借金返済で弁護士に相談




 緊縛は身動きの自由を奪うために拘束することである――
 この事実は、残念ながら、否定することができない。
 女体が縄で緊縛されるのは、たとえ、そこに美意識、芸術性、宗教性さえもが存在しようと、
 あくまで、次に行われることの前段であり、
 拘束して自由を奪った姿にすることは、<単なる手段>に過ぎないとさえ言えることである。
 残念ながらと言ったのは、作業を行うだけの<単なる手段>では、美の様式は生まれないからだ。
 だが、もたげた矛先が放出へと向かい、煽り立てられた官能がオーガズムにまで至ろうとするのは、
 美の様式の云々よりも、人間にとって火急なことである。
 そのありようを団鬼六の『花と蛇』という小説は、次のような筋立てであらわしているが、
 誤解のないように、この作者も日本の様式美を認識して表現を行っている以上、
 実は、この筋立てに描かれている以外の表現の総体に、この作者の本質があらわれていることを言い添えたい。
 それは、この小説の書き出しの二行で言い尽くされている。

    秋晴の蒼い空が洋館の並んだ静かなきれいな町に展っている。
    アスファルトの人道には、柳の枯葉がバラバラと日を受けて散っていた。

 自然の美は凋落することで最高の美をかもし出させるという抒情性である。
 登場人物の絶世の美女とされる遠山静子夫人を筆頭に、
 遠山桂子、野島京子、野島美津子、村瀬小夜子、村瀬文夫、千原美沙江、折原珠江、
 という全裸にされ縄で縛り上げられて虐待を受ける総勢七人の美女と一人の美男子は、
 多様に陵辱されることによって、凋落の美を様式化させているということである。
 つまり、八種類で見せようとする様式化ということであり、
 以下の筋立ては、遠山静子夫人をヒロインとした様式ということである。

 
財界の大立者の後妻で二十六歳になる絶世の美女静子夫人は、
 先妻の娘がリンチにかけられるのを救うために身代金をもっておもむくが、拉致されてしまう。
 夫人は一糸も許されない全裸姿にされ、
 囚われの身であり奴隷である身分を自覚させられるために縄で縛り上げられる。
 このときから、夫人の全裸緊縛姿の生活が始まる。
 拉致された百姓家において、静子夫人は緊縛姿のまま、不良少女たちから浣腸を受ける。
 以前より夫人にあこがれを抱いていた使用人の運転手と戯れの結婚式を挙げさせられる。
 運転手の見ている前で強制的な排尿をやらされると、縛られたまま床入りさせられる。
 夫人の誘拐の権利を、運転手はやくざ組織へ売り渡すことにする。
 夫人は全裸緊縛姿で一家の集まる屋敷へ連れてこられる。
 一同の前で浣腸と排泄を強要され、そのありさまが映画に撮られる。
 組長と屋敷の所有者が緊縛された夫人を風呂に入れ、寝室で犯そうとする。
 そこへ救出の女探偵があらわれ、ふたりは屋敷からの脱出をはかるが失敗に終わる。
 全裸にされた夫人と女探偵は、褌ひとつを身にまとった姿で緊縛され、
 塩水をやかん一杯飲まされると立ったまま放尿させられる。
 女体調教師が屋敷へ招かれる。
 秘密ショーに出演させられるため、おぞましい責め道具の置かれた調教部屋で、
 夫人と女探偵は緊縛姿のまま、女同士の愛撫を強要される。
 ふたりの熱烈なレズビアン愛戯に嫉妬を感じた不良少女の首領は、
 夫人に同様の愛情を交わすことをせまるが、こともなげに断られる。
 不良少女の首領は怒り狂って、さらに残忍になって夫人をいたぶる。
 財界の大立者の夫は溺愛する静子夫人の失踪に神経がおかしくなり、
 醜女である雇いの女中と関係してしまう。
 女中は運転手の妹で、この事件につけこんだお抱えの弁護士は、
 女中に有利な財産手続きを行い、静子夫人にも離婚を認めさせる。
 夫と女中が挙式をあげることになった同じ夜、夫人は弁護士から肉体を要求される。
 財閥夫人におさまった女中は、
 静子夫人がほかの男の子供を産むことをやくざ一家にけしかける。
 妊娠しなければ、先妻の娘と一緒に人工授精を受けることを要求する。
 静子夫人は女中の前で、義理の娘とレズビアン・ショーを演じさせられ、
 夜には全裸緊縛姿の義理の娘を枕元に置かれ、緊縛姿のまま弁護士に一晩中犯される。
 翌朝、組長や屋敷の所有者、不良少女たちが見守るなか、
 静子夫人は女中と悪徳弁護士から浣腸責めをされる。
 さらに、大組織の組長歓迎会のリハーサルといって、
 夫人は女探偵と濃厚なレズビアン・ショーを演じさせられる。
 調教師には浣腸責めと張形責めを同時に行われ、激しい苦悶と喜悦の姿をさらけだされる。
 やってきた大組長は夫人を寝室へ連れ込むと、好みの緊縛姿にして関係する。
 夫人の新しい夫には、調教師の弟子で痴呆同然の男が決められる。
 結婚式が行われることになり、
 夫人は全裸緊縛姿で口にちり紙をくわえ、見物人の群がる寝室へ入らされる。
 終わると、夫人は頑丈な格子のはまった牢へ全裸のまま入れられる。
 翌朝、夫人には、膣と肛門で筆を使う調教師と女中の特訓が待っている。
 組長の妾も加わって夫人を責めたてる。
 膣でバナナを切ったり、鶏卵を産んでみせたり、膣内で卵を割ったりすることを教えられる。
 夫になった痴呆の男が連れてこられ、巨大な一物をくわえての愛撫を強制され、
 夫婦の肉体関係を結ぶ姿を一同に見物される。
 女中の命令で、宝石の密輸で行う直腸内異物挿入を調教されるため、
 静子夫人はシスターボーイたちにあずけられる。
 絶食と浣腸を強制され、肛門から直腸へ拡張器が使用される。
 調教が続けられる間も、運転手と調教師は、
 夫人の口、膣、肛門を使っての同時性交を強要する。
 シスターボーイのふたりから膣と肛門の同時性交を強行されているとき、
 責めに対する精神的な抑制があればあるほど、快感へ転化することを意識して、
 静子夫人はマゾヒズムの陶酔を知りはじめる。
 宝石袋を直腸に収めることに成功すると、女中は夫人に義務を課すことを決める。
 出所不明の精液で人工授精を受けること、秘密ショーではふたりの黒人を相手にして交わること、
 犬を相手に獣姦を行うこと、放出された精液を美容のために毎日飲むこと。
 弁護士によって夫人の隠し財産が見つかる。
 女中へ譲渡されるため、夫人は緊縛姿のまま足で捺印させられる。
 黒人と犬のショーの承諾書にもサインさせられる。
 今は精神病院に入院している元の夫が危篤という知らせが入り、
 静子夫人は屋敷から必死の逃亡をはかる。
 しかし、運転手に発見され、永遠の地獄へ連れ戻されていくのだった。

 論理で示される物語でなければ、起承転結は明確には起こり得ない。
 様式の表現に終始する物語には終わりはないから、この小説の結末は存在しない。
 静子夫人を始めとする七人の美女と一人の美男子は、
 永遠に回帰する性の牢獄で永遠の責め苦を受けるということになるだけである。
 それは、死さえも超越された荒唐無稽な願望である。
 どこにも存在しないという桃源郷の屋敷で繰り広げられる遥か太古へのノスタルジアである。
 そのおとぎばなしにリアリティがあるとしたら……
 そのリアリティを支えているのは、それを読んで扇情を感じるということにおいてあり得ることでしかない。
 だから、仮に結末をこしらえたところで、その破綻は様式美を台無しにするだけのことにしかならない。
 論理は展開を導くが、様式は流行ればすたれるという内実を持っているに過ぎないことである。
 だが、このありようは、日本の自然観であり、宗教性であり、伝統の思想とさえ言えるものである。
 伝統の思想とは、何ともおこがましい言い分に違いない……だが、正統である。
 異端は、むしろ、論理を明確に示すことにある。


          
☆ 静子夫人 ― 表象としての<隷属・受容・翻案体質>

          ☆ 静子夫人の<教導>

          ☆ <二元性・単一動機・執拗な反復>という物語の結構

          ☆ <田代屋敷>という国家

          ☆ <愛縛の聖母>

          ☆ 折原珠江夫人の示唆

          ☆ <初期の段階 ― 和製SMの終焉>




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