先ず6小節の序奏があるが、 ハープやホルンがすでにこの部分で第1主題の動機的特性を示している。 第1主題は第2ヴァイオリンによってとぎれ勝ちに紹介される。 それはあたかも1節毎に息を入れ、 次第に旋律らしいものになって行こうとするかのようである。 主題は第1ヴァイオリンに移り、重々しく動機がくりかえされたのち、 第2主題がニ短調でG弦上のはばひろい旋律としてあらわれる。 弦は次第に高音域に昇り、高いイ音の叫びをあげる。 じきにニ長調となり、第1主題が詠嘆的に(変化されて)奏せられる。 「グスタフ・マーラー 交響曲第9番 ニ長調 楽曲解説」 渡辺護 ポリドール マーラーの第九交響曲の第一楽章はこのようにして開始されるわけであるが、 アンダンテ・コモド(ゆっくり歩く調子で)と指定されたニ長調の詠嘆的な旋律は、 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第26番の「レーベ・ヴォール(告別)」の主導動機と関連づけられており、 一箇所だけ変えてヨハン・シュトラウスのワルツ「人生を楽しめ」を悲愴なものに変形していると言われているが、 その別れの発想は、直接的には前作の交響曲「大地の歌」の終曲「告別」からきたものである。 この第一楽章をアルバン・ベルクが「マーラーがこれまでに書いたなかで最も天国的だ」とする、 大地への「告別」の心情告白として聴いてしまえば、静謐と激情に交錯する愛惜と絶望と未練の情感は圧倒的である。 しかし、その背景をまったく知らない者にとっては、この楽曲が大洋を想起させるものであってもおかしくはない。 そう、たとえば、ドビュッシーが「海―三つの交響的スケッチ」であらわした一見異なる感じのする音響世界である。 その第一曲「海の夜明けから真昼まで」の開始がマーラーの第一楽章と同じようなものとして聴けるとしたら、 そこに表現されている音楽の表象は、全体性的なありようとしての「海」というものを感じさせていることに違いない。 われわれは、眺める単独の対象以上に、眺める相互の対象が作り出す全体性を知ろうとする志向性を持っている。 この場合は、ふたつの楽曲の創造において、女性が明確に意識されているという繋がりが存在することによっている。 もし、女性がまどろむ姿を表現した美術作品が海と重ね合わされているものとしてあれば、 それは、女性のありようを通して見られた、 表象と官能と叡智の全体性が「海」という誕生の母胎と繋がっていることにほかならない。 |
そうは言われながらも、かおるは、残念ながら寝つかれないままに、マーラーの楽曲を最後まで聴き終えてしまった。 惜別の音響の余韻が寝室の静寂のなかへ溶け込んでいっても、彼女の耳のなかではまだ鳴り響いている感じがしていた。 それもそのはずで、彼女は現実に生きているのであり、別れはふたたび出会うだろうことの長短いずれの休符であった。 何と出会うのかと言えば、死んだ者が生き返らないことが現実である以上、死んだ者への記憶、思い出、幻想である。 夫が亡くなってから、はや十六年になる、夫の亡くなった年が息子の誕生した年と同じであるから、わかりやすい。 だが、わかりやすいということは、何ごとにおいても、比較しやすいということでもある。 しかし、比較というのは、そのことへの批判的な思いがあるときに生じるものであって、 愛着が繋がりであるとすれば、ふたつの対象に良し悪しの差などなく、 ふたつの並置は、むしろ、相互に入り乱れてさえ自然と言える。 夫は、男性であり、父親である。 子供は、息子であり、男性である。 この両者は、生きている者に死んだ者の面影が宿るということにおいて、 まったくの別ものであるからこそ、ふたつは決してひとつには成り得ないからこそ、 愛着を抱く者に、ひとつに繋がっていることの幻想を生ませることをする。 静寂に満たされた夜は、はつらつとした希望の朝が遠いと感じるとき、長く暗澹としたもどかしさを漂わせ、 夫婦の寝室として備えられた部屋は、相手の存在しない空虚を感じるとき、深々としたせつなさをかもし出させ、 結婚したときのままにあるダブルベッドは、ひとりで横たわるのを感じるとき、広すぎるやるせなさをにじませている。 世界にはたくさんのひとがいて、未亡人の数だって少なくはなく、息子とふたり暮しの家庭もめずらしくはない。 だから、かおるが感じているような思いは、決して特別なものであるはずはないのだとみずからに言い聞かせるのだが、 こみ上げてくる哀しい思いは、ひとりで我慢しなければならないと思うと、それだけ強さを増すものであったのだ。 いや、ひとりではない、息子がいる。 だが、その息子を考えることこそが最も孤独を感じさせることであり、寝つかれない原因そのものであったのだ。 再婚の話は幾度もあった、申し出をしてくる男性も少なくはなかった、しかし、女手ひとつで息子を育ててきた。 夫の死亡後、実家の父親から譲り受けたアパート経営が生活を支える収入としてあった。、 それも、小学校の同級生であった信頼のおける不動産屋が管理の一切を行ってくれていることであった。 かおるは、息子に思いをかけることに多くの時間を費やすことができる境遇にあった。 愛する連れ合いが生涯妻と離れずにいてくれるように、息子は母親の手のかかるままにずっとそばにいると思っていた。 十六歳の高校生になったからといって、背丈がどれだけ母親を上回っていようと、腹を痛めた子供に変りはなかった。 息子にとって、母親はなくてはならない存在であり、それは第一義に考えなければならない女性であるべきだった。 それが、そうではないのかもしれないと思わされたとき、 平穏な生活というのは、その下がまるで空虚なものであるからこそ、波風が立たないものだと感じさせられたのだ。 二年生になる春休みへ入って、かおるが用事で終日外出を予定していたときのことだった。 予定していたと言うのは、外出はしていたのだが、思っていたよりも順調に用件が済んで帰宅時間を早めたからだった。 息子が喜ぶだろうと思い、好物のサーロインを夕飯用に買って戻ったのだが、 そこで想像もしなかったことに出くわしたのだった。 息子に声をかけようと部屋まで行ったとき…… 突然扉が開いて…… あらわれたのは長い髪をしたセーラー服の少女だった……。 相手もびっくりしたらしく、瞳の大きな愛らしい顔立ちを一瞬緊張させて、まじまじとこちらを見つめていたが、 すぐに「お邪魔しています」と可愛らしい声音できちんと挨拶をした。 狼狽したのは、むしろ、かおるの方だった。 彼女はどぎまぎしながら会釈をするのが精一杯だった。 少女の背後からあらわれた息子は、「あっ、帰ったの、出かけるから、夕飯はいらないよ」と言うだけであった。 ふたりは、そそくさとその場を立ち去り、外出してしまったのだった。 かおるには、ただ唖然とすることだった。 今までに一度もなかったことだと言えば、驚異的なことであったとも言えた。 彼女は、自分ひとりのためにサーロインを焼きながら、少女の顔を思い返そうと裏表してみたが、レアだった。 ステーキを食べながら、紹介もされなかった「女性」の意味を細かく切り裂いたが、出てくるのは冷えた肉汁であった。 それだけであったら、恐らく、息子にできたガールフレンドへの戸惑いということで終わっていたかもしれなかった。 しかし、翌日、息子の部屋を掃除したときに勉強机の上に発見したものは、 驚異を超現実と同義語として感じさせるようなことであったのだ。 ……未使用のコンドーム……。 ……これが何を意味するものであるか……。 かおるにとっては、男性と女性が妊娠を避けて結ばれるために使用される用具、という常識では到底収まらなかった。 伸縮をあらわすゴム製品は、息子がほかの女性と浮気、不倫を行ったと思えるほどの論理的実証であった。 |
その論理的実証の純粋で一回性的なありようは、 伸び切ってふにゃふにゃになるくらい使い古されたものでも、或いは、支離滅裂に飛び散らせるものでもなかった。 実証過程は、誰にもわかる、誰にも用いることのできる思考方法で行われたことだった。 息子の部屋……これは息子の人格と行動が反映された固有の閉ざされた空間を意味している。 コンドーム……これは避妊具のひとつであり、使用する対象者と使用される対象者の存在を意味している。 使用する対象者……一般的に男性である、男性であれば、コンドームの発見場所から息子の可能性が高い。 使用される対象者……一般的に女性である、女性であれば、息子の部屋からあらわれた少女の可能性が高い。 コンドームが男性と女性を結びつける概念として措定されていれば、次の図式が成り立つ。 息子―息子の部屋―男性―使用する対象者―コンドーム―使用される者―女性―息子の部屋―あらわれた少女 この両端にある「息子」と「あらわれた少女」は、コンドームの存在によって単なる並置されたものではなく、 ひとつに結ばれた存在、蓋然性的に言っても、性交と呼ばれる男女が性器を交える一体化を意味するようになる。 つまり、息子の部屋において息子と少女との間で性交が行われた、という命題ができる。 男女の間で性交が行われることは、異常でも、不自然でも、非道理でもない、この命題に矛盾は生じない。 婚姻できる年齢は、民法では、男子十八歳以上、女子十六歳以上と定められているが、 性交に年齢の規定はない、この命題に矛盾は生じない。 相反しているものがあるとすれば、道徳と倫理においてである。 しかし、性交が行われたという事実が先行すれば、上記の矛盾なしを否定することは成し得ないものである。 いや、論理的実証は、善悪の彼岸にあるからこそ、 ふにゃけた道徳・倫理からの思考よりも強靭にそり上がった思考を示すことができるのである。 すなわち、経験的実証から判断される言語化された「コンドーム」は、 息子と少女との間で性交が行われたことを、矛盾も相反もない事実として示すものであると言える。 さらに、この事実をひとつの仮定から普遍的現実へ生み落とさせる認識過程は、 男性的とも言える論理的実証に対して、女性的とも言えるきめこまやかな実証方法によって行われる。 性交の現場を実際に目撃したわけではない、だが、顔立ちこそはっきりと思い浮かべることはできなくても、 少女が漂わせていた恥じらいの表情は、間違いなく事後のことをあらわしていると直感でわかることだった。 直感、しかも、この場合は「女の直感」、それは、確かに「曖昧」と同義語のことのように思われている。 しかし、直感はそれ自体として働くものではなく、先験的な様々の要因が結び合わされて起こるものであるから、 単なる直感と言い切れる軽薄なものではない、特に「女の直感」においてはそうである。 古来より、女性は直感で物事を判断する単純な生き物であるという生物学的見解が取られてきた。 しかし、これは、女性という生き物と女性という思考方法を混濁として見てきたことに過ぎない誤謬である。 先進的、進化的なありようからは、次のように見なすことのできるものである。 女の直感は、感覚的、感情的、官能的意識を現象学的、生理学的立証として総動員するというだけでなく、 思い入れと呼ばれる心理学的作用を同時に働かせ、 それらを電子工学的並列処理によって行うという複雑性を示している。 男性的な論理的実証が単純すぎる証明過程であると思えるほどのきめの細やかさをあらわしているのである。 この「女の直感」に従えば、息子と少女との間で行われた性交は、以下のことを否応なく成立させる。 性交が男女間の重大事とすれば、息子がその重大事を考えねばならない相手は第一義の女性ということになる。 息子にとっては、すでに第一義の女性は母親である以上、性交の重大事が第一義の女性を対象とするということは、 息子の性交の対象は母親でなければならないことになる。 だが、実際には第二義以下の女性が性交を果たしているとすれば、母親の存在は第二義以下ということになる。 意義順位が二者を結び付ける愛情の質量を示しているとすれば、母親は少女よりも愛着の対象ではないことになる。 この置換された意義順位を前提として、息子は、第一義であるはずの母親以外の女性と性交したことにより、 第一義を否定した不倫行為を行ったと言えるものであり、もし、仮に性交の現実がなかったとしても、 浮気をしたという事実は否定しがたく存在するということになる。 つまり、夫である息子という男性に浮気をされたという、 母親であり妻という女性の偽らざる感受性であったと言えることである。 このようにして行われる認識過程の全般は、 男性的論理的実証と女性的直感とがコンドームなしに結ばれたひとつの哲学方法をあらわすものと言えるが、 従来の人間観に隷属しているという点では、奴隷が行う正常位であるとの批判を受けても仕方のないことである。 と言うのも、上記の論理的実証では、次のような可能性を生むものとしてあることは事実であるし、 もし、その可能性が蓋然性をもっているものだとしたら、そのほかの可能性の存在をも示唆するからである。 <逸脱した論証とも言える挿話> 未使用のコンドームが息子の部屋で発見されたことは、母親にとってあらゆる意味で衝撃的だった。 しかし、彼女の受けた衝撃は、それがコンドームの一般的な使用に基いてのことであった限りは、 男性と女性との出会いがいずれは展開させていくことの道理にかなったものとして納得することができた。 だが、息子と少女が部屋で実際に行っていたことの何かは、 当事者にしかわからないという点で、事実を常識の埒外へ置くことさえするものである。 コンドームの発見から、男性と女性の性交を意味し、息子と少女の結合を結論づけるのは、状況証拠からである。 ふたりには、その部屋で何を行っていたかというアリバイが告白されていない以上、すべては状況証拠である。 われわれが世界認識として行っている哲学というのは、このような状況証拠から成されているものとほぼ同じである。 われわれは、犯行現場に立たされた探偵のようなものとして、眼の前の犯行を解き明かすことを求められている。 犯行に関係した様々の先人の意見は多種多様にあって、それを聞き取り調査することは可能であっても、 それらが決定的な論証とならないのは、犯行にはそもそも死体が存在しないということがあるからにほかならない。 言い換えれば、まず、死体を見つけ出してきてから、犯行があったことを論証すればよいわけだが、 その死体というものが人類の創始以来探索してきているが、いまだに発見されないでいる。 だから、誰もわからない犯行と死体という人類のミステリー史上、最大の謎と謎解きがここにある。 そこで、もとから犯行などなかったとすればよいわけであるが、ここが肝腎な点である。 犯行はなかった、と言い切れる者もまた存在しないということである。 つまり、犯行があったのか、なかったのか、それ自体が不明であり、謎であるということだ。 こんな不条理なことはない、だから、世界を不条理として見ることは充分可能なことであるわけだ。 だが、どうして不条理としてあるのか、という不明と謎を新たに生むことでは、何も変わらない。 従って、不変であることが世界であるとする見方もあらわれるが、なぜ不変であるかの答えにはならない。 つまり、犯行は行われたが死体はないという状況から、状況証拠だけで犯行を立証せよということになるのである。 ここに科学的捜査方法の導入もある、 犯行や死体以前に、それを認知するわれわれ自身のありようの分析を同時進行させるというやり方である。 これは、意識や感覚から始まって悟性、それを表出する言語そのものまでにも及ぶものであるが、 その実験的綿密さは、そもそもの死体や犯行がなおざりにされてしまうくらいの科学性を示している。 いずれにしても、最後は言い様に困って、不明と謎がすべてのありようの存在理由となっていると言うのでは、 もっともらしく聞こえはするものの、あたりまえすぎて、おもしろくも何ともないことなのである。 世界にはこれだけたくさんのひとがいるにも関わらず、 哲学を探求するひとが極めて極めて少数なのは、哲学は難しいからということに理由があるわけではない、 とどのつまりは不明と謎があると言うだけの哲学なら、おもしろくも何ともないとしか感じ得ないからである。 犯行と死体という状況を前にして不明と謎をこねくりまわし、ひねりまわし、ねじくりまわして、 少なくとも二重螺旋状くらいにしたところから始めるようなものでなければ、全然つまらないことだからである。 誰だって、自分はどうしてここにいるのだろうか、という「犯行」を考えることくらいはするのである。 不明や謎をことさら意識しなくても、生と死を思い浮かべるだけで、すべての相対する事物は考えられるのである。 昨日今日に始まったことでないことを、いますぐやめることが可能だとは誰も考えていないということである。 われわれは、受け継いで引きずっている、存命中はその状態にある、 みずからが死体となり、その犯行をみずからが立証するときが来るまでは、そうなのであるから。 という<逸脱した論証>を行ったあとは、<挿話>について。 上記のように考えると、実は、コンドームの重要性と等価値をもつ事柄がその状況にあることに気づく。 息子の部屋とされる<自室>の存在である。 固有な存在となることの可能な<自室>という住居空間は、 その密室の度合いに依存して当事者のありようをあらわすものである。 伝統的な日本家屋であれば、襖と障子という紙と木で作られた遮蔽において、壁がどのように堅牢であろうと、 <自室>と称されていたにしても、他者へ内部事情を筒抜けにさせているものとしてあった。 その<自室>でオナニーを行う困難は、オナニーが時代の社会道徳に抑制されていることをあらわすというよりは、 単に他人に覗き見される危険性があって、思いのままに行うことをさせないという抑制を示していることであった。 厳密な意味で<自室>というものが存在しないくらい、生活者は互いのプライバシーを越境されていた。 プライバシーを求めるとすれば、土蔵のような空間にしか求めることはできなかったが、 土蔵の存在は有資産を意味していたから、一般的には、プライバシーのない生活が旧来のありようだった。 便所だとか押入れなどは、オナニーを行うことを可能にする場所には違いないが、 <自室>という空間がオナニーだけを目的とした場所でないことが異なるありようとさせている。 <自室>は、厳密な意味で、オナニーを含む自慰行為全般が行われる場所、ということが示される価値であるからだ。 自慰行為全般とは、孤立した状況にあって、みずからをみずからによって慰めて行う、 自己と世界とを円満具足の関係にしようと試みる行為のすべてと言えることである。 住宅の構造が生活者の思考方法を決定づけることは、生活者が影響を受ける情報の命題よりも大である。 情報の命題は生活に取り込まれる過程を必要とするが、生活から生まれる思考方法は生活そのものであるからだ。 都市生活という状況においては、日本家屋の構造が擬似的な形態や意匠として残存していることはあっても、 <自室>という間仕切りを基本とした現代の建築構造は、プライバシーの保護を高らかと叫ぶものでしかない。 プライバシーは、他人は言うに及ばず、親、兄弟、親族であっても、保護されねばならない人間の尊厳である。 プライバシーがなければ猿だと言わないが、プライバシーがあってこそ、ひとりの人間としてある。 プライバシーを立証するものが<自室>であるならば、<自室>はひとりの人間の存在理由を示すものとも言える。 <自室>に閉じこもることは、他人には明らかにしたくない自慰行為全般を思う存分可能とさせることである。 従って、プライバシーとは、自慰行為全般を意味するものだとしても、 そのありようの曖昧さに規定を設けにくいこの事柄においては、むしろわかりやすいことだと言える。 つまり、プライバシーの侵害とは、他人に自慰行為全般を暴露されたことからはじまる被害ということである。 このようなプライバシーを保護し、擁護し、養育する場として、<自室>という住居空間は存在するのである。 だが、<自室>があって、自慰行為全般が思う存分にできて、プライバシーが確保されたからといって、 或いは、オナニーが納得のいくまでできるようになったからといっても、それはあくまでも前提に過ぎない。 <自室>と自慰行為全般は等価値ではあるかもしれないが、同義と言えることではないからである。 <自室>というのは、家のなかにある部屋のなかにもうひとつの家がある、という入れ子のようなものであるからだ。 <自室>は、その当事者の固有の空間であると同時に、家をあらわす空間でもあるということである。 このような<自室>において、 <コンドーム>と<息子>と<少女>とが結びつく行為とはどのようなものであったのか。 それが次のような<挿話>であった―― 息子が生まれたままの素っ裸になって、 同じく素っ裸でいる少女と結ばれあっていたときは、すでにその日二度目であって、 一度目と同様に、勉強机の上に置かれたままになっていた未使用のコンドームは使われていなかった。 ベッドへ仰向けに横たわった息子の上へ少女は馬乗りの体勢で跨っていたが、 そのようにして深く沈められることは、大好きな彼の一物が生身であったからこそ、 伝えてくる感触も容赦のない快感を感じさせるものであった。 どうしてゴムの遮蔽を行う必要があるのか、毎月訪れる生理はどの日であれば危険が少ないかぐらい、 一般家庭の主婦が考えられることであれば、十六歳の少女にだって少しも難しくはない算数であった。 そのくらいの知識は当然持っている、いや、その気になれば、一般家庭の主婦が持つ知識以上のものだってある。 主婦が女性週刊誌、女性月刊雑誌、女流小説、女性コミックスから得ている性の知識が限度であるとすれば、 少女は、インターネットの際限のない情報世界を持っている。 一般家庭の主婦が―この場合、少女にとっては両親の世代という意味であるが―― <自室>の境界がそれほどはっきりとしないようなプライバシーの自覚にあるとすれば、 少女は、<自室>でプライバシーを保護され、擁護され、養育されているありようを示していた。 同じようなプライバシーを持った男性と<自室>に閉じこもれば、自覚は倍化されていたと言えば過言であろうか。 「ああ〜ん、ああ〜ん、いいわ、いいわ……」 少女は、含み込んでいる腰をゆっくりと回転させながら、可愛らしい声音をもらしている。 きれいな長い髪は艶やかな黒色であったが、顔立ちは薄い化粧が施されていて、 惜しげもなくさらしている生まれたままの姿態は、乳房も腰付きも、あどけなさを残しているという感じはなかった。 男と女が裸になってひとつ部屋で相対すれば、何を行うかということを違和感なく示しているのだった。 その存在感が<自室>で自慰行為全般を行うプライバシーの自覚から生まれているものだとしたら、 この場合の息子の<自室>は連れ込みホテルの別称ではないかと考えるのは、おやじの野暮とされても仕方がない。 <自室>は、ひとりの閉じこもりから始まって、ふたりであれば連れ込みホテルとなるように、 人間が行うあらゆる可能性へと展開できる住居空間としては、まだ、その立証が開始されたばかりのものである。 少なくとも、若い世代にとっては、未来の可能性を開拓する場所として、本格的な利用となるはこれからのものである。 道具は、その使用の仕方が習得されないうちは、扱う当事者に怪我をさせたり、病的にさせたり、困惑させるものである。 <自室>は道具なのである。 息子と少女もそれをどのように使うかがあるだけである。 少女は、今度は、長い髪がさわやかに揺れ動くほど、なまめかしく腰を上下させ始めていた。 「ううっ、ううっ、もっ、もう、いきそうだよ」 息子は、そろそろ限界だという張り詰めた表情を浮かべていた。 「いいわよ、いっても……いって」 少女は、嬉しそうな微笑を浮かべながら、取り合っている手をぎゅっと握り締めるのだった。 その腰付きの動きが一段と激しさを増し、ふたりは、思い詰めた瞬間へ向かって表情をこわばらせた。 「あっあっあっ、あっ、いっちゃったあ〜……」 息子は、上気させた顔立ちに、気持ちのよい満足が撒き散らされたような表情をあらわした。 「すてき……」 相手をうっとりとなったまなざしで見つめながら、少女は、くず折れるようにして裸身をうつ伏せにさせていく。 ふたりは、結ばれあったまま、若々しい裸身をぴったりと重ねて抱き締め合った。 何度行っても、楽しいことだと感じ合った。 「少し休もうか…… ママは、夕飯まで戻らないから、時間はまだたっぷりあるよ」 硬直がなくなっておのずから離れていく相手の身体から馬乗りになった姿勢をやめると、 少女は、自分の股間をティシュで後始末しながら、皮肉めいた口調で答えるのだった。 「あなたのそのママって言うの、どうにかならないかしら、マザコンまるだし……。 まるで、あなたが一番好きなひとはわたしじゃなくて、母親みたいに聞こえるわ。 親は父親母親でいいの、そう言ってよ……」 息子は、自分の一物をティシュで拭きながら、思わず相手の方を見つめながら恥ずかしそうにした。 「わかっているよ、つい、言っちゃうんだよ、ごめん。 きみに乳離れしていないなんて言われたから、ぼくだって考えたんだよ、 それで、そんなものを買ってきたんだ……」 彼は勉強机の上へ置かれている未使用のコンドームにまなざしを投げた。 少女は、その箱を取り上げると、手の上で楽しそうに躍らせながら言うのだった。 「そうね、乳離れするには、手っ取り早くて、安全で、一番いいかもね。 あなたも、それで、本当に男性としてひとり立ちできるということかしら…… すてきだわ……」 彼女は、相手の首へしがみついてきて、唇を重ね合わせるのだった。 「だけど、きみも協力してくれよ……」 激しく吸い付いてくる可愛らしい唇をとても柔らかく感じながら、息子は言うのだった。 「もちろんよ…… わたしの大好きなあなた、その母親のことよ、 あなたの母親だって、子離れするには絶好の機会ですもの……。 でも、突然じゃ驚くでしょうから、気がつくところにでもそれを置いといて、 心の準備をさせてあげるというのは、親孝行ってものじゃないかしら……」 少女は、頬にかかってくる長い黒髪を掻き上げながら、優しく答えるのだった。 「いいよ、きみの言うことなら、ぼくは何でもやるよ、 だから、今度は、きみのあそこを舐めさせて…… いいだろう……」 息子は、少女の唇へキスの雨を降らせていた。 「う、ふ、ふ、ふ、ふ、ふ……」 それが、相手の返事だった。 息子は、横に並んで寝ていた格好から、少女の股間へ顔を埋める体勢へなっていくのだった。 もやのように淡い恥毛に隠されたそこは、 ふっくらとした柔らかな感触に、舌先を誘うような深々とした愛らしい亀裂をあらわにしているのであった。 こうして、未使用のコンドームは、勉強机の上に置かれたままになったのである。 ひとつの可能性の挿話であった。 |
かおるがこのような論理的実証を文字通りに考えていたとしたら、 寝つかれなくなってしまうのはあたりまえの話であるが、 息子に恋人ができて、紹介さえもしてもらえず、 母親の存在をないがしろにされた孤独にあったと感じていただけでも、 寝つかれないという思いにさせるには、充分なことであったに違いなかった。 夕飯の食卓で息子と顔を合わせたとき、 かおるは、話をどのようにして切り出してよいものか、わからなかった。 相手の言い訳を待っていたが、言葉はなく、顔さえろくに見ようともせず、 彼は食事をさっさと済ませると自室へ立ち去っていくだけだった。 ぽつねんと取り残された思い…… ぼんやりとしながら食事の後片付けを終わらせ…… 空ろな思いのまま風呂に入り…… 息子が部屋へ閉じこもったように、夫婦の寝室へ引きこもるしかなかったのだった。 マーラーの音楽は若いときから好きだった。 特に第九交響曲は愛聴していた、だから、みずからを慰めるために室内へこだまさせた。 けれど、<告別>の主題がこれほどまでに身にしみて感じられたことは、 夫が亡くなったときに聴いて以来のことであった。 いま、自分は息子までを失おうとしているのだろうか…… そう思うと、絶海の孤独というような心境がひしひしと伝わってくるのであった。 聴き終えてしまった音楽は、ソナタ形式の終焉とまで言われる自由で偉大な第一楽章の予見はともかく、、 中間の明朗なふたつの楽章がまるで幻か何かであったようにレントラーしながらブルレスケにはじけ飛んで、 終楽章の痛切で深遠なアダージョに至っては、夫のときには絶望の諦念として共感できたことが、 慰めとなるよりはもどかしさとして迫ってくるのだった。 あのときは二十三歳…… いまは三十九歳…… 年齢は、同じ音楽を同じものとして聴くことをさせなかった。 それにしても……この迫ってくるもどかしさは、いったい何なのであろうか、 横たわるダブルベッドが大洋の波間に漂うくらいに広々として感じられること、 その波間に漂わされていると、いつしか力尽きて、海の底へと沈んでいってしまうようなもどかしさ、 できれば、誰かに手を取ってもらって、引き上げてもらいたい、 引き上げてもらって、しっかりと抱き締めてもらって、離さないでいてくれたら、 少しでも構わないから、そのようにして慰めてもらえたら、 でも、それは、かなわないこと、 かなわないという波間に漂わされていること、 漂っているという孤独にいさせられるだけのこと、 孤独にあることの決してかなわないというもどかしさ、 波がうねるように漂わされるだけの終わりのないもどかしさ、もどかしさ、もどかしさ、 そうなのであろうか……。 ベッドの上で右に左に寝返りを打って、ようやく落ち着けると思えたのは、仰向けになった姿勢だった。 薄暗闇のなかに天井がぼんやりと見えた。 天井の向こうには息子のいることが意識された。 コンクリート一枚を隔てた距離であるというのに、 上下の部屋へ離れ離れとなっていることは、 まるで、遥か天上と底知れぬ地下ほどの遠さがあるように思われることだった。 息子が少女の身体をどのようにして愛撫したのかはわからない。 少女にした想像の及ばない愛撫と同じことを自分にもしてもらえたら……。 息子の手で母親が恋人のような愛撫を受けるなんて、実際にあったら怖い感じがする。 けれど、想像で少し思うだけのことなら、それが心を落ち着かせることであるなら、 よいのではないのだろうか……。 両眼を閉じて、横たわらせた身体をじっとさせたまま、その想像へ身体全体で浸ってみようと努めるのだった。 しかし、行われたことのないことを考えるのは、なかなか難しいことだった。 息子の顔立ちは、すぐに夫のものと入れ替わり、夫が実際に行った愛撫が思い出されてくるのであった。 その記憶は彼方にあってぼんやりとしていて、物語のようにはうまく長続きせず、 もどかしい感じだけを残して消えてしまうようなものだった。 こみ上げてくる寂しさ、切なさ、辛さ、やるせなさ…… そして、とても、とても耐えがたいもどかしさ……。 右手が思わず胸のあたりへ持っていかれた。 ネグリジェの薄い布地を通した乳房と乳首は、 ふっくらとしていて、こりっとした愛らしい感触を伝えていた。 ほっそりとした指先でそっと撫でてみると、 ふわっとしたくすぐったい気持ちよさがぱあっと広がるのだった。 胸がどきどきと高鳴り始め、それは刺激をもっと強くするようにと催促しているようだった。 布地の上から指先を押しつけるようにして愛撫すると、 もどかしさは、そんなことでは物足りないと言い返してきた。 胸もとのボタンをそっとはずして、手をじかに触れさせると、指先の冷たい感触に思わずびくっとさせられる。 けれど、その冷感がこりっとした乳首を優しく撫でまわしていくと、すぐに温かさがあふれ出してきて勢いづかせた。 乳首を撫でられるのは、すごく気持ちがよかった、 安心させられる思いを感じさせられた。 それも間もなかった、 ただ同じようにさすられているだけでは、もどかしさは、全然納得しないのであった。 指先は、乳首をつまんだり、こねりまわしたりしながら、立ち上がっていくのを楽しむようなことをし始めていた。 つんと立ち上がらせられるのは、それと同じくらい敏感にさせられることで、ぞくぞくさせられることだった。 乳首だけではいやよ…… 言われるまでもない…… 指先は柔らかな乳房を揉みしだく、優しく強く、せり上げ、せり下げして……。 右手だけでは片手落ちと言うものじゃない…… 左手さん、そんなところでぼんやりとしていないで、こちらへいらっしゃい……。 誘われるままに、左手もおずおずと胸の方へ向かっていく。 しかし、わずかしか開いていないネグリジェの胸もとでは、どうしたらよいか戸惑うばかりである。 そのような邪魔になるものを着けているから、いけないのよ…… もどかしいことをいっそうもどかしくさせるだけのことじゃないかしら……。 そうは言っても、ネグリジェを脱ぐのは少々勇気のいることだった。 着替えるための目的で裸になることならともかく、 みずからの身体をみずからの手で慰めるために裸になるのである。 それでも、もどかしさは、そのようなことはお構いなしに、 両方の手をちゃんと使わせて、肌を覆う布地を裾の方からたくし上げさせ、 これ見よがしと女の裸身をさらけ出させるのだった。 恥ずかしい…… 誰に見られているわけでもないのに…… いや、自分というものが自分に見られていると思えばこその恥ずかしさだった。 みずからの手でみずからの身体を愛撫して、みずからの思いをみずからで慰めることをするなんて……。 そのようなことは、はしたないことだ、という思いが急に募ってきた。 欲望を我慢できないはしたなさは、欲望を望むことの浅ましさを思い起こさせ、 欲望のままに自分を慰めることを見下げた行為のように感じさせるのだった。 わたしは、はしたなく、浅ましく、見下げた女……。 自分で自分を慰めるなんてことは、欲望の何たるかもわからない十代のときに行って以来のことだった。 自分は三十九歳にもなる分別のある大人だ、十六歳の少女のようなねんねではないのだ。 あの子だって――名前も紹介されていないのだから、あの子としか言いようがない――あの子だって、 息子に相手をしてもらえなければ、大好きだった小熊のぬいぐるみを抱き締めながら半裸姿になって、 ひとりで自分のことを慰めていたに違いないのだ。 そう考えていくと、ベッドへ横たわらせている半裸姿の自分の身体が、 見捨てられた情けないもののように感じられてきた。 哀しい思いがじわじわとこみ上げてくるのだった。 そして、哀しい思いに浸っていると、 哀しさは切なさになり、切なさはやるせなさに変り、 ついには、もどかしさが再び顔をのぞかせてくるのだった。 しかし、今度は少々意地悪な顔付きをして、 哀しさなど取るに足りない迷妄だと思わせるような皮肉を浮かべながら、 もっと楽しくて気持ちのよくなることをおざなりにする馬鹿らしさを言い聞かせてくるのであった。 広々としたダブルベッドの上へ脱ぎ捨てられたネグリジェをぼんやりと見つめたままでいたが、 その同じまなざしが胸もとへ落ちれば、つんと立ち上がったままでいる乳首を気づかされるのであった。 嫌らしいくらいに立ってしまっている…… それは、もう片方のいまだ慎ましさを保っている乳房とは、不釣合いなくらいに大きく見えるのだった。 いいの……わたしは、はしたなく、浅ましく、見下げた女になるの…… だって、誰も構ってくれないのですもの……。 両方の手がふたつの乳房の上へ置かれていた。 慎ましさを保っている乳房が蹂躙されるように、指のもどかしさは激しいくらいの愛撫を始めていた。 もう片方の指先も、負けまいと自分の持分の乳房を柔らかく強く急き立てる調子でもみ上げこねりまわしている。 ふたつの乳房は、胸の上で恥ずかしいくらいにゆさゆさと揺れていた。 男のひとって、突然、乳房を鷲づかみにしたりして、強いところを見せつけようとするわね。 思った通りにそのように行ってみると、ぞくぞくとした快感が立ち昇ってくるのだった。 でも、結局は単調な愛撫ね…… 頬張ったり、舐めたり、噛んだりなんかはしてもらえないのですもの……。 ひとりじゃ、このようなことが限度なのかしら…… 全然、はしたなくも、浅ましくも、見下げた女にもなっていないのじゃなくて…… わたしには、やはり無理なことなのだわ…… オナニーなんて、この歳でできない……。 いつしか、高ぶっていたように感じていた官能は、残り火が燃えているだけになっていた。 代わりに、疲れがどっと打ち寄せてくるような思いになり、 脱ぎ捨てたネグリジェを着なおすと、 ベッドへ横たえた身体は、知らず知らずのうちに眠りに落ちていくのであった。 誰かが自分の身体を触っていると感じたとき、 それはまだ夢のなかにいるような思いのものだった。 けれど、触られている身体が横臥させられ、 窮屈な姿態へ持っていかれていることだと意識したとき、 眼が開いた。 開いた瞬間に両眼が見たものは、びっくりさせられるものだった。 しかし、驚愕させられた以上に、そこに行われていたことは信じられないことだった。 まだ夢のなかにいさせられているような非現実感を伴っていたのだった。 横たわっていたダブルベッドの上には、息子がいた。 息子は普段着の身なりをしていたから、それはどうということはなかったが、 彼がかおるの身体に身を寄せて行っていたことは、 彼女を後ろ手にさせて縄で縛ろうとしていることであったのだ。 考えられないことへの狼狽は、かおるの大きな瞳をさらに見開かせるものでしかなかった。 「……………」 息子は、かおるが目覚めたことに気がついても、お構いなしという様子で作業を続けていた。 「なっ、何をしているの……、 いったい、何をしているの!」 ようやく言葉になったかおるの思いだったが、すでにがっちりと後ろ手に縛られた状態がそれに答えていた。 息子は、かおるの身体を無理やり仰向けに寝かせると、まじまじと相手の顔を見つめるのだった。 かおるには、その顔立ちがひどく大人っぽく見えて、まるで別人のような感じさえ抱かせるものだった。 「ママは、ぼくのことを好きだよね、 ぼくも、ママのことが好きだ、 だから、好きな者同士が行うことだから、全然不自然なことじゃない、 それは、ママにもわかるよね、 ぼくがママのことを思ってしているんだってことは、ママにはわかってもらえることなのさ。 そうでしょう? 返事をして……」 どこか優柔不断な感じのあった息子がそのようにきっぱりと言うことにかおるは戸惑ったが、 返事をしてと言われたことが何のことかさっぱりわからないことも、返答を詰まらせることだった。 いったい、どうしたということなのだろう……。 どうして、息子は母親を縄で縛るようなことをするのだ……。 茫然とした表情をして見返すばかりの相手に、息子は薄笑いさえ浮かべながら言うのだった。 「ぼくはね、ママが寝室でオナニーをしているところを見てしまったんだ。 自室にはきちんと鍵をかけないと、誰に見られているかわからないんだよ。 それで、ママが凄く寂しい思いをしているんだなあと思った。 でも、ママを慰めてくれる男のひとなんて誰もいない、 ママにいる男性といったら、ぼくしかいない。 だから、ぼくがママを慰めてあげなければ、誰も慰める者はいない。 それは、男としてのぼくの義務でもあると思うんだ、間違ってないでしょう?」 息子の手は、かおるのネグリジェの裾へ掛かっていた。 それが少しずつたくし上げられていくのを知ったとき、かおるの戸惑いは一気に膨らんで破裂した。 「あなた、なっ、何をすると言うの! やっ、やめて、やめてっ、何を考えているの! 馬鹿なことはやめてっ!」 たくし上げられていく布地があらわにさせる柔肌の度合ほど、 かおるの声音は激しくなっていくのだった。 だが、防ぐにも両手は後ろ手に縛られ、 しなやかに伸びたきれいな両脚も息子のもう片方の手が押さえていた。 上半身を身悶えさせることがせいぜいであったが、それでも、息子の作業をとどこおらせることはできた。 「そんなに嫌がらなくても…… 多分、こうなるだろうと思って縛っておいたのは、やはり、正解だったな。 ママは、そのように貞淑なひとだから……。 でも、その貞淑なひとがひとりで部屋にいれば、あんな淫らなことさえするんだから、 人間はわからないな……。 ママのするオナニーの姿って、男が見たら、誰だってそそられるくらいのものだったんだよ……。 貞淑な理性が強いほど、抑えつけられる淫らな本能は激しい……昔のひとって、いいことを言うなあ……」 身体を硬直させて引き上げられるネグリジェを懸命になって押さえようとするかおるに、 息子は、まるで、諦めてしまったかのように手を離して頭を掻いていた。 何がなんだかわからないままに始まっていたことだったが、 オナニーを盗み見られていたということがどうにも解せないことであった。 半裸姿になって乳房を愛撫していただけのことが、あんな淫らなと言われるほどのことには思えなかったのだ。 かおるは、自分のあらわした拒絶が相手を抑えたことに乗じて、さらに畳みかけた。 「さあ、馬鹿なことだとわかったら、さっさと縛った縄を解きなさい!」 母親の威厳は、たかが息子の気の迷いや思い違いなど、充分に律する力を持っているのだった。 言われた息子は、素直に従うように、母親の身体から離れていくのだった。 だが、それは、よりよく位置を変えさせるためのもので、 相手の上半身へ身を寄せた彼は、ネグリジェの胸もとへ両手を掛けると、一気に布地を引き裂いたのだった。 絹の引き裂かれる布地が上げた悲鳴など、かおるの室内へこだまさせた驚愕の絶叫の比ではなかった。 「きゃあ〜〜〜」 かおるは、大きな瞳をさらに大きく見開いて、美しい口もとから泡を飛ばす勢いで叫んでいた。 「あなた! あなた! やめて! やめて! 何をやっているか、わかっているの!! やめて!! やめて!! ママは、本当に怒るわよ!!」 ほっそりとした首筋からやさしい感じの胸もと、 ふたつの形のよい乳房は、後ろ手にされていただけに飛び出すようになって、 可愛らしい臍と優美な曲線を描く腰付き、すんなりと伸びたきれいな両脚に至るまで、 しっとりとした白さがまばゆいばかりにあらわにさせられるのだった。 しかし、それをじっくりと鑑賞する間もなく、 息子はかおるの半身を起こさせると、引き裂かれた布地を身体からすっかり取り去っていくのだった。 「いやっ、いやっ、やめてっ、やめてっ」 女は身悶えさせて激しく制止をかけるが、 息子は、新たに用意した麻縄で、脱がせたネグリジェの代わりになる衣装をまとわせようとするのだった。 「いやっ、縛られるのは、いやっ! 気が狂ったの! あなたは、気が狂ったの! いやっ、やめて〜」 息子の顔をまともに見据えて、かおるは、懸命になって言い放っていたが、 叫べば叫ぶだけ、その悲鳴は室内にこだまするというだけで、応答というものを一切誘うことはなかった。 応答があったとすれば、新たな縄が後ろ手の手首へ繋がれ、身体の前の方ヘ幾重にもまわされ、 ふたつの乳房を上下から挟むようにして、緊縛が行われているということであった。 その巧みな縄さばきは、息子が行っているとは信じられないものがあった。 こんなことは、現実に行われていることでは到底ありえない、という思いばかりが募ってくることだった。 だが、現実だった。 半裸の姿にさせられて、縄で後ろ手に縛られ胸縄まで掛けられて、横座りにさせられた女であったが、 男の思いは、それで満足していることではありえなかったのは、ぎらついたまなざしにあらわれていた。 息子の手は、突然、縄を掛けられて突き出させられた乳房を鷲づかみしたのである。 「あっ……」 駄目という拒絶の思いが浮かび上がってくるのと同じくらい、ぞくぞくとした快感が立ち昇ってくるのだった。 頬張ったり、舐めたり、噛んだりなんかされたら、 たちまちのうちにその快感のとりこになってしまいそうだと思ったら、 相手は唇を押しつけてきて、乳首に吸いつくと、口に含んで舐め始めるのであった。 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ……。 くちゃ、くちゃ、くちゃ……。 「ああっ〜」 かおるは、思わず声が出てしまった。 しかし、頭のなかは、このようなことをしてはいけないと制する思いでいっぱいだった。 息子を制するには、いったいどうしたらよいのだろうと考えあぐねていることは、 びっくりするくらいの巧みな舌先の愛撫を感じていると、高ぶらされていく官能の波が遥かにうねってきて、 小舟をどんどんと押し流していくようにさせた。 「だめっ、だめっ、いけないわ、いけないわ」 かおるのもらす言葉は否定的であったが、その声音は甘くやるせない愛らしい感じにさえ聞こえるものだった。 息子の舌先の愛撫は、熱心で思いやりがあって、愛する者にされているという信頼が感じられるものだったのだ。 その気持ちのよさに浸されていると、考えるということが物凄くもどかしいことに思えてくるのだった。 官能が吹きかけられるようにどんどんと煽り立てられていくと、 首筋から顔にかけて火照っていた情感は、身体全体へ朱を撒き散らしたように広がっていくのであった。 上気する身体は、募らせるもどかしさを激しくなり始めている愛撫で次々と打ち消されはするが、 さらに高まるもどかしさを打ち払うには、ますます激しく強い刺激を恋しくてたまらないものにさせるのだった。 ああっ、いけないわ、いけないわ、こんなこと! 相手は息子でしょう、絶対にしていけないわ、こんなこと!! かおるは、突然、振り解くように精一杯の力で、緊縛された裸身を大きく身悶えさせた。 「やめて、いけないわ! 絶対にいけないわ、こんなこと!!」 かおるが吐き出したその言葉は、はあ、はあ、としたか弱い女の息遣いをあらわしていた。 まじまじとかおるを見据える息子の表情は、 もはや、彼女の知っている何事も幼いままでいる子供のものとは感じられなかった。 「ママがこんな愛撫じゃ物足りないと感じているのは、ぼくだってわかっているよ…… 太くて長い張形まで使って、奥深くにまで挿入して、その上、指をお尻の穴にまで入れるなんて…… そんなオナニーをしなければ、慰められないんだもの。 こんな乳房だけの愛撫なんて、子供がするようなものだと思われたって仕方がないよ。 でもね、ママ…… ぼくは成長したんだよ、男として成長したんだよ…… それを、ママにわかってもらいたいんだよ……」 息子は、かおるの緊縛された裸身をベッドへ優しく仰臥させようとするのだった。 「嘘よ、嘘、あなたは、何を言っているの! わたしは、そのようなことはしていません! どうしてそのようなことを言うの! 嘘よ、嘘だわ…… あなたは、わたしに嘘をついている……」 かおるは、わけもわからなく、哀しい思いがこみ上げてきて、泣き出したくなってくるのだった。 息子がとても大きく見え、まったくの別人になって、遠くへ離れていくことが確実なことだと思えたのだった。 横たえられた身体から、男は、下腹部を覆う小さな布地を引き剥がしにかかっていた。 あらがう気力が失せていた、あらがったところで、結果は同じになるという諦念がされるがままにさせていた。 どうしようもない……。 時間があらわすことの結果は変えることができないのだ……。 脱がされたショーツは、もはや、必要がないとでもいうように、ベッドの外へ放り捨てられるのだった。 かおるは、生まれたままの全裸姿をさらけ出していた。 息子によって縄で縛られた姿にあると言えば、息子によってされるがままになる境遇にあると言えた。 息子によってされるがままになる…… 思えば、そのようになることを望んでいたのかもしれない……。 そう感じると、辻褄を合わせようと無理に行うから、あらゆることが相反し矛盾することのように思えた。 ひとりであることのもどかしさは、決して消えないものだ、 そのもどかしさから救われるには、思いの掛けられる者へ隷属することこそ、可能にさせることではないのか。 この場に及んで、それを否定するのは、非力な自分を思い知らされるだけのことのように思えるのだった。 男は、身に着けていたものを素早く脱ぎ去ると、かおると同じ全裸の姿になっていた。 そして、仰臥させられたかおるの開かされた両脚の間へひざまずいた姿勢になると、 その堂々とそり上がった一物をこれ見よがしにあからさまとさせるのだった。 未使用のコンドームが被せられた一物を……。 |
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