生まれ変わり 或いは 女神の創造 第3章 あの方の妻と呼ばれたくて 借金返済で弁護士に相談






第3章  あの方の妻と呼ばれたくて


名前を高倉真美と言いました、間もなく、二十四歳になる女性でした、
女子大を卒業してから、某財団法人へ勤務する日々を続けてきましたが、
ようやく、念願のマンションのひとり暮らしを始めることができるようになったのでした、
彼女の両親は、ひとり暮らしには反対でした、
幼稚園から大学まで、女子だけの学校へ自宅から通い、その間、
一度も男子とのお付き合いのなかった彼女に、女性のひとり暮らしなどができる自立心はなく、
その世間知らずは、満ち満ちた周囲の危険に晒されるだけだと見なされていたからでした、
しかし、彼女は、もう、二十四歳になるのです、
親から見れば、いつまでも、子供かもしれませんが、立派な成人にあるのです、
彼女自身、入浴したときなどは、浴室の鏡に映し出されるみずからを見つめて、
愛くるしいくらいの綺麗な顔立ちや優美に整った姿態を眺めては、
私も、まんざらではないな、と自惚れを感じるのと同時に、
大人の色香さえ漂わせ始めているみずからが子供扱いされていることに対して、
たまらぬ歯がゆさを感じるばかりにあるのでした、
もちろん、顔立ちや身体付きのことだけを言ってるのではありません、
彼女の頭は、立派に、もう、大人なのです、
それは、大人でなければできないような恋をする思いにあるからでした、
彼女には、愛するひとがいるのです、
あの方と添い遂げられるものであるならば、何もかもを捧げて、
あの方へ尽くす思いというものが彼女にはあるのでした、
これまでに、幾人もの男性から、恋を打ち明けられたり、愛を告白されたり、或いは、
大衆のアイドルとなる、モデルやタレントの勧誘さえ、受けたりしてきたことがありました、
けれど、彼女が思いを寄せる方は、たったひとりしかいなかったのです、
あの方だけだったのです……
あの方だけが彼女を心から頷かせることのできる存在であったのです、
彼女は、いつまでも、子供じみた状態にあってはならないと感じていました、
いずれは、あの方の妻となるために、
あの方のために、自立した女性とならなければならないと考えていたのです、
彼女がこのような思いを真剣に考えていたことを周囲の誰一人として気付きませんでした、
彼女は、実家のすぐ近所にある、ワンルーム・マンションを借りることを条件に、
両親を説得することに成功しましたが、それも、
妹がイギリスの大学へ留学して、寮生活をすることが決まったついでといういきさつにありました、
四歳違いの妹は、彼女とは異なり、
幼いときから、両親の言い付けを言われるがままに行うような子供ではありませんでした、
イギリス留学も、すべて自分で決めて、手続きを済ませたことにあったのです、
彼女のワンルーム・マンションが両親によって決められ、
すべて手続きされたものとは、大違いのことにありました、
そして、ひとり住まいが負担となったら、すぐさま、家へ戻ることを約束させられて、
食事と洗濯は、実家で行うことを決められてのひとり暮らしということであったのでした、
つまりは、自分の部屋が自宅の建物以外の場所にあるというようなことだったのです、
両親にしてみれば、すぐに思い余って、実家へ戻ってくると思っていたことにありました、
しかし、彼女の思いは、それとは、裏腹にあったことは、
それもまた、両親の気付くところではなかったのです、
彼女の切実な思いは、このようにあったことでした……
ああっ、しかし、それであっても、それであっても、どのような状態であるにせよ、
このように、ひとりになれる生活というものをどれほど長く待ち望んでいたことか、
実家にいたとき、自室がなかったわけではなかった、
私と妹には、両親に夫婦の自室があるように、あった、
しかし、まるで、監視されているように、定期的にノックをされる部屋というのは、自室と言えるものなのか、
インターネットで検索している画面をひとりで眺めていたいと思うことがあっても、
部屋の扉がノックがされ、母親が顔をのぞかせ、
ミルク・ココアを持ってきてあげたわよと言って、大して飲みたくもない飲物を強要され、
ディスプレイをまじまじと見つめられていくようなことは……
両親にとっては、眼に入れても痛くない、掛け替えのない子供であったことは間違いない、
世間では、子離れのできない親という言い方があるけれど、まさにそれだ、
できれば、一生、自分たちの手元から離したくない、自分たちの思いのままになる、
大人しくて、素直で、従順な愛くるしい子供であって欲しいということにあるのだろう、
父親は、財務省に勤める政府官僚、母親も、国立女子大出身の同僚同士の結婚だった、
同じ道を求められが、能力や学力では、果たし得ないことだった、
だから、いずれは、好むと好まざるとに関わらず、出世を嘱望される、
政府官僚の職にある男性との結婚が定められている将来しかあり得ないことある、
私にあるという自由……
そのようなものは、生まれた当初から、あり得ないものだった、
私にある、せめてもの自由とは、孤独になることができたとき、
精一杯の思いを募らせることでしかあり得なかったことであった、
趣味は何ですかと尋ねられても、みずから求めて、熱中した趣味などなかった、
父親の趣味は、西洋のクラシック音楽、
バッハ、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスは、
なかでも、お気に入りの作曲家としてあり、CDの蒐集も評論書籍も半端なものではなかった、
モーツアルトの音楽は、胎教に良いという医学博士の提唱に従って、生まれる以前から聴かされ、
生まれてからは、西洋精神の真髄であると言われて、バッハのあらゆる作品を聴かされ続け、
四歳から習わされたピアノ演奏に伴って、思春期になると、西洋精神の高揚と称されて、
ベートーヴェンとブラームスの音楽を鳴らされ続けた、
妹は、クラシック音楽が大嫌いで、聴かされると臍を曲げて、食事も取らない始末であったから、
聴く音楽も、今の流行の音楽ばかりで、ピアノ教室もさぼるばかりにあった、
素直で従順な態度にあったことは、父親の押し付けを受容するだけには留まらなかった、
母親の趣味である美術は、西洋の伝統芸術であって、
ギリシャ、イタリア、スペイン、イギリス、フランス、ドイツに渡っての傑作の数々を、
両親が休暇を利用して海外旅行をする目的の美術館で賞賛を感じた傑作の数々を、
幼いときから、絵本を見させられるように、母親の解説付きで西洋美術画集を鑑賞させられた、
残るは、文学ということになる、これが欠落していることはあり得ないというように、
西洋文学全集と西洋思想全集という背文字の統一された書籍が居間に置かれて、
大きなスピーカーとオーディオ装置と一緒に、調度品のような趣きを漂わせていることにあった、
少女雑誌やコミックスの代わりに、西洋文学を読むことを日常とする環境があったということだ、
妹の方は、小遣いを少女雑誌やコミックスを購入することで費やして、部屋で楽しんでいた、
父親も母親も、日本人、キリスト教徒でもない、当然のことながら、家族は、日本語で会話をしている、
しかし、身に着けるものは、洋服であり、食事は、常に西洋風のレシピだった、
それであっても、それが日常生活としてあれば、違和感は起こらない、
現代の日本の音楽・美術・文学・思想と言ったところで、明治時代以来より現在に至るまで、
西洋から示唆され、影響を受けて、模倣することから始まるありようにあることでは、
ジャズやロックやポップスなどの大衆音楽、意匠や装飾美術、
推理・幻想・恐怖小説や流行の恋愛小説、サブ・カルチャーの思想にあってさえも、
食事や髪型や服装においてあるのと同様のことにあると言えるから、
普通にある日本人としては、むしろ、違和感を感じる方がおかしいのかもしれない、
小説家の新しい作品のインタビュー記事には、
発想を受けた西洋の作家の名前と作品は、まるで、品質保証のようにあることは、
ロックやポップスやダンスも、西洋の大衆スタイルをモデルとしているものでしかないことは、
経済のシステム、政治の機構に至るまで、引用先は、<西洋の先端思想にあり>ということになっている、
明治時代以降の日本思想そのものが擬似西洋思想ということであると理解することでなければ、
つまらない違和感など抱いていたら、
それこそ、生活に支障を来たすことになると言っても、過言ではない、
だが、その違和感を、十六歳の高校一年生のときに抱いてしまったことは、
果たして、悲劇なのか、喜劇なのか、いずれの始まりにあることなのかは、まだ分からない……
高倉真美が言うところの十六歳の高校一年生の体験とは、一之瀬由利子と面識を持ったことにありました、
一之瀬由利子は、同じ女子高の三年生でしたが、清楚な顔立ちの高貴な美しさ、
艶やかで長い黒髪の艶麗な美しさ、セーラー服姿のしなやかな姿態の清廉な美しさをあらわして、
学業成績では、常に一番の優秀で聡明な女生徒にありました、
女子一貫校にあっては、高等部ばかりではなく、中等部の生徒も憧れる存在にあったのでした、
その一之瀬由利子が高倉真美に近付いてきたことは、驚きとしか言いようのないことにあったのです、
それは、学校の図書室の隅で独り、高倉真美が月岡芳年の画集を見ているときに、
背後に立った、一之瀬由利子が述べた次の言葉から始まったことにありました、
「そのような絵画に興味を抱く、あなたは、やはり、他の人たちとは違う方のようですわね」
高倉真美は、突然、声を掛けられて、びっくりしましたが、
振り返れば、それは、一之瀬由利子だと知ると、びっくりは驚愕となって困惑を招きました、
返す言葉がありませんでした、
「隣へ腰掛けてもよろしいかしら、私も、その絵画は、尊敬に与えする作品だと思っているのです」
そのとき、図書室は閉室間際で、他に人影はありませんでした、
一之瀬由利子は、相手の返事を待たずに、隣へ腰掛けました、
高倉真美は、声を掛けられたときから感じていた芳しい香りが間近に迫るのを意識させられ、
一之瀬由利子の美しさを眼の前とさせられたことは、思慕を一気に高ぶらされたことにあったのでした、
一之瀬由利子は、相手が自分の方を見つめていることをまったく気にせずに、
画集の開かれたページへまなざしを注いだままにありました、
彼女は、どうしてよいか分からずに、ただ、胸が高鳴ってくるのを感じるばかりにありました、
それから、先輩が夢中になって眺めている絵画へ、もう一度、まなざしを落とすことをしたのでした、
それは、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』という絵画でした、
場所は、日本家屋の室内でした、天井は煤で黒ずみ、壁はひび割れ、
漆喰が数箇所に渡って大きく剥げ落ちています、柱にも酷い腐食があらわされ、開け放たれた出入口は、
木戸か障子が失われているほど老朽化していることが示されている、廃屋にありました、
ただならなぬ不安を掻き立てる、廃屋は、
そこで行われていることを見る者を一気に恐怖へと逆落としにする表現があらわされていました、
半裸姿の若い女性が天井から逆さ吊りにされていたのです、
女性は、柔肌の雪白に輝く瑞々しさにあって、髷を解かれて垂れた長い黒髪は艶やかで、
あらわとされている乳房も豊満に、薄紅色の尖らせた乳首も可憐でさえありました、
しかも、妊婦にあったのでした、
突き出すように張り出せた、大きく初々しい孕み腹が目立つばかりにあったのです、
若い妊婦は、手拭いの猿轡を噛まされ、その顔立ちを窺い知ることはできませんでしたが、
眉をしかめて両眼を閉じさせた表情は、苦痛と苦悶があらわされていることにありました、
赤色の湯文字ひとつの半裸姿を縄で後ろ手に縛られ、
孕み腹を強調させられるように下腹にも幾重にも縄を巻き付けられて、
揃えさせられた両足首をひとつにまとめられて括られ、
その縄が天井の梁から逆さ吊りにしている姿を作り出していたのでした、
まるで、捕獲された動物がこれから鍋にでもされるといったありさまを髣髴とさせることは、
縄掛けが拘束だけを目的とした無慈悲をあらわとさせていることにあり、
畜生扱いされた人間の状況からすれば、被虐のありようにしかないありさまでした、
その若い妊婦の顔立ちを睨みつけた形相をあらわとさせた人物が床へ座っていましたが、
対照的に、年老いた女性でした、
くすんだ茶の着物の上半身を脱いだ半裸姿にあって、骨と皮という老いさらばえて黒ずんだ肌に、
しぼんだ乳首に皮だけという醜さのふたつの乳房が垂れ下がり,
禿げ上がった真っ白な頭髪と歯のないくぼんだ口もとは、どぎつい目つきと鋭い鷲鼻とあいまって、
死期を間近とさせたような老いた険しい形相をあらわとさせていることにありました、
しかし、その姿からは、生への執念が感じられることは、
男性のように立て膝をしながら、大きな出刃包丁を大きな砥石で研いでいることにありました、
老婆の鋭いまなざしの先にあるのが若い妊婦の顔立ちであれば、
その出刃包丁は、その相手に対して用いられる道具であることが察せられるのでした、
突き出させられた妊婦の大き過ぎる孕み腹と老婆の研ぐ大きな出刃包丁とを結び付かせるのでした、
高倉真美がこのような残酷・悲惨・悲哀に満ちた絵画に興味を抱いたのは、
このような強烈な表現に比肩するものを他の日本作品では見ることができなかったことにありました、
母親の解説付きで鑑賞させられた西洋美術画集に対して、独創的な日本の作品にあると思えたことでした、
それを一之瀬由利子が<尊敬に与えする作品>だと評価したことは、
憧れの的とされている先輩との距離を一気に縮めたことにあったのでした、
いや、縮めたのは、思いばかりではありませんでした、
高倉真美は、一之瀬由利子と共に見つめる絵画の世界へ、
手と手を取り合うふたりとなって、入り込んでいったことにあったからです。

月岡芳年の絵画は、<奥州安達ケ原の鬼婆伝説>に由来しています、
伝説とは、このようなものにあることです、
昔、京都の公卿屋敷に岩手という名の乳母がいて、手塩にかけて、姫を育てていた、
あるとき、姫が重い病気にかかったので、易者に尋ねてみると、
妊婦の腹にある胎児の生き肝を呑ませれば治る、という答えが返された、
そこで、岩手は、胎児の生き肝を求めて、旅へ出ることにした、
しかし、妊婦の腹にある胎児の生き肝など、容易に手に入るはずのものではなく、
いつしか、奥州の安達ケ原にある岩屋までたどり着いていた、
木枯らしの吹きすさぶ、ある晩秋の夕暮れどきであった、
岩手が住まいとしていた岩屋に、生駒之助と恋絹という名の旅すがらの若夫婦が宿を求めてやって来た、
その夜更け、身重であった恋絹は産気づいて、生駒之助は、産婆を探すために岩屋の外へ走った、
岩手は、この時とばかりに、研ぎ澄ました出刃包丁を振るって、
陣痛に苦しむ恋絹の膨らんだ腹を切り裂いて、胎児の生き肝を取ることを果たしたが、
恋絹は、息絶え絶えの口で、
幼い折に、京都で別れた母を探して旅してきたが、とうとう会えなかった、と言って息を引き取った、
岩手がふと見ると、恋絹はお守り袋を携えていた、それは、見覚えのあるお守り袋だった、
恋絹は、別れた岩手の実の娘であったのである、
まことに気がついた岩手は、余りの驚愕に気が狂ってしまい、鬼婆と化した、
それ以来、宿を求めてやって来た旅人を出刃包丁を振るって殺害しては、その生き血を吸い、
いつとはなしに、<奥州安達ケ原の鬼婆>として、知れ渡っていくことになった、
一之瀬由利子は、その美男の若侍である生駒之助となり、高倉真美は、美女の妻である恋絹となって、
ふたりは、手と手を取り合って、木枯らしの吹きすさぶ、ある晩秋の夕暮れどき
奥州の安達ケ原にある、一軒の廃屋へたどり着いたのでした、
その廃屋には、ひとりの老婆が住んでいました、
老婆は、身重な妻を抱えての長旅をしてきた若夫婦の不憫を察して、
他へ泊まる場所のないこの界隈であるから、宿を提供すると応じるのでした、
生駒之助と恋絹は、深い感謝を感じて、廃屋の一室へ案内されました、
生駒之助は、臨月にある恋絹を優しく気遣い、雨風を凌ぐ場所を得られたことを喜びました、
若夫婦は、綿のほとんどない敷布団ひとつに薄皮の掛け布団へ同衾しましたが、
愛し合うふたりにとっては、愚痴をもらす筋合いのものでは、当然ありませんでした、
むしろ、旅の疲れから眠気を誘われることにあったことは、
ふたりの様子を破れ障子の隙間から覗き続ける老婆の存在にも気付くことはなかったのです、
ぐっすりと眠り続けていた生駒之助が窮屈な思いを感じながら目覚めたとき、
我が身のありさまは、俄かには信じられないことにありました、
後ろ手にされ、両足首を束ねられて、縄で姿態を縛られていたのです、
しかも、一糸も着けない生まれたままの全裸の姿にあったことは、驚愕でしかありませんでした、
夫は、すぐさま、隣に寝ている妻の方を見やりましたが、そこに、妻の姿はありませんでした、
生駒之助は、思わず、恋絹と叫びました、
しかし、木枯らしの吹きすさぶ音が聞こえてくるばかりの廃屋の静寂は、
ただ、不安を掻き立てられるというものでしかなかったのでした、
身動きをしたくても、敷布団に仰臥している姿態は、両手首を重ね合わされて後ろ手に縛られ、
ふたつの乳首を上下から挟まれるようにして掛けられた胸縄でそれをしっかりと固定され、
両脚は揃えさせられて、両足首をがっちりと縛られていたことにあったのでした、
そればかりではありませんでした、陰茎へ引っ掛けられた縄頭からのふた筋の縄が股間を通され、
尻の亀裂から背筋を這い上がり、首筋を振り分けて身体の前面へ下ろされ、
上下の胸縄へ絡められながら、きっちりと腰縄として巻き付けられていたことは、
全裸の羞恥に加え、緊縛された縄が肉体を圧迫して官能を高ぶらさせていたことにあったのです、
我知らずに、縄の張力が陰茎を立ち上がらせていることにあったのでした、
どうして、このようなことに……
その疑問に答えるように、破れ障子が開かれると、
くすんだ茶の着物姿にある老婆が禿げ上がった真っ白な頭髪と歯のないくぼんだ口もとをあらわとさせて、
どぎつい目つきと鋭い鷲鼻をひくひくとさせながら、室内へ入ってくるのでした、
どうして、このような目に! 恋絹はどこだ! 縄を解け!
生駒之助は、緊縛された全裸を身悶えさせながら、叫び声を上げていました、
それに対して、老婆は、落ち着いた様子で、
うるさい男だねえ、これでも、噛んでいな、
と言うなり、懐から取り出した豆絞りの手拭いで、相手の口へ猿轡を噛ませたのでした、それから、
そのような姿にされたからといって、おまえさんだって、
まんざらではないことは、そのいきり立たせている陰茎があらわしてることだよ、
せっかくそり立たせているんだから、いい思いをさせてあげるよ、
どぎつい目つきと鋭い鷲鼻の老婆は、そのように言うと、
仰臥させられている相手の緊縛された裸身の下腹のあたりへ座り込んで、
屹立している陰茎の根元をむんずと掴むと、ゆっくりと上下にしごき始めるのでした、
それにはたまらず、美男侍は、やめろと声を上げましたが、くぐもらせた声音があるばかりでした、
両脚を少しでもばたつかせ、腰付きを懸命に悶えさせて、振り払おうと必死になりましたが、
老婆の千擦りは、そのような抵抗をものともしない、強靭で執拗な行為にあったのでした、
込み上げさせられる快感は、双方の太腿の内側からぞくぞくとした甘美を伝えてきて、
いつしか、あらがいは、従順な受容へと変わるものでしかなかったことにあったのでした、
老婆の衰えを知らないしごきは、てらてらと赤く剥き晒した口から銀のしずくが尾を引くまでに至らせて、
ついには、放出することを求める以外にはないというところまで追い込まれたことにありました、
美男侍は、緊縛された裸身をのけぞらせて、もう、成されるがままにあるだけでした、
従って、あとひと擦りで噴出というところで、突然、老婆に行為を中断されたことは、
生駒之助にとっては、唖然とさせられるばかりのことではなく、その宙ぶらりんのもどかしさは、
みずからでは、どうにもならないことを思い知らされたことにありました、
もう、おまえさんの勝手気ままにはならないということだ、
老婆からそのように吐き捨てられた言葉は、みずからの処遇を決定付けられたものにあったのでした、
両足首を束ねた縄だけを解かれた、美男侍は、後ろ手を縛られた縄尻を取られて、
さあ、さっさと立ち上がりな、おまえの愛する女房のところへ連れて行ってやる、
と言われ、無理やり、敷布団から身を起こされるのでした、
それから、緊縛された全裸の背中を小突かれながら、狭い廊下の奥にある部屋まで向かわせられると、
立て付けの悪い木戸を軋ませながら開かれた室内は、
その場に立たされた、生駒之助の足をすくませるほどの驚愕の光景があったのでした、
美男侍は、頭が真っ白になって、ただ、見つめ続けるばかりが精一杯でした、
仮に浮かんだ言葉があったとしても、がっちりと噛まされた豆絞りの手拭いの猿轡は、
容易な会話をさせないことにあったのでした、
妻の恋絹も、その美しい顔立ちを覆うように手拭いの猿轡をしっかりと噛まされていたのです、
夫婦は一心同体にあるという仲の良さがあらわされることにあるならば、
恋絹も生駒之助と同様に、一糸も身に着けていない、生まれたままの全裸の姿態にあって、
夫婦同体だったのは、縄で縛り上げられた姿をあらわとさせていたことにおいて明白でした、
問題は一心にありましたが、恋絹の綺麗な瞳のまなざしは、漂わされている空虚さにあって、
見つめ続ける生駒之助に対して、
夫が部屋に入って来たことにも気付いていないという様子にあったのです、
それは、恋絹が天井から逆さ吊りにされているありさまにあったからでした、
柔肌の雪白に輝く瑞々しさにあって、髷を解かれて垂れた長い黒髪は艶やかで、
あらわとされている乳房も豊満に、薄紅色の尖らせた乳首も可憐にありました、
妊婦にあることは、突き出すように張り出させた、大きく初々しい孕み腹が目立つばかりにありました、
縄は、背後にまわされた両手首を重ね合わされて縛られているばかりでなく、
孕み腹を強調させられるように下腹にも幾重にも巻き付けられていました、
揃えさせた両足首をひとつにまとめられて括られている、
その縄が天井の梁から逆さ吊りにしている姿を作り出していたことにあったのでした、
まるで、捕獲された動物がこれから鍋にでもされるといったありさまを髣髴とさせることは、
縄掛けが拘束だけを目的とした無慈悲をあらわとさせていることにあり、
畜生扱いされた人間の状況からすれば、被虐のありようにしかないありさまだったのです、
しかし、全裸を緊縛された妊婦の逆さ吊りというありさまは、女の存在を強烈に伝えてきたことは確かで、
縄頭を引っ掛けられている生駒之助の陰茎を我知らず反り上がらさせていたのでした、
いつまでも、眺めているというだけでは、仕方のないことだろう、
おまえの一物も元気を取り戻したようだ、
天井から吊るされている、あの女も、いまは、観念するほかない空ろな状態にあるが、
それまでは、そこの床へ転がって、女を愉しんだことにあったのだから、本望だろう、
わしがこいつを使って、悦びの絶頂へ追い上げてやった、
老婆は、そのように言うと、美男侍の妻へのまなざしを遮るように、道具のようなものを掲げるのでした、
夫は、まじまじとそれを見せられたのです、
太くて長い陰茎を模した黒い木製の張形でした、
これは、おまえのものより立派である証は、含まされるの嫌がっていた、あの女だったが、
入れられれば、呑み込むようにして、咥え込んだら、今度は離さずに、
抜き差しを繰り返してやったら、あふれるばかりの花蜜を漏れ出させて、
そのまま、三度も悦びの絶頂を極めたことで確かなことにある、
ほら、見てみろ、てらてらと黒光りしていることがそれをあらわしているだろう、
妻がされた仕打ちを聞かされ、眼の前に晒されている虐待の全裸緊縛姿を見せられて、
夫は、到底、人間とは思えない、老婆の底知れない非情な執念を感じさせられたことは、
もはや、あらがう気持ちを失うまでになっていたことにありました、
床へ座って、仰向けに寝ろ
と言われて、無理やり、腰を落とすようにされても、逆らうことがなかったことであらわされるのでした、
おまえにも、あの世へ行く前に、本望を遂げさせてやる、
老婆は、床への上へ緊縛された全裸を仰臥させた相手の両足首を掴むと、
可能な限りの大股開きとさせていきましたが、美男侍は、陰茎を屹立させているばかりで、
虚けたようにずるずるとされるがままになっているだけでした、
しかし、老婆から、手にした黒い張形の矛先を肛門へ押し当てられたときには、
嫌っ、嫌っと悶えるような仕草をあらわしましたが、
ぬめりを帯びている矛先を、難なく、肛門のとば口へ含み込まされたことは、
屹立させていた陰茎を更に反り上がらせる結果をもたらして、
ぐりぐりとねじるように挿入されたことは、緊縛された全裸をのけぞらせることにあったのでした、
妻の花蜜に濡れそぼった擬似陰茎を深々と肛門へ挿入されたことは、
赤々と剥き晒した生身の矛先の口から、銀のしずくが糸を引き始めていたことにさえあったのです、
官能を押し上げられていることは、両脚をもどかしげに悶えさせ、
双方の太腿の内側を這い上がる甘美な疼きは、腰付きを悩ましくねじらせるのでした、
上下の胸縄に挟まれて、情欲に立ち上がっている二つの乳首を、
老婆のすっかり歯の抜けた歯茎で代わる代わる噛まれたり、吸われたりしたことは、
噴出を一気に招いて、白濁とした精液を幾度も飛び散らせることにあったのでした、
女も三度の絶頂を愉しんだのだから、おまえも、あと二度往くまでは待ってやる、
そのように言って、老婆は、相手の裸身から離れていくのでした、
美男侍は、放出した思いに唖然となっている様子にありましたが、休む余裕もなく、
肛門へ挿入させられた張形の感触は、同じものを妻も挿入されたことを思い浮かばせて、
ふと、まなざしをやれば、若い妊婦が全裸を緊縛されて逆さ吊りにされている姿が眼に入り、
陰茎に掛けられている縄の張力がむくむくともたげさせることにあるのを意識させられると、
長く太い張形が熱い感触でうごめくのを感じさせられたことは、
再び、甦る精力を感じることにあったのです、しかし、今度は、老婆は、そばにはいませんでした、
くすんだ茶の着物の上半身を脱いだ半裸姿にあって、骨と皮という老いさらばえて黒ずんだ肌に、
しぼんだ乳首に皮だけという醜さのふたつの乳房が垂れ下がり,
禿げ上がった真っ白な頭髪と歯のないくぼんだ口もとは、どぎつい目つきと鋭い鷲鼻とあいまって、
死期を間近とさせたような老いた険しい形相をあらわとさせていることにありました、
しかし、その姿からは、生への執念が感じられることは、
男性のように立て膝をしながら、大きな出刃包丁を大きな砥石で研いでいることにありました、
老婆の鋭いまなざしの先にあるのが空ろなままの妊婦の顔立ちであれば、
その出刃包丁は、その相手に対して用いられる道具であることが察せられることにありました、
突き出させられた妊婦の大き過ぎる孕み腹と老婆の研ぐ大きな出刃包丁とを結び付かせるのでした、
しかし、夫は、そのような状況にある妻をどうすることもできません、
みずからの高ぶらされる官能にあって、第二回目の頂上をひたすら求めるばかりにあったのです、
生駒之助である一之瀬由利子は、愛する恋絹である高倉真美をどうすることもできなかったのでした、
隣り合わせに座って同じ絵画を眺めていた、ふたりは、思わず、互いの顔立ちを見合わせていました、
「まあ、何という展開なのでしょう、老婆は、確かに、鬼婆には違いありません、
けれども、妻を助けようとも思わずに、勝手気ままをやる夫は、だらしがないですわ」
そのように言うと、一之瀬由利子は、ほっそりとした綺麗な両手を差し出して、
高倉真美の華奢な両手をしっかりと掴むのでした、
それは、現実の私は、あなたのことをしっかりと思っていますという意思表示であったことは、
艶やかで長い髪の艶麗さに縁取られた、清楚で高貴な美しさにある顔立ちは、
澄んだ綺麗な瞳のまなざしをしっかりと高倉真美の顔立ちへ向けていたことにあったからでした。

クローゼットの姿見に映し出される、月明かりに浮かび上がる、深い陰影のある姿態、
慎ましやかな愛くるしい美貌を支えるほっそりとした首筋、
そこから、艶やかな太腿の付け根に至るまで織り成された、麻縄の紋様、
高倉真美のその姿態は、一之瀬由利子の見解に依れば、
<それは、亀甲縛りと呼ばれている、大変に美しい縄掛けですが、
その美しさが際立つのは、女性がその縄掛けをされていることにあるからです、
菱形の文様があらわす意味は、正方形が歪められたもの、
つまり、四つの角度が同一の整合性的なありようにあることよりは、
そのありようは、感覚的であり、直感的であり、具体的であり、柔軟や豊穣にある、
つまり、女性の象徴があらわされるということにあるからなのです、
あなたは、女性を見事にあらわしていることにあるということです>ということにありました、
高倉真美は、その見解の正しさを敷衍して、
雪白の柔肌の上半身を目も綾な数々の菱形で彩られたありさま、
ふたつのふっくらと隆起する乳房を菱形で強調され、
優美なくびれをあらわす腰付きを菱形で際立たせられ、
下腹の菱形に至っては、女性であることの割れめの存在を知らしめるように、
食い込ませている股間の縄をあらわとさせていることを美しさの認識にあると感じていました、
それは、<自室>にあることの倫理に過ぎない、<自室>から一歩世間へ出れば、
そのようなありさまは、ただ、卑猥・淫猥・猥褻をあらわしているだけのことである、
映し出される、みずからの容姿を見つめて、
みずからのねじくれて、あばずれた、醜悪なあらわれを見ているばかりにあると非難されるだけである、
二十四歳になる、常識ある女性が行うことの羞恥を見ることを拒絶しているだけのことであり、
常識のある、倫理を意識する、いったい誰が、
そのようなありようを美しくも気高い姿であるなどと言えることにあるのか、
それを美しくも気高い姿であると言うとしたら、それは、倒錯でしかない、
高倉真美は、被虐に晒されることに性的悦びを見い出す、
心と身体に病気を持った女性であると言うことに過ぎないことをあらわしているだけである、
そのような障害のある女性であれば、そのような行動をとって、
みずからを慰めるということは、仕方のないとしか言いようがないのである、
高倉真美は、性的異常のありようにおいて、
西洋の学術へ準ずることで、その治癒を求める者でしかないということである、
高倉真美が感ずる西洋への違和感、そのような感覚に大して意味がないのは、
西洋の学術へ準ずることが常識であれば、常識で生活する者にとっては、
常識とする思考は、感覚などという流動的なものよりも、確固としてあることだからである、
それが明らかであることは、これまでに、
西洋への違和感から、考えられたり、行われたりしたことのいずれが、
常識の価値転換を行わせる結果を生み出すことにあったか、そのような試みが実際にあったとしても、
あらわれては消えていく、淀みに浮かぶうたかたでしかなかった、
社会を動かす利得が生活を支え、豊かなものとさせる、という常識にあれば、
西洋の学術へ準ずることの方が利得のあることだ、という常識にあることは、
殊更、それを覆す、思想も表現も、必要とはされないことにある、
いや、むしろ、生活の利得が奪われることだとしたら、模倣・追従・隷属のありさまにあってさえも、
変わるということは、封じ込められるだけのことにある、
変革が恐れられるのは、変わることで、失われる利得があるからであって、
変わることが今まで以上の利得を生むことであれば、
革命は、賛同されるものとしてあるということである、
高倉真美は、大人になることだ、
いつまでも、少女じみた思慕に囚われていないで、
<自室>に閉じこもった、変態をあらわす自慰行為など、いますぐやめて、
現実世界、世間を眺めることが肝要なのだ、
求められているのは、女性であるからこそ成し遂げられるということではなく、
女性であるからこそ、それに見合う男性のためにあることなのだ、
男性が女性のために存在するように、女性は男性のために存在するものにある、
女性同士の情欲・愛欲・交接、
そのようなありようが生産的でないことは、男性同士の場合と一緒である、
男性と女性は、生産のために結ばれることが人間としての倫理である、
倫理の常識になければ、倒錯していること、荒唐無稽にしかないことである、
倒錯し荒唐無稽の思いにある者にとっては、
全裸の姿態を公然とはりつけられた一之瀬由利子の姿を見ても、
白木の十字架へ、全裸の晒しものとされた恥辱の女性の姿は、
優美な姿態をこれ見よがしと見せつけて、純白の柔肌の輝きを放ちながら、
あるもの・ないもの、すべての罪を一身に引き受けた、
その身上と境遇を命を掛けて耐え抜く、神々しさをあらわしているもの、
そのようなものとしてしか見えないことにあるのも当然というありようとなる、
どのように自然の優美さがあらわされていても、
それを歪曲させる考え方に依って取り扱われることにあれば、
それがあらわす異形において、美など生まれる所以はない、
異形としてあることを妖美であると言うならば、それは、ただ、官能の高ぶりの錯誤から、
善としてある美を誤謬しているだけのこと、
美は、性的官能とは切り離された、崇高な調和にあって具現されるものである、
調和のある美は、善をあらわすことにあってこそ、認識されるもののである、
卑猥・淫猥・猥褻の次元の話では、まったくあり得ないということである、
このように考ることができれば、高倉真美の全裸の緊縛姿は、
縄で拘束された、惨めで、残酷で、情けなく、哀しく、浅ましく、淫らであるという、
女の姿態と思いがあらわされているものでしかない、
それは、倒錯した荒唐無稽の迷妄にあるだけのことであって、
むしろ、一之瀬由利子の真実を知らないというだけのことにあると言えるのである、
一之瀬由利子が可憐な少女を相手にして行い続けている不埒な振舞いは、
高倉真美ひとりだけに行われたことではないのである、
一之瀬由利子は、みずから、告白したように、
生まれたときから、居場所を定められない、放浪の宿命にある女であること、
それは、ひとりの女性に対しては、決して居場所を定められない女、
関わってはならない、ましてや、開かれてはならない、禁断の女を意味することである、
開いてはならない、
開いた者がどのようになるかを知るべき必要は、まったくないという事柄にあることだからである、
しかし、私は、あの方の妻にあると呼ばれたい、
あの方が私にもたらした認識からすれば、私の存在理由はこのようあることです、
人間に備わる性欲は、高ぶらされる官能に従って、
ところかまわず、相手かまわず、手段を選ばず、行うことが可能である、という進化の賜物です、
高ぶらされる官能が導く快感の最高潮は、整合性の認識であります、
思考過程が整合性を求めるのは、それが快感としてあるからであり、
整合性の認識は快感であり、性的官能が導く快感の最高潮と同一にあることです、
常識を逆撫でされることから生ずる羞恥は、
性的官能の活動によって、頬を赤らめさせたり、胸をどきどきさせたり、
更に強い羞恥であれば、性的官能そのものを高ぶらせることをさせることにあります、
縄が身体へ巻き付けられて、拘束が始まれば、
感じる羞恥は、性的官能の高ぶりにまで至るということにあるのです、
性的事象は制限を持たされたものとしてあるという常識の意識にあっては、
逆撫でされ、打ち破られ、蹂躙されるほど、激しい羞恥が生まれるということは、
衣服を身に着けての緊縛よりも全裸の緊縛においてあるという意味になることにあります、
重要なことは、縄による拘束そのものが官能を刺激することにあることです、
柔肌へ密着する縄の感触とその圧迫感が本人の思いとは関係なく、
運動させた肉体が汗をかくように、官能を高ぶらさせる交感神経の刺激となることにあります、
人間の肉体には、性感帯と呼ばれる鋭敏な箇所があります、
その箇所の鋭敏に応じて、人間は、縄で肉体を縛られることをされるだけで、
性的官能を高ぶらさせることになるということにあります、
縄を用いて、縛ったり縛られたりすることは、虐待・残酷・悲惨という暴力行為をあらわすことは、
暴力の目的において使用される拘束にあるということであれば、その通りのことでしかありません、
人間が縄で縛られるということは、尋常な状態ではありません、
それは、常識を逆撫でされることから生ずる、羞恥を意識させることにあります、
その羞恥は、全裸を晒されていることにあれば、いっそう強いものとさせることにあるのです、
人間には、性欲があり、性欲があらわす行動には正常と異常があると見なされる見解からは、
加虐にあることで性的喜びを抱く意識と肉体が作り出される異常なありよう、
被虐にあることで性的喜びを抱く意識と肉体が作り出される異常なありよう、
この異常なありようは、性欲が正常な状態にないということを定義していることにあります、
縄で拘束されたありさまにあって、加虐・被虐に晒されている状況にあると見なされることにおいては、
正常な状態の人間であれば、人間が人間を縄で縛ることが行われることはあり得ません、
縄による拘束、それによって性的悦びが感じられることにあるとしたら、
縛る側にも、縛られる側にも、性的異常があるだけのことしか示されないことにあるのです、
しかし、性欲と性的官能は、この次元に留まるという程度のものにはないのです、
人間の進化という観点からは、更に、拡大深化される事柄としてあることなのです、
人間の性的官能は、人間の活動として、四六時中働いているものであり、
五感と同格にあるものであって、特別なものではありません、
ここで言う性的官能とは、性欲とは異なるありようを示すもので、
性欲は、陰部と称される器官である陰茎や膣と子宮を活動させるものとしては、
身体の機能が老齢化に伴い減退していくように、性欲は衰えるものとしてあります、
性的官能が性欲を活発化させる働きを持ち続けていることにあったとしても、
器官がそれに応える活動をあらわさなければ、一般に言う、性欲の衰えということになります、
しかし、性的官能が衰えたということではないのです、
性的官能は、五感と同様の感覚としてあることです、
器官としての眼・耳・肉体・舌・鼻の衰退が視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の減退を伴うようには、
性的官能は、減退しないということにあるのです、
しかも、人間の活動として、四六時中働いているものであれば、
性的官能の思考活動への関与という問題が提起されているということがあります、
美の認識における、美意識への関与は、その最も明瞭な問題にあると言えることにあります、
性欲と性的官能の問題は、人間の存立の問題としてあることですから、
最重要課題ですが、実際は、そのようにはあからさまとされることにはありません、
国家の法として定められ、宗教としても、社会の倫理としても、
性的事象は、規制を受けるものとして位置付けられていることにあります、
人間の性欲と性的官能は、特別なもの、特殊なもの、隠蔽されるものとなることにあります、
何故、公然とすべき対象としてあり得ないのでしょうか、
この疑問を抱くことさえ憚れる状況にあることです、
それは、性的事象があからさまとされることに依ってさらけだされる、
人間存在の背後にあるありようを見つめなくてはならないことにあるからです、
人間は、食欲・知欲・性欲・殺傷欲という四つの欲求を働かせて活動する動物です、
この四つの欲求を前面して、人間存在の背後にあるありようです、それは、
何もないということです、あるとすれば、荒唐無稽というものがあるだけということです、
人間は、誕生・成長・衰退・死という循環を種族の保存と維持において行う動物です、
何もない、あるとすれば、荒唐無稽であるという認識へ到達することができなければ、
依然として、発情期という循環に収まっているだけの他の動物一般と同様にありました、
四つの欲求を可能な限り働かせて、生存を持続させようという生への意志は、
食することの可能にあるものは、いずれを問わずに殺傷して摂取するという食欲をあらわし、
交尾することの可能なものについては、いずれを問わずに性交するという性欲をあらわしました、
その一方で、無と荒唐無稽の認識にまで至った、知欲は、
生存の持続に必要不可欠な創造を行うことを強靭にあらわしたことにありました、
無と荒唐無稽に対して、人間を超越する神的存在を創造し、群棲する動物を社会という秩序で収め、
国家という囲繞に発展させては、文明や文化を展開させるという人類史をあらわさせたのです、
人類は、地球上における、動物の覇者の地位を獲得するにまで至ったことでした、
しかし、人類は、動物存在のひとつに過ぎないという事実は、
文明や文化を展開させるという栄華を誇っても、
もし、人類が何らかの災害に依って、地球上からその一切を消滅させることがあったとしても、
地球上の覇者とさせている、その栄華を誇る文明や文化の産物のすべては、
残された他の動物の一般からすれば、まったく利用することのできない遺産、
産業廃棄物、地球汚染の余計物、或いは、意味さえない、事実があるだけのことにあります、
現在、地球環境が破壊され、それは、漸進的な壊滅へと向かっていることにあるとすれば、
人類の栄華を誇る文明や文化の産物がその状況にまで導いてきた、でたらめさ加減というのは、
ただ、人間存在の背後にある、無と荒唐無稽が如実となったと言えるだけのことでしかありません、
人類も、動物存在のひとつに過ぎないことにあれば、
これまでに絶滅していった種族があったように、絶滅したからといって、
かつての人類が動物保護を掲げて慈愛をあらわしたようには、
残された動物は感動しないという現実があることも事実です、
性的事象を公然とさせることに意義があるとすれば、
それは、人間存在の背後にある、無と荒唐無稽と向き合うことでしかありません、
しかし、それは、非常に過酷なことです、
それまでにある体制と制度を根底から無と荒唐無稽とすることにあるからです、
性的事象の一切は、成し得る限り、あからさまとされることがないように
下品・下卑・猥褻・非道徳・非人道として、隠蔽されることを存在理由とされることの所以です、
しかし、隠蔽されたからといって、性的事象が消滅することではありません、
それは、性的官能が四六時中働いているものにあることからすれば、
むしろ、隠蔽は、屈折・歪曲・倒錯を生み出すことへ導かれることにあるからです、
文明や文化を展開させる体制や制度から、社会の規制がどれだけ厳重なものになろうと、
四六時中働いている性的官能は、余りにも卑近な事柄としてあるという現実は、
人間の行動に関与する意味において、重大で重要な問題が提起されていることにあるのです、
言い方を換えれば、人間は動物存在のひとつに過ぎないという超越することのできない、
人間の限界があらわされていることにあると言えるのです、
そのような人間の限界の上で行われている、人間の表現の一切にあることです、
善悪の概念も、突き詰めれば、
人間が無と荒唐無稽に対峙できないが故の思慮にあると言えることにあります、
人間が動物存在のひとつに過ぎないということは、四つの欲求が存在理由であれば、
善悪の彼岸としてあることをあらわしています、
従って、人間を超越する絶対の神的存在が求められることは、
善悪の彼岸にある人類の放埓・無際限・やりたい放題を秩序に収めるための不可欠となります、
しかし、神的存在は、人類が知欲を働かせて創造したものでしかありませんから、
動物存在のひとつに過ぎないということが最も自然な姿にあることになります、
その自然な姿は、医学・医療の跳躍の進歩に依って、
人間の進化を目的として、頭部から足先までいじくりまわして、
動物としての性交・妊娠さえも、人間の手に依る人工の事柄としている現実にあっては、
人間の進化とは、いずれは、心と身体を一切の病気から超克させたものへと成り変わること、
喩えれば、アンドロイドのようなものへ生まれ変わることが予兆されることにあります、
それは、世界はひとつ、世界基準、世界思想をあらわす、
人間という概念を全世界的に一義とすることへ収斂されるという人類史へと向かうことを示唆します、
人間の思考に多種・多様・多義が存在する限りは、対立と矛盾は、消え去ることはありません、
対立は闘争を生み、闘争は戦争となり、対立と矛盾の決着は殺戮にしかないというありようは、
人類がこれまで愚行として行ってきたことにあるとされることの正解でしかないからです、
人類における概念は一義となることにしかない、これが人類の生存の意義とされることにあります、
一切が一義の概念で認識されることにおいて、思考の整合性は、完全性を保つことにある、
思考の整合性は、体制と制度へ従うことをそこに暮らす人間の共有概念と成し得る、
群棲している、ばらばらの動物をひとつにまとめるための一義化の推進である、
性的官能があらわさせる、多種・多様・多義の性の様相は、
この推進される一義化の前では、少数であるがゆえの存在理由をあらわしていますが、
実際は、いずれの人間にもあることは、人類の存在理由としてあることなのです、
私は、あの方の妻であると呼ばれたい、
一之瀬由利子が縄へ化身して、しっかりと抱擁してくれる、
そのように思える心持ちが抱かせる見解にあったことでした、
美の化身の美しい顔立ち、綺麗な姿態、毅然とした考え方、率直な振る舞いに対して、
信頼と尊敬を寄せる思いが向かわせたことは、
後ろ手に縛られた不自由こそが一之瀬由利子の自由を感じるさせるためのものであり、
その自由へ開かれるためにみずからはあるのだ、という思いにさせたことにあったのでした、
みずからは、一之瀬由利子に選ばれた者にあるという自負の感じられることであったのでした、
従って、高倉真美は、生まれたままの全裸にされ、亀甲縛りという縄掛けを施されると、
縛られた縄尻を取られ、大きなベッドへ上がるように促されました、
純白の絹のシーツの敷かれた、生贄を捧げる祭壇のような雰囲気のかもし出された場所でした、
彼女は、男性の挿入を未だ受け入れたことのない処女であるばかりか、
一糸も着けない全裸を麻縄で縛られたこともない、初心な処女にあったことは、
生贄として捧げられる供物としては、申し分のないありようにあったことでした、
全裸の姿になったことは、とても、恥ずかしいことだと感じさせられました、
その恥ずかしさにまとわされた縄の意匠は、恥ずかしい全裸を菱形の綾で織り成され、
ふたつの乳房や股間といった恥ずかしい箇所をいっそう際立たせるものにありましたが、
柔肌を圧迫して伝わってくる縄の拘束感は、最初は、窮屈と思わせたことにありましたが、
どきどきと高鳴る胸の鼓動がその恥ずかしいと感じる思いとしっかり結ばれたとき、
肉体への縄掛けは、熱い感触で身体を包まれていることにあると感じられることにありました、
尋常でない状態に晒されて、のぼせ上がっているだけだったのかもしれません、
全裸を縄で縛られるという異常な状態に翻弄されているだけだったのかもしれません、
或いは、普通に生活する女子生徒が通常では到底あり得ない行為に置かれて、
大人の認識を意識させられる自惚れにあったと言えるようなことであったのかもしれません、
そのいずれであったとしても、施された亀甲縛りの縄掛けは、全裸にあることの羞恥を高ぶらせ、
性的官能が気持ちの良いくらいに浮遊させるものであったことは、確かなことでした、
ベッドの上へあげられて、純白の絹のシーツへ、緊縛の裸身を優しく仰臥させられたことは、
優美な腰付きを落とさせた、夫の更なる麻縄をもたらさせたことにあったのでした、
縄頭を作り、ふた筋とさせたそれを揃えさせたしなやかな両脚の華奢な足首へ巻き付けて、
束ねるように縛っていくことを始めさせたのです、残りの縄は、膝まで持っていかれると、
双方の膝小僧を合わさせて、同じように、束ねられて縛られることがあらわされたのでした、
このようにされたことで、ベッドの上で、
容易には身動きの取れない姿態を執らされたことにあったのでした、
夫は、添い寝をするように、みずからの全裸の姿態をベッドへ横たえていきました、
そのとき、亀甲縛りで残った背後の縄尻が手にしっかりと握られていて、
もう片方の手は、ほっそりとした指先が妻のふたつの乳房に可憐さをあらわす乳首へ触れて、
揉みしだく行為に始まったことは、妻の望むばかりのことにあったのです、
夫の巧みな指さばきは、たちまちのうちに、ふたつの乳首を立ち上がらせ、
女の羞恥の股間へ埋没させられている麻縄へ、女の花蜜を滲み出させることにあったのです、
妻が喘ぐように綺麗な唇を開いて求めれば、夫は、
思いを込めた熱心さで唇を重ね合わさせ、挿入させた舌先の愛撫で妻を舞い上げるのでした、
夫から授けられた性的官能の絶頂は、三度に及んだことにありました、
高倉真美にとって、夫の一之瀬由利子は美の化身そのものでしかなかったのでした。


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