ううん、私は、かまいませんことよ…… あの偏屈爺さんが<色の道>を歩めとおっしゃるなら…… 歩き続けてもかまいませんことよ…… 小夜子さんは、おっしゃられてしまいましたわね。 たとえ、官能にほだされている状況とは言え、宣言に等しいことをなされてしまったのですわ。 それは、もはや、権田孫兵衛老人の言いなりになるということですわ。 本当にそれでよろしいのですの。 権田孫兵衛老人が素っ裸になれと言えば、一糸もまとわない生まれたままの全裸になるのです。 両手を後ろ手にしろと言われれば、老人の思うがままの姿に縄で縛り上げられるばかりのことになるのです。 その緊縛姿で官能の絶頂を極めろと申し渡されたら、昇りつめるまで行わなくてはなりません。 今度は一緒に協力してくれる相手もありません、お道具もありません、自然から生まれた植物で撚られた麻縄があるだけです。 緊縛された全裸の姿態のありさまだけがあるだけなのです。 性のオーガズムは、あなたもすでに経験されたように、簡単には果たし得ないことです、 終わりがないとしたら、拷問同然のことです。 しかも、あなたは、もはや、自己同一化の形態を表現するサディズム・マゾヒズムの志向の選択肢を奪われているのですよ。 責め苦に喜びが感じられるのはそのような属性にみずからがあるからだ、 虐待と恥辱と苦痛にあるからこそ性的悦楽もまたあるのだ、 という自己同一化の表現を意識化することはできないのですよ。 あなたは、<民族の予定調和>の表象を実現化すること、それを選ばねばならないからです。 確かに、<民族の予定調和>ということが、 <人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンを実現すること>を目指しているものであるならば、 われわれの民族にとって、それは前例のない自己実現の道であるわけですから、素晴らしいことに違いないかもしれません。 しかし、そのために、あなたは、あの<十字架に取り付けられた三角木馬>へ跨ることを申し渡されたら、 跨らなくてはならないのですよ……。 それは拷問以外の何ものでもないことです、虐待と恥辱と苦痛から悦楽を得る表現を剥奪されているあなたは、 拷問を引き受けることで、いったい何を告白することができると言えるのでしょうか。 あなたのお母様が<あの方>の子供を懐妊されたと告白されたような驚きの言葉でもあるのでしょうか。 いえ、いえ、いえ……ありません、あるのは、紛れもない虐待と恥辱と苦痛だけです。 あなたの言葉と言えば、悲鳴と啼泣と絶叫と沈黙しかないことです。 自己同一化の形態を表現するサディズム・マゾヒズムの志向の選択肢とは、そういうことだからです。 不可逆的過程を歴史過程としているわれわれにとっては、概念的思考の行う知の分類化・細分化が必然的過程である以上、 あなたは、サディズム・マゾヒズムへの志向を斥けたとしても、何らかの志向する表現を求め形態化することを行わないでは、 <主体>として概念化されるありようを示すことはできないからです。 これまでにも、ごまんとした思想や著作が人類史の上で表現されてきました。 それらは、常にその時代にあって、人類の未来についての危機意識の表現であることを示してきました。 このまま行ったら、人間は駄目になってしまう、人類は滅亡してしまう、いま、考え方を改めなければならない、という警告です。 人間は、もとより、放っておいたら放埓となり、駄目になり、滅亡してしまうような存在である、 進化というのは、正しい道筋を教育し調教し体得させなければ、自然に放置させておいて成し遂げられるものではない、 文明と文化を生成させ発展させることで、人間は人間らしく、人類としての保存と維持と進展を行うことができる、 と見なしてきたことからです、言語こそは、その概念を創造し伝播させる、最大最高の道具であったのです。 しかし、言語による概念的思考が整合性を持って成立することでそのありようを示すということである限り、 <人類としての定められた未来の到達点のない現在というものに生きる人間>であるわれわれにとって、 整合性の<結>は定められないものとしてあるだけなのです、 せめて、固有に限られた生が人間の<結>をあり得るものだと考えさせるだけなのです。 人類の<結>というのは、常に暫定的解決のことなのです。 いや、人間が行う概念的思考の根拠に<性のオーガズム>があることを認めない<ひとつのものの見方>であれば、 <結>はその時代が解決した決定的な思想としてあり得ることになるでしょうが、 いまのところ、<性>のない人間はあり得ない以上、<性>の含まれない思想が人間について語ることをしても、 それらが概念的思考の行う知の分類化・細分化のひとつの表現形態となるにすぎないことは、変わりようがないことなのです。 これまでにも、ごまんとした思想や著作があったように、これからも、ごまんがごまんとごまんに増え続けていくだけのことです。 人類という種がこの世から消滅しないかぎり、果てしなく続いていくことなのです。 その意味では、永遠不滅と言えるかもしれませんが、人類・人間と言っても、生き物のひとつであるにすぎない以上、 この世からの消滅が天変地異やほかの生き物からの影響で起こり得ないとは言えないことです。 だから、将来に定められている事柄……たとえば、<民族の予定調和>……これは、魅力的な事柄に思えるかもしれません。 われわれの<民族の予定調和>……小夜子さん、あなたは、そのようなものが本当にあり得るとお思いなのですか。 あり得ることであるならば、どうしていままでの民族の歴史のなかにその考えがあらわれなかったのでしょう。 根も葉もない思想が育つということはあり得ないのです、育つ思想は、その種をすでに民族史にあらわしているということです。 権田孫兵衛老人は、それを<縄文土器>の縄に表象される<縛って繋ぐ力>が貫くものであるとしていますが、 そもそも、民族固有の予定調和なるものがわれわれの民族とって必要なことであるのか、それを考えてみてください。 グローバルなエンターテインメントの表現する喜怒哀楽や希望や夢想の概念に比べたら、民族固有の自意識の概念など、 ことさら、虐待と恥辱と苦痛を引き受けてまでして、考え行うことではないのではないでしょうか。 民族固有の自意識など希薄であっても、人類にあるとされる集合的無意識ということが信じられれば、 グローバル・スタンダードとしてあることを受容することができることは、グローバルになれるということではないのでしょうか。 権田孫兵衛老人の<色の道>など、たかだか、猥褻表現のひとつであるにすぎないと見ることが一般社会の常識なのです。 猥褻表現は反社会的な常識としてしか容認されないことであるのに、そのなかで語られる前例のない思想など、 ただ、相反.・矛盾・荒唐無稽をあらわしているというだけで、埒のあかないものであるにすぎないのではありませんか。 それが意識の変革をあらわしていることだとしても、非常識が前提であれば非常識であるという整合性ではないのでしょうか。 官能にほだされていれば、世界は快い円満具足としたものに見えます。 しかし、人間は、生まれたときより死に至るまで、性のオーガズムの状態のままであり続けられるものではないのです。 あなたの喜びの快感もじきにさめていくものなのです。 <礼、節、法の三位一体>である私たちは、権田孫兵衛老人に用いられるため、 女性をあからさまにさらけ出すように、一糸もつけない、生まれたままの全裸の姿にあり、 美しい三様の髪型、魅力的な顔の輪郭、艶めかしい首筋、優しいなで肩、綺麗な乳房、優美な腰付き、愛らしい臍、 夢幻の漆黒に覆われた神秘の割れめ、悩ましい太腿、壮麗な尻、華麗な両脚、美麗な両足と、 否が応でも美しい生きものを見せつけるありさまをあらわしていながらも、 恐ろしい般若の面で顔立ちを覆い隠し、割れめへ深々と麻の股縄を締め込まされた姿にあります。 権田孫兵衛老人がそのように私たちを求めるからです。 ですから、老人の求めに応じては、私たちは、あなたに如何様にも施すことをしなければなりません。 権田孫兵衛老人の言いなりになること…… 小夜子さん、本当にそれでよろしいことですの。 ううん、私は、かまいません…… 私にも、ほんの少しですけれど、わかってきたことがありますの…… そうしたら、後戻りなど、できないことじゃありません? そうじゃないかしら? 礼子、節子、法子の三人は、コントラルト、メゾ・ソプラノ、ソプラノの声音を和声させて、小夜子へ語りかけたのであったが、 性のオーガズムの余韻に浸り切っている女からは、再度きっぱりした意志が示されるだけであった。 ところで、<十字架に取り付けられた三角木馬>が言及されたついでと言っては何であるが、 権田孫兵衛老人の言っている民族固有の予定調和への<色の道>と、 <十字架に取り付けられた三角木馬>のある舞台へ小夜子が連れて行かれる直前に岩手伊作が語った<道>とは、 どのような違いのあることなのだろうか。 その<道>は、この<上昇と下降の館>のご主人様が小夜子にしもべであることの自覚を目覚めさせるために、 縄で縛り上げられた全裸の姿のまま鋼鉄の檻へ入れられることを第一歩としていた。 素っ裸にされ縄で緊縛されて檻に入れられようが、日本間作りの部屋の床柱へ全裸緊縛姿で晒しものにされようが、 <あの方・ご主人様>のしもべである権田孫兵衛老人の言いなりになる自覚に目覚めたということでは、 縦軸の関係から見れば、<あの方・ご主人様>のしもべとなったことと同じではないだろうか。 道は、<道>だろうと、<色の道>だろうと、同じ一本の道が語られていることにすぎないことになるのではないだろうか。 形容詞、副詞の表現が多用化されるあまり、実は、名詞と動詞の結び付きでは同一の事柄を表現している言語も、 別の形態をあらわしているように見えることだとしたら、読者の方のなかには、 <あの方・ご主人様>と呼ばれている存在は、実は権田孫兵衛老人そのひとではないか、 と想像される方もいらっしゃるかもしれない。 だが、そうなると、<あの方>から懐妊を頂いたことです、新しい思想を私は身ごもっているのです、 と受胎告知した作者の性交の相手は権田孫兵衛老人ということになる。 権田孫兵衛老人に全裸に剥かれ縄を掛けられた作者である、 性交を快く受けた相手からされる陵辱に嫌がる所以もないことであろう。 そればかりか、孕んだ新しい思想とやらの父親は権田孫兵衛老人であると明言してさえ当然のことであっただろう。 それとも、女であるがゆえの羞恥心からであるのだろうか、或いは、受胎しているがゆえの自負心からであるのだろうか。 胎児の父親は<あの方>であると断言したのであるから、 まるで、性交なしに身ごもったという無原罪の受胎の聖母を表現している趣きさえ、かもしだされてくるというものである。 <あの方・ご主人様>が実際に姿をあらわさなければわからないことである。 作者の妊娠も本物かどうかは、時間の経過を待たなければ答えの出ないことである。 疑問がさまざまに湧いて出てこようと梅雨どきのカビのようなものである、 いまのところ、答えは不明であるというのが答えでしかない。 だが、少なくとも、このことだけは言えよう―― 人類生存の最大の難敵は、整合性的にものを考えようとする概念的思考のありようにある、 すべてはそこから生ずる謎であり、答えであり、相反であり、矛盾であり、荒唐無稽であるということである、 折り合いを付ける、辻褄を合わせる、収拾を付ける、整合性を成す、という無理が無理を作り出すことにある―― そこで、小夜子の法悦に漂う官能の姿態を眺めている来賓の読者の提案として、 では、試しに小夜子が連れて行かれるはずだった鋼鉄の檻へ行ってみることはできないものか、となるかもしれない。 すでに物語の筋立てとして通過してしまった過去へ立ち戻ろうというのである、起らなかった出来事を見ようということになる。 そのようなことをしたら、その後の経過が滅茶苦茶になってしまうという、時間旅行のパラドックスが生じるかもしれないのは、 物語は<起承転結>という筋立ての整合性があって成立しないと、作者と読者は物語を通して繋がらないということに依存する。 だが、幸いにして、これはポルノグラフィである、作者ばかりか、読者さえも登場人物と化してしまった現在、 社会に通用している常識的小説の体裁をいまさら整えたところで、ポルノグラフィの猥褻性が払拭できることでもない―― もっとも、猥褻があるからポルノグラフィなのであって、 おちんちんがあるから男、おまんこがあるから女という概念といまのところ一緒であることに違いはない―― これまた、幸いにして、主人公・小夜子は作者と似非陰茎で繋がったまま、恍惚とした官能の余韻に漂った状態にある。 少々の時間もあることなので、その時間旅行を試してみたい…… ― ― ― ― ― ― <女の愛欲>から<女の芳香>まで遡ること六章 ― ― ― ― ― ― 木製の頑丈な扉のついた部屋のなかである。 生まれたままの全裸になった小夜子は、岩手伊作の手によって<美麗後手胸縄縛り>にされていた。 その上に申し渡されたことは、ご主人様のしもべとなる自覚に目覚めるために、鋼鉄の檻へ入れられるということだった。 小夜子は、あからさまな拒絶を示した。 だが、みずからの意思で一糸もまとわない素っ裸となり、縄の縛めを進んで受け入れた彼女は、 露出症の被虐嗜好症ではないかと勘ぐられ、マゾヒストであると決め付けられたのであった。 小夜子にしてみれば、言い返す言葉の何も思い浮かばず、 ただ、我が身が伝えてくる、縄で拘束されている緊縛感に圧倒されている思いだけを感じていた。 俯きながら一点へまなざしを投げかけ観念したように寡黙なった相手を、岩手伊作は片頬に笑みを浮かべながら、 後ろ手に縛られがっちりと胸縄を施されているために張り出したなよやかな肩を小突いて、 まるで罪人でも取り扱うように、縄尻を無理やり引っ張るようにして引き立てていくのであった。 出会った当初から、激しい恋心を抱くようになった男にしてみれば、 みずからの手で縄を掛けた恋人は思うがままの虜囚にした喜びがあったのだ。 縄尻を取りながら憑かれたように見つめていたのは、 黒い艶やかさの亀裂に割られた量感のある美しい形の白い尻が悩ましくあだっぽく揺れ動いているさまであり、 後ろ手に縛り上げられた華奢な両手が羞恥と不安を懸命に耐えているというように握り締められている仕草であり、 ピンク色に息づく可憐なたたずまいの乳首をつけたふっくらと美しく隆起した乳房が淫らに突き出させられている様子であり、 上気させた赤い頬へ乱れた黒髪をまといつかせ屈辱と恐れとで翳らせた哀愁をおびた美しすぎる横顔であった。 さらには、見ることがかなわなければ、反り上がらせる思いの丈のままに駆りやらせる深い割れめへの想像であったのだ。 小夜子も、その男の執拗な視線を気づいていないではなかったが、 されるがままに部屋から出され、廊下を歩かされ、地下へ降りる階段へと向かわされていくばかりのことだった。 縛られた拘束感がこみ上げさせる、全裸で引き立てられる虜囚の羞恥と屈辱の思いは、打ち消し難いものだった。 どうしてこのような目にあわなければならないのか、その不条理は、終焉なき悪夢に落とし入れられたと思わさせることだった。 しかし、それだからと言って、何が言えることなのだろう、何ができることなのだろう、何が考えられることなのだろう。 <わたしたちが知りえない事物については沈黙しなければならない>のだった。 映画の一シークエンス、小説の一場面、コミックスのひとこまであれば、 演技表現中断は観客の見つめる前後にあるものだから、表現される現在はそこにあるものとして映る。 だが、過去と未来を現在という総体としての連続的時間にあり続ける意識にとっては、 恥ずかしく、情けなく、浅ましいありさまにされた過去は、自由な身動きや考えは取れないのだという未来をあらわし、 その事実を後ろ手にまわさせられた辛い姿勢と柔肌へ締め上がる縄の拘束感の持続をもって現在化されていることだった。 無防備の全裸になり縄で緊縛された肉体のありようには、どのようにあがいても、されるままになるしかないという、 見事な整合性が当事者の肉体と意識との一致を見させることであったのだ。 知りえない事物については沈黙させられるのであった。 そうだとすれば、過去に行われたとされる歴史的事象の認識は、現在を全裸で緊縛されたありように置かれない限り、 未来を作り出すための創造的考察と認識を生み出させるものとなることに違いないはずである。 生まれたままの全裸を縄で緊縛された姿で未来についての考察を行った思想があり得なかった所以である―― しかし、作者も男性読者も、生まれたままの全裸をみずから縄で緊縛したところの性のオーガズムを経験している先見からは、 知りえない事物ということが言語による概念的思考による概念と概念の結び付きが行わせる整合性の背理であるとわかる。 現在を全裸で緊縛されたありように置かれていても、未来は荒唐無稽に創造することができることがわかる。 男性だけがいい思いをしてとは、女性の読者の方には大変申し訳ないことであるが、 女性においてあり得るほど、縄による全裸緊縛に馴染みの薄かった男性の時代の遅すぎる黎明とでもご理解頂きたい―― だが、小夜子は、全裸緊縛姿に初心だった。 ただ、暗澹とした未来へ向かって、地下の薄暗い廊下をずんずんと進まされていくばかりだったのである。 やがて、どん詰まりの頑丈な扉の前へたどり着かされた。 岩手伊作は、ポケットをまさぐって鍵束を取り出すと、勝手を知っているように、見合う鍵をぴたりと差し込んだ。 「さあ、奥さん、入って下さい……」 そう言い放つと、相手の白くなめらかな背中を押し出すようにして、なかへ入れるのだった。 部屋のなかは、薄暗かった。 しかし、眼が闇に慣れてくるのを待つまでもなく、銀色の光沢を放つ頑丈な鋼鉄の檻は眼の前に冷徹としてあった。 小夜子は、それを見た瞬間、思わず縄で緊縛された美しい裸身を震わせるのだった。 だが、生まれたままの全裸を麻縄で縛り上げられて鋼鉄の檻に入れられるというだけであったなら、 或いは、身を震わせることを耐えればよいことであったかもしれなかった。 <ご主人様>のお望みは、そういうことであったのだから……。 確かに、それはかなえられる、問題はない、職務に忠実な男は言われたことは間違いなく行うのであるから……。 ただ、職務に忠実な男は、恋する男でもあったというだけである。 すべての人間の行動は愛の万有引力の支配下にあることを真に人間的なことであると思っている男だったのだ。 鋼鉄の檻の扉は重々しく開かれ、小夜子は押し入れられるようになかへよろけさせられた。 続いて、岩手伊作もなかへ入って来るのだった。 檻の出入口を背にして仁王立ちの格好になった男は、「新しい装いの縄をあなたに掛ける」と言うと、 小夜子へ施されていた<美麗後手胸縄縛り>を手際良く解いてしまった。 縄の縛めから解放された小夜子だったが、檻から逃げ出すということはできなかった、 男の手から逃れることも、二メートルほどの高さと身体を折らなければ横たわれない狭さのなかでは不可能だった。 加えて、女の抵抗する気持ちを封じ込めようとでもするかのように、 男は、そんなに大きな声でなくても聞こえますというほどのでかい声で、言い放ったのだった。 「お会いしたときから、ぼくはあなたに強く惹かれていました! いや、いまや、あなたを愛していると言っていい!!」 筋骨たくましく浅黒く精悍な若々しい風采の男から告白された熱烈で生真面目な言葉だったが、 字義どおりに受け取るには、置かれている状況が尋常でなかった。 しかしながら、愛を告白する状況は尋常な場所でなくてはならない、という必然性などあるわけではないから、 それに対する女の反応も並外れているとは言えなかった。 小夜子も、出会いの当初から相手に対して悪い感じを受けていなかったから、 思わず、全裸姿のままでいる羞恥に上気していた頬をさらに火照らせたのであった。 男は相手のなよやかな両肩へ両手を置くと引き寄せて、顔と顔とを間近にさせるのだった。 男の唇が突き出されて触れてきても、女は拒む様子を見せず、むしろ、進んで唇を開き加減にしていくのだった。 男は女が自分の望んでいることと同じことを求めていると感じ取ると、激しく唇を押しつけて、 ふたりは熱い口づけを交わすのだった。 それから、甘い舌先を差し入れて、深く口を吸い合い、愛を確かめ合うところまで行き着きたいことであったが、 恋人たちには、時間の猶予がなかった。 「小夜子さん、ここを出ましょう! 誰も来ない、いまのうちなら、出ていくことは可能です! ふたりで逃げ出すところを見つかったら、何を誤解されるか、わかりはしない!」 離れがたい唇をようやく離した男が言った言葉はそれだった。 とても信じられない言葉であった、 それ以上に、駆け落ちするふたりの間柄を誤解するという意味がわかりにくかったが、それはともかくとして、 女は大きく見開いた美しいまなざしを相手に向けるだけで、ただ、立ち尽くすばかりのことだった。 「このような館にいても、どうにもならない! 人間にとって不可欠なものは愛なのです! 愛は救いであり、愛は万能な力なのです! あなたとぼくを結び付けるのは、おぞましい縄なんかではない、光り輝く愛であるはずです! ここには、それがまったくない、ぼくは、まったくうんざりしていたのです! しかし、あなたがあらわれた! あなたと結ばれる愛の絆によって、ぼくは救われるのです! ぐずぐずせずに、いますぐ、ここを出ましょう!!」 顔と顔とが間近になっている状態では、鼓膜が激しく振動するほどの激烈な大声であったが、 男はそう言って女の華奢な手首を引きつかむと、檻の外へ強引に連れ出そうとするのだった。 「まっ、待ってください……私は……私は裸です……」 動こうとしない相手に、男は大きくかぶりを振って、微笑みながら優しく答えるのだった。 「いや、いや、いや…… あなたのその優美な姿態は誇りに思うことはあっても、恥ずかしがる理由などまったくないことです! 愛があれば、愛の全裸を人前に晒すことなど、愛の羞恥でも愛の屈辱でも愛の猥褻でもありません! 愛に輝く美しく壮麗なものに眉をひそめるような者がいたら、それは愛を知らない者だというにすぎません! あなたはぼくの愛するひとだ、ぼくは愛を持って、あなたの愛の裸身を愛を知るひとたちに見せてあげたい!!」 男はみずからも身に着けていた一切を脱ぎ去って、愛の平和を誇示するように生まれたままの全裸になるのだった。 何度言われた<愛>という言葉であったか、数えることはできなかったが、 女は取られた手を愛するように強く握り締められて、愛する相手の言葉に従おうと愛の決心をすることができるのだった。 こうして、愛する全裸の男と女は、愛する鋼鉄の檻を出て、愛する地下室を出て、愛する<上昇と下降の館>を出て、 澄みきった愛する青空に燦燦と輝く愛する太陽の下、愛する繋ぎ合った愛の手をしっかりと取り合って、 愛し合う恋人たちの愛する門出を愛らしく出発するのだった。 <あの方・ご主人様>などもう関係がなかった、まだあらわれてもいない権田孫兵衛老人など尚更どうでもよかった、 聞いたこともない<民族の予定調和>に至っては、そのような不可解なもの、あったところでなかったところで、 愛し合う者たちが作り出す輝ける愛の未来に変わりのないことだった。 要するに、<上昇と下降の館>は、実は、愛の廃墟であったのだ、という結末になるということである。 夫のある身の小夜子だったが、夫以上に愛することのできる相手と結ばれ合ったという、よくある<道>ならぬ恋の話であった。 「恋に溺れながら、私の愛は乾いていく、高ぶるほど空虚、満たされるほど孤独」という女性が真実の愛に目覚めたことだった。 おぞましい麻縄などなくても、できることだった、ましてや、<縛って繋ぐ力>などという緊縛理論など不必要なことだった。 世界にあふれる愛は、みずからがそれを掬い上げようとさえすれば、誰の咽喉をもうるおすことのできる聖水なのである。 愛が世界を作り出す、輝ける愛と平和の世界の幕開けである。 新しいいざなみ・いざなぎの始まりである。 ……………おしまい…………… しかしながら、恋する岩手伊作は、<新しい装いの縄をあなたに掛ける>と恋する相手に言ったのだった。 それは、愛の比喩であったのか。 いや、比喩ではなかった、男は、新しい装いの愛の縄をあなたに掛ける、と言ったのだ。 だから、比喩ではないのか。 もちろん、実際に縄で縛り上げることをしなければ、比喩と言えたかもしれなかった。 だから、いったいどっちなんだ。 実際に縄で縛り上げることをすれば、比喩であっても、現実でもある。 岩手伊作が相手のなよやかな両肩へ両手を置いて引き寄せ、小夜子も応えて熱い口づけを交わしたのは事実であったが、 離れがたい唇をようやく離した男が語った言葉は、実際はこうだった。 「愛すること……それはどのような素晴らしい言葉で言いあらわしても、陳腐な文学表現にしかならないものだ。 心から思い願う、愛する行為を持ってしてこそ、実感のある愛として相手へ伝わることなのだ。 ぼくはあなたを愛している……愛しているからこそ、あなたの心とぼくの心を強靭な愛の縄で繋ぎたい。 愛するあなたをぼくの愛の縄で縛りたい。 美しいあなたをさらに愛らしく引き立てる愛の縄化粧、ぼくは、心からの愛を持ってそれをあなたに施したい」 小夜子が岩手伊作との純愛にその気になったとしても、相手の愛はそれ以上にその気になっていることであったのだ。 岩手伊作は、そう言い終わると、小夜子の優美な全裸へ<愛の美麗亀甲股縄縛り>を施していくのであった―― この緊縛の意匠は、<女の業>の章で紹介されている、 男性がひとりでみずからを縛り上げる<美麗亀甲股縄縛り逆海老の図>というものを逆海老の図にしないものである。 陰茎に引っ掛けるべき縄を女の割れめへ通すという相違があるだけで、まったく同じ意匠のものである。 従って、縄掛けの描写の詳細は、<女の業>の章へ戻って参照して頂くことにして、 ここは、愛の本領について追っていきたい―― 小夜子の雪白の柔肌の上には、目にもあやな麻縄の菱形文様が織り成されていたが、 岩手伊作は、肝腎の股間へ通す縄だけは行わなかった。 愛する男が行う愛のあかしに、逆らったところで無粋なだけだと観念している小夜子は、 まるで、美しい等身大の人形のように成されるがままだった。 女の割れめへもぐらされるべき縄がだらしなく垂れ下がったままになっていることも、まるで、他人事のようだった。 小夜子にしてみれば、柔肌を圧迫してくる縄の拘束感が恋する相手の愛の抱擁と思えるように、努めていることだったのだ。 生まれたままの全裸姿になって、縄で縛り上げられて、冷たい鋼鉄の檻へ放置されるだけのことなら、惨めこの上ないことだ。 だが、愛される者の手で成されることであれば、愛は、残虐と異常と非人間性にあってさえも、愛の希望を生ませるのだ。 しかし、実際にそうではあっても、小夜子の美しい顔立ちの前へ、 岩手伊作がポケットから取り出して、蓋を開いて中身を見せつけた小箱のなかのものは、異様であることに違いはなかった。 いや、それ自体は、銀色の光沢を輝かせた大小の玉であるだけにすぎなかったから、 パチンコ玉より遥かに大きいと言うだけで、その目的に使用できなかったというだけで、異様なものではなかった。 それが大小ふたつあり、パチンコ台の穴以外に何処へ入るかということが、異様を想起させることだったのだ。 「このふたつある<愛の珠玉>は、亡くなってしまったが、ある会社の社長が製造開発させた形状記憶合金で作られたものだ。 その社長は、この材質で長い棒を作り愛する妻を跨がせたが、その効果が球体へも応用できるということには至らなかった。 この館におられる発明家・権田孫兵衛氏の発案によって、現在、日の目を見ることができたのである。 <愛の珠玉>という名称は、ぼくが名付けた、その効果からすれば、まことに適切な名前だと思う、 ぼくも文学部の出身だ、キャッチ・コピーやニック・ネームの意味合いは、深く理解しているつもりだ。 ぼくはこれをぼくの愛のあかしとしてあなたに捧げようと思う…… さあ、両脚を開いて、愛するひと…… これをあなたに含ませる」 小夜子は、言われた意味がまるでわからないというように、きょとんとして相手を見つめるばかりだった。 もちろん、艶めかしい雪白の太腿を動かして、両脚を開くような素振りはまったく見せなかった。 「どうしたのです…… 愛するぼくの愛のあかしを、あなたは愛らしく受け入れてくれないのですか」 岩手伊作のまなざしは、愛に燃え上がるぎらぎらとした輝きを帯びて、愛する相手の顔立ちへ注がれるのだった。 「……なっ、何をなされるというのです……含ませるって、何をなさるのです?」 ようやく口を開くことのできた小夜子だったが、 岩手伊作の愛に逆立つ真剣な顔付きは、その下腹部と同様に硬直したままだった。 「あなたは、深遠な愛をぼくに説明させようというのですか…… 言ったはずだ、愛すること、それはどのような素晴らしい言葉で言いあらわしても、陳腐な文学表現にしかならないものだと。 文学部出身のぼくが言うのだから、間違いない。 ぼくは、愛のあかしに、愛するあなたの美しい膣と愛する美しい肛門の深淵に…… ふたつの<愛の珠玉>を含んでもらいたいのだ」 小夜子の美しい大きな両眼が驚きのあまり見開いたが、わなわなと震える声音は懸命に訴えかけていた。 「まっ、待ってください、待ってください! あの方は、あの方は、私を鋼鉄の檻へ閉じ込めるだけだと!」 恋する男は、皮肉な笑みを浮かべながら、うなずいていた。 「あなたのおっしゃるとおり、ご主人様のお望みで、あなたは確かに鋼鉄の檻へ閉じ込められる。 ご主人様のしもべであることの自覚に目覚められるまで閉じ込められる。 このことに、嘘いつわりはない」 小夜子は、柔らかな美しい黒髪が揺れるくらいにかぶりを振って、言い返すのだった。 「しかし、あなたは、あなたは、おぞましいものを私に……」 その後が言葉にならなかった、 恥ずかしい箇所へ含まされるということを想像した小夜子は、衝撃でめまいすら覚えふらっとなっていた。 そのくず折れる裸身を優しく受けとめてくれたのは、恋する相手だった。 愛に燃える男は、愛する女がその身を自分へ託してきてくれたことだと確信したのであった。 男は、<愛の美麗亀甲縛り>を施されている相手の優美な裸身をしっかりと抱き寄せると、 艶めかしく悩ましい尻の亀裂の奥へ指先をもぐらせ、 掌につかんだ大小の玉を穴の大きさに合わせて含み込ませていこうとするのだった。 「ああっ、いやっ、いやです!」 女のあらがう哀切な声音とは裏腹に、 全裸に縄を掛けられていたことで掻き立てられていた官能は、 女の蜜をじっとりとにじませていた花びらの箇所へ大玉をすんなりと呑み込ませ、 菊門の小さな箇所においてさえも、蜜に濡れた小玉を難なく含み込ませていくのであった。 まるで、愛する相手はそれを望んでいたかのような愛のなめらかさで、愛の行為は運ばれていったのだった。 恋する男は、それらの愛する箇所へ愛の蓋をするように手際よく愛の縄を愛の割れめへ愛らしく埋没させて、 がっちりとした愛の後ろ手に縛り上げると、<愛の美麗亀甲股縄縛り>として完成させるのであった。 しかし、美しく完成された緊縛の全裸を眺めるというには、美麗な愛する姿態は立っていることがままならない状態であった。 「ああっ、いやっ」 泣き出しそうなか弱い声音をもらすと、小夜子は、その場へうずくまるようにくず折れていくのだった。 おぞましいものを身体に含み込まされたという感触が伝えてくる異様な嫌悪感は、汚辱になり、恥辱になり、 大きな美しい両眼に哀切の涙を浮かばせ、したたり落ちるのに合わせて、すすり泣きを始めさせるのだった。 後ろ手に縛られている身の上では、どうしようもないことだった。 せめて、文学的な言葉をしゃべることのできる自由な口で、文学を理解するという相手へ、何とかできないものなのか。 「お願いです、やめにしてください! このようなこと、やめにしてください、お願いです! お願いです!」 小夜子の投げかける言葉は、すでに檻を出かかっていた恋する男の背中へぶつけられたが、 冷徹に閉じられた愛の鋼鉄の扉へ非情にも愛の施錠をしながら、愛する言葉が相手の口から返されるだけであった。 「あなたは、ご主人様のしもべであることの自覚に目覚められるまで、そのままでいさせられる。 だが、しもべであることに目覚めれば、いつでも出ることが可能な檻なのです。 愛に耐えることです、真実の愛に耐えることです…… 真実の愛に耐えることができさえすれば、自覚は必ず生まれます」 愛する男は、愛する女へそう語り終えると、未練がましく振りかえることもなく、部屋の扉を出ていくのだった。 木製の扉が重々しく締め切られると、 薄暗い部屋には、銀色に輝く鋼鉄の檻と乳色の光沢をあらわした女体があるだけだった。 愛される女は、非人間的な取り扱いを受けているあまりの愛の惨めさに、 ただ、なよやかな肩先を震わせて、泣くばかりのことしかできなかった。 両腿の奥にあるものを見られまいとするかのように、横座りにさせた優美な姿態の両脚をぴったりと閉ざし、 羞恥と屈辱に上気させられている美しい額を冷ますかのように、冷徹な鋼鉄の格子へ押しつけてすすり泣きを続けている。 だが、泣いて哀切な思いに浸り切れば浸り切ろうとするほど、惨めさからなされる哀しみの身悶えは、 女の割れめ深くへ埋没するように食い込まされた麻縄を淫靡にうごめかせることをするのだった。 股間へ掛けられた縄の位置を少しでもずらそうと、腰をよじらせ悶えさせるようなことを試みてみるが、 それはかえって、生まれたままの全裸に晒された羞恥から火をともされた愛の官能を、 身体を包み込むような縄の緊縛による屈辱的な愛の拘束感によって掻き立てられ、 愛らしい鋭敏さの突起と認識の芯を飾る愛の花びらと実直にすぼまった愛の菊門という女の愛の叡智へ、 鋭い縄の刺激が与え続けられることで、煽り立てられるものであることをわからせるだけのことだった。 そして、時間が経つにつれて、愛の叡智というものを真に開眼させられようとでもするかのように、 体内へ含み込まされていた愛の恥辱の銀玉が存在理由を発揮し始めるのであった。 その金属の材質は、形状記憶合金でできていて、一定の温度が加えられるとその箇所が熱く膨張し、 さらに振動を加えられると、波型の小さなうねりをあらわすというものだった。 体温で熱せられてその作用点に達するまでに、大して時間のかからないものであった。 愛される女が知らず知らずのうちに淫らな思いを考えるようになっていたとしたら、 その<愛の珠玉>の本領発揮ということだったのである。 「あ〜あ、いやっ、いやっ、いやっ!」 突然、小夜子は、頭のなかを駆け巡る淫らな妄想を払い飛ばそうとでもするかのように、 柔らかな美しい黒髪を打ち振るった。 だが、<愛の珠玉>は熱く膨張した感触を伝えてきて官能を燃え立たせ、 もっと快感の高まる思いへと引っ張り上げていこうとするばかりか、身悶えをする振動を察知すると、 指先を奥深くへもぐりこまされて、激しくまさぐられているかのような波型のうねりの感触を伝えてくるのであった。 それが認識の芯を飾る花びらと実直にすぼまった菊門の内奥で、代わる代わるの淫靡なうねりを繰り返すのであった。 淫乱なその感触に気を奪われていると、自然なくらいにありありと、男が欲しいという心象が浮かび上がってくるのであった。 「いやっ、いやっ、いやっ」 か弱い言葉をもらして抵抗をあらわそうとするが、縄による緊縛の裸身を身悶えさせれば、 否定を示す言葉は、情欲の高まりをあらわす甘美でやるせない女のよがり声となって、 薄暗い室内へこだましていくばかりだった。 「あ〜あ、あ〜あ、あ〜あ」 小夜子は、もう、必死になって、少しの身動きもしまいと身体を縮こまらせてかたくなになろうとしていた。 だが、じっとなったところで、高ぶらされる官能の快感がおさまっていくわけでなかった。 高ぶらされる官能は、もっと気持ちのよいところへと向かわなければ、おさまりのつかないうねりを繰り返しているだけだった。 「ああ〜ん、ああ〜ん」 緊縛された裸身は、身悶えしまいという思いとは裏腹に、 横座りとさせた姿勢を我慢がならないとでもいうように、閉じ合わせていたしなやかな両脚を開かせていき、 乳色の艶めかしい太腿の奥にあるありさまを、みずからの眼でもはっきりとわかるような具合にさらけ出させるのだった。 太腿の付け根があふれ出させた女の蜜で、てらてらと光っているばかりではなかった。 肉が盛り上がるほどに割れめへ埋没させられている麻縄さえ、蜜を含んで変色しているのがわかるのだった。 それが汗まみれとなって淫らな輝きを示す漆黒の恥毛の内奥へもぐり込んで消えているさまは、 羞恥や屈辱や恥辱や嫌悪をまぜこぜにされたような擾乱を女の思いなかに起こすのだった。 何故なら、麻縄がもぐり込んで消えている内奥にこそ、それらの擾乱の思いを乗り越えさせる悦楽があるのであり、 その悦楽の極みこそは、いま、自分がもっとも望んでいることだと思えることだったからだ。 真実の愛に耐えることだ、という文学部出身の男の言葉が聞こえてきた。 真実の愛とは、<愛の珠玉>に耐えること? それとも、<珠玉の愛>に耐えること? そのようなこと、もう、どっちでもよかった、その文学的な言葉を吐いた男が眼の前にいてさえしてくれることなら……。 だが、文学的な男の言葉はあったかもしれないが、その文学部出身の男の姿があったわけではなかった。 愛される小夜子は、銀色に輝く愛の鋼鉄の檻のなかで、 縄の緊縛の愛らしい意匠を身にまとわされて、愛をひとりで耐えることをさせられていただけだった。 だから、もし、いま、男があらわれたら……自分はその男の言いなりになってしまうだろうと思えたことだった。 その男が悦楽の極みにまで引き上げてくれるのであれば、その男の言いなりになることは最も望んでいることだった。 それほどに、男の心象は絶対的なものに思えるのだった、男のしもべである自分としては……。 そのときだった、部屋の扉が重々しく開かれる気がした。 小夜子は、そちらの方へ、上気した顔立ちをおもむろに向けた。 確かに、扉は開かれて、ひとりの男がこちらへ向かってやってくるのが見えるのだった。 しかも、それは、筋骨たくましく浅黒く精悍な若々しい風采の岩手伊作であったのだ。 愛する男が鋼鉄の檻の錠を外して、なかへ入って来てくれるのだった。 「奥さん、目覚められたようですね…… あなたがしもべとなった意思をぼくに示してください……」 男はそう言うなり、ズボンを下ろし、トランクスを下ろすと、見事に反り上がった愛の怒張をあらわにさせるのだった。 眼の前に揺れている赤く剥き晒された男を拒む理由は、小夜子にはなかった。 小夜子は、縄で緊縛された全裸を跪かせた格好で、その揺れる前までにじり寄らせると、 汗と涙にまみれた顔立ちへまとわりつく乱れ髪を一度打ち払うようにして、 少しのためらいも見せずに、口へ含んでいくのであった。 小夜子が夫にもしたことのない行為だった。 小夜子の甘美な舌先は、愛するものを愛でるような優しさと強さと執拗さで、反り上がった男らしさを舐めまわし、 美しい唇は、頬張った愛の怒張を女の花びらで締め付けるくらいの熱烈さで、奥深くにまで差し入れさせた。 肉体を拘束している縄の緊縛と肉体へ含み込まされているふたつの銀玉によって煽り立てられる官能は、 相手へ行う舌と唇と口中の愛撫が熱心であればあるだけ、絶頂へと向かわされる<道>を確かなものと感じさせることだった。 ああっ、と男もついに声を上げるくらい、唇の端から甘い唾液がしたたり落ちるほどの愛撫は、過激さを増していた。 やがて、小夜子が奥深く口中へ含んだものを前後へと激しく揺り動かさせるに及んで、 男もこらえるのに精一杯であると言わんばかりに、真っ赤になった顔付きを引きつった表情にさせているのであった。 小夜子も、その調子で行けば、相手と一緒に頂上を極められるというところまで来ていた。 だが、あとひと息でというところに…… 低い声が聞こえたのである。 「もう、いいだろう…… きみの職務はそこで終わりだ…… 引き下がりたまえ」 小夜子には、聞き覚えのある声音だった。 それもそのはずだった、三歳年上の夫、健一だったのである。 彼女は、大きな両眼をさらに大きくして、びっくりとなった顔立ちを夫の方へ向けるばかりだった。 恋する相手の愛らしい口からすごすごと怒張を引き抜き、未練がましくトランクスへとしまい、 名残惜しそうにズボンを履き終えた岩手伊作は、 「ご主人様、それでは、下がらせて頂きます」 と言って鋼鉄の檻を出ると、寂しそうな後姿を遠ざからせて、部屋の扉を静かに閉ざして去っていくのだった。 後ろ手に縛られた全裸の緊縛姿で跪いている小夜子の前には、檻へ入ってきた夫が立っていた。 美男子であり、仕事も真面目に行う良き夫が優しく言うのだった。 「私は、おまえがこの館へ入った瞬間から、おまえの行動の一部始終を監視カメラで見つめ続けてきた。 おまえが求めている<あの方>というのは、結局、私以外の何者でもないということがこれでわかったはずだ。 おまえが恋人になれると思って、その男のものを口へ含むようなことさえしても、 その男は、おまえが私のしもべであるように、私のしもべであるにすぎない者だ。 彼は、職務を忠実に実行することで金銭の報酬を得ている者にすぎない、ということだ。 おまえは、ただ、高ぶらされる官能のままに、男が欲しかったということにすぎないのだ。 そのようなことが真実の愛であるわけがない。 真実の愛は、ご主人様としもべの関係にあっても、金銭の報酬など介入しない、純粋貞淑としたものであることだ。 真実の愛が結び付けるご主人様としもべということでは、この世界には、私とおまえとの関係しかないということだ。 何故なら、この世界で、私が最もおまえを愛している者だからだ、最もおまえが愛しているのは、この私だからだ。 おまえは、いま、その本当の自覚に目覚めたということだ。 さあ、迷妄の試練であった鋼鉄の檻を出よう。 そして、ふたりの真実の愛を確かめ合おう……」 夫は妻を縛り上げている縄尻を手にすると、相手を立ち上がらせて、優しく檻から押し出すようにするのであった。 これからは、毎週金曜と土曜の夜ばかりではない。 愛する美しい妻は、<愛の美麗亀甲股縄縛り>を生まれたままの全裸の姿に施されて生活を始めるのである。 愛する夫は、思いのままに、思いの丈をそり上がらせ、奥深くにまで差し入れて、 我慢の限度まで抜き差しさせて、あふれんばかりの思いを放出して、いつでも愛をあらわすことができるのだった。 それは、夫の独りよがりの愛などではない、奥深く差し入れられて、クリトリスまでも責められれば、 愛する妻も、愛する夫を確認するように、悩ましい声音をもらし、痙攣でもって愛をあらわすことするのだった。 それでも、不足を感じるような愛であれば、<愛の珠玉>をふたつ含ませればよい。 夫の反り上がって剥き晒した男らしさを妻の美しい唇と甘美な舌先と恍惚の口中が思いを遂げさせてくれるのである。 聞いたこともない<民族の予定調和>のような不可解なもの、取って付けたような<縛って繋ぐ力>などという緊縛理論、 そのようなものなどなくても、麻縄と<愛の珠玉>さえあれば、真実の愛を表現することは可能なのである。 このキャッチ・コピーとニック・ネームは、多大な効果があった。 愛する夫には、商才があったから、麻縄と<愛の珠玉>の三点セットを十万円消費税込みで販売したのである。 それは夫婦和合の逸品として爆発的な売れ行きを示し、 夫婦は、その利益で<上昇と下降の館>さえ買い取ることができたのであった。 世界の愛と平和、そして、人類の繁栄は、夫婦の和合から始まるというお話である。 ……………おしまい…………… ううん、いやですわ、そのような終わり方では…… そのような結末で、来賓の読者の方が納得されるとお思いですの? 少なくとも、私は、納得しません…… そのような主人公で終わることなら、降ろさせてもらいたいくらい。 縦横無尽な荒唐無稽のあらわされないポルノグラフィなど、 淫らな猥褻のあらわされないポルノグラフィと一緒のことですわ。 母である作者と似非陰茎で繋がったままでいる小夜子は、恍惚とした官能の余韻が冷めてきたとでも言うように、 恨めしそうな流し目をじろりとくれながら、誰に言うともなく、そのようにもらすのだった。 ところで、母である作者を裸にして縄の緊縛を施した後、姿をあらわさなくなってしまった権田孫兵衛老人は何処へ行ったのか。 小便でもしに出かけているのか、八十歳近いという年齢であれば、生理現象が近いというのはやむを得ないことに違いないが、 主人公である小夜子が<色の道>に追従する思いを述べたときくらい、間近にいて当然のことではないのだろうか。 だが、その日本間の様式に造られた部屋には、似非陰茎で繋がった小夜子とその母である作者、礼子、節子、法子、 明美夫人と七人目の女性がいるだけだったのである、岩手伊作之助と綱之助も姿を消しているのであった。 言い方を換えれば、女性だけしか存在しなかったということでは、文字通り、<女の饗宴>ということであったのである。 「そうですわ…… 男性の方がおいでになっていては困るようなことを、私たちはこれから行うのですから、当然のことです……」 礼子、節子、法子の三人は、美しい声音の和声でそのように言うのだった。 この部屋にいる女性は、女性の全裸の匂い立つような色香というありさまは人類の不変事項であることから、 すべて、生まれたままの全裸の姿でいたわけであるが、しっかりと食い込まれた股縄こそ施されているものの、 三人の恐ろしい般若の面を着けた女性たちだけは、後ろ手に縛られる不自由から解放されているのであった。 それは、この三人が権田孫兵衛老人に用いられるために召喚された者たちであったからで、 言わば、教授者が直接手を下さないということでは、文字通りの手先ということであった。 そうであれば、権田孫兵衛老人が何処で小便をしていようと、眠りこけていようと、この状況への直接の関与は必要なかった。 <色の道>が思想にすぎないことであれば、その実行者・実現者は、発案の当事者であるべき理由はないのである。 「では、よろしいことですの、小夜子さん…… あなたが<色の道>を選ばれたのなら、私たちは、あなたに<道>を進ませるお世話をしなければなりません……」 礼子は、横たわる小夜子の顔立ちをのぞき込むようにしながら、コントラルトの艶のある声音でそう言うと、 女の花びらが奥深く包み込んでいる似非陰茎の片方を静かに引き抜いていくのだった。 「妊娠なされているお母様には、しばらく休んで頂くこととして、娘さんの精進を見守ってあげていてください」 節子は、メゾ・ソプラノの麗しい声音を響かせて、 濡れそぼった花びらがしずくを落とすままに、似非陰茎のもう片方を相手から優しく引き抜いていくのだった。 「でも、ごめんなさい…… 縛り上げられた縄を解くことは、私たちには許されていないことです…… 私たちは、権田孫兵衛老人に用いられている者にすぎないのです…… <色の道>は、権田孫兵衛氏のあらわす思想です…… 私たちを用いる方がまったく別の思想をあらわすということであるならば、私たちはその方に用いられるだけのことです…… どうか、それは理解してください……」 法子は、輝かしいソプラノの声音で告げながら、母である作者の縄で緊縛された裸身をそっと起こさせると、 朱色の艶めかしい夜具から立ち上がらせて、床の間の柱がある方へ連れていくのだった。 そこには、生まれたままの全裸を後ろ手に縛られて胸縄を掛けられた明美夫人と七人目の女性が、 床の間にある縄文土器の模造品と並ばされて、きちっとした正座の姿勢を取りながら、 行われていくさまを眺めさせられているのだった。 母である作者も、その横へ同じ姿勢を取らされて座らされた。 母である作者には、もはや、新しい思想の胎児を身ごもる母親というありようを引き受けている以外に、 ことさら、抵抗やあらがいを示すような素振りや発言はまったく見受けられなかった、おとなしくされるがままになっていた。 むしろ、明美夫人と七人目の女性は、これから行われていくことを興味のある強いまなざしで見つめ続けているのだった。 それは、すなわち、小夜子が歩まされる<色の道>は、 生まれたままの全裸を縄で緊縛された女性というものが<民族の予定調和>を表象するものであるということにおいては、 次は我が身であることを意味していることだったからだ。 現在、わが国には、生まれたままの全裸を縄で緊縛された女性という存在がどれくらいの人数でいることか、 統計を取った者がいないので判然としないことであるが、 この日本間造りの部屋にいたわずか七人の女性は、そのほんのわずかな一部にすぎないということである。 日本全土は言うに及ばず、海外へ在中する縄で緊縛された日本人の裸女の全員を収容できるほど、 <上昇と下降の館>の建物は大きなものではなかったことは事実であるとしても、 教育ということは、或る表現方法の実証がありさえすれば、それを伝播させることにおいてその本領のあることに違いない。 わずか七人の女性、いや、わずかひとりの女性に行われたことであっても、充分にその役目を果たし得ると言えることだろう。 くれぐれも誤解して頂いては困るのは、小夜子が容姿端麗の女性であったから<民族の予定調和>の表象となった、 ということではない、物語の主人公が容姿端麗であるのは、<起・承・転・結>まで筋立てを運んでいかなければならない上で、 容姿端麗の女性が被虐の生贄に晒されることの方が読者との絆を断ち切られないで済ませられるということに依存する。 よく見かけるポルノ映画のように、筋立ての凡庸陳腐さは、出演の容姿端麗な女優で持ちこたえていることと同じである。 実際には、<民族の予定調和>を表象する女性は、生まれたままの全裸を縄で緊縛されていることにすぎない、 おまんこを持っているということが女性の概念であれば、年齢さえも関係がないと言えることなのである。 八十歳近い老いさらばえた女性が生まれたままの全裸姿を麻縄で縛り上げられている姿、然りということである。 ただ、これから小夜子へ施される<色の道>のようなことが、肉体的に耐えられることであるかということがあるだけである。 同じことがより年少の女性に対して行われる場合も、言えることである。 つまり、おまんこがあれば、まともに歩けもしない乳児の場合でさえも<表象>は可能であるのか、と問われることである。 肉体の未発達な状態が果たして認識を獲得できる状態にあるか、これは、個人差のあることに違いないが、 当人に認識の獲得できる状態がないにもかかわらず行われるとしたら、教育ではなく、虐待とされても致し方のないことだろう。 ポルノグラフィとしての存在理由――荒唐無稽の認識を明確に持たなかった古き良き時代のポルノグラフィにおいては、 猥褻表現行為が唯一の目的であったから、幼児である肉体の未発達は、成熟した肉体よりも猥褻であると感受できるかぎり、 整合性のあることであった、だが、その整合性の根拠が<性>そのものの働きにあることがわかっている現在、 <不思議の国のアリスは、鏡でみずからを知るアリスであるほかない>ということでは、 性は奥深く神秘的で不可解なものである、という認識の前提に立っていたのでは、 それは、正反・善悪の二項対立から弁証法的に考察することと同じで、そこに考え得ないものはすべて神秘となるだけである。 世界創造の唯一神としての正反・善悪の二項対立から考え得ないものは、すべての神の謎、すべての神の神秘なのである。 であれば、<わたしたちが知りえない事物については沈黙しなければならない>のは当然のことである。 「大丈夫ですわ、新しい作者さん…… そのように大切なものを反り上げて、息巻いておっしゃて頂かなくても…… 人類生存の最大の難敵は、整合性的にものを考えようとする概念的思考のありようにある、 すべてはそこから生ずる謎であり、答えであり、相反であり、矛盾であり、荒唐無稽であるということである、 折り合いを付ける、辻褄を合わせる、収拾を付ける、整合性を成す、という無理が無理を作り出すことにある、 というお考え、<現在>を未来と過去を繋ぐ過渡期と感じておられる方であれば、誰でも、ご存知のことですもの。 先ほども申し上げましたように、ここは、男性の方にはご遠慮なさって頂きたいのです。 男性の方は、反り上げる思いの丈があからさまなだけに、ひとり突っ走ってしまわれる傾向がおありなのですわ。 それでは、女性が女性を高ぶらせる歩みとは、ちぐはぐになってしまうだけですの。 お願いですわ、しばらくの間、来賓の読者の方とおとなしくご覧になっていては頂けませんでしょうか。 大丈夫です、小夜子さんは、二十七歳という溌剌とした身体をお持ちの方です、それにとても美しくて……」 朱色の艶めかしい夜具へ仰臥している小夜子を三人の般若の女たちはしげしげと眺めるのだった。 底まで冴え渡るような雪白の柔肌は、眼にしみいるような麗しい輝きを放って、女の匂い立つ芳香をかもし出せている。 波打つ艶やかな黒髪は美麗なうねりを示して、両眼の大きな鼻筋の可憐な唇の形の美しい清楚な顔立ちを引き立たせている。 ほっそりとした首筋から胸もとへ、或いは、両肩へ流れていくなよやかな線は、 ふっくらと盛り上がったふたつの乳房を壊れるばかりの柔和さであらわし、桃色をした乳首の愛らしさを際立たせている。 その胸からなめらかな腹部へかけて、腰付きをあらわす曲線の優美で艶めかしいさまは、壮麗とも言えるのだった。 いまは、貞淑をあらわすようにぴったりと閉じ合わされた、柔和な乳色をかもし出せる太腿の美麗さは、 その付け根に優雅に膨らませた、明美夫人によって覆い隠すべき羞恥の恥毛を見事に剃り上げられている女の小丘を、 これ見よがしに、女の割れめというものの切れ込みの深遠さと神秘さを漂わせることにあずかっているのだった。 さらに、両脚のしなやかに伸びた白さが華奢な足首や足先にまで及んで、女の肉体の艶麗さを誇示しているのであった。 この世の中で、いつまで見つめ続けていても見飽きない美しさがあるとすれば、 それは女性の全裸をおいてほかにない、と言うことができるのは、男性の特権であることに違いないことであろうが、 同じことを女性が女性を賛美しても、まったく不思議のないありようだったのである。 「美しい小夜子さん、それでは、ますます、美しく輝ける女性となって頂きますわ……」 <礼、節、法の三位一体>は、艶のある麗しく輝かしい声音でそう言うと、 艶のある麗しく輝かしい肉体をあらわとさせて横たわっている女へまとわりついていくのだった。 「何を、何をなされるの?」 壮麗で華麗で優雅で艶麗な生まれたままの全裸にあった女は、戸惑いと不安を感じてか、震える声音で尋ねていた。 女は、麻縄で後ろ手に縛られていたのであり、美しい乳房を突き出すようにされて胸縄を掛けられていたのであったから、 されるがままになることを甘受する以外には、あらがうといっても、大して文学的でない言語しかなかった。 「大丈夫です、安心して…… あなたに気持ちのよい思いを感じて頂いて、その上に、認識にもあずかろうとすることですから、嫌がる所以もないことですわ。 ただ、女性から成されることで、そのようなことは絶対に嫌だと忌避される方には、少々の痛みを伴いますけれど、 それであっても、男性の一方的な思い入れだけの愛欲の場合も似たようなところがあるわけですから、 大した違いのないことではないかしら……」 恐ろしい般若の面を着けた節子のほっそりとした指先が小夜子の綺麗な形をした唇へ触れてきた。 唇の輪郭と起伏にそって、優しく柔らかくそっと秘めやかに撫でられていく、ぐるぐるぐると終わりのない環が描かれるように……。 そのくすぐったい感触を感受させられるままになっていると、いつしか、唇が甘く痺れたような感じになってきて、 まるで、同じ唇でも、割れめの奥にある幾重にも折り重なっている唇をじかに撫でられているような錯覚さえ覚えさせるのだった。 小夜子は、思わず、縄で緊縛された裸身の腰付きをもどかしそうにうごめかせるのだった。 「感じられてきたようですわね……では…… 礼は、社会の秩序を保ち、他人との交際をまっとうするために、人として行うべき作法のことですから、乳房をお世話します。 節は、言行などが度を超さず、適度としてあるふるまいのことですから、唇をお世話します。 法は、物事に秩序を与えているもの、法則、真理、根本的な規範のことですから、股間をお世話します。 礼・節・法の三位は、群棲している人間を文明化させるために欠くことのできない一体を意味していることです。 欠くことのできないこの一体においては、人知を超越する神の存在というものを必要としないで、 同種も異種も関わりなく性行為を行う人間存在にある荒唐無稽を囲い込むことができるものとしてあります。 動物としての人間は、種の保存と維持を目的に生殖し繁殖するために、交接が快感であることを条件とされました。 正しくは、ひとりで行うことで得られる快感でもあるわけですから、交接が目的とされる快感と言えることになります。 雌と雄、女性と男性、性の快感がこの両者を結び付けるという<実在することの絆>であるわけです。 その最高潮・オーガズムは、人間が動物として、種の保存と維持に欠くことのできないものとしてあるということです。 直立歩行や手の使用や言語の発達以前に、性のオーガズムの認識が人間にあったからこそ、 その後の進化があったと言えることです。 実在することの苦痛や喜怒哀楽を乗り越えさせる性の快感、 オーガズムの喜びは、世界を円満具足とした理想的なものとして感受させるからです。 そこには、どうしたらよいかという謎に対してさえ、 発動して昇りつめれば、必然的に答えの出るという整合性が示されているからです。 直立歩行や手の使用や言語を発達させ始めた人間にとって、 現実の生活で未知・不明・謎という意識状態を実用化するためには、整合性を求める思考はなくてはならないものだったのです。 また、人間がほかの動物と異なり、発情期の周期性ということから脱していったことも、 人類という同種ばかりでなく、異種の動物とさえ交接する獣姦を行うことを可能にさせたことも、 性のオーガズムを思考の根拠に置くことができたからです。 人間の行う概念的思考というのは、性のオーガズムの整合性が根拠とならなければ、展開されることにはならなかったのです。 何故なら、その概念的思考が言語によるということが、概念的思考そのものを独立させて考えられるようにさせ、 動物性にあることに依存することなく、それができることこそが人間であることのあかしとして、 整合性の論証である形而上学的思考というものを発達させたからです。 それは、人間がほかの動物とは決定的に異なるものであり、 地上に共存して生きる動物にあって、唯一の地上の支配者となる自尊心にまで進展させることを可能にさせたものでした。 つまり、ここは、われわれ人類の地球であって、人間以外のものは、すべて間借りさせてやっているものであるから、 居住環境がどのように創造されようと破壊されようと、家主である人類の行うことにほかからの文句は言わせないということです。 また、いまのところは、意思疎通する言語で文句を言う生き物はあらわれてこないということです。 現実の現象というのは、言語による概念的思考が求める以上に、整合性というものがあることを教えます。 りんごが木から落ちるのは、どのように考えても、実った果実はいずれは地上へ落下することをあらわしているのです。 ですから、現実の現象をより快適なものとしようとすればするだけ、事物の整合性は最大最高の問題となってくるわけです。 人間が太古のいざなみ・いざなぎや楽園のイヴ・アダムのような生活に満足したままでいたとしたら、 現実の現象などほとんど問題とならず、イヴも自然に落ちるべきりんごをもぎ取ってかじるようなことはなく、 事物の整合性が宗教と科学へ至るまでに展開する所以はなかったということです。 その宗教と科学へ至らせた人間の言語による概念的思考というものが整合性の機能として、 性のオーガズムに根拠を置いているということは、人類の創始以来の不変の事柄であり、人類の繁殖ということなのです。 森羅万象が原始的に混沌としていようが、秩序ある世界を求めて矛盾と相反を克服しようと殺戮を繰り返していようが、 そのなかで種の保存と維持を脈々と行うということにおいては、どのような動物にとっても同じことです。 種の保存と維持ができなければ、種として絶滅していくだけのことだからです。 人間は、事物の整合性という認識を言語による概念的思考で行う、いまのところ、この地球における唯一の動物です。 その人類という種が、いま、この地球から絶滅したとしたら、いったい、異種のどの動物が愛惜の念を抱くことでしょうか、 残された膨大な言語による概念的思考の成果をどのように利用するというのでしょうか。 整合性を求める言語による概念的思考というのは、答えのない謎を解き明かしていることです。 概念的思考自体は、運動であり、機能であるわけですから、考え出される謎は作り出された謎でしかない、ということです。 従って、初めからそうした謎を持たない異種の動物には、その答えとされているものは、まったく意味を成さないということです。 残された膨大な言語による概念的思考の成果など、あるだけ余計もの、邪魔くさい異物ということにすぎないでしょう。 しかし、それらは望まれる必要があったから、人間が創造し続けてきたものなのです。 整合性の所以に基づいて、これからも創造し破壊し続けられていくものなのです、作り出される謎には答えがないように。 終末のない創造と破壊を種としての消滅があるまで行い続けていくということでは、 <環>という閉じた永遠にあることなのです……。 如何ですか、小夜子さん? 唇への愛撫、気持ちよくなっていらっしゃいました?」 優しい指先で環を描くように執拗に撫でまわされ、 両眼を閉じ合わせてうっとりとなった表情を浮かべていた小夜子は、 返答する言葉もままならず、ただ、小さくうなずいて見せるばかりだった。 それにしても、どうして、唇を丁寧に撫でられていることが女の花びらを触られていることを錯覚させるのだろう。 礼子・節子・法子が艶のある麗しく輝かしい声音を和声させて語りかけてくる事柄は、 いま、感じさせられている快さがこみ上げさせる思いに比べて、まるでちぐはぐな難しさを感じさせるだけのものでしかなかった。 聞いていることがまどろこしく感じる思考と掻き立てられる甘美な疼きの触覚は、相反・矛盾するようなものでしかなかったのだ。 しかも、節子のほっそりとした指先は、時折、唇の端から口中へもぐり込もうとするような戯れさえ見せていた。 そのようにされると、小夜子は、さらに甘美な疼きを意識させられて、語りかけられることなど聞きたくないという思いが募り、 もっと快い感じの方を煽り立ててもらいたいと願望するようになるのだった。 その願望は、縄で緊縛された雪白の裸身を悩ましそうに悶えさせることで、だれの眼にも明らかなことに映るのだった。 やがて、礼子のほっそりとした両手がふたつのふっくらとした乳房へ触れてきたとき、 小夜子は、待ち受けていたとばかりに、上下へ掛けられた縄で突き出させられている胸をせり出すようにさえするのだった。 礼子の双方の指先は、それぞれの乳暈の縁から、環を描くように、ねっとりと舐めまわすような感じで撫でていき、 やがて、円周をすぼめていきながら、愛らしく立ち上がった桃色の乳首の根元を愛撫し続けていた。 その感触は、まるで、実際に舌先を押し当てられて行われているような、柔らかでしなやかで熱いものがあり、 時折、乳首の先端へ這い登ってつままれたりすると、刺し抜かれるような疼きの快感を意識させられるものだった。 「ああ〜」 小夜子が思わずやるせないうめき声を上げると、 節子の指先は、それ以上の言葉を禁じるかのように口中へともぐり込んできて、 甘く柔らかな舌先をつまんで見せるようなことをするのだった。 だが、そうされることは、掻き立てられた官能を煽り立てられるようなことで、 言葉を発せられない口の代わりには、やるせなさそうな甘美な身悶えでもってあらわすほかないことだった。 その緊縛された上半身の悩ましいうねりくねりは、礼子の指先にひときわの熱心さを持って、乳首を揉み上げることをさせたから、 それまでは、意地を示すくらいに揃えらえていた両脚であり、貞淑をあらわすようにぴったりと閉ざされていた太腿だったが、 力を失わせられたように開き加減となっていくばかりだった。 そこへ、法子のほっそりとした指先が触れていくことは、余りにも容易なことだったのである。 むしろ、女はそれを望んでいるとでも言うように、 ふっくらと愛らしく盛り上がった柔和な丘は、覆い隠される恥毛もなく、生々しい割れめをありありとのぞかせているのだった。 法子の指先は、のぞいている割れめの下の方から優しくなぞりながら、肉の合わせめの方まで登って行くと再び下りて、 謎めいた麗しさの亀裂を囲む環を描くように、上下を行き来する愛撫を始めた。 三人の女の指先は、鋭敏な女の三箇所において、女の肉体へ<環>を印象付ける愛撫を繰り返していたことになるが、 法子の熱心な愛撫も、時折、割れめのなかへ指先をもぐり込ませる戯れを怠ることはなかった。 「む〜む、む〜む」 小夜子は、声にならない悩ましい声音を上げていたが、 唇、乳房、割れめから掻き立てられる官能にどんどん浸らされていくと、開き加減であった太腿はさらに開かれて、 もっとして欲しいと言うように、女をあらわす濃密な唇もわずかずつ開いていくのであった。 しかし、法子の指先は、小丘にのぞかせる割れめを愛撫するだけで、奥へと向かうようなことはしなかった。 そのようにして焦らされるように、官能を煽り立てられていく小夜子だったが、 高まる快感と同時に、もどかしさも激しく募ってくるのだった。 「如何かしら、小夜子さん? 気持ちの良い思いになられましたか? それとも……とても、とても、もどかしいのかしら? でも、申し上げましたでしょう、性のオーガズムは、簡単には果たし得ないことです。 もどかしいのでしたら、あなたが望むような想像であなた自身を創造なされたら、よろしいのです。 もどかしさを克服するあなたを創造なされたらよろしいのです……」 <礼、節、法の三位一体>は、熱心で執拗な愛撫の指先を休めることなく、艶のある麗しく輝かしい声音でそう言うのだった。 小夜子は、大きな眼を開いて、三人の般若を見比べるように見つめたが、見つめているだけで答えが出るものではなかった。 般若は同じ顔付きをあらわしながら三様の異なる姿態をあらわにしていたが、女の身体に違いはなかったのだ。 生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられている女は、両眼を閉じて、懸命に考え始めようとするのだった。 だが、掻き立てられる官能の快感は、考えることを容易にさせてくれるものではなかった。 その快感には、明確で厳然とした整合性が予感されていて、その前で行う思考など脆弱なものとしか感じられなかったのだ。 いや、強靭な思想を歴史的に作り上げてきた男性の方でしたら、そのような脆弱な思いになどならなかったことでしょう…… 性的官能の臭いなどまるでしない形而上学的思考を得意とされる男性であれば、きっと、強い意思をお持ちですもの…… でも、私は女、しかも、頭も普通のどこにでもいる普通の女…… 掻き立てられ、煽り立てられた官能ならば、最後まで行き着きたい…… 行き着けないのは、もどかしい……やるせないくらい、切ないくらい、哀しいくらい、もどかしいことなのです…… みずからが望むような想像で自分自身を創造することが答えになると言われたって…… どのようにすればよいのか、わからない…… ただ、快い官能に導かれるまま、性のオーガズムまで行き着きたい、昇りつめいたい、それしか考えられないのです…… しかし、それができない、させてくれない…… 焦らされているように、意地悪されているように、弄ばれているように、まるで、官能の喜びを逆撫でされているように…… あ〜あ、どうしたらいいの……このもどかしさを…… あのとき、偏屈爺さんから、生まれたままの姿を縄で縛られて、床の間の柱へくくり付けられたときと同じ…… 女の割れめの肉が恥ずかしく盛り上がるくらいに深々ともぐり込まされた縄で、責め続けられた…… でも、行き着けなかった…… 今度だって、できないわ…… 身体の敏感な箇所をいくら執拗に愛撫されたからといって、肝腎の箇所はお預けですもの…… そんなのないわよ……まるで、もどかしさの拷問だわ…… もどかしさの拷問? そう言えば、このもどかしさ…… 考えてみると…… そもそも、私が持て余していたことではないかしら…… 恋に溺れながら 私の愛は乾いていく 高ぶるほど空虚 充たされるほど孤独 そういう素敵なキャッチ・コピーに惹かれて買い求めた小説だったけれど、どうして、読むまでに至らなかったことなのかしら? どうして、勝手気ままに空想なんかに耽ることを始めてしまったのかしら? 小説がおもしろくなかったから……とんでもない、読んでもいない物語をどうしておもしろくないなどと言えるのかしら? そう、私は、自分では小説なんか書けるわけではないから、せめて、空想に耽ることをしてみたかっただけ…… それなのに、このようなことになるなんて…… まるで、でたらめだわ…… でも、でたらめであっても、もどかしさの実感だけは、はっきりとある…… 小夜子は、そう思いながら…… 購入したばかりの本の帯紙から眼を離すと、こわれものでも置くような丁重さでテーブルの上へ置いた。 居間のステレオ装置に鳴り響いていたエドガー・ヴァレーズの「アイオニゼーション(電離)」も終止音を迎えるところだった。 時間にして六分弱の楽曲であったから、空想に耽っていたとしても、せいぜい、そのくらいの時間であったのだろう。 だが、もどかしさから始めた空想であったが、解放されて晴々となるどころか、 自宅の居間にくつろいでいる自分は、ますます、抑えきれないくらいのもどかしさを感じているのであった。 まるで、唇と乳房と女の割れめを同時に愛撫されて、官能を煽り立てられているような、それでいて、行き着けないような……。 そこで、小夜子は、思い立ったように、外出する装いにさっさと着替えようとするのだった。 夫婦の寝室へ入り、着物に着替えるために、 身に着けているすべてのものを素早く脱ぎ去って、生まれたままの全裸の姿をさらけ出すのであった。 瞳の大きな美しい顔立ちにウェーブのかかった柔らかな黒髪は、はっとさせられるほどの魅力があったが、 ほっそりとした首筋から両肩へ撫で下りた優しい線、大きくもなく小さくもなくふっくらと隆起したふたつの白い乳房は、 ピンク色をした可憐な感じの乳首を光らせ、それにまなざしを奪われていても飽きがこないほどの優美さであったが、 その下にのぞく綺麗な形をした臍のくぼみが悩ましい色気を放つ腰付きの方へと否応なく注意を向けさせる裸身であった。 この世の中で、いつまで見つめ続けていても見飽きない美しさがあるとすれば、 それは女性の全裸をおいてほかにない、と言うことができるのは、男性の特権であることに違いないことであろうが、 同じことを女性が女性を賛美しても、まったく不思議のないありようだったのである。 従って、世の常として、このような美しい姿態を持った美貌の人妻という存在に、 羨望、嫉妬、恨み、或いは、憎悪を抱くような者がいたとしても、これもまた、不思議のないありようと言えることだった。 ましてや、小夜子は、頭も普通のどこにでもいる普通の女ではなかった、大富豪の妻という地位も家柄も教養も高い身上だった。 従って、小夜子が全裸という無防備な姿になる機会をひそかに待ち構えていた者がいたとしても、まったく不思議はなかった。 生まれたままの全裸という逃げ出すことのできない状態で囚われの身とすること、これは一挙両得のことだったのである。 ただ、主人不在でも、家人のいる屋敷で白昼堂々と成されるには、幾つかの条件が満たされなければならないのは当然だが、 ここは大富豪の屋敷であった、その広大な敷地と建物は、<上昇と下降の館>と呼ばれているような建物の比ではなかったから、 ちょうど、六十階上空の部屋で行われていることを一階の玄関で察知するようなものであったのだ。 喩えれば、この屋敷に運転手として雇われていた岩手伊作という者が、夫婦の寝室で全裸になった夫人の前へ突然あらわれ、 悲鳴を上げて抵抗をあらわす夫人へ吸入用麻酔剤を嗅がせて、意識を失った夫人に猿轡をかませて麻縄で縛り上げた後、 前屈みに折り畳ませて大きなトランクに入れ、筋肉隆々とした無骨な顔付きの相棒と一緒に庭にある黒塗りの大型車まで運び、 その様子を見て興味を抱いた女使用人の礼子から尋ねられても、ご主人様のご用で某所へ運ぶところですと答えただけで、 車が走り去って豪壮な門が閉じられた後は、何事もなかったようなもとの平穏さそのものであった、という具合である。 つまり、そのように実行されたのであった。 岩手伊作と相棒は、トランクと引き換えに、ひとり四百万円ずつを報酬として受け取り、東南アジアへ高飛びした。 岩手伊作とその相棒を使った仕事請負人の権田孫兵衛は、依頼主から千四百万円を手に入れて、約束通りに物を手渡した。 依頼主は首謀者ではなかったので、依頼主の冴内も指示通りにトランクを所定の場所まで運び入れ、六百万円を手にして消えた。 この最後に運び込まれた場所というのは、実は、夫人の連れ去られた屋敷の片隅にある、使用されていない地下室であった。 屋敷内への搬入を手引きしたのは、女使用人の礼子だったが、彼女は誘拐報酬を一銭も得ていなかった。 その使用されていない地下室というのは、内装を新しくするために五百万円が費やされていたから、 夫人の誘拐には、飲食代・ガソリン代等の諸経費は除いても、二千五百万円は掛かっていた計算になる。 だが、このいきさつ……文字通り受け取るというには、少々不可解な点があるように見受けられる。 まず、夫婦の寝室から未使用の地下室という同じ屋敷内において物を移動するのであれば、直接運び込めばよいことである。 わざわざ二千万円もの大金を費やし、素性の怪しい人物を複数介在させて、時間を掛けて行うことは合理的ではない。 どうして、そのようなことをしたのか。 また、地下室の内装を新たにすることは、すでにそのような作業が行われれば、当然、屋敷内にいる者の注意を引くことになる。 第一に、小夜子の夫である屋敷の主人が自分の知らないような家の改築が行われている事実を知れば、怒ることでさえある。 それがどうして可能であったのか、だれがその改築をさせたのか。 女使用人の礼子は、手引きが屋敷内の仕事であり、給与をもらっている範囲であったと言え、誘拐報酬を受け取らなかった。 これはどうしてなのか。 容姿端麗の人妻が全裸を緊縛されて誘拐されたという、エロティックで興味をそそる犯罪小説にはありそうな状況であるが、 この謎解きの最も単純な解決は、首謀者は屋敷の主人であって、妻への愛欲のお遊びに大枚を支払ったということであろう。 何とも馬鹿々しいか荒唐無稽なことであるが、金持ちの金遣いは、貧乏人の遥かに及ばない想像力で成されるということである。 だが、この場合はそうではなかった。 家人は、夫人は着替えるために夫婦の寝室へ入ったのだから、内緒で出掛ける用事でもあって外出したものだと思っていた。 それが失踪であると気づいたのは、夕刻になって、主人が帰宅してから明らかとなったことだった。 二十歳も年齢の違う若く美しい妻を主人は溺愛していたから、思い当たる場所へことごとく尋ねてまわった挙句、 行方不明であるという事実と向き合わされたとき、気が違ってしまったのではないかと思われるほどの錯乱状態に陥ってしまった。 それと言うのも、最後にいたと思われる夫婦の寝室には、脱ぎ捨てられたままの衣服と下着が床へ散乱していた。 愛する妻は生まれたままの全裸で失踪した、その愛らしいブラジャーと小さなショーツは、まさしく、そう語っているようだった。 溺愛する妻の美しい裸の身体が見知らぬ下卑た男たちによっておもちゃにされていることを想像すると、 主人は、まったく生きた心地がしなかったのだった。 だが、大きなトランクが夫婦の寝室から運ばれて車に乗せられ屋敷を出ていったことは、だれからも報告されなかった。 家人でそれを目撃した者は実際にいたのだが、礼子がご主人様のご用であると納得のいく説明をしていたからだった。 地下室へ大きなトランクが運ばれたことについても、目撃した家人は当然いたが、報告に値しないことだと判断されていた。 その搬入が不審な様子ではなかったことは、すでに地下室へは内装のためにさまざまな機材が運び込まれていたからで、 指揮をとっていたのは、屋敷内で最も信用のおける人物とされていた、社会の秩序を保ち、他人との交際をまっとうするために、 人として行うべき作法を体現しているような、これまた、礼子だったからだった。 この大きなトランクの搬出と搬入の事実報告が遅れたことが、後の警察と名探偵・鵜里基秀の推理をも遅らせたことになるが、 錯乱している主人と一緒になって混乱している家人には、まだ、想像も及ばないような事柄だったのである。 事件の鍵を握るのは、礼子だった、その礼子が主人錯乱・家人混乱の居間の場にはいなかったのである。 だが、主人は言うに及ばず、家人も、そのことを不思議なことだとは思わなかった。 それは、主人の妹である明美も、その場にいなかったからである。 礼子は、明美のお付の使用人であったから、ふたりの姿がその場になかったとしても、不思議ではなかった。 主人と明美は、建前こそは何事もない兄妹を振る舞っていたが、本音は仲の良くない間柄であったのだ。 兄へ降りかかった災難を同情の言葉ひとつは掛けても、火の粉を落としてやる心遣いは、明美にはまったくなかったのである。 兄の嫁がいなくなったと聞かされてあらわれた後、すぐさま、その場から立ち去ってしまっていたのだ。 では、明美と礼子は、そのとき、何処にいたのであろう……。 屋敷の片隅にある内装も真新しい地下室にいたのである。 小夜子夫人が生まれたままの全裸を縄で縛り上げられて、囚われの身となっていた地下室にである……。 その地下室がどのようなものであるか、入ってみなければわからないので、なかへ入ってみよう。 天井は高かったが、暗闇が全体を支配しているなかで、要所・要所だけが強烈な光に浮かび上がっていた。 その印象は、恐らく、老若男女を問わずに、だれがその場に立っても、同じ感慨を抱かせる造りのものであった。 同じ感慨とは、背筋へ冷たいものが流れるようなぞっとさせられる忌まわしさである。 処刑部屋や拷問部屋といった類のそれである。 どうして、人間はこのような場所を考え出し、作り上げ、行うことをしたのか…… やむにやまれぬ、陰惨とした寂寥をこみ上げさせられるものである。 中央には堂々とした十字架の磔柱が無慈悲に立てられてあり、隅には木製の格子が組み合わされた冷酷な牢舎があり、 その横には三角木馬が非情な背を尖らせて置かれ、天井の太い梁の滑車からは麻縄が不気味に垂れ下がっていた、 金に任せて収集したと思われる、博物館さながらの残虐な責め道具や淫猥な性愛の小道具の数々が壁に掛けられ、 虐待には欠くことのできない麻縄の束がごっそりと並べられてあるのだった。 そのような特殊品の愛好者でもない限りは、眼をそむけたくなるような、いたたまれなくなる雰囲気であったが、 吸入用麻酔剤を嗅がされて眠らされていた小夜子には、まだ、見ることも、退出することもできない部屋でしかなかった。 もっとも、退出の点については、部屋の片側に置かれた木製の大きなベッドの上に、 生まれたままの優美な全裸を後ろ手に縛られ、美しい乳房を突き出させられるような胸縄を掛けられ、 仰臥させられた姿態のしなやかで艶めかしい両脚を大きく割り開かれて、華奢な両足首をベッドの支柱へ繋がれていたから、 望んでもすぐにはかなえられることではなかったであろう。 「それにしても、綺麗な身体をしているわね、顔立ちばかりではないのね…… 兄が溺愛するのも無理はないわ……」 ベッドの片側に立って、食い入るように見つめていた明美がつぶやいた。 「でも、どのように美しい顔立ちや身体付きをしているからといって、 全裸を縄で縛り上げられて、女の羞恥をすべてさらけ出されてしまうようなあられもない格好にさせられては、 美しさも羞恥と恥辱の陰に隠れて、女としては、ただ、情けなく浅ましいというだけでしょう…… ああ、そろそろ、気がつくのじゃありませんか」 隣に立つ礼子が小夜子の顔をのぞき込むようにして言うのだった。 羞恥と恥辱の見せしめであると侮蔑された女は、ううん、とむずかるような身悶えを緊縛の裸身へひとつすると、 大きな両眼をゆっくりと開きながら、美しいまなざしをだれに向けるともなく投げかけるのだった。 小夜子の向けたまなざしの方には、ふたりの女性の姿があったが、彼女はその見知らぬ女性にきょとんとするばかりだった。 ましてや、身体の違和感から、胸もとより下半身へ向かってまなざしを落とすと、信じられない光景が飛び込んでくるのだった。 小夜子は、もう、驚愕の余り、大きな両眼をさらに見開いて、状況を把握しようと懸命になるばかりだった。 「小夜子さん、驚くことなんか、少しもないわ…… こちらのおふたりは、私の大の親友の節子さんと法子さん…… あなたにとっては、初対面の方なのですから、挨拶くらいは、なさってはくださらないかしら……」 聞き覚えのある声のする方へ顔立ちを向けた小夜子だったが、驚愕は狼狽に変わる襲撃を与えるものだった。 主人の妹の明美と使用人の礼子が真剣な表情を浮かべて、そこに立っているのだった。 どうして? その疑問に対しては、夫婦の寝室で全裸になったとき、突然、運転手の岩手伊作に抱きつかれたことが思い出されるのだった。 だが、それからは覚えていない、どうして? 「どうして、挨拶をなさらないの…… 失礼だわ、せっかく、あなたのために来て頂いているというのに…… それとも、あなたには、礼節法ということがわからないのかしら…… それでは、いくら綺麗な女性だとほめそやされても、品位がないということと同じですわね…… もっとも、そのようなあられもない格好を平然と人前へさらけ出せる方が、 礼節法だの、品位など、関係はないかもしれませんわね……」 揶揄の含まれた言葉だったが、小夜子には、うろたえる思いのまま、相手を見返すということしかできなかった。 驚愕と狼狽に翻弄されて緊縛された裸身を震わせながら、可哀想なくらいに蒼ざめた表情となっている相手に対して、 明美の言葉遣いは、その顔立ちと同じくらいに真剣さを帯びているものだった。 「どうして、そのような状況になっているのか、いまのあなたの混乱した頭では収拾がつかないということなのね。 いいわ、わかりやすく説明して差し上げますから、よくお聞きなさい…… あなたは、あさってが何の日か、ご存知かしら、そう、知らないはずはないわね、あなたの大切な旦那様の誕生日ですものね。 私がその贈り物として、何を兄に差し上げるかはご存知かしら、そう、地下室を改装したミニ・シアターですわ。 つまり、いま、あなたがいるこの部屋がそれということですわ。 あなたは、眼の端々に見つめまわして、ここはそのようなミニ・シアターなどではない、とお思いなっているかもしれません。 映画好きの兄が大音響大画面で堪能できる部屋を妹から贈られると聞かされたときの喜びようといったら、なかったでしたわね。 私たち兄妹は、表面こそ平穏に映っているけれど、仲が良くないということは皆が気づいていることですものね。 ですから、ミニ・シアターではなく、実は、拷問部屋の贈り物…… このようなことをしたら、兄は、落胆するどころか、激怒するのではないかとお考えになるでしょう? でも、それは、あなたが兄の妻として、五年も一緒に暮らしていて、 夫のことを全然知らないということをあらわしているだけのことです。 兄は激怒するですって! いいえ、そのようなことはありません、兄にとっては、最高の贈り物となるはずです! 兄には、あなたがまったく知らない趣味がもうひとつあるからです、いや、生来の性癖と言ってもいいことです! その性癖からすれば、今度の贈り物は、生涯探しても見当たらないくらいの絶品の満足を兄に与えることになるのです。 兄は、このおぞましい部屋を見たら、心底狂喜するでしょう。 けれど、兄は、家柄があり、社会的な名声があり、資産がある身上ですから、 そのような性癖があることを決してあからさまにするようなことはしません…… 十代の頃、兄が持て余した性癖のはけ口を私に求めてきて、私は死ぬほど嫌な思いを感じながら全裸にされ、 麻縄でさまざまな姿態に縛り上げられ、女の羞恥という箇所をことごとくさらけ出され、その全裸の緊縛姿のまま、 性の喜びの絶頂まで至らせられて、ついには、飽きられて捨てられたようなことは、あからさまにしないのです! もちろん、交接にまで及ぶようなことはありませんでした、兄もそこは抜け目がなかったのです。 けれど、私が孕まされた羞恥と屈辱と嫌悪は、膨れ上がった末に、憎悪を生まさせたのです。 私は、生まれたままの全裸にされて縄で縛り上げられて、責められることをされなければ、喜びのない女となったのです! このような身体に作られてしまった女に、社会で胸を張って生きていく自信など、おありになると思います? いくら資産や家柄があっても、普通の性愛では不感症な女を普通の立派な男性は、異常としか見ないのです。 私は、身分相応の相手と言われて晴れやかな結婚をしましたが、結局、一年で出戻ってきて、兄のもとにいるということです。 私は、もはや、男性というものに対して、恐れを抱くことしかできません、信頼を寄せることもできません。 信じられるのは、女性しかありません! 私は、兄に対して、ずっと憎悪を抱き続けてきました。 そして、その性癖から、婚期を遅らせていた兄がようやくあなたと結婚することが決まったとき、 私は、あなたに対して特別な感情を抱いてはいなかった、しかし、結婚生活に入り、むつまじい日々が続いても、 兄は、決して、生まれたままの全裸にしたあなたを縄で縛ろうとしない事実を知って、私は、あなたにも憎悪を抱くようになった。 小夜子さんは、性癖の対象としないほど、兄にとっては、崇高な女性の存在であるということを示したからです! あなたは、兄が普通の交接で満足を遂げられる唯一の女性であることを示したからです! このような不条理が許されてもよいものでしょうか。 私のような女は、それでは、いったい何だと言うのでしょうか! 人間の抱く羨望、嫉妬、恨み、或いは、憎悪が働かせる力学は、 対象の相手が自分の所有していないものを所有している、この一点の事実に基づいて作用するものです。 あなたは、わたしの所有していないものを所有しているから、女として、兄からの取り扱われ方が私とは異なる。 このことは、本当にそうなのでしょうか。 生まれたままの全裸を縛られた縄の前では、男も女も平等であるということが本当のことではないのでしょうか! 私は、それをあなたにわからせたいと思っています…… どうして、あなた方夫婦の秘め事が私にわかるのか、不思議に思われますか? こちらのふたりの親友が教えてくれたことだからです。 節子さんは、幼稚園から女子大まで一緒だった幼なじみの方です、お父様の会社が経営破綻して一家は路頭に迷われた、 経営破綻の原因は、兄が会社乗っ取りを企んで株価操作をしたことによると噂されている事件でした、 彼女は、やむなく、兄のような性癖を持つ男性相手専門の娼婦に成り代わるしかなかった、 多額の借金を返済するには、その方法しかなかったからです。 そのお仕事でお知り合いになったのが法子さんです。 世の中、奇遇なものです、いや、運命と言えることなのでしょう、法子さんの常連客が兄だったのです。 あなたの愛する旦那様は、溺愛するあなたという存在がありながら、 性癖を持て余して、総額で二千万円もの大金を法子さんへ貢いで愛欲行為を続けていたのです。 しかも、堂々とした口調で、愛する妻は貞淑で純潔だなどと言ってはばからなかった、というではありませんか。 思えば、小夜子さん……あなたも可哀想な女性かもしれませんわね、このような目にあわされて…… けれど、苦労や苦痛を耐えて生き続ける可哀想な女性は、あなたひとり、ということでもありませんわね。 あなたも、これまでに随分と幸福を感じてこられたのでしょう? これからは、少々辛い思いをなさって頂いて、女の生き方を身にしみて感じられたらよろしいかと思いますわ…… あなたの誘拐は、長い時間をかけて、用意周到に考え出されたことです。 誘拐に掛かった男性の人件費の二千万円は、こうした事情の一部始終をお知りになった法子さんが用意してくれたことです。 つまり、あなたの旦那様があなたを誘拐するために資金提供したことになる、と法子さんが思い付かれたことです。 そして、生贄をいたぶるのは得意としていることだから、裁量を任せて欲しいとおっしゃられたのです。 そのベッドへ縛り付けられたあなたの姿、見事ですわ。 誘拐の仕組みは、常に私のことをいたわってくれる礼子さんのお知り合いで、冴内という作家さんに頼みました。 作家というものも、売れなくなって金に困ると何でもする点では、本当に生来の想像力をお持ちの方でありますわね。 冴内さんは、私たちさえ告白しなければ、足のつかない手順を考え、実行してくださったのです。 私たちは、この一件が無事終了したら、四人で一緒に外国で暮らす手はずになっているのです。 女の園を作る計画でいるのです、レスボス島ということかしら、もっとも、何処へ行くかは、言えないことですけれど…… 如何ですか、小夜子さん、これで、充分におわかりになりましたでしょう? 後は、兄が卒倒してしまうくらいに驚愕歓喜する生贄の供物として、兄の誕生日のあなた自身の贈り物として、 あなたが、生まれたままの全裸にされて縄で縛り上げられて、責められることをされなければ、喜びのない女となるように、 終夜をあげての徹底的な調教があるだけです…… 兄には、私から、義姉さまがびっくりするような素敵な贈り物を用意して、ミニ・シアターでずっとお待ちです、と話しますわ。 そして、兄は、誕生日の朝、この地下室の扉を期待を持って開くのです。 すると、部屋の中央に堂々とそそり立つ十字架の磔柱の特注品、<十字架に取り付けられた三角木馬>には、 生まれたままの全裸を縄で緊縛された愛する美しい妻が跨がされていて、 垂れ流した汗と涙と女の蜜で裸身を輝かせながら、 悦楽に漂わされる法悦の表情を浮かべて待っているのです!」 その最後の言葉には、供物とされると言われた女も、思わず、いやいやとかぶりを振って、怯えたまなざしを投げかけるのだった。 言葉を返そうにも、謎解きされたことは余りにも明瞭であり、みずからの身上の成り行きは想像を絶するものであったから、 相手の話は、長々しく聞くことの価値さえあったものだと感じても、不思議のないことだった。 愛する夫には、そのような性癖があったなどとは、とても信じられないことだった。 その性癖がこのように沢山のひとを巻き込んで事を起こさせるとは、 よく言えば、夫はそれだけ影響力のある人物であったことは頼もしい気がしたが、 その性癖ということが、いま自分に成されている、 女性を全裸にして縄で緊縛して愛欲行為を行うことだと考えると、複雑な気がした。 何故なら……夫は、どうして、自分に対して、直接それをしてくれなかったのだろう、という疑問が残るのであった。 二千万円もの大金をほかの女性との愛欲行為へ貢いだ還元が自分への誘拐であったとしたら、 運転手の岩手伊作に施された縄の緊縛は、主人がほかの女性を縛り続けた還元として、いまの自分にあることと同じだった。 つまり、夫が自分に対して全裸の緊縛を施した愛欲行為を行っていたら、今回の一件は起らなかったことになるのだ。 明美義妹も、自分への憎悪の動機において、明言したことである。 何故なのか……恥ずかしい姿をさらけ出して縛られていることに納得させられている場合ではないわ。 だれかれ、お構いなしに発揮されるから、性癖と言われるものではないのかしら。 選り好みをするくらいにみずからを制御できることなら、性癖などとは言えないのではないかしら。 ふたりだけの秘密、夫婦の秘め事として行われることであるならば、社会的建前など、言うのもおこがましいことではないのかしら。 何故、自分に対して行ってくれなかったのだろう……私が貞淑で純潔、崇高な女性の存在だから? それはおかしいのではなくて……貞淑で純潔、崇高な女性の存在とお互いの大切なところへ顔を埋めて舌で愛撫し合い、 奥深く差し入れ、クリトリスばかりかお尻の穴までも責めて、悩ましい泣き声を上げて喜びの痙攣をするまで、励む夫なのですよ。 性愛の絶頂を幾度も極めさせられるから、貞淑で純潔、崇高な女性の存在ということなのかしら? そんなことって! もちろん、緊縛の愛欲行為はまったくの経験がありませんから、抵抗はあります。 でも、愛する夫が求めることでしょう、私は喜んで従いますわ。 それを何故? どうして行わないのでしょう? 不可解だわ……。 「明美さん…… あなたがおっしゃった夫に関してのお話、考えてみればみるだけ、辻褄が合いませんの。 あなた、でたらめをおっしゃているのではなくて。 十代の頃、夫から無理やりされた緊縛の愛欲行為ということも、でたらめ…… 全裸を縄で縛られなければ愛欲の喜びを感じられない身体にされてしまったということも、でたらめ…… お友達の節子さんの成り行きも、でたらめ…… 夫が大金を貢いだ法子さんとの関係ということも、でたらめ…… そうではありませんこと。 本当は、あなたは女性だけしか愛せないから、離婚して出戻っていらっしゃたということではなくて。 それにしても…… 二千万円もの無駄な大金を男性へ支払い、このような部屋まで作らせたのは、いったい、何のため…… ああ、ああ…… まさか、まさか、本当に、本当にそうですの……明美さん!」 小夜子は、雪白に輝く緊縛された裸身を抑えきれないというように身悶えさせて、相手へ迫っていた。 明美は、こわばった表情にうっすらとした笑みを浮かべながら、真剣な声音で答えるのだった。 「あなたのおっしゃる通りですわ、小夜子さん…… 私のでたらめな話をよく見破れましたわね、お見事ですわ…… さすがは、私に尊敬を抱かせる聡明な小夜子さん……私がこの世で最も愛する美しい方…… 私は、あんな男にあなたを好き勝手にさせておくことは、もう我慢がならないのです。 この世界で最もあなたを愛しているのは、あんなちんけな男ではなくて、女の私であるということを知って欲しいのです。 私はあなたを心から愛しています、そう、ご推察される通り、二千万円はあなた私用の預金通帳の残高…… これからの愛の生活に、あなたに個人資産などまったく必要ありませんから、くだらない男たちへくれてやったのです。 あなたの真の夫は、私なのです、私があなたの身上と生活と夫婦であることの秘め事を守ります。 私の心からの愛、それがなければ、どうして、このような手の込んだ真似をする必要があったでしょうか。 この部屋は、あなたと私が婚姻を結ぶために作りました、婚姻の用が済めば、あのちんけな男に置き土産にくれやります。 あの男は、あなたが失踪したことに不可思議を、このような拷問部屋があることに不可解を感じて、一生謎を追っていくのです。 生涯かけて追い求めることのできるような人生の深い謎を与えた私に、あの男は感謝すべきであるくらいですわ。 引っ込み思案だった私をいつも馬鹿にして、女性しか愛せない私を異常者扱いして、虐げてきた報いですわ。 ここに、私の愛するお友だちを介添え人としてお呼びしてあります。 今宵行われる、あなたと私の婚姻を見届けてくださる方々です……」 紹介された節子と法子は、それぞれ左右から、ベッドへ仰臥させられている小夜子の裸身へまとわりついていくと、 大股開きに双方の足首を繋いでいた縄を解き、身体を優しく起こさせて、ベッドから立ち上がらせようとするのだった。 「あなたと結婚! そ、そのようなこと、勝手に決められては困ります! 私は、純然たる夫のある身です! 私は、私は、そのようなことは、いやですっ!」 小夜子は、懸命にあらがう言葉を口にして身を振り解こうとしたが、 縄でがっちりと緊縛されている姿態では、ふたり掛りで行われていくことから逃れることはできなかった。 小夜子の柔らかに波打つ美しい黒髪の上には、花嫁の純潔を輝かせる初々しい純白のヴェールが被せられていったが、 その間に、明美は、礼子に付き添われて、身に着けていたものをすべて脱ぎ去り、生まれたままの全裸になっていくのであった。 それから、小夜子が施されているのと同様に、麻縄で後ろ手に縛られ、綺麗な乳房の上下へ胸縄を掛けられるのだった。 <美麗後手胸縄縛り婚姻化粧>とされた女性がふたり、全裸の女性の匂い立つ色香を漂わせて並ぶように立たされていたが、 新郎とされている女は、恥ずかしそうにしながらも、顔をもたげて緊縛された裸身を堂々とさせていたのに対して、 新婦の女は、緊縛された裸身をよじり気味にして、純白のヴェールが覆い隠すように顔を俯かせていた、その様子はまるで、 処女の恥じらいをあらわすかのように初々しかったが、当人にとっては、<嫌っ!>を示す精一杯の表現だったのだ。 新郎の縄尻を取った節子、新婦の縄尻を取った法子がその背後へ立つと、 前へまわった礼子は、晴れのふたりを見比べて、厳粛な口調で述べるのだった。 「おふたりが永遠の愛の絆で結ばれていることをあらわすために…… おふたりを繋がせる愛の縄をお掛け致します……」 手にしていたふた筋とした麻縄を新郎の艶めかしい腰付きへおもむろに巻き付けると、臍のあたりで一度結び、 それを縦へ下ろして、あだっぽい恥毛に隠された女の割れめへと一気にもぐらせていくのだった、それから、 悩ましい尻の亀裂から這い上がらせた縄をしっかりと食い込ませたこと確認するように引っ張ると、背後の腰縄へと繋ぐのだった、 その残る縄を今度は新婦の優美な腰付きへ持っていき、美しいくびれを際立たせるように巻き付けて臍のあたりで一度結ぶと、 匂い立つように美麗な恥毛の奥にひそんだ女の割れめへともぐらせ、尻の艶麗な亀裂から這い上がらせた縄を幾度も引いて、 しっかりと食い込んだことが確かめられると縄留めされた、一本の縄がふたりの女の股間を繋いだありさまが作られたのだった。 <新郎新婦永遠の愛の絆縛り>という儀式用の名称があるものだった。 「ああ、いやっ、いやです、このようなこと! やめに、やめにしてください!」 強引に行われていくことを耐えていた小夜子だったが、股間へ締め上がってくる縄の感触に思わず叫ぶのだった。 生まれて初めて全裸姿を縄で緊縛された驚愕と狼狽だった。 それも時間が経てば薄らいでいき、羞恥と屈辱の思いが如実にあらわれてきた。 だが、女の最も恥ずかしい箇所へ掛けられた縄は、さらに別の思いが隠れていたことを際立たせるものだったのだ。 腰付きをよじらせて、その突き上げられるような思いから逃れようとするのだったが、 相手と繋がっている縄はぴんと張ることで、かえって張力を増し、いっそう割れめへと食い込んでいき、 敏感な愛らしい突起と女の花びらと慎ましい菊門をこすられる感触を伝えてくるだけだった。 「ああっ〜、いやっん」 思わず甘い声音をもらしてしまった小夜子だったが、 新郎の方も、相手に引っ張られる縄が強ければ、それだけ割れめ深くへと食い込まされるのは同様であった。 ふたりを結ぶ縄は、それが互いを思いやる永遠の愛のあかしであるかどうかは別にして、 互いを感じ合う強い絆であったことは確かだった。 だが、花婿であろうとする女気は、突き上げられる股間の鋭敏さを意識させられても、唇を真一文字にして毅然とさせていた、 緊縛の美しい裸身をなよなよとさせている花嫁の愛らしさを見つめやる余裕があった。 「小夜子さん、駄々をこねても仕方のないことですよ、もっと、積極的にお考えなさいな。 この世界で最もあなたを愛している方の花嫁になれる光栄…… いままで決して知ることのなかった女であることの歓喜…… 愛する方に永遠に見守られての生活の幸福…… これらがあなたの思いひとつですべて手に入るのです…… 素晴らしいことではありませんか」 小夜子の前へ立った節子はそう言うと、相手の顔を上げさせてその美しい額へ口づけをするのだった。 そして、新郎に対しても、同じ仕草を繰り返すとふたりの背後へ戻るのだった。 続いて、法子が同じことを行ったが、彼女はこのように言うのだった。 「小夜子さんは、まだ、処女なのです…… 処女には、本当の喜びを知るための苦痛があるものです…… 驚きや不安や恐れから、嫌がるような気持ちになることはわかります…… でも、それを耐えれば、その先には、この上ない女としての喜びがあるのです…… それは、素晴らしいことです」 最後の礼子は、微笑みを浮かべながら簡単に言っただけであったが、額への口づけは長く思い入れのあるものだった。 「お幸せになられることを」 小夜子には、もはや、逆らっても始まらないのではないか、という投げやりな気持ちが生まれていた。 逆らうよりも耐えることの方が、身体と思いがねじれ合って煽り立ててくる不安の擾乱を甘美な胸騒ぎに変えられる気がしたのだ。 じっとしていても、おのずと高ぶらされていく官能のままにあることの方が、恐れさえ望みに変えられる気がしたのだ。 望み? 何の望み? この方と結婚して、愛されること? 女性が女性に愛されること? それは、わからない、わからない前途だった……。 主人は、私が突然行方不明になってしまって、どれほど心配していることだろうか……。 同じ屋敷にあって、主人はあちらにいて、私はこちらにいる。 主人さえ気がつけば、いますぐに、ここへ来ることも可能なのだ、救い出してもらえることも可能なのだ。 そうして欲しい……いや……そうして欲しい? わからない、わからなくなってしまっている……。 ただ、生まれたままの恥ずかしい全裸を屈辱的に後ろ手に縛られ、惨めな胸縄を掛けられ、股間へ恥辱の縄までされて、 その縄の強靭な拘束感が、柔肌を通して伝わってくる激しい圧迫感が、私のなかにあるものを押し広げるような気がするのだ。 縄で緊縛されて不自由でいながら、この上ない自由というものを意識させるのだ。 考え方ひとつ、ものの見方ひとつで変わってしまうような、私のなかから大きく押し広がっていくものを意識させるのだ。 それが何かはわからない……。 性的な官能の力? それも、確かにある、快感として実際に伝わってくるのだから……。 だが、そればかりではない……ひとつではない……あるものなのだ……。 それが何かはわからない、わからない、わからない……。 だから、私は……いまあることに従うほか……ないのかもしれない……。 三人の介添え人に従われて、 生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ胸縄を掛けられ股縄で繋がった花婿と花嫁は、 縄によって官能を煽り立てられた頬を紅潮させ、緊張した面持ちで、おずおずと前へ前へと進んでいくのであった。 そこには、祭壇と言われれば、そうでもあると言えるようなものがあった、 と言うのは、その場にいた女性たちにとっては、神聖な祭壇を意味するものであったに違いないが、 彼女たちの信じる事柄と同一の事柄を信じていない者にとっては、拷問道具は拷問道具にすぎないものだった。 ある物体の形象が意味することをそれを信じることの象徴と見なすことは、 何を信じればそのように見えるものであるかということを問いかけられていることである。 偶像崇拝ということは、たとえ拷問道具であると見えるものでも、神聖さを付与できることにある。 その祭壇は、がっしりと立つ白木の角柱に横木が組み込まれてある姿は十字架に違いなかった。 十字架は、成人が脇へ並べばちょうど腰のあたりに、太い三角柱の横木が突出しているという異様があった。 拷問道具の<十字架に取り付けられた三角木馬>と言えば適切なものであるのだろうが、 この場合、互いの愛を誓い合う者たちの神聖なる婚姻における崇拝対象であったから、拷問道具ではなかった。 神聖な<祭壇>であったと言われれば、否定はできなかった。 恐怖と残虐と陰惨を感じさせる異様がその目的で用いられることがなければ、 神秘と栄光と畏怖があらわされているものだとされても、でたらめでも、たわごとでもなかったのである。 「あなた方は…… この崇高にして神聖な十字架の祭壇の前で…… 夫婦としての永遠の愛を誓い合うのです……」 礼子と節子と法子は、艶のある麗しく輝かしい声音でそう唱和すると、 花婿と花嫁をその前へ跪かせ、深く頭を垂れさせて、祈りを捧げるような姿勢を取らせるのだった。 祈りの儀式は、かなり長い時間のものであった。 肉体を拘束されている縄の淫靡な圧迫感が、否応でも、注意を官能へ向けさせるものとなる静謐の時間だった。 淫らに高まる官能から注意をそらせたいと望むなら、熱心に祈りへ集中するほかないことだった。 しかし、祈るといって、いったい何に対して熱心に祈りを捧げよ、というのだろうか。 眼の前にある、異様な形をした十字架に対してか。 小夜子には、さっぱり理解できないことだった、特に信仰する宗教的対象などなかったからだっだ。 元旦と葬式と子供誕生には、祈りの厳かな気持ちになることができる程度だった。 ほかの女性たちは、跪いた姿勢で静かに熱心に祈りを続けていた。 ひとりだけ高ぶらされている官能にほだされて、あらぬことを口にしては、儀式における失態であるにすぎない。 ほかの女性たちの仕草を外観として真似るしかなかったのだった。 小夜子はそうした。 やがて、三人の介添え人は、もたげた顔を互いに見合わせ大きくうなずくと立ち上がり、 花婿と花嫁を跪かせた姿勢のまま、向き合わせるようにするのだった。 「こうして、心からの祈りを捧げ、晴れて夫婦となったあかしに…… 永遠の愛をあらわす口づけをなさって頂きます…… 互いの唇と唇を重ね合わせる口づけは、聖なる婚姻の誓いを深く心に刻み付ける行為なのです……」 艶のある麗しく輝かしい声音は、そう告げる。 この場に及んで、小夜子には、もはや、相手の差し出してくる唇を拒絶しようという思いは湧き上がらなかった。 そのような思いが湧き上がったとしても、三人の介添え人によって、 羞恥と官能に震える両肩を左右から押さえられ、純潔のベールが邪魔にならないようにたくし上げあげられ、 その上、女の割れめへ食い込まされている麻縄を尻の方から引っ張られることをされたことは、 むしろ、煽り立てられる官能から、突き出されてくる相手の唇を待ち望んでいたことのようにさせることであったのだ。 女の唇が自分の唇へ触れたと意識させられたとき、小夜子は、びくっとするくらいの衝撃を感じさせられた。 だが、それはすぐに、柔らかな感触が甘酸っぱい匂いまで漂わせて、溶けるような温かさを伝えてくるものとさせていった。 花婿は、みずからも感じる相手の温かさと一体となろうとするかのように、いっそう強く唇を押しつけてきた。 小夜子は、されるがままに唇が開き加減になって、相手の唇の愛撫が受け入れやすいような仕草さえ取っているのだった。 股間の縄で掻き立てられる、疼くような快感がどんどん気持ちのよい方へ向かわされていくようで、 はしたないことだと感じながらも、夫がしてくれるように、相手の舌先が口中へ忍び込んでくれたら、と思うのだった。 だが、神聖な口づけは、女と女の唇をしっかりと重なり合わせるだけのもので、 婚姻の誓いがしっかりと心に刻み付けるように行われる儀式でしかなかった。 ようやく唇が離れたとき、小夜子の眼の前には、 頬を紅潮させて微笑を浮かべた、夫である女の喜ばしそうな顔があった。 「これで、おふたりは、夫婦となられた儀式を無事終了されました…… 永遠に祝福されますように…… 夫婦となられた初夜の床入りの聖なる寝台がご用意されていますので、そちらへ……」 介添え人たちは、そのように宣言を終えると、花婿を緊縛していた縄を解いていくのだった。 縄からは自由となった夫だったが、全裸のままでいることは変わらなかった。 夫は、花嫁の股間を縛り上げている縄尻を手渡されると、しっかりと握り締め、 引き立てるようにして聖なる寝台の方へと歩ませるのだった。 小夜子を緊縛している縄は解かれることはなかったのだ、新妻は縄付きのまま、初夜の床入りをさせられるのだった。 女の妻であるとさせられた女は、自分ひとりだけが縛られているありさまをとても惨めなことに思えてきて、 俯かせた顔立ちを曇らせ、大きな両眼に涙を浮かばせるのだった。 その様子を知った夫は、純白のヴェールをそっとあげて顔をのぞき込み、優しい言葉で話しかけるのだった。 「生まれたままの姿を縄で縛られていることは、礼節法をまとわされていることです…… あなたは、裸姿であるだけの放埓な自然の野蛮さにあるわけではないということです…… 縄の緊縛は、あなたに品格を生ませるものです…… <縛って繋がれる喜び>を生じさせるものです…… あなたは、純潔な花嫁であり、貞淑な妻であり、崇高な女であることを、<縛って繋がれる喜び>であらわすのです…… 泣いてはいけません、哀しいことではないのです、喜びのあることなのです……」 夫が話しかけている間、婚姻の介添えの役を果たし終えた三人の女は、 身に着けているものをすべて脱ぎ去って、生まれたままの全裸となっていた。 小夜子は、その様子を知ると、こみ上がる不安と恐れを感じないではいられなかった。 女性同士の夫婦が行う初夜の床入り…… そのようなことは、想像を絶することだったのだ…… 私だけが縄で縛られての不自由な身、ほかの女性は裸でいるだけの自由な身、どうして、私ひとりだけが? いったい、私は、どうされるというの? ああ、ああ……このようなこと、このようなこと……いけない、いけないわ! 私は、立派な男性の夫のある身なのです! 口に出してそう叫びたかった……だが、夫を始めとして四人の女性にまとわりつかれ、 神聖な寝台の上へ縄で緊縛された裸身を押し上げられ、優しく支えられながら仰臥させられていくのであったが、 両足首を双方からつかまれ、ずるずると割り開かれていくようなことをされても、 これ見よがしに大胆に女の羞恥の中心をさらけ出すような姿態にされても、されるがままになっているだけだったのだ。 どうして? これが<民族の予定調和>へ向かう<色の道>を歩むことだから? そうだから? 小夜子は、もう一度、自宅の居間にくつろいでいる自分を想像しようとしてみた。 エドガー・ヴァレーズの「アイオニゼーション(電離)」を聴きながら、 購入したばかりの本の帯紙を眺めていることを想像してみようとした。 だが、楽曲は、すでに終止音を沈黙に変えていた。 本の帯紙のキャッチ・コピーは、何が書かれていたのか、判然としないものになっていた。 はっきりしていることは、拷問所のように造られた部屋のなかにある大きな寝台の上で、 全裸を縄で緊縛され、大きく割り開かされた両脚の足首を双方の寝台の支柱へ繋がれて、 初々しい花嫁の純白のヴェールを被せられた自分が生贄のように横たわっているありさまがある、ということだった。 言行などが度を超さず、適度としてあるふるまいをあらわす節子さんが、 指先を唇へ触れてくるのが感じられた。 社会の秩序を保ち、他人との交際をまっとうするために、人として行うべき作法をあらわす礼子さんが、 指先を乳房へ触れてくるのが感じられた。 物事に秩序を与えているもの、法則、真理、根本的な規範をあらわすに法子さんが、 股間へ掛かっていた縄を解いて、指先を柔らかな繊毛へ埋めて、掻き分けるようにして割れめへ触れてくるのが感じられた。 三人は、ゆっくりとした指先の愛撫を始めるのだった。 それが思いの込められた愛撫であったことは、それらの箇所を責められて、 間もなく、もどかしさの快感が突き上がってきたからだ。 私をそのままにはしてはおかない…… 私を貫いて導こうとする…… もどかしさの快感…… まなざしを投げかけると、寝台の足もとの方で、横座りの姿勢に座った夫がじっとこちらの様子を見つめているのがわかった。 私が三人の女性たちから肉体を翻弄され、女の愛欲に目覚め、処女を喪失するありさまを熱心に鑑賞しているというふうだった。 私は、生贄として差し出された女なの? それとも、生贄とされたから女となるの? わからないわ……わからない……わからない…… ただ、わかっていることは……私には戻れない道であるということが、わかる気がするだけ…… 小夜子は、むずかるように顔立ちを振って花嫁のヴェールを震わせると、 女性たちの愛撫で高ぶらされる官能と向き合っていこうと決心するのであった。 これが<女の愛欲>と呼ばれたいきさつであった。 |
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