しひどく狼狽したが、一方では、敬意さえ感じている相手がこのような異常な状態にあることは、 何かとても深い事情があることだと思え、その奴隷としての妻のたしなみと喜びの話までも最後まで聞き通すのであった。 奴隷奥方も、そのような真摯な若妻に敬意を感じ、奴隷生活は男性の横暴を許す社会にあっては従わざるを得ないこと、 女性が生きていく上では耐えなければならない境遇であるという本音を打ち明けたのだった。 絶対に言ってはならないことを口にしてまった奴隷奥方であったが、若妻はそれに大きな共感を感じるのだった。 ふたりは思わず手を取り合い、成りゆきのままに唇を寄せ合うと重ね合い、互いに生まれたままの姿になって、 女同士の愛欲に目覚めたごとく、官能の喜悦に至るまで愛し合ってしまうのだった。 そのような成り行きとはつゆ知らず、好色殿は、夫婦連れ立って屋敷へ遊びに来るようにと若侍を招待する。 そこで摩訶不思議な珍物を披露しようというのであったが、若侍にとっては、権力者と懇意になれる絶好の機会でもあった。 その日、招待された若夫婦が屋敷の広々とした庭の端にある土蔵のなかで見せられたものは、 生まれたままの全裸を縄で縛り上げられた奴隷奥方が責め具の三角木馬に跨がされている姿だった。 若妻は余りの衝撃に床へへたり込んでしまったが、若侍はその妖美な姿に淫心を掻き立てられる圧倒を感じるのだった。 好色殿は、この漆黒の三角木馬に跨った女は苦悶の絶頂において官能の法悦をあらわすという効能を説明し、 それが事実だとすれば天下制覇も夢ではないという、人の力を遥かに超えた魔力を手にした野心を語るのであった。 野心の実現には、是非とも若侍の協力が必要であり、それには、何よりも摩訶不思議の実証がなくてはならない。 木馬に跨った奴隷奥方はまもなくそれをあらわすだろう、それを決定づけるためには若侍の同盟者としての意志表示、 つまり、若妻が奴隷奥方と同じ姿となって示してくれることが望まれると付け加えたのであった。 若侍は、当然のことながら、躊躇した、愛する美しい妻をそのような残虐な目に合わすことはとてもできなかった。 だが、断れば、出世の道は閉ざされるのであった、行いたかった、だが、奴隷でない妻へ言い出すことはできなかった。 躊躇を示し続ける夫に対して、答えを出したのは、妻の方であった。 若妻にとって、殿方たちがどのようなことを野心しようが、どうでもよいことだった。 どうでもよくないことは、愛する相手が眼の前で残虐な責め苦にあっていて、そのありさまから逃れられないことだった。 解決の方法はひとつしかなかった、愛する相手と同じ境遇にみずからの身を置くことでしかなかった。 奴隷生活は男性の横暴を許す社会にあっては従わざるを得ないこと、 女性が生きていく上では耐えなければならない境遇であるということだった。 若妻は、木馬に跨ることを申し出た、その場でただちに全裸にさえなるのだった。 驚愕したのは夫だった、だが、夫の狼狽と茫然を尻目に、 好色殿は、若妻へさっさと縄掛けを施し、漆黒の木馬へ跨らせることの協力を若侍に求めるのだった。 こうして、縄で縛られたふたりの裸の女は、向き合うようにして木馬へ跨がされると、責め苦の本領が始まるのであった。 鋭角な責め具を股間へ突き刺されたふたりの女は、ただ、必死になって苦痛を耐え、苦悶をあらわすさましか見せなかった。 好色殿は、苦悶の絶頂へ至るには、まだ苦痛が足りなすぎるのではないかと考え、 ふたりの両足へ石の重りをぶら下げようと思い付いて、若侍と準備に掛かろうとしたときであった。 かなりの長い時間にわたって、木馬に跨がされ続けていた奴隷奥方と若妻であったが、 ついに、相手の肩へ互いの額をあてるようにすると、がっくりとうなだれてしまったのだった。 殿方たちは、てっきり、気絶をしたものだと思った、ところが、そうではなかった。 ふたりの妻は、おもむろに顔を上げると相手の唇を求め合って、激しい接吻を始めたのだった。 夢中になって行う女同士のくちづけは、夫たちの眼を見張らせるほど、巧みで濃厚で熱烈なものであったが、 それだけでは我慢し切れないというように、三角を跨いでいた両脚を大きく振り始めさえするのだった。 ただでさえ、女の最も柔らかい箇所が責められているというのに、それでは、裂けてしまうことは明らかだった。 だが、裂けて流れ出る血の代わりに、おびただしい量の女の蜜があふれ出し、両脚をつたわって床へしたたり落ちていた。 ふたりの女は、官能の法悦に舞い上げられた喜びの表情で互いを見つめ合い、昇りつめていくのだった。 漆黒の三角木馬の摩訶不思議は実証されたのであった。 それにすっかり気をよくした好色殿と若侍は、みずからの奥方などもはやそっちのけで、 天下の権力を握る者たちの奥方をその土蔵へ勧誘して、愛欲のとりこにしていく野心を実行しようと計画していた。 その手始めは、目付役の若く美しい後妻であった。 勧誘の算段は、奴隷奥方と若妻が行うことをさせられた、殿方たちは、責め苦を与えて結果を得ることをするだけだった。 若い後妻は、土蔵に連れ込まれ、三角木馬を跨がされると申し渡されたとき、当然、必死の抵抗をした。 だが、好色殿と若侍は、木馬の摩訶不思議の結果さえ得られれば、どのような前段の卑劣行為も善しとされると考えていた。 若い後妻は、生まれたままの全裸にされ、縄で縛り上げられ、猿轡を噛まされ、責め具の木馬を跨がされた。 しかし、どのように時間を経過しても、若い後妻は、激烈な苦悶にさらされる我が身を必死の形相で泣きわめくだけだった。 ついに、責め苦を倍化しようという判断がなされて、女の両足には、石の重りまで吊り下げられたのだった。 だが、顔面蒼白となった若い後妻は、あふれ出させる女の蜜の代わりに真っ赤な鮮血をしたたらせ始めるだけだった。 それでも、これは責め苦が足りないからだ、強情な女であるからこうなるのだとしか、殿方たちは思わなかった。 女の官能の法悦さえあらわれれば、その前に行われる残虐は非難されることではない、と固く信じていたのだった。 どのようにしても結果の出ない最後は、殿方たちがそれぞれに女の両脚を取って、力の限りに引っ張ることとなった。 そのときだった、土蔵に入ってくることを厳重に差し止められていた奴隷奥方と若妻があらわれた。 奴隷奥方は言うのだった。 その木馬の摩訶不思議は、愛があってこそ生まれるもの、わたしたちは愛し合っているから官能の法悦を得ました。 お目付役様の奥方様をどのように責めようと、あなたがた殿方を愛することでもない限り、法悦は絶対に起こりません。 それは、いま、ご覧になっているとおりです、いますぐ止めてください、奥方様は死んでしまいます。 だが、殿方たちは、木馬の摩訶不思議を断念することができなかった。 女房の言うことなど、ただのしゃらくさいたわごととしか思わなかった。 若妻が言うのだった。 嘘ではありません、嘘だと思うのでしたら、わたしたちを木馬に跨らせれば、わかることです。 わたしたちは、何度でも、苦悶の絶頂から官能の法悦へ昇りつめて見せられますわ、どうですか、いますぐなさいますか。 言い終わると、ふたりの妻は身に着けていたものをすべて脱ぎ去って、生まれたままの姿をあらわし、 両手を背後へまわして縛られるのを待つ姿勢を取るのだった。 あなたたちの破滅ということですわ、権力への野心だけでは、人を従属させることはできないのですわ、 この責め具も、愛があってこそ、摩訶不思議な力で人と人とを結び付けるものなのですわ。 こうして、ふたつの武家はお取り潰しとなり、ふたつの夫婦は死罪となるのだった。 …………このようなこと、本人は気づいていないだけで、頭の狂っているような人だけが考え出すことよ。 あなたがやっていることも、同じこと、まともな女だったら、絶対にやることじゃないわ、わかったかしら! わたしは、あなたのそのようなおぞましい姿、いつまで見ていても反吐が出るくらいだから、 お先に座を退くことにするわ、後は、あなたが満足するだけ、存分に愚弄されていなさいな!!」 このように言われたかおるであったが、言われたことのほとんどは耳に入らない状態であった。 語られたふたりの距離に問題があり、内容も複雑であったことは確かだったが、 彼女の置かれていた境遇が過酷であったことも事実だった。 全裸を十字架にはりつけられた女は、自己へ閉じこもることを余儀なくさせられていたのだった。 |
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