借金返済で弁護士に相談



見つめている。
そこに打ち捨てられた縄を見つめている。
幾十本もの細い植物の繊維が撚り合わされてできている縄。
なまめかしく螺旋をえがくその姿は、
ひとの細胞にあるとされるわれわれの歴史を遺伝するDNAと同じ形状をしている。
その縄をひとは結ぶ、
その縄でひとは結ばれる。



平凡な面構えの平凡な身体付きの女は、
浴室の鏡に映し出された自身の姿を眺めていた。
ほっそりとした首筋というわけではなかった。
なよやかななで肩というわけでもなかった。
ふたつの乳房も小さすぎるというわけではなかったが、
美しい盛り上がりを示しているというものでもなかった。
ついている乳首も桃色の愛らしさをあらわしたものではなく、
大きな乳輪もくすんだ赤銅の色合いであった。
腰にかけての線はくびれがなまめかしいと感じられるほど尻のかたちが優美ではなかったから、
太腿から足首までのびる痩せぎすの貧弱な両脚が不恰好に身体を支えているという感じだった。
だから、下腹部に茂る漆黒に縮れた恥毛の多さは、たまらなくだらしのないものに見えるのだった。
いっそのこと、そのようなもの、取り去ってしまった方がよいのかもしれない。
陰部の翳りを奪い取られ剥き出しにされた女の割れ目。
由美子奥様のその箇所を思い浮かべると、
白磁のようななめらかさがふっくらと温かみのある量感をもって、
奥深い謎のような亀裂をあらわにさせているさまが美しいものとさえ思えるのだった。
家政婦という仕事柄、がさついてしまった指先がそこへのびて、
漆黒の繊毛をふたつに掻き分け、女の亀裂をあからさまにさせようとするが、見えるのは、
じめじめとした黒い湿地帯の陥穽にひそむ臭うような軟体動物の気配のようなものだった。
同じ女でありながら、これほどの違いがあるがはずはないだろうが、
あらためて自分の顔立ちを見つめ直し、
醜くはないが美しくもない造作に皮肉な笑いを浮かべずにはいられなかった。
だからといって、男になりたいと思っているわけじゃない、男にだって男なりの悩みがあるに違いない。
ただ、女というものに心からなれないもどかしさが自分の外観をうとましく思わせるのだ。
これだけがどうにも腹立たしかったのだ。
そんな女でも、言い寄ってくる男がないわけではなかった。
すでに中学一年のときに処女を喪失していた。
そのときのことは一度しかなかったことだから、美しくも喪失と言いたかった。
二年先輩の男子ふたりに部屋へ連れ込まれ、代わる代わる実験のように挿入されたことだった。
ふたりが学年でも上位の成績にいて女子生徒の憧れの対象でもあっただけに、
望まれたことは有頂天だったし、不安だったが処女くらい捧げることは何ともないと決心したのだ。
だが、つたなかった挿入は官能の喜びなどいざ知らず、出血と痛みを感じさせた以外の何ものでもなく、
ましてや、ふたりはこれぽっちの気遣いも優しさも見せなかったどころか、
彼らが本当に思いを寄せていたのは同じ三年の才媛とあだ名されていた美少女であったのだ。
彼らは美少女に言い寄ることができずに欲情のはけ口を求めただけだった。
求められれば受け入れるそぶりを見せた自分も悪かったのだから、
ふたりの卒業が間近になってわかったその事実も傷付けられたことだとは考えなかった。、
ふたりが自分よりも才媛を好いていたからといって、彼女の方が美少女だったのだから当然だった。
顔立ちやスタイルばかりでなく頭もよかったのだから、比べることさえ意味がないのかもしれない。
ただ、交わりを結ぶことを求めたとき、彼らが言ったでまかせだけが許せなかった。
ふたりははっきりと、あなたを尊敬しているから、と言ったのだった。
尊敬……その意味を愛しているということ以上のものだとしなかったら、
言葉なんて、すべて行いたい目的のためのでまかせにすぎない。
事実、それからも、言い寄ってくる男性はあった、高校のときも、短大のときも、社会人になっても、
彼らは体裁のよい言葉をちらつかせかせて、欲情を満足させることだけを行って去っていった。
しかし、言葉なんてでまかせにしかすぎないということがわかればわかるほど、
男に対する不信感が高まっていくということはなかった、むしろ、性的経験を重ねていくことで、
自分自身が抱いている官能だけは、でまかせや嘘をつかないということを感じたのだ。
ひとりで慰めても満足が得られるほど、官能の高め方とひとつになることができたのだった。
求められれば誰とでも寝たが、
喜びの絶頂を極めることが男のテクニックで行われたことはほとんどなかった。
男はそのでまかせの言葉と同じように自分の欲情をどれだけ満足させるかに夢中になるだけで、
女は別の女でもよかったし、ましてや、本当に思いをかける女は別にあった。
それでも、求められれば、男と寝た。
平凡な面構えの平凡な身体付きの女が望まれる存在なら、それでよかった。
アパートの部屋へひとり帰って、深夜、もどかしくなった思いから、
生まれたままの全裸になって自分を慰めていたとき、
ちょうど窓から差し込むネオンサインの黄色い光が顔立ちと裸身を浮かび上がらせた。
その全身が黄疸にでもなったような美しくない顔立ちと姿態を鏡にのぞいたとき、
官能の満足は得られるかもしれないが、自己満足は得られないことをつくづくと思い知ったのだった。
だから、そんな女でも、男が必要とすれば求めに応じたのだ。
だが、それも二十八までのときのことだった。
二十九歳の誕生日のちょうど一週間前、
連れ込みホテルで相手になったのは、大学で講師をしているというおとなしい中年男だった。
バーのカウンターで隣り合わせの席になり、交わした挨拶からのいきずりであった。
先にシャワーを浴びてベッドの上へ腰掛けていると、男は浴室へ行こうともせずにもじもじしていた。
じっとのぞき込むように見ると、酔った頬の赤さ以上の高調をあらわして震えてさえいた。
その口からはためらいがちな言葉で、お願いがあるのですが、聞いてもらえますか、ともれた。
それから、携帯していた書類ケースから麻縄の束を取り出すとそっと足もとへ置くのだった。
サディズムやマゾヒズムの性癖や趣味といったことは少しは知っていたから、
その縄で縛らせてくれと言い出されるのだろうと思った。
縄で縛られるという経験は一度もなかったから興味はあったが、
自分からそれを求めるほど魅力のあるものとは感じていなかった。
だから、縛られる自分というものがどのようになるのか、想像できなかった。
想像する必要もなかった。
男はおずおずと身に着けていたスーツを脱ぎ始めていた。
見つめたままになっている前へブリーフひとつになった裸姿をさらすのだった。
そして、床へしゃがみ込みきちんと正座すると、両手を背後へまわして手首を重ね合わせ、
縛ってください、あなたを信頼できる女性と信じて、お願いします、
とか細い声をもらすのであった。
眼の前にさらされた脂肪のだらしなくついた男の情けなさそうに正座する姿は、
なぜか中学時代に交わったふたりを思い起こさせるものがあった。
あのときは尊敬すると言われた、いまは信頼すると言われる。
男にはちゃんとした妻も子供もあった、社会的地位だってしっかりしていた。
その男が性欲を満たすために女に迫って言う言葉が信頼だった。
ただの男と女の性愛に違いない、互いが自己満足の欲情を満たせればそれでよいことだ。
だが、自己満足の欲情を満たすだけなら、ひとりで慰めればいいのではないか。
ひとりではできないから、相手を必要とする。
女によって縛られることに欲情を感じるというのなら、
女はどのような女であっても、行ってくれる女ならよいわけだ。
それを男の妻がしてくれないというだけだ。
男が欲しがっているものは、自分という人間ではなく、自分の女であるところだけなのだ。
それを結ぶものは信頼か……信頼でなくて、ただの縄だろうに。
眼の前の男の姿にたまらくうんざりしたものを感じていた。
自分という女に腹立たしさを感じる以上にうんざりしていた。
どこかやけくそな思いが行動を駆り立てていた。
足もとへ捧げるようにして置かれた麻縄の束を思わず手にした。
ひとを縄で縛るなどということは初めてのことだった。
だが、行おうとすることの目的が明瞭であるとき、ひとは相応のことができるものである。
このようなうんざりするものは身動きの取れないようにふんじばって、
人間としてではなく、男としでもなく、、物体同然に取り扱えば、本人も本望なのだろう。
女を相手にして一時戯れることでは、ただの遊びにすぎないのだ。
男の重ね合わせた両手首へしっかりとした縛りができたことが、
相応の効果をもたらすものであったことは、男性を一気にそそり立たせたことにあらわれていた。
その縄尻を身体の前へまわして荒々しくぐるぐると巻きつけていくと、
男は俯かせた顔をさらに上気させ、全身に抑えがたい震えといったものを示し始めたのだった。
そそり立たせたブリーフの布地の頂点は見る見るうちに体液の染みを浮かび上がらせていった。
何かを言わずにはいられなかった。
男の身体へ巻きつけた縄尻を手にしたまま、相手の前へしゃがみ込むと、
あんた、こんなふうにされただけで、いきそうね。
女に縛られるって、そんなに気持ちのいいものなの。
ふざけないでよ、あんたがさらしている格好は情けなくて浅ましいというだけじゃない、と吐きすてた。
男は俯いたまま、こみ上げてくるものを必死なって抑えようと縛られた裸身を悶えさせながら、
……あなたに縛られて幸せです……わたしはあなたの奴隷です、
と言うなり、びくんと身体を硬直させて放出を始めるのだった。
男の歯の浮いたような白々しい告白もさることながら、
絶頂へ至るあまりの早さにはあきれるばかりだった。
慣れていたはずの立ちこめてくる異臭は、むかつくくらいのうんざりを感じさせるのだった。
だらしないわね、少しの我慢もできないんじゃない、
あんたが自分勝手に汚した下着よ、自分で処理しなさいよ、
まったく最低の男だわ。
男の怒りを買うのではないかとさえ思った捨て台詞だったが、
男はそのように侮辱されることが嬉しいとでもいうように何度もうなずくと、
縄を解かれた両手で下腹部を押さえながら、恥ずかしげな仕草で浴室へかけ込むのだった。
とことんあきれた思いにベッドへ腰をおろして煙草をくゆらせていると、
浴室から顔をのぞかせた男は、苦笑いともひきつった羞恥ともつかない表情を見せて、
……お願いです、もう一度縛ってください、あなたの神聖な黄金水を頂きたいのです、お願いです、
とねだるのであった。
それから、男が求めるままのことをしてやった。
一糸もつけない全裸姿を後ろ手に縛り上げ、浴室の床へ蹴り倒し、踏みつけた。
小便をひっかけてくれとせがむから、たまらなく恥ずかしいことだったが顔面にくれてやった。
その箇所を舌できれいに拭わせてくれとねだるから後始末させると、
それが喜びであることを白濁とした液を放出させてあらわすのだった。
男は満足であったかもしれない。
だが、女としての満足はなかった、労働させられているとしか言いようのない疲労しか残らなかった。
二度とすることはうんざりだった。
男はその後も再三にわたって逢瀬を求めてきた。
だが、応じなかった。
あまりにしつこく言い寄ってくるものだから、奥さんに話すと言ったら、連絡は来なくなった。
それで、男というものの求めにはいっさい応じなくなってしまった。
どうしても官能が抑えきれない欲情を求めるのであれば、自分で慰めることで満足できた。
そうして年が過ぎていった。
短大を卒業して以来勤めていた会社では、
三十歳を超えると女性はもはや定年のように思われていたから、居心地がよくなかった、
転職しようと新しい職を探したが、不景気・失業時代のこの時勢では、
事務経験だけの女にはたいしたところは見つからなかった。
結婚などということはてんから頭になかったから、安定して暮らしていければそれでよかった。
そんな折見つけたのが家政婦の奇妙な求人募集だった。、
…住込み家政婦求む。Fの飼育ができて健康な方。給与等委細面談…。
<F>が何を意味するものか、まったくわからなかったが、
わかる人間にだけわかるような広告を出すことに興味をそそられた、
ただ、事務仕事しか経験がなかったから、家政婦が勤まる仕事かどうか不安だった、
麻布にあった面接場所へ行って驚いた、ちょっとした豪邸と言えるような住まいだった。
あらわれた五十すぎの主人も知的で品のよさそうな人物だった。
主人は次々と質問を浴びせかけ、応答の早さと内容で人物を推し量っているという感じだった。
そのなかのひとつの質問に、あなたは自分を女性としてどのように見るか、というのがあった。
やつぎばやの質問は尋問のようでさえあったので、思わず本音で答えてしまっていた。
女であることに腹立たしさのようなものを感じていますという応答に、
主人は大きく興味をそそられたように眼を細めながら、
失礼だが男性経験は豊富にありますか、とおよそ家政婦の就職面接に関係ない質問をたたみかけた。
そのとき、この主人は挑戦的なくらいの威圧感を男として感じさせるものがあった。
豊富かどうかわかりませんが、あります……いや、ありました、つっけんどんに言い放ってしまった。
ああ、これで採用もないなとあきらめたが、雇用主は微笑みながら言うのだった、
あなたにお任せしたい、あなたならこの仕事をうまくやってくれるでしょう。
そして、被雇用者の初めての質問、<F>とは何かと尋ねたとき、
あなたが採用の決定を承諾するものなら見せましょうと言ったのだった。
一大決心を迫られた感じだった、しかし、雇用主もその見せるということには同様の様子だった。
承諾すると連れて行かれたのは、家の最奥にある部屋だった、
雇用主が夫婦の寝室であると説明した部屋には、妻だと紹介された女がいた、
女は寝室の隅に設置された猿を飼うような鉄柵の檻に一糸もつけない全裸姿のまま入れられていた。
雇用主は後ろ手に縛られた女の縄尻を取って檻から出すと挨拶させた。
それまで俯かせていた顔をあげて、由美子と申しますと澄んだ声音を響かせたとき、
その乳色に輝く優美な曲線を描く姿態を女の深々した割れ目をあざやかにあらわして見せたとき、
羞恥をただよわせた清楚な顔立ちにある瞳の投げかける美しさには、ぞくっとさせられるものがあった。
このようなことは異常なことだと判断できたが、その異常を超えさせるくらいに、
眼の前に立つ女が惹きつけるものには価値観をぐらぐらさせるものがあった。
そのような感じは生まれて初めてのことだった。
雇用主は縄で繋がれた全裸の妻を前にして、事務的な口調で説明を始めた。
仕事は由美子の世話をすること、他の家事のいっさいはもうひとりいる家政婦の老婆が行う。
<F>と言うのは<FEMALE>、つまり、女のことで、由美子は妻であるよりも人間であるよりも、
まず、女としてある存在だということがこの家では明らかにされている。
家政婦には家政婦の役割があるように、主人には主人の役割があり、女には女の役割がある。
この家で女の役割を果たすためには、次のことが守られなければならない。
女という動物の自覚のために、特別な場合以外は生まれたままの全裸姿でいること。
女という動物の誇示のために、陰部の翳りは取り去られ割れ目があらわになっていること。
女という動物の飼育のために、縄で縛られ、繋がれ、吊るされることが常に行われること。
女という動物の調教のために、拷問に似た責め苦で官能を鋭敏に保つこと。
女という動物の肉体のために、いつでも挿入を受け入れられるように健康で清潔でいること。
そして、付け加えたのが、あなたもこのような女になりたいか、という問いだった。
あなたが望むなら、この家ではいつでも、このような女として取り扱うことができる、
由美子はみずから望んでこのような女の役割を引き受けたのであって、強制されたことではない、
だから、あなたも女であることを望まないなら、この家では家政婦の役割をまっとうしてもらいたい。
そうしてはじまった仕事だった、早くも二年が経っていた。
ご主人様からは、陰部の剃毛の仕方、縄の縛り方、道具を使った責め苦の仕方、浣腸の仕方など、
奥様の世話をするのに必要なことはすべて手ほどきを受けた。
いまでは、ご主人様は安心して外出なされるまでになった。
しかし、平凡な面構えの平凡な身体付きの女は、由美子奥様の主人ではなかった。
浴室の鏡に映し出される自身の姿は、
女という動物のための自覚、誇示、飼育、調教、肉体に奉仕する、
ただの家政婦以上のものはあらわしていなかったのだった。


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