第4章 <縄の導き>に従って  借金返済で弁護士に相談




第4章  <縄の導き>に従って




いやあ、危なかった、目覚めた冴内谷津雄は、
余りの気持ちの良さに、夢精してしまったのではないか、
と思わず股間へ意識を集中していた、
濡れていないようだった、それから、慌ててあたりを気にしたが、
こじんまりとした公園には、他に人影はなかった、
ただ、燦々と降り注ぐ、白昼の陽射しがあるだけだった。
太陽が眩しかった、
ふと、有名な科白を思い起こしたが、それにしても、
このような場所で、居眠りをこくなんて、余程疲れていたに違いない、
と思いながら眼をやれば、膝の上には、雑誌が開かれていた、
『縛めの変容譚』という絵画が紹介されているページがあるのだった。
荒涼とした灰色の大地にひざまずく、
縄で緊縛された全裸のヴィーナスとその縄尻を取るキューピッドの情景であった。
ふう、と溜息をつきながら雑誌を閉じると、腕時計を見た、
<桜花堂>の主人との約束の一時間になろうとしていた。
冴内は、ベンチから立ち上がり、苦笑いを浮かべながら、
夢であろうと、百合夫人と名乗った女性の顔立ちと姿態の美しかったことは、
そう出会える女性にはないなとつくづくと思うのだった、
喩えて言うならば、亡霊の存在のような非現実的な艶麗と妖美にあったとさえ言える、
そのような超絶とした女性に吸茎してもらえたのだから、
男冥利に尽きるということなのだろう、
それとも、しばらくご無沙汰をしているから、大分たまっていただけのことだろうか。
公園を出るとき、ふと見ると、<山伏公園>と表札されていた、
修験者の公園とは、良い名前の公園だ、
色々と学ばさせてもらったからな、と独りつぶやいた。
<桜花堂>へ戻り、立て付けの悪い、軋むガラス戸を開けたときだった、
ほぼ同時に、なかから出てくる人物と出くわしたのだった。
冴内は、相手の顔立ちを見るなり、驚愕の余り、手にしていた雑誌を落としそうになり、
思わず、後ずさりして道を譲ったが、
その女性は、相手に一瞥を加えると、澄んだ綺麗な声音で、
恐れ入ります、と言って通りすがるのであった。
世の中には、自分にそっくり似た人物が三人はいるということにあれば、
典子夫人、百合夫人、そして、いまの女性と、
三人の出会いを持ったことは、数字の範囲内であるから、驚くようなことにはない、
第三にあたる女性が優雅さを漂わせて歩き去っていく後姿を見つめながら、
冴内は、驚愕している自分の方がどうかしているのだと思うのに、精一杯だった。
そこで、<桜花堂>の主人と顔を合わせるなり、開口一番、
「ご主人、大変不躾な質問ですが、ただいま出て行かれた美しい女性は、
差し支えなければ、どなたであるか、教えては戴けませんでしょうか。
私の知っている女性に、非常に良く似ていたのです」
と尋ねたのである。
主人は、相手を見据えて、落ち着いた調子の低い声音で答えるのだった。
「彼女か、彼女は、由香と言って、暇を見つけては、
不自由なわしの世話をしてくれる、家政婦でもあり、娘でもあるような女性だ。
いま、買物へ行ってもらっているところだから、じきに戻るだろう」
偏屈そうに見えたじいさんであったが、道理をわきまえた実直な物言いに親近感を感じて、
冴内は、思わず、畳み掛けるように尋ねたのだった。
「ご主人、実は、この雑誌に掲載されている女性に、
ここと……ここですが……
由香さんは、瓜二つにある女性とは思えませんでしょうか」
冴内は、『SMクイーン 十月号』の当該ページを開いて、見せるのだった。
八十余の年齢にある老人であったが、眼鏡も必要とせずに、
相手の差し出した写真と絵画をじっくりと眺めると答えるのだった。
「まあ、似ていると言われれば、似ていないとは言えないが、
由香は美人には違いないが、格別の美人ではないよ、彼女は、普通にいるタイプだよ、
ただ、思慮深く、思いやりがあって、優しさは、特別の女性だが、
こういった写真や絵画に取り上げられるような別嬪ではないよ」
そのように言いながら、雑誌を冴内に返す、主人であった。
冴内も、美貌の女性を見れば、典子夫人か百合夫人に見えてしまうほど、
『終焉なき悪夢』や『縛めの変容譚』に感化されてしまった自分というものを、
つくづくと思うしかないことだった。
「ところで、おまえさん、わしに用があると言っていたが、何だね。
わしも、一仕事終えたので、一杯やりたいたいが、付き合ってくれるかね」
そう言いながら、主人は、一升瓶を取り出すと、
まあ、座れと手招きして、畳へ並べた湯飲みに酒を注ぐのであった。
「酒の肴は、いま、由香が買ってきてくれるだろうから、
それまでは、舌を湿らす程度に、ちびりとやってくれ」
と言うなり、湯飲みの酒を一気に飲み干すのであった。
座敷へ上った冴内も、それを見て、応じるように、
一連の出来事から渇き切っていた咽喉が一気に飲み干させるのであった。
老人は、相性のいい奴だと思うようにうなずいて、酒を相互の湯飲みに再び注いだが、
冴内は、一気に咽喉元をすべり落ちる、熱い刺激の気分の良さから、
躊躇せずに、問い掛けたのであった。
「ご主人、谷中七丁目というのは、どのあたりになるのですか」
突然の質問に対して、湯飲みの二杯目を口につけていた主人は、
落ち着いた調子の低い声音で答えてくれた。
「谷中七丁目と言えば、谷中霊園のあるあたりだ、あの辺は、寺も多い」
そう聞かされた冴内は、合点がいったとばかりにうなずいて笑みを浮かべると、
「なるほど、それでよく分かりました、
百合夫人の住まいは、谷中霊園にあったのですね、なるほどなあ……
人生、色々なことがあるものですね」
主人は、酔ったように、にやにやしている冴内をまじまじと見据えながら、
初対面とは思えない親近感を感じたように、ぽつぽつと話し始めるのだった。
「そう、人生には、色々なことがある、色々なことがあるから、人生だ。
わしも、この歳まで生きてきて、先も知れている、
だが、色々なことがある人生だから、知れている先も短いとは感じない、
今日、おまえさんとこうして酒を酌み交わすことができることも、色々のひとつだ」
八十歳はとっくに過ぎている老いは隠せなかったが、
酒の呑める愉悦に気分が良いようだった。
「おまえさんには、大して面白くもない話になるだろうが、
わしの話を少し聞いてはくれまいか」
と話し掛けてきたのである。
冴内も、湯飲みの二杯目をほとんど飲み干している状態にあって、
「聞かせてください、
ぼくは、今日、色々なことがあって、凄く気分がいいんです」
と答えるのだった。
老人は、皺の寄った唇の端に微笑を浮かべながら、続けた。
「実は、先程、おまえさんが見せてくれた雑誌の女性だが、
写真の女性にしても、絵の女性にしても、
実は、わしの初恋の女性に、瓜二つのように、そっくりだったのだ。
わしの蒐集のなかで、特別の意味を持つ雑誌で、
数多ある雑誌のなかで、それをおまえさんが取り上げたから、
わしは、おまえさんと話す気になったんだ。
わしの初恋の女性の名は、幸乃と言って、同い年の二十歳だった、
わしは、その女性に思いを打ち明けることまではできたが、
結婚するまでには至らなかった、戦争があったからだった。
わしは、幸乃とは、結婚できる将来を考えることができなかった、
それほど戦局は逼迫していて、米軍の東京への空襲も激しさを増していた、
わしは、特別攻撃隊の隊員に志願した、<桜花>という新兵器の搭乗員だった、
それは、一機一艦撃沈を目的として、機首部に大型爆弾を搭載した小型航空機で、
母機に吊るされて目標付近で分離発射され、
その後は、搭乗員が誘導して、目標に体当たりさせるというものだった、
実戦に投入されたのも、昭和二十年、終戦の年というものだった。
わしは、戦死するために、幸乃と別れなければならなかったが、それは、
幸乃の将来がわしのささやかな死で少しでも可能になればと思ってのことだった、
わしは、この上野で生まれ育ったが、七人兄弟の末だった、
後顧の憂いの無いものにあったから採用され、幸乃には別れを言わずに入隊した。
そして、訓練中の事故で、見ての通り、左足を膝から失ってしまった、
入院中に終戦を迎えることになったが、片輪者になって、地元へ戻ってみると、
幸乃は、空襲の犠牲者となって、亡くなってしまったことを知ったのだ」
そこで、ひと息つくように、
<桜花堂>の主人は、遠くを見つめるまなざしとなって、黙るのだった。
冴内は、話を聞きながら、小夜子を思い出して、彼女を思慕して、
その探索のために此処へ来たことを思い返していたが、
挟む言葉も見つからず、湯飲みの酒を口にする以外になかった。
「幸乃は、美しく、聡明な女性だったが、
あの写真や絵の女性のように、縄で縛られたことがあったわけではない、
わしが縄による緊縛を知ったのは、幸乃が亡くなってからのことだ。
戦争が終わったとき、幸乃もいない、未来のあてもない、片輪でしかなかったことは、
生きる気力を失わせるのに充分だった、自分も戦友たちと同じように、
華々しく死ねればよかったと悔やむばかりの毎日だった。
上野公園の不忍池まで無理して歩いては、
荒れた池を一日中眺めて、ただ、暗鬱、暗澹とした思いに耽っているだけだった。
そうした或る日、わしは、そこで、権田孫兵衛という老人と出会ったのだ、
老いさらばえた風采をした着物姿の見るからに胡散臭い人物に見えたが、
わしも、そんなひとのことをあげつらうことができるほど、
溌剌とした若者であったわけではなかったから、
壊れたベンチのとなりに座られても、仕方がないと思った。
おまえさん、死ぬことばかりを考えているようだが、
そこまで考えたなら、どうだい、これを学んでみる気はないかい、
突然、かくしゃくとした言葉で話し掛けてきて、
ふところから取り出した、使い古した麻縄を見せたのだ。
わしは、てっきり、その縄で首を括れと言われたような気がして、
冗談じゃない、自分の始末は、自分でつける、余計なお世話だ、
と怒って言い返した。
すると、老いさらばえた無表情の顔付きの鋭い眼光でわしの方をにらむなり、
よし、それだけの元気があれば、充分だ、
縄の教えを学びたければ、わしの後へ付いて来いと言ったのだ。
そして、立ち上がると、わしの動向など、まったく気にせずという威厳を示して、
どんどん歩き始めたのだった。
わしは、何が何だか分からなかったが、その威厳をあらわす態度には、
不思議と惹かれるものを感じて、思わず、老人の後を追っていた。
そして、教えられた、<縄による緊縛>だったのだ。


若い<桜花>が老人に案内されたのは、隅田川を渡った、
向島界隈の路地裏にある、空襲から焼け残った長屋のひとつであった。
木戸を開くと、小さな土間を挟んで、
台所の付いた六畳間と奥に部屋がひとつあるだけの簡素な住まいであったが、
その古びた畳に薄い座布団を敷いて座っていたのは、
その部屋には、場違いとしか言いようのない女性たちであった。
女性は三人いたが、身に着けていたのは、ブラウスにもんぺという質素であったが、
女性たちの放つ、優雅を立ち昇らせる、輝くような美しさの雰囲気は、
芳香すら漂うように感じられて、貴婦人の集いのようにさえ感じさせることにあった。
老人と一緒に入った、<桜花>は、茫然と立ち尽くすばかりになってしまった。
三人の女性は、老人の帰宅を知るなり、きちんと正座をして居住まいを正し、
お帰りなさいませ、と言って三つ指をついた。
老人は、座敷を上がると、中央に座っている女性に話し掛けたが、
束ねた艶やかな黒髪の顔立ちを上げた、その女性の清楚な美貌は、
澄んだ綺麗なまなざしと筋の通った高い鼻にあって、
美しい形の唇は、気品にあふれた、典雅と言える風情を漂わしていた。
「雅子、求道者を連れてきた、
<縄の導き>を見せてやってくれ」
老人のその言葉に、雅子と呼ばれた女性は、かしこまりましたと言ってうなずくと、
「京子さん、桂子さん、求道者様に上がって戴いてください、
<縄の導き>を行います」
とふたりの女性へ告げて、襖を開いて、奥の座敷へ老人と共に入っていくのだった。
やはり、束ねた黒髪をした、年上と年下の端正な顔立ちの女性たちは、
土間に立ち尽くす<桜花>の両脇へ降りて来て、
脚の不自由な行動の支えとなるように、なよやかな肩を貸すのであった。
「準備ができるまで、しばらく、此処でお待ちください」
桂子と呼ばれた方の年下の女性が落ち着いた口調で述べると、
京子の方は、襖を開いて、奥の座敷へ入っていった。
それから、待たされる時間が続いたが、
<桜花>は、何事が行われるのだろうかという不安を伴った緊張を感じていた、
それと言うのも、得体の知れない老人、使い古された縄、場末にある長屋、
浮世離れしたとも言える、三人の美しい女性という取り合わせが余りにもちぐはぐで、
異様とさえ思えることにあって、ふと、脇を見れば、直立不動の姿勢を崩さずに、
奥の部屋の襖を見やる女性の余りにも落ち着き払った態度には、
威圧すら感じられるものがあると思われたのだ。
こいつらは、一体何者なんだ、と疑問が大きく膨らみ始めたときであった、
「準備が整いました」
と女性の通る声音が聞こえるのと同時に、桂子は、襖を静かに開いて、
「お入りください」
と促した、<桜花>は、びっこを引きながら、奥の座敷へ足を踏み入れた。
そこにある光景を見るなり、驚愕は、突っ立っている足元さえも覚束なくさせるほど、
生まれて初めて見たそれは、頭をがつんと殴られたような衝撃のあるものだった。
女性の裸姿を見たことがなかったわけではなかった、
だが、奥の窓から射し込む陽の光だけにあってさえも、その女性があらわとさせた、
あたりを明るませるくらいに純白を輝かせた柔肌は、美しかった。
いや、美しいのは、柔肌ばかりではなく、ほっそりとした首筋、
撫でたなよやかな両肩、愛らしい乳首を付けて綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房、
美麗な曲線を描いてくびれを際立たせた腰付き、
なめらかな腹部にある形の良い臍、その下には、女の小丘を隠させる、
ふっくらとした漆黒の靄のような陰毛をのぞかせていたが、
艶やかな太腿から伸ばさせた、しなやかな両脚と華奢な両足の全体からは、
女性の全裸にある姿態とは、
これほどまでに優美にあることなのかと思わずにはいられないことだった。
だが、その全裸の優美をあらわす女性には、大きな異様もあらわされていたのだ、
純白を輝かせた柔肌には、縄ががっちりと掛けられていたのだ。
ひとが縄で縛り上げられる姿など、
罪人にあるか、折檻でも受けさせられているようなことにしかない、
しかも、恥辱をさらけ出されるような全裸で、
見ず知らずの他人に見られる、惨めな晒しものとされている、
この女性は、いったいどのような理由から、このような虐待の境遇に立たされているのか、
その答えを求めるように、雅子と呼ばれた女性の顔立ちを見つめたときだった。
女性の綺麗に澄み切ったまなざしと出合ったのだ、
柱を背にして直立した姿勢で、全裸姿をあらわとさせていた女性は、
束ねていた髪を解き、艶やかに波打つ黒髪に縁取られた顔立ちにあって、
両眼をしっかりとこちらの方へ向けさせて、品のある美しい形の唇を結ばせていた、
その強い気高さを感じられる表情には、
そのような姿にあることの自負さえも窺わせるものがあったのだ、
罪人にあるわけでもない、折檻にあるわけでもない、と思わせた、不可思議だった。
このようなことがあり得るのか、
一糸もまとわない全裸にあることは、ひどい羞恥にあることのはずだ、
その全裸に掛けられている縄は、後ろ手にされて縛られていることにあるばかりではない、
ふたつの乳房は、可憐な乳首を突き出させられるように、上下から挟んだ縄が施され、
その上下の縄をほっそりとした首筋を左右から下りる縄で絡げられていた、
それは、猥らと感じさせるに充分のありようであったが、それが猥らにあるならば、
くびれた優美な腰付きへ巻き付けられた縄が形の良い臍のあたりから縦に下りて
なめらかな腹部をつたい、ふっくらとした漆黒の靄のような陰毛を掻き分けて、
女の小丘にある深々とした亀裂のありようをあからさまとさせていたことは、
いったい何だ、淫虐としか言いようがないではないか。
にもかかわらず、そのような淫虐な姿にあっても、女性の美しい顔立ちは、
紅潮をあらわしているというだけで、尊厳さえ滲ませる矜持を感じさせたことは、
むしろ、神秘的であるとしか言いようがないことだった。
思いを奪われたように見つめ続ける<桜花>に、老人の言葉が掛けられた。
「おまえさんが見ているものが、おまえさんの思いのあらわれなのだよ。
おまえさんが残酷だと思えば、それは、残酷をあらわす、
おまえさんが淫猥だと思えば、それは、淫猥をあらわす、
おまえさんが高貴だと思えば、それは、高貴をあらわす、
見える事物は、見えるままにあることにはない、ということだ、
そこに何を見ることが可能であるか、
<縄の導き>は、それを教えてくれる、ひとつの手段であることだ、
まあ、見ていなさい」
生まれたままの全裸をあらわとさせて、縄で縛られた、雅子という女性は、
次第に、込み上がってくるものを鋭敏に感じ始めたとでもいうように、
締め上げた縄でくびれを際立たせられた、優美な腰付きをぶるっとさせてひねらせると、
今度は、しなやかなに伸ばさせた両脚を重ね合わせるようにしてねじらせるのだった、
股間の女の小丘にある割れめへ埋没させられている縄が原因であることは、
そこから突き上がってくるものを懸命にこらえるかのように、
不自由な上半身もくねらせるようにして、眉根を寄せて、唇を真一文字とさせていた、
ただ、澄んだ綺麗な両眼だけは、私を見ていてくださいと言わんばかりに、
<桜花>の方へじっと注がれたままにあるのだった。
だが、こらえにこらえたものは、遂に堰を切って噴出したかのように、
女性は、縄で縛られた身体を可能な限りよじらせて、
ああっ、という甘美な声音を上げながら、絶頂を極めたのだった。
その下半身を痙攣させての官能の喜びに浸された姿は、
妖しい美しさを放っていたばかりか、快感に浮遊させられるその顔立ちには、
清純と言える、純粋を滲ませた紅潮にあることを感じさせられたのである。
女性が性的官能の絶頂を極める実際を見たのは、初めてのことにあったが、
このような異様な姿にありながら、
このような美しいものとしてあることに、強い感動を覚えさせられたのであった。
「雅子が特別な女性であるということではないよ、
彼女は、ただ、性的官能が清冽なものにあることを自覚しているだけだ、
そして、<縄の導き>に従って、認識を広げていることにあるだけだ、
京子にあっても、それは、同様のことだ、見なさい」
立ち尽くしたままにあった<桜花>は、老人の言葉に促されて、
右手の畳の上へ注意を向けるのだった。
そこには、柱の女性とまったく同様に、
全裸の姿を後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、
股間へ通された縄を施された、年上の女性が横臥させられていたが、
その下半身を痙攣させての官能の喜びに浸された姿は、
妖美を放っていたばかりか、快感に浮遊させられるその顔立ちは、
澄んだ綺麗な両眼を<桜花>の方へじっと投げ掛けて、
清冽と言える、純粋を滲ませる紅潮にあることを実感させられるものがあるのだった。
「次は、桂子の番だが、それは、おまえさんが行うことにある」
<桜花>は、思わず、左手へ眼をやった、
そこには、一糸もまとわない、桂子が立っているのであった、
見てくださいと言わんばかりに、束ねた黒髪を解き、綺麗な顔立ちをもたげて、
両腕を脇へ沿わせ、愛らしい乳首を付けたふっくらとしたふたつの乳房、
ほっそりとした腰付き、慎ましやかに茂らせた漆黒の繊毛をあらわとさせて、
すらりと伸ばさせた両脚を揃えた姿勢のままにあるのだった。
「桂子は、全裸をおまえさんに見せることで、無防備にあることを示している、
おまえさんの縄が守ってくれるのを待っている、
さあ、縄掛けをしてやってくれ」
老人は、<桜花>に、使い古した麻縄を差し出すのであった。
<桜花>は、驚かされるばかりの申し出に、ただ、縄を見つめることしかできなかった、
縄は、見つめていると、見れば見るほど、その存在感を如実とさせ、
縄があらわす、ひねる、ねじる、よじる、という形状は、
息づいているようにさえ思えることにあって、
掴むことを誘われているように感じられることにあるのだった、
縄には意味があって、縄は、使うことに依って分かる意味にある、
掴むとは、そういうことだ、と言われているようにさえあることだった、
それほど、差し出されている、灰色に脱色した古い縄には、
因縁とも呼べるような不思議が感じられることにあった。
混乱する思いは、狼狽を招いていた。
「しかし……しかし、ぼくは、ひとを縛ったことなどない……
縛ろうと考えたこともない、そのようなこと……」
と独り言を言わせたが、その不安は、
威圧的な老人の態度に、このままずるずると引きずり込まれてしまうという、
恐れまで抱かせるものになっていた。
「それならば、いまから始めればいい、
さあ、縄を取れ、早くしろ、
おまえさんは、自分の始末は、自分でつけると言ったはずだ、
その言葉どおり、おまえさんの主体性を発揮させてみろ」
そのように言われて、<桜花>は、老いさらばえて鬼のような形相をあらわした、
相手の顔付きをまじまじと見据えたのであった。
「難しいことはない、
<縄の導き>に従って、求道すればよいことだ」
<桜花>は、老人の顔付きと麻縄とを交互に見やりながら、
<求道>という言葉に考えを促されていた、
片輪者になって以来、考え続けた言葉であったからだった、
しかし、<求道>とは、死ぬことにあると思える以外なかったことだった、
だが、死ねない日々を繋いできたのだった。
「あなたたちは、何者なのですか。
このようなひと目をはばかるような行為を平然と見ず知らずの者の前で行う、
ぼくには、とても尋常なひとたちには思えない。
あなたは、いったい、何者なのですか、
ひとを縛るということに、<求道>があるのですか」
その問い掛けに、老人は、縄をもたげたまま、答えるのだった。
「わしは、権田孫兵衛、<縛って繋ぐ力による色の道>を説いている者だ、
ここにいる女性たちは、わしの弟子だ、
わしは、おまえさんに、<縄の導き>を説いているだけだ、
おまえさんにとって、それが<求道>となることかどうかは、おまえさん次第だ、
みずから答えを出そうとしないところに、<求道>もあり得ない、
分かったら、縄を取れ、取りたくなかったら、この場を立ち去れ」
その明確な老人の言葉に、<桜花>は、もう一度、
柱の女性、畳の上の女性、横に立ち尽くしている女性を見つめるのだった、
そして、官能の興奮の余韻を滲ませてはいたが、
どの女性も真剣な表情を浮かばせている顔立ちを知り、
この尋常でない状況が自分に向けて、
進むべき道を問い掛けている切実を感じるのだった。
「生きるためには、創り出していかなければならない、
破壊、崩壊、喪失に立ち尽くしているだけでは、生まれるの感傷だけだ、
おまえさんがわしと遭遇したのは、
創り出して生きることがおまえさんの身上だからだ、
それでなければ、此処へは付いて来ない、
女性たちの縛られた裸姿を見れば、驚愕して、逃げ去ってしまったことだろう。
どうして、いま此処にいる、それは、おまえさんが見たものに惹かれているからだ、
それが何か、自分では分からない、当たり前の話だ、
さらけ出された猥褻に、高貴なものを見るなんて、あり得ないことだからだ、
だが、おまえさんは見た、
見ることのできる者にしか成し得ないことの門口に立ったということだ、
後は、おまえさんみずからがその見たものを解き明かすしかないことだ、
<縄の導き>は、求道者に道を示す、
だが、その道を歩むのは、創り出すのは、おまえさん自身でしかない、
桂子は、おまえさんのために裸になっているのだ、
おまえさんの縄を求めている女性にあるのだ、
おまえさんにも、いきり立たせているものがあるならば、
その性的官能の清冽を自覚することは、おまえさんの道を切り開かせることだ」
権田孫兵衛老人は、そのように言ったのだ、
<桜花>は、その皺だらけの手にある、古びた麻縄を掴んでいた、
閉じていた<桜花>は、花開かせたのだった。


<求道者>は、そうして、初縄の教えを<導師様>である権田孫兵衛老人から頂いた。
<初縄の教え>と言っても、<導師様>が手取り足取りして教えたことではなかった、
桂子という女性を相手として、
<求道者>みずからが縄掛けの探求を始めたことにあった。
<導師様>は、説くのであった、
雅子と京子の<縄による緊縛の顕現>に見い出されたことは、
<求道者>にとって、<色の道>の認識の始まりにある、
その<色の道>は、<民族の予定調和>へ向かう道である、
道を歩むということは、そこから教えられた以上の事柄を見い出すことであり、
不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進によって行われることでしかない。
<初縄の教え>のために、<求道者>は、七日間、長屋へ通うことを告げられた。
翌日、<求道者>が九時に長屋へ着くと、
<導師様>は、雅子と京子を従えて、伝導へ出掛けられた、
夕方の五時までが<求道者>と桂子のふたりだけの時間とされたことにあった。

初日。

<求道者>と桂子は、奥の座敷で対面した、
男性は二十一歳、女性は二十七歳にあった。
ブラウスともんぺ姿の桂子は、思いを固めたように、身に着けていた一切を脱ぎ去ると、
顔立ちに羞恥を滲ませながらも、直立した姿勢で、全裸をさらけ出させた。
裸の女を前にさせられて、<求道者>は、その存在感に圧倒されるばかりで、
見つめ続けることもままならないという状態にあった。
「私を見て下さい、あなたの思う存分に、私の身体を見て下さい。
女性の身体は、どのようなものになっているのかを存分にお知りになって下さい、
私は、あなたが言われる通りの私の身体をご覧にいれます。
あなたは、女性の身体を充分に知ることによって、
あなたの想像力は、身体が見せる女性を見ることにあるだけでなく、
その内奥にある女性までも、見ることが求められることにあるからです。
あなたの思うがままに、どのように、私を取り扱って頂いても構いません、
私は、あなたの求道へ従う者にあります」
桂子のその真剣な言葉は、<求道者>の思いを固めさせることへ促せた。
<求道者>は、雅子が柱を背にして繋がれた裸の晒しものにあったこと、
その姿に美と高貴を見い出したことを思い返して、桂子を同様の姿に置こうと考えた。
<求道者>が麻縄を手にすると、桂子は、
「縄は、基本として、一本の縄をふた筋とさせて使用する方が便利です、
折った方が縄頭、割れた方が縄尻となります」
と言いながら、両手をそろそろと背後へまわさせていくのであった。
<求道者>が桂子の背後に立つと、
華奢な両手首が重ね合わされて、縛られるのを待っていたが、
「縄を掛けるときは、下から上へまわします、
縄で締め上がれば、血管に影響が出ますから、
それを常に留意して、掛けていくようにして下さい」
という言葉に、<求道者>は、慎重な手付きで、二重に巻き付けると縄留めをした。
そこの柱の前へ立って下さい、と<求道者>から言われると、
縄尻を取られた桂子は、素直に従うばかりにあるのだった。
柱へ縄尻が巻き付けられて留められると、
<求道者>は、その前に立って、しげしげと相手を見やるのであった。
生まれて初めてひとを縛ったことにあった、初縄であった、
しかも、一糸もまとわない全裸の女性を後ろ手に縛り上げたのであった。
後ろ手に縛ったというだけで、桂子の晒させた全裸が、
最初に立ち尽くしていた姿態を見違えるものに変化させたことに驚かされた。
ほっそりとした首筋から撫でた両肩、細い両腕、
愛らしい乳首を立たせたふっくらと盛り上がった乳房、ほっそりとした腰付きは、
くびれの曲線を流れるように、すらりと伸ばさせた両脚の先まで至らせて、
華奢な足首の小さな両足が身体を支えている、麗しさにあるのであった。
束ねた黒髪の解かれた、その顔立ちは、こちらを真剣なまなざしで見つめて、
小さな鼻と閉じ合わせた唇に意志のあらわれを感じさせる、毅然とした表情にあった、
しかし、赤らめている両頬が羞恥を隠せないことは、
可愛らしい形をした臍のある腹部の下に、黒い色艶を帯びて、
慎ましやかに密生させた繊毛に隠された陰部をあらわとさせられていたからであった。
後ろ手にされた両手は、乳房と陰部を隠すことができない、
これだけのことで、女性らしさが匂い立つように生まれる、驚きであった。
<求道者>は、時間の経つのも忘れて、頭から足先まで、
つぶさに見つめ続けるばかりにあったが、桂子も、見られるばかりになっていた。
その時間の経過が、やがて、直立した姿勢を保たせていた女性の姿態をうごめかせた。
「見つめているばかりでなく、触って戴いても、構わないのですよ」
綺麗な顔立ちを紅潮させた、桂子は、優しく投げ掛けるようにつぶやくのだった、
それは、思わず、ぴたりと閉じていた、しなやかな両脚を擦り合わさせた仕草となった。
<求道者>は、言葉に応じて、桂子へ近付くと、
その波打つ柔らかな黒髪に触れることから始まり、髪を手で梳いて感触を確かめると、
指先は、白い額、細い眉毛、柔和な目蓋、可愛らしい鼻、綺麗な唇、小さな顎へと移り、
耳と耳たぶを撫でては、ほっそりとした首筋を伝いながら、撫でた肩へ下りていった、
胸元をふれた手は、ふたつのふっくらと隆起した乳房に及んでは、
両手となって、柔軟な弾力を揉みしだくまでに確かめて、
立ち上がっている可憐な乳首のしこりをこねりまわした、
その愛撫は、離れがたいとでも言うように、優しく強く、執拗に続けられたが、
<求道者>は、ついには思い余って、片方の乳房へ唇を寄せていた、
子供が母親の乳房にむしゃぶりつくような激しさで、乳首へ吸い付くと、
吸い上げ舐めまわし始めたが、桂子は、母親が子供を愛でるようなまなざしを投げて、
されるがままになっているだけであった、だが、もう片方の乳房にまで及んだときは、
慎ましくあろうと抑えていた思いをよそに、後ろ手縛られた裸身をくねらせて、
ああっ、ああっ、と声音をもらさせたが、それが<求道者>を大胆にもさせることになった、
女性の甘美な声音は、みずからの行為が効果を上げる感激を感じさせるのと同時に、
すでにもたげていた陰茎を硬直させるのに充分であったのだ、
従って、そこから先は、両手と唇と舌を用いての女体の実地調査ということになった、
ようやく、その三様の愛撫がふたつの乳房から離れたときには、
<求道者>も激しい息遣いにあったが、桂子の方も、両頬を紅潮させて、
ほっそりとした腰付きをよじらせる姿態とさせていた、その腰付きのくびれの曲線を、
<求道者>の両手は、優美にあることを確かめるように撫でていったが、
その唇と舌は、なめらかな腹部にある、可愛らしい臍へ這わせられた、
だが、そこから下へ降りることには、思いに躊躇があるように、
片足の義足に難儀があるように、愛撫も止まってしまった。
「柱から解いて、畳へ寝かせて下さい」
桂子は、落ち着き払った口調で、そう促した。
片足をひざまずかせた姿勢になっていた、<求道者>は、
思わず、相手を見上げていたが、
その落とされたまなざしには、慈愛を漂わせた、抱擁力が感じられるのだった。
<求道者>は、桂子を柱から解くと、畳の上へ優しく仰臥させた。
その横たわった、後ろ手に縛られたままにある、美しい全裸の姿態を見やると、
みずからが着衣していることのもどかしさが猛然と募ってきて、
シャツとズボンと下着を脱ぎ捨てると、相手と同様の全裸の姿を晒すのだった、
左足の膝から下は義足という、片輪者であることをあからさまとさせたのであった、
<求道>に恥も外聞もない、あるのは、真実を求めることのみだ、
<求道者>は、反り上がった陰茎さえも、堂々とさらけ出させた姿にあった。
桂子は、真顔の優しいまなざしでじっと相手の所作を見つめていたが、
それは、さらけ出させた陰茎にさえも、敬意を感じている輝きにあった。
<求道者>は、難儀しながら、桂子の姿態のそばへひざまずくと、
添い寝をするような姿勢になって、女性の下半身へ覆い被さった。
だが、両手も唇も舌も、初めて前にする女性の実態の迫力には、躊躇していた、
桂子は、閉じ合わせた、しなやかな両脚の艶やかな太腿をわずかに開かせて、
「申し上げたはずです、
あなたの思うがままに、どのように、私を取り扱って頂いても構いません、
私は、あなたの求道へ従う者にありますと」
はっきりとした口調で言った。
<求道者>は、女の小丘にふっくらと密生する漆黒の繊毛に指先を触れて、
その感触を確かめるように梳き始めたが、それには、桂子も、思わず、
ああっ、という声音をもらして、両脚を突っ張らせるようにさせたのであった。
それから、漆黒の靄を掻き分けるように、指先は、割れめをあらわとさせていったが、
桂子の方も、それに応じて、艶やかな太腿を開かせていくのだった。
生々しい実態を初めて見た衝撃は、陰茎を反り上がるまでに反らせたが、
それに触れた瞬間には電撃が走って、噴出をこらえるのに懸命の状態が始まった。
幾層もの襞が花弁のように開き、小突起が真珠のような輝きであらわされ、
すぼまる穴とその下に口を開く、深遠な内奥となって光っているそこへ、
指を当てたときには、熱い柔和さが充分な湿り気を帯びた豊饒を感じさせるのであった。
陰門へ唇と舌を触れさせて、感触を確かめる余裕はなかった、
もはや、こらえるのに精一杯であったことは、進退を極まらせていた。
紅潮させた顔立ちで、その様子をじっと見守る桂子は、
両膝を立てるようにして、更に、汗ばんだ艶やかな太腿を開かせると、
「いらっしゃって、それも、あなたの求道の一環です」
と迎え入れる言葉をつぶやいたのだった。
<求道者>は、改めて、深遠な内奥に開く花弁を見たが、
その潤いに満ちた、光り輝く美しさは、反り切った陰茎を掴ませたのであった。
全裸の不自由な身体をもどかしく動かして、桂子の股間の前へ位置すると、
<求道者>は、そろそろと差し入れていったが、包み込まれていくにつれて、
熱く抱擁されるような収縮は、この上のない快感でのぼせ上がらせ、
抜き差しもままならずに、思わず、幸乃と声に出すと、
こらえ切れずの放出へ至らせたのであった、それから、感極まったように、
桂子の後ろ手に縛られた裸身へ覆い被さって強く抱きしめると、すすり泣くのであった。
興奮が沈静していった後、<求道者>が桂子の縄を解くと、彼女は、
濡れた手拭いを用意してきて、相手の陰茎とみずからの膣を綺麗に始末した。
その丁寧な優しさは、童貞を去った清めのように感じられて、<求道者>にあっては、
桂子に好意を抱かせることになったが、相手は、そうではなかった。
「幸乃さんとはどなたですの……
あなたは、随分と辛い思いをしてきたようですけれど、これは、出発ですわ、
あなたと行った性行為は、求道の一環にあると申し上げたように、
性的官能は清冽なものであるという認識へ、あなたが向かうためのことです、
あなたと私は、思いを寄せ合う者同士にはないことです、
あなたは、<求道者>、私は、その求道へ従う者にあるだけのことです」
そのように、真顔の真剣さをあらわして、告げるのだった。
しかし、<求道者>には、納得のいかない言葉に思えた、
好きでもない相手に対して、ましてや、金銭などをもらうことのない相手に対して、
そこまで奉仕する、この女性が不可解であった。
<求道者>は、幸乃が自分にとってどのような女性であって、
どのような別れ方をして、どのようにして亡くなったのかを話した、そして、
桂子がどうしてそのように自負を持って振舞えるのか、理由を尋ねたのだった。
「そうでしたか、幸乃さんはお気の毒でした、
しかし、あなたにそれだけの思いのあることならば、
あなたが懸命に生きることで、その思いをあらわすことでしかないと思います。
私にとっても、東京大空襲は、私を生まれ変わらせたことにありました。
それまで、私は、京子さんと一緒に、やくざに雇われて、手下として働いていました、
<淫魔屋敷>と呼ばれる、高級女郎を作り出す監獄のようなところです。
そこで、買われてきた雅子様と知り合ったのです、
雅子様は、<導師様>の教えを真に生きる方で、その言動や態度は、
京子さんや私などの考えを遥かに超越したところにありました、
生活を共にするうちに、私たちの思いを真底惹き付けていったことにありました。
しかし、私たちは、やくざ者の手下に過ぎません、調教される、
被虐に晒される、雅子様にいったい何ができたでしょうか、何もできません、
手下は、命じられたことをしっかりと果たして、食い扶持をもらえるだけです。
それは、東京大空襲のあった晩でした、
<淫魔屋敷>に、沢山の焼夷弾が落ちて、屋敷内は火の海と化しました、
そのとき、雅子様は、客を取らされていて、逃げようにも、
裸姿を縄で縛り上げられて、天井から吊るされる、虐待にあっていたところでした。
私たちも、逃げようにも、火に取り囲まれて、もはや、諦めるしかないと思いました、
京子さんと私は、同じ死ぬのなら、雅子様のそばで死にたいという思いから、
必至になって、虐待の部屋へ行ったのです。
すでに、客は独り逃げ去っていて、雅子様は、繋がれた状態のままにいました、
私たちは、その縄を解いて、私たちの思いを伝えました。
雅子様は、この屋敷を出ましょう、そして、
<民族の予定調和>を求めている方々のために、私たちは、伝導へ向かうのです、
そのように言って、左右の手で私たちのそれぞれの手を掴んで歩き出したのです。
私たちが燃え滅びる<淫魔屋敷>を脱出できたのは、
雅子様の超絶とした思いによることでしかあり得ません、
私たちは、一度は死んだのです、生きてある者にあるとすれば、
雅子様に従うことで生かされるものでしかあり得ません、
京子さんと私は、生まれ変わりました、
今の私は、あなたが見られる通りのものです。
今日の修業は、まだ、終わったわけではありません、続けてください」
全裸の桂子は、そのように言うと、両手をそろそろと後ろ手にしていくのであった。
<求道>とは、不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進の道にあった、
<求道者>は、そう悟ったことで、大人に生まれ変わる自覚を感じていた。
女性の美しい姿態へ執着することが開かせる、新たな認識へ展開するために、
再び、重ね合わさせた華奢な両手首へ、縄を掛け始めるのであった。
それから、眼と手と唇と舌による、女体の探求は、
その都度の高まりにおいて、更に、三度の陰茎と膣との交合にあって、
夕方の五時を迎えることになったのであった。

第二日。

<求道者>と桂子は、奥の座敷で対面した、
ブラウスともんぺ姿の桂子は、身に着けている衣服を脱ぎ去ることはせずに、
<求道者>に、縄を見ることを促した。
縄を見て、掻き立てられる想像力がどのように飛翔するものにあるか、
それが<縄掛け>をどのようにさせることにあるか、
<縄掛け>が女体とどのように結び付くものにあるかを知ることにあった。
<求道者>が縄を見つめている間、桂子は、
その背後の畳へ正座をして、姿勢を崩さず、顔立ちをもたげたまま、控えていた。
<求道者>は、縄を見つめた、
畳の上に置かれている、麻縄……
それは、すでに、生まれたままの全裸にある女体を後ろ手に縛った、道具としてあった、
それをじっと見続けていると、まず、縄が単なる物質には感じられないことを思わされた、
そのとぐろを巻いている状態は、蛇を思わせるのに充分なものがあるのだった、
蛇という動物と縄という物質は、まったく別の存在でありながら、
縄は蛇となり、蛇は縄となる、同一の意義を感じさせられるものとしてあった、
女体を後ろ手に縛った縄は、最初は、まったくぎこちない道具にあったが、
女体をつぶさに眼で眺め、唇と舌で味わい、陰茎で感動を覚える繰り返しのなかで、
四度目の最後の縄掛けのときには、縄は、まるで、生き物の蛇のようにするすると、
重ね合わされた華奢な両手首へまわすことが可能となった、
まるで、半分はみずからの力で、半分は蛇という縄の力で行われたようにあった、
縄が物質であり生き物であることは、その縄を掛けられた女体にあっても、
縛られることに喜びを感じさせ、縛られた感触から官能を高ぶらされ、
ふたりが一体となるに至っては、最高潮の感激を生じさせたことにあった、
縄は、単なる物質である道具に過ぎなければ、
女体を縛る行為というのは、単なる拘束にあることでしかない、
しかし、縄が道具という生き物としてあることにあれば、
女体を縛る行為というのは、単なる拘束以上のものになる、
縄で縛られた桂子が罪人にあるか、
或いは、折檻を受けさせられていることにあるか、
そのような問いの無意味さは、縄で縛られている実際にありながら、
その官能の喜びに浸された姿は、妖しい美しさを放っていたばかりか、
快感に浮遊させられる顔立ちには、清純とも言える、純粋を滲ませた紅潮にあって、
自負さえ感じられたことにあった、
桂子は、女性として、人間として、生きる矜持をあらわとさせていたことにあった、
それは、縄の不可思議な力と言えることは、
縄は、人間の使用の仕方次第で、善くも悪くも、幸福にも不幸にも、
重宝にも不調法にも、安全にも危険にも、成り変わることが示されていることだった、
縄は、首吊りの縄にもなれば、人命救助の命綱にもなるということだ、
見える事物は、見えるままにあることにはない、ということだ、
そこに何を見ることが可能であるか、
縄の導きは、それを教えてくれる、ひとつの手段であることだ、
と<導師様>が言われたことは、縄がひとつの道具にあることは、
人間が他の動物と袂を分かち、固有の進化へ進み出て展開させているありようには、
道具の発見・発明・改造ということなくしては、あり得ないことにある、
縄も、ひとつの意義を見るだけの存在には留まらないことは、同様であるということだ、
その縄というのは、日本民族にあっては、
遥か彼方の縄文時代を起源として、存在するものにある、
縄文人も、現在の我々も、結ぶ、縛る、繋ぐということにおいては、
道具としての縄ということにあっては、同じ行為として用いられていることにある、
だが、縄文人が縄に見たものと現在の我々が見るものとは、何処か異なるはずである、
縄文人は、縄に対して、明確に宗教的意義を見たことにあるとされているが、
それは、家庭で祀られる神棚があるように、そこにある注連縄は、
現在の我々が縄文人と同様の宗教的意義を見ていることにあることが示されている、
<導師様>は、わが日本民族における<民族の予定調和>ということを言われたが、
それは、縄文人も、現在の我々も、未来の日本民族も、
同様の宗教的意義にあることの調和を意義するということを言われたことなのか、
だが、<導師様>は、神道の伝導者にはない、
では、<導師様>は、縄に何を見ているというのか、
宗教にある縄と宗教にない縄との相違は、いったい何なのか、
反対に考えれば、その相違を進化の展開の結果として見ることができるとしたら、
現在の我々が見るものと未来の日本民族が見るものとは同様にならないことは、
それこそを<民族の予定調和>と言っても、可能なことにある、
<導師様>は、このように説かれた、
雅子と京子の縄による緊縛の顕現に見い出されたことは、
求道者にとって、色の道の認識の始まりにある、
その色の道は、民族の予定調和へ向かう道である、
道を歩むということは、そこから教えられた以上の事柄を見い出すことであり、
不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進によって行われることでしかない、
みずからは、不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進においては、
未熟者であり過ぎるのだから、不明があり過ぎるのも、当然のことにある、
それには、人が人を縄で縛るということは、どういうことなのか、
それを認識することに始まる以外にないのだ、
縄の導きは、それを教えてくれる、ひとつの手段であることだ……
<求道者>は、僅か二十一年の生涯のすべてをこの事態に総動員されていると感じた、
知っていることの寡少と知らないことの多大を思い知らされていた、
それは、喜怒哀楽の感情で処理するというには、余りにも深遠な問題にあることだった、
国家は敗戦し、現在、敵国の占領下にある、悲惨、悲哀、屈辱にある状況のなかで、
愛する希望の女性を戦争で失い、みずからは、片輪者となっておめおめと生き延びて、
死にたいと考えながらも、死ねずにいる日々を暗澹暗鬱に暮らしているだけにあった、
敗残者を生きる以外に道はないと考えていたことだった、
だが、そうではない、
見える事物は、見えるままにあることにはない、ということだ、
そこに何を見ることが可能であるか、
<民族の予定調和>へ至る<色の道>は、
一生を費やして求める道として、後悔のない人生に思われるのだった、
一度は死んだのだ、生きてある者にあるとすれば、
その道を生かされるために生きていることでしかあり得ない、
そう思えることだった。
<求道者>は、畳の上の麻縄を掴んだ、
それから、振り返って、桂子の方を見やると、あなたを縛りたい、と言った。
桂子は、分かりました、とうなずきながら返事をすると立ち上がった、
ブラウスともんぺの姿態へ両手を脇に沿わせて、
艶やかに波打つ黒髪に縁取られた綺麗な顔立ちを上げて、直立した姿勢を取った。
難儀しながら、同じく立ち上がった<求道者>が間近へ立つと、
桂子は、静かな口調で話し始めた。
「<縄掛け>の主旨は、次の四つにあることです、
縄抜けができないこと、
縄の掛け方が見破れないこと、
長時間縛っておいても神経血管を痛めないこと、
見た目に美しいこと。
これは、室町時代に発祥し、江戸時代に大成を見た、日本の武術のひとつである、
江戸幕府が採用した、<捕縄術>のありようとされていることにあります、
流派は百五十以上、縛り方と名称は三百種類くらいあったと推定されるそれは、
明治の文明開化を境に、近代化という日本の時流に適合できずに、
残存したものとしては、民間におけるものだけで、消滅したものにあります。
<捕縄術>は、宗教性の意義を明確にあらわしていましたから、
民間に残存したものは、その技術という縄掛けの方法だけにあります。
男性が高ぶる性的官能から女性を縄で縛り、
縛られた女性が官能を高ぶらされて、交合する、という情事と言えるありようです、
縄を用いて、男女が交合するということは、江戸四十八手と呼ばれた性愛の体位に、
<理非知らず>と<だるま返し>としてあることですから、
<捕縄術>の技術の残存と性愛の体位との結び付きが、
日本の伝統の継承とも言えることにあるわけです。
ちょうど、あなたと私が初日をかけて行った、まさに、そのことあります。
従って、それは、始まりのことに過ぎません、
縄文時代に起源を持つ縄にあることだとしたら、
日本民族史を貫いて存在してきたことは、明治以来の近代化に依って、
西洋思想の導入から、皮相な意義付けを行われて、存在理由が終わってしまうほど、
浅薄なものにも、脆弱なものにもないからです。
<導師様>は、明治十八年に、お生まれになった方とお聞きしております、
<導師様>の誕生が縄を新しい道へ導くことになるかどうかは、
あなたの縄が<色の道>を進むことをあらわすことができるか、
それが問われていることにあります。
私の身に着けている衣服をあなたの縄で脱がすことができるか、
それが問われていることにあります」
顔立ちの毅然とした表情にある、桂子の挑戦的とも言える問い掛けであった。
<求道者>には、最後に語られた言葉の意味が理解の困難なことにあった、
衣服を身に着けている身体へ縄掛けすることが、
どうして、縄で衣服を脱がすことになるのか、
縄で緊縛されていれば、衣服は脱げないのではないか、不可思議な問いにあった。
その答えを見い出すには、縄で相手を縛るしかなかったが、
桂子は、気を付けの姿勢を保ったまま、
みずから、両手を後ろ手にさせることなかった。
その華奢な手首を後ろ手にさせようと、<求道者>が掴もうとしたときだった、
桂子は、きっぱりとした態度で、男性の手を振り払ったのだった。
「女性は、男性の思うままになるだけの存在にはありません、
何処の誰が縄で縛られることを好むと思いますか、
私は、女性として、嫌です、きっぱりと拒絶します、
縄で縛られることは、拘束されることです、自由を奪われることです、
自由を奪われたら、自由を奪った者の勝手し放題に置かれることではありませんか、
陵辱を受けたり、強姦されたり、被虐に晒される身上に置かれることを、
何処の誰が進んで受け入れますか、好むと思いますか、
世間は広いですから、なかには、縛られることを好むという女性もいるでしょう、
そういう女性を求めてのあなたの縄にあれば、それは、同好者における縄であって、
<色の道>にある縄とは、根本的に相違するものにあることです、
<色の道>にある縄とは、普遍性を意義する縄にあることだからです、
その縄を掛けられることが女性の普遍性をあらわすことになるからです」
相手のその言葉に、<求道者>は、立ち尽くすばかりになってしまった、
沈思黙考の時間が長々と経過した後、ようやく、言えたことは、
「あなたが求道へ従う者にあると言ったから、
ぼくは、あなたを自由にできると思っていた、
それは、ぼくの単なる思い上がりに過ぎなかった、ぼくが相手にしているのは、
桂子というひとりの女性ではなく、女性という普遍性にあることなのだ。
ぼくの縄が普遍性をあらわさなければ、女性に掛けられる縄にはないということだ。
あなたが言った、
私の身に着けている衣服をあなたの縄で脱がすことができるかということは、
縄の普遍性をあなたが理解すれば、
あなたは、みずから、衣服を脱ぎ去るということだ、
ぼくが甘かった、もっと縄を見させて欲しい」
<求道者>は、言い終わるなり、桂子に背を向けて、畳の上へしゃがみ込むと、
手にしていた麻縄を前に置いて、見つめ直すのであった。
桂子は、その場へ正座すると、姿勢を崩さず、顔立ちをもたげたまま、控えた。
縄が普遍性をあらわすとは、
人が人を縄で縛ることに普遍性が示されることにある、
縄で人を縛ることが被虐に晒させることにある以上、
その行為は、拒絶されるものにあるという普遍性しかあらわさないことにある。
普遍性としてある、ひとつの概念に依拠して考えられる限り、
この状況は、決定的であり、変革されることはあり得ない。
人間においての森羅万象は、普遍性としてある、ひとつの概念に依拠することで、
世界認識を形作るようにしてあることのあらわれである、
だが、それは、絶対でもなければ、最終でもないことは、
いま、見つめている縄があらわすものにある。
複数の筋が撚り合わされて織り成された螺旋の形状には、
見つめていて見飽きない、力動感・不可思議・美しさが感じられることである。
これは、<縄>が直線の形状をしていながら、
ねじれているという形態をあらわしていることによるもので、
力動感は、すぐにもそれ自身が大地から動き出して、
天に向かって這い登り始めるようにあり、
不可思議は、そのねじれが留まるところを知らない永遠を髣髴とさせるようにあり、
美しさは、くねらせる姿態の柔軟で艶かしい妖美をあらわすようにあって、
<縄>が大地(女性)から天(男性)へ繋がるものであると同時に、
陰(女性)と陽(男性)のねじり合わされて交合した姿を想起させる。
交合は出産を導くものであるから、縄は、生み出すものの表象としてあれば、
森羅万象の生成を見ることも、不思議はない。
縄は、森羅万象の生成と流動が宇宙をあらわす表象として感じられるものにあって、
その縄を用いることは、普遍性の認識へ至らせるものにある、
即ち、人に縄掛ける縄にあることで、縛った表象が新たな意義を生むということにある、
人に縄掛ける縄にあることは、老若男女の差別を生まない……
<求道者>は、難儀して再び立ち上がると、
ズボンとシャツと下着のすべてを脱ぎ去って、全裸の姿をさらけ出させた、
更に、手にしていた縄をふた筋とさせて、
菊門へ当たる位置を定めるように、結んで瘤をこしらえた、
それから、その縄頭をもたげ始めた陰茎へ引っ掛けて、
ふた筋を左右から睾丸を挟むようにして股間へともぐらせていった、
瘤が菊門へ当たるように縄を引き絞ると、
陰茎は、否応でも反り立つ硬直を示すようになるのだった、
そして、尻の方から出された縄は、左右へ割られて腰へとまわされ、
臍のあたりできっちりと結ばれた。
それは、奇しくも、
<民族の予定調和>の<信奉者>にある男性がみずからへ掛ける、
<不浄の縄>と呼ばれるものにあるのだった。
桂子は、じっとなったまなざしを向けて、
真剣な表情で、<求道者>の予言をあらわす行為を見つめていたが、
<信奉者>の流儀があらわされるに及んでは、みずからも立ち上がり、
ブラウスともんぺと下着の一切を脱ぎ去って、全裸の姿となるのだった、
それから、縄を手にする<求道者>を前にして、
そろそろと両手を背後へまわさせると華奢な両手首を重ね合わさせるのだった。
<求道者>は、女性を後ろ手に縛った、
それから、その縄尻を身体の前へまわさせて、
可憐な乳首の立った、ふっくらとしたふたつの乳房の上部へ掛けて背後へ戻すと
今度は、乳房の下部へ掛けて、背後で縄留めを行うのであった。
後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられた女性は、<求道者>に縄尻を取られながら、
その前へひざまずくと、縄を掛けられて、反り立つ硬直をあらわとさせている陰茎へ、
唇を寄せさせて触れさせるなり一気に頬張って、
引き締めた唇で優しく強く抜き差しを始めるのだった。
高ぶらされる快感と思いにあって、<求道者>は、
生あることの充実と成し遂げるための意志を激しく意識させられたことは、
絶頂にある放出へ至ったときには、求道へ従う者にあっても、
畳の上へしたたり落ちるほどの女の花蜜があらわされて、
艶やかな太腿を震わせての絶頂へ導かれたことにあったのだった。

第三日。

<求道者>と桂子は、奥の座敷で対面した、
桂子は、ブラウスともんぺと下着の一切を脱ぎ去って、
すぐさま全裸の姿となるのだった、それに応じるように、<求道者>も、
ズボンとシャツと下着のすべてを脱ぎ去って、全裸の姿をさらけ出させるのであった。
男性と女性の間に、虚飾は不要と感じられれば、
どのような姿態にあったとしても、生まれたままの全裸は、始まりであった、
互いを結び、縛り、繋ぐという、
縄が身にまとうものを作り出すということがあるだけだった、
それは、縄による思考を行っていると言えることにあった。
桂子は、真剣な表情の顔立ちを上げ、直立させた姿勢で話し始めた。
「縄文時代が一万三千五百年の期間に渡ることにあったとされることは、
その長大な時間を掛けて、縄についての考えを持つことにあった、
と言えることにあります、その表象は、縄文土器の存在が明らかとさせています、
一万三千五百年の期間に渡って、多種多様に表現された、土器の意匠は、
縄について考えるということは、直線、鋭角、鈍角、曲線となって自在に変容する、
縄そのものの形態があらわすように、多種多様の柔軟性が育まれるということです、
多種多様の表現が行われることによって、意義が生まれるというありようです、
<捕縄術>の流派と縛り方と名称の数にもあらわされているように、
<縄掛け>には、縛り方と名称に唯一のものはない、という表現にあることです、
不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進によって、
考え出され、作り出され、用いられる、<縄掛け>にあれば、
それが顕現させるものが何にあるか、それが問われることにあることです。
あなたによって、考え出され、作り出され、用いられる、
<縄掛け>が重要なことであって、他者の模倣・追従・隷属にあることからは、
それ以上のものは、生まれることはありません、
<色の道>とは、みずからが見る色になくてはならない、ということです。
さあ、思う存分に、私を縛り上げてください」
桂子は、紅潮とさせた美しい顔立ちを更にもたげて、しっかりとうなずくのであった。
<求道者>は、<縄による緊縛の顕現>と称された、
雅子と京子があらわした緊縛姿を思い描いていた、
それは、忘れようにも忘れられない、初体験の衝撃としてあったことだった。
女性を後ろ手に縛ることはできた、胸縄を施すこともできるようになった、
だが、その先は未知であった、
いや、未知ではなかった、
雅子と京子があらわした緊縛姿を想像することができるのだ、
みずからがそこに何を見たか、顕現をどのように感じたか、
想像力は、それらの知覚とひねられ、ねじられ、よじり合って、
昇華を行うことへ進ませる力としてあることだからだ。
七メーターの長さの麻縄をふた筋とさせて、縄頭と縄尻を作る、
縄頭を重ね合わされた両手首へ、下から上へまわして巻き付ける、
そのとき締め上がらないように、指の入るくらいの余裕を残して三重に掛ける、
その縄頭と縄尻側を結び合わせて縄留めをする、
残りの縄を乳房の上部へまわして、背後まで持ってくると、
再び前へまわして二重とする、縄尻を背後の胸縄へ戻して、下から上へ三度絡めて、
縄頭と結び合わせて縄留めをする、新たな麻縄を取り、縄頭と縄尻を作る、
縄頭を背後の胸縄と手首を縛った中間の縄へ下からもぐらせて、一重にして留める、
残りの縄を乳房の下部へ二重にまわして、縄頭のある中間の縄へ一度絡めて、
片側の腋の下にある下部の胸縄へ上から前方へ出して絡めて背後へ戻す、
その縄尻を引き絞るようにして、もうひとつの側にも同じことを施す、
再び背後へ戻した縄尻を引き絞るようにして、縄頭と結び合わせて縄留めをする、
そうして出来上がる、後ろ手胸縄縛りにあった。
桂子は、艶やかに波打つ黒髪に縁取られた顔立ちを真顔にさせていたが、
しっかりと縛られた感触に置かれたことは、両頬を火照らせ、
綺麗なふたつの乳房にある可憐な乳首をこわばらせていることで見て取れた。
新たな縄で縄頭と縄尻を作り、縄頭を乳房の下部にある二重の縄へ一重に結ぶ、
縄尻を乳房の上部にある二重の縄へ下から上へ絡めて肩まで持っていく、
肩から背後にある胸縄と手首の縄の中間になる縄まで下ろして、
そこで一重に絡めて反対の肩まで持っていく、
身体の前面へ下ろした縄尻を乳房の上部へ絡めてある縄へ絡める、
それを下ろして、乳房の下部に結んだ縄頭の縄へ絡める、
そのとき、縄に挟まれたふたつの乳房が綺麗に突き出すように締め込む、
更に、その縄尻を腰付きまで持っていくと一重に巻き付けて身体の前面で結ぶ、
残る縄を腹部を伝わせて股間まで下ろすと両脚の間へ潜らせる、
そのとき、縄が女性の亀裂へしっかりとはまり込んでいることを確認して、
無理をしないで背後でたくし上げると、腰縄の下を通して、
胸縄と手首の縄の中間になる縄まで持っていって、張り具合を確認して縄留めをする、
これで、見た目は、雅子と京子があらわした緊縛姿と同様になるのだった。
桂子は、縄で拘束されたことによって込み上がってくる知覚に、
思わず注意を向けずにはいられないというように、寡黙になり、
両頬を紅潮させて、まなざしを虚空の一点へ投げ掛けていた、
新たな縄で縄頭と縄尻が作られ、縄頭が背後にある胸縄へ二重に掛けられて結ばれ、
その縄尻を取られて、柱まで歩かされるようにされても、
されるがままになっているだけだった。
<求道者>は、桂子を柱を背にして立たせると、直立した姿勢が保たれるように繋いだ、
それは、最初に見た衝撃と同様の姿に、女性を置かせたことだった。
一糸もつけない生まれたままの全裸にある、女性の姿態の美しさというのは、
身体全体があらわす、優美な曲線という起伏に富んだ形にある、
艶やかに波打ちながら流れる黒髪、うりざね顔の顔立ち、ほっそりとした首筋、
なよやかな肩、丸みを帯びた愛らしい乳首、ふっくらと隆起させた乳房、
くびれをあらわす艶かしい腰付き、量感を艶麗に漂わせる尻、
なめらかな腹部は綺麗な形の臍をへこませ、漆黒の和毛をふくらませた小丘は、
深い亀裂の存在を慎ましく隠させ、太腿の優美は脚のしなやかさへ流れて、
足先の丸みにまで麗しさを滲ませる。
その全裸に掛けられた縄においても、
華奢な両手首を後ろ手に縛った縄、ふたつの乳房を突き出すようにさせた胸縄、
首筋を振り分けて下ろされ、上下の胸縄へ絡ませられている縦縄、
その縦縄は、くびれを際立たせるように腰付きへしっかりと巻き付けられて、
腹部を伝いながら下りて、漆黒の繊毛を掻き分けるようにしながら埋没させられ、
小丘にある深遠な亀裂の存在をあからさまとさせていることにあって、
直線、鋭角、鈍角、曲線となって自在に変容する、
縄の形態があらわす、多種多様の柔軟性が示されていることにある。
縄掛けに晒される女性がそのありようを苦痛や苦悶と感覚しない限りは、
女性のあらわす姿態の優美な曲線、
思考から作り出された縄の形態があらわす変容の線、
この双方は、女性における肉体と精神をひとつに絡ませる、
肉体に施された縄の圧迫は、触覚を鋭敏なものとさせ、官能の発動へひねられ、
高ぶらされる官能は、乳房や腰付き、割れめにある、
最も鋭敏な女芽、陰門、肛門をねじられすることで、最高潮へ向かわされる、
みずからに掛けられている縄は、罪人にあることからでも、
折檻を受けさせられていることからでもなく、人間として当然のことにある、
生存の欲求である、性欲と性的官能という清冽なものに依ることにあれば、
その純粋な思考はよじられて、絶頂の域へ昇華するものとなる。
眼の前の桂子は、生まれたままの全裸をあらわとさせて、縄で縛られた女性は、
次第に、込み上がってくるものを鋭敏に感じ始めたとでもいうように、
締め上げた縄でくびれを際立たせられた、優美な腰付きをぶるっとさせてひねらせると、
今度は、しなやかなに伸ばさせた両脚を重ね合わせるようにしてねじらせた、
股間の女の小丘にある割れめへ埋没させられている縄が原因であることは、
そこから突き上がってくるものを懸命にこらえるかのように、
不自由な上半身もくねらせるようにして、眉根を寄せて、唇を真一文字とさせていた、
ただ、澄んだ綺麗な両眼だけは、私を見ていてくださいと言わんばかりに、
こちらの方へじっと注がれたままにあるのだった、
だが、こらえにこらえたものは、遂に堰を切って噴出したかのように、
女性は、縄で縛られた身体を可能な限りよじらせて、絶頂を極めたのだった、
その下半身を痙攣させての官能の喜びに浸された姿は、
妖しい美しさを放っていたばかりか、快感に浮遊させられるその顔立ちには、
清純とも言える、純粋を滲ませた紅潮にあることを感じさせられるのであった。
ひとは、何故、ひとを縄で縛るのか、
それは、ひとがひとを拘束の状態に置くためのことにある、
ひとがひとから自由を奪うためのことにある、
だが、それは、縄に意義を見い出さない、道具として使用しているだけの場合だ、
かつて、日本民族は、縄に宗教的意義を見い出して、
破邪顕正という目的で犯罪に対しての道具として使用された、
<捕縄術>という武術を伝統として持っていた。
しかし、明治の文明開化から始まる近代化は、それを棄却させて、
西洋思想の産物に依って代替させていったことは、
近代化にそぐわないすべての伝統に対して行われた。
だが、西洋思想の産物の優秀な道具やその技術だけを導入しただけでは、
それを産み出させたものが西洋の伝統にあることにあれば、
模倣・追従に留まるような結果しかもたらさなかったことは、当然のことだった。
模倣・追従にある限り、その対象以上の事柄は生まれない、
日本国家は、最初から、西洋を相手とした戦争を行うことの無理があったということだ、
にもかかわらず、行ったことは、その戦争のための大儀を作り出して、
大儀のためだけに行うという行動をあらわすことでしかなかったことだ。
幕末の動乱から始まって、維新や天誅と称されて起された行動が、
それを成し遂げた後の旧来の政権に取って代わる、
新しい指導者も政治理念も政策もない、
単なる殺人行為のようなものでしかなかったありようのように、
大東亜戦争ということも、その大規模なものでしかなかったことにあることだ。
みずからの因習と呼んで差し支えない、根深い伝統に眼を向けて、
それに根ざした思考から、不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進によって
みずからの産物を作り出そうとしない民族には、
他者の思想へ隷属した思想しか考えられない、
という実情をさらけ出すことでしかなかったのだ。
何故なら、日本国家は敗戦したのだ、その変えられない現実は、
西洋の占領下にあるという隷属の事実において、見事に示されているのである。
道具に意義を見い出さずに、道具として使用しているだけのことにある限り、
明治以来の日本の近代化ということは、
いつまで経過しても、明治以来の近代化にあることでしかないのだ。
<縄の導き>に従えば、
このように思わざるを得ないことだった。

第四日。

<求道者>と桂子は、奥の座敷で対面した。
女性は、ブラウスともんぺと下着の一切を脱ぎ去って、全裸の姿となった、それに応じて、
男性も、ズボンとシャツと下着のすべてを脱ぎ去って、全裸の姿となった。
女性は、相手をしっかりと見つめると、両手をおもむろに後ろ手とさせて、
華奢な両手首を重ね合わさせる姿勢を取るのだった。
女性の優美な曲線に縁取られた姿態は、ふたつのふっくらとした綺麗な乳房、
くびれの優雅な腰付き、漆黒の和毛を慎ましくのぞかせる下腹部、
艶やかな太腿から伸ばさせたしなやかな両脚をあらわとさせて、
男性の縄を待ち受けているのであった、男性が背後に立てば、その縄は、
強靭な蛇が柔和な枝へ巻き付いていくようにするすると絡まり、
後ろ手に縛った縄の残りは、乳房の上部へ二重に掛けられて縄留めされると、
新しい縄が女性の背後へ繋がれて、乳房の下部へ二重に巻き付けられて、
双方の腋の下にある、下部の胸縄へ絡められて引き絞られると、
背中の縄へ縄留めされていくのであった。
「畳の上へ正座させてください」
桂子は、そのように言うと、
不自由な上半身をもどかしそうにさせながら、畳へ座ろうとする素振りを見せたが、
<求道者>は、そのなよやかな両肩を優しく支えて、手助けするのであった。
正座の姿勢を取った、桂子の前へ、<求道者>も、同様に腰掛けた。
ふたりは、向き合って、互いをまじまじと見つめ合っていたが、
真顔の美しい顔立ちをもたげていた、桂子は、静かな口調で述べるのであった。
「あなたが認識されたことは、これまでの世間の常識からすれば、
固有の道にあって見い出された事柄にあります、
他人の無理解や批判、非難や排斥に出合ったとしても、
あなたは、その孤立において、立ち向かわなければならないことにあります。
人間にとって、新しい概念が生まれる、新しい思想が生まれるとは、
常にそういうことにおいてあるからです。
見える事物は、見えるままにあることにはない、そこに何を見ることが可能であるか、
そうしたことのできる人間に課された、人生ということにあるからです。
従って、<縄の導き>を奨励することも、勧誘することも、強要することも無意味です、
あなたがみずから行ったように、
<縄の導き>を求める者がそれに従うということがあるだけです。
残念ながら、すべての人類が同一のヴィジョンを見ることは、
現在の状況では不可能なことにあります、
世界を支配するひとつの思想の存在はあり得ないということです、
それは、数多ある民族がそれぞれにおいて、それぞれの固有の因習があり、
それが民族の存立を可能とさせていることにあるからです。
ですから、日本民族がひとつの事例を示すことが必要なのです、
日本民族でなければ、あらわせない事柄を表現することが必要なのです、
日本民族は、何処まで表現が可能であるか、
それを示すことが求められていることです、
あなたが<縄の導き>に従って、<色の道>を歩むとは、
そういうことにあることです」
<求道者>は、みずからにおいて、必要不可欠の縄という意識を抱いていた、
もはや、戻ることのない道を歩んでいることをひしひしと感じていた。
「私があなたの求道へ従う者にあることも、今日が最後です。
明日は、京子さんが、明後日は、雅子様が、あなたの相手となります。
最後に、江戸四十八手と呼ばれた性愛の体位にある、
<理非知らず>と<だるま返し>をあなたの流儀の縄で私に掛けてください、
それによって、あなたが伝統の継承者にあって、
伝統を維持していくための認識にあることを確認してください」
桂子は、そのように話し終わると、
横座りに身体を崩して、みずから横臥していくのであった。
畳の上には、白い柔肌を艶かしく輝かせた全裸の女性が麻縄で後ろ手に縛られ、
ふたつの乳房を突き出させられるような上下の胸縄を掛けられている姿態があった、
顔立ちは、、波打つ黒髪に覆われて、一点を凝視するまなざしだけが見えたが、
艶やかな太腿をぴたりと閉じさせ、ひねらせた優美な腰付きで、
しなやかに伸ばさせた両脚を重ねて、下腹部を少しでも隠そうとしている様子には、
羞恥を滲ませた女の色香をそこはかとなく漂わせる美しさにあったことだった。
桂子さんは、本当に美しい女性だ、その桂子さんとも今日でお別れになる、
そう思ったときだった、<求道者>は、幸乃のことを思い出していた、
幸乃がいま生きていたら、幸乃がいま眼の前にいたら、
生まれたままの全裸の姿になった幸乃を縄で縛っているだろうか、そう考えていた、
女性は縄で縛られることで美しい存在となることにあれば、
思い迷うことなく、幸乃の華奢な両手首を後ろ手に縛り、
ふたつの乳房を突き出させるような胸縄を掛けているに違いない、だが、果たして、
みずからの縄掛けが桂子さんのあらわすような美しさをあらわさせるか、自信がない、
桂子さんは、<民族の予定調和>を信奉する者にある、だが、幸乃はそうではない、
信じる者にあるからこそ、あらわせる美にあることだとしたら、
<色の道>を歩む者にしか、見い出すことのできない美にあるということでしかない、
ひとつの思想や宗教を信じるということは、そういうありようにあることだ、
幸乃が<民族の予定調和>を信奉する者でない限り、
幸乃とは、思いを寄せ合う者同士にあったとしても、結ばれないふたりでしかない、
事実、結ばれないふたりとして、永遠に別れてしまったことでしかない、
死者を蘇らせることはできない、思い出だけが蘇ることでしかない、
幸乃は、現実にはいない、永遠の女性という思い出に存在することでしかない、
永遠の女性として、幸乃を縛る縄は、みずからの想像力においてしかないことだ、
美のありようは、その想像力においてこそ、普遍の美となることにあるとしたら、
信奉者であるか否かを超越した認識としてあることになる、
幸乃のあらわす女性の美しさは、想像力の美として、普遍のものとしてある、
桂子さんのあらわす女性の美しさは、想像力の美として、普遍のものとしてある、
縄で縛られることで、女性は、美しい存在となることは、
想像力の美においては、普遍のものとしてあることになる、
そのような縄掛けが可能となることがみずからに求められていることだ、
<縄による緊縛>によって、普遍の美が創造できること、
それがみずからが<民族の予定調和>へ向かう<色の道>を歩むことだ、
縄による思考をみずからの知覚とすることができるようになるまで、
不断の意欲と果てしない探求と成し遂げる精進によって行うことでしかない。
そのとき、<求道者>は、時間を超越している、という感覚にとらわれていた、
畳の上へ横臥する、生まれたままの全裸を縄で緊縛された女性を見つめていると、
みずからも、生まれたままの全裸の姿にあって、縄を握り締めていることは、
昭和二十一年という現在にあっても、或いは、江戸時代という過去にあっても、
いや、縄文時代という遥か古代にあっても、それとも、未来のいずれにあったとしても、
想像力にあることの認識に至れば、普遍の美を創造することにおいては、
すべてが同一の事象にあることを実感させられることであった。
<導師様>が言われた、
さらけ出された猥褻に、高貴なものを見るなんて、あり得ないことだからだ、
だが、おまえさんは見た、
見ることのできる者にしか成し得ないことの門口に立ったということだ、
後は、おまえさんみずからがその見たものを解き明かすしかないことだ、
という言葉が思い起こされるのであった。
<理非知らず>という性愛の体位は、女性の両手及び両腿を縄で縛り、
無理やり犯すという行為にあることで、それを縄を用いることをしないで、
膝を折り曲げさせた女性の両脚をそのまま抱え込み、
自由を奪った状態で強引に交合を行うことにある、
<だるま返し>という性愛の体位も、仰向けにさせた女性の太腿を縄で縛るが、
縄を用いなければ、折り曲げさせた女性の両脚を抱えて、
尻を転がすように上向きとさせておいて交合することにある、
女性は、海老責めに似た格好にされることにあり、
ふたつの性愛の体位は、強姦及び拷問があらわされているということにある。
性愛の体位という様式を形作る論理からすれば、
実際の強姦と拷問が昇華された理解にあるということで、
言わば、強姦と拷問を<擬似の想像力>によって行うということにある。
その<擬似の想像力>は、その性愛行為が縄を用いないからこそ、
生まれることにあるとすれば、縄を用いるからこそ生まれる、
<擬似の想像力>による性愛行為ということもあり得ることになる。
縄文時代を縄の発祥とすれば、縄が人体へ用いられてきた歴史は、
自由を奪うための拘束を目的とした実用行為として存在してきたことにあって、
消滅させられた<捕縄術>があらわした宗教性がひとつの大成であった、
従って、<捕縄術>に取って代わる、<縄による緊縛>は、
<擬似の想像力>によって、性愛行為を目的としたありようが考えられる。
この間、桂子さんがその身をもって教えてくれたことがまさにそれだった。
<擬似の想像力>は、ふたつの対置する事象を結ぶ・縛る・繋ぐとすることで、
新たな知覚による認識を生じさせる、
縄は、それを具現させるための道具としてある。
強姦や拷問が行われる実際にあることではない以上、
縛者による縄掛けが被縛者において、悲哀・悲惨・残酷、或いは、
責め苦・苦痛・苦悶をもたらしてはならないことは、必然の条件としてあることだ。
<求道者>は、横臥していた女性の身体を心遣いをもって起させると、
しなやかに伸ばさせた両脚を取って、あぐらの格好に組ませていくのであった。
その仕草に対して、桂子は、両頬を赤らめさせた顔立ちをしっかりと正面へ向けて、
されるがままになることを引き受けた、真剣な表情を浮かばせていた。
華奢な両足首が重ね合わされ、三重に巻き付けられた縄でしっかりと束ねられると、
縄留めされた残りの縄は、女性のなよやかな片方の肩へ掛けられて、
背後の胸縄まで持ってこられると三重に絡められた、その縄尻は、
もう片方の肩へ掛けられると、ほっそりとした首筋を振り分けた首縄となって、
再び、束ねられた両足首の縄へ絡められ、縄留めされるのだった。
後ろ手に縛られた全裸を掛けられた胸縄がふたつの乳房を突き出すようにさせ、
更に、あぐらに組まされた両脚は、首縄によって吊られているために、
姿態は屈み込むような姿勢とされていた、
乳房が両脚へ間近とされるようなことにあれば、
海老責めという拷問の縄と同様にあることだった。
だが、それは、非常に窮屈な縄掛けに置かれたことには違いなかったが、
責め苦・苦痛・苦悶を目的としたことではなかったことは、
女性も、置かれた身上には、羞恥を伴った緊張をありありと滲ませてはいたが、
唇を引き締めて、虚空の一点を凝視し続けるまなざしに、情感の濁りはなかった、
むしろ、その姿には、女性にあることの矜持があらわされる、美しさが漂っていた。
縄で緊縛されたありようが被虐に晒された状態をあらわすことでしかなければ、
悲哀・悲惨・残酷が示されることも当然にある、
だが、縄で緊縛されたありようが擬似という想像力におけるものにあれば、
被虐に晒された状態も、また、擬似にあるということになる。
自由を奪うための拘束を目的とした縄掛けに対して、
擬似という想像力による縄掛けは、自由を獲得するためにある、
知覚することの自由な状態へ置かれることを獲得することにある。
女性がかもし出せる美しさがそれであるとしたら、
それが確かであることは、女性は、実際に何を知覚していることにあるか、
それが明らかとされることで示される以外にない。
<求道者>は、桂子を畳の上へ仰向けの姿勢にさせることで、
そのように思考してきたことの答えを求めようとしていた。
全裸を後ろ手に縛られ、胸縄を施され、あぐらを組まされた両脚にある姿態は、
仰臥させられたことにより、股間の箇所をこれ見よがしとさらけ出させていた、
漆黒の色艶をあらわす慎ましやかな繊毛の下には、
生々しく開かせた花びらが立ち上がらせた鋭敏な真珠の小粒をあからさまとさせ、
可愛らしい尿口のすぼまりをのぞかせ、
ぱっくりと開かせた陰門の花びらは、てらてらとした潤いの輝きを露わとさせていた、
滲ませる女の花蜜は、綺麗に締まる菊門にまで流れる、豊饒にあることだった。
<求道者>の指先は、躊躇することなく、その豊饒を実際に確かめようと、
陰門の花びらへ触れられたが、その知覚は、女性の腰付きをびくんとうごめかせ、
置かれた身上を引き受けている桂子に、ああっ、という甘美な声音をもらさせた。
男性の指先が熱い肉質へもぐり込もうとすれば、豊饒な女の花蜜があふれ出して、
ああっ、ああっ、という声音も艶かしく高ぶって、
二本の指が根元まで沈められたときには、
ああ〜ん、ああ〜ん、という甘くやるせない泣き声に変わっていた、
その指が緩やかに激しく抜き差しを始めれば、その都度に、腰付きを震わせ、
男性のもう片方の指先が鋭敏な真珠の小粒に触れて、こねられていくに及んでは、
汗ばんだ艶やかな太腿をぶるぶると震わせ始めたのであった、そして、
「私は、あなたの求道に従えて、喜ばしい限りの思いにあります、
ああっ、ああっ、もう、こらえることが困難です、いかせてください、
ああっ、あなたが私に授けてくれた、
ああっ、開かれた次元を見させてください」
と叫ぶように言い放つと、腰付きをねじるようにうごめかせて、
双方の太腿をびくびくと痙攣させながら、頂上を極めていったのだった、
喜びの法悦に満たされて、恍惚と浮遊し続ける、
桂子の顔立ちの表情が輝かせる、その高貴な美しさは、
知覚することの自由な状態へ置かれたことが見事にあらわされていたのであった。

第五日。

<求道者>は、奥の座敷で、京子と対面した、
男性は二十一歳、女性は三十歳にあった。
京子は、ブラウスともんぺと下着の一切を脱ぎ去って、全裸の姿となった、それに応じて、
<求道者>も、ズボンとシャツと下着のすべてを脱ぎ去って、全裸の姿となった。
京子は、相手をしっかりと見つめると、両手をおもむろに後ろ手とさせて、
華奢な両手首を重ね合わさせる姿勢を取るのだった。
女性の優美な曲線に縁取られた姿態は、ふたつのふっくらとした綺麗な乳房、
くびれの優雅な腰付き、漆黒の和毛を慎ましくのぞかせる下腹部、
艶やかな太腿から伸ばさせたしなやかな両脚をあらわとさせて、
男性の縄を待ち受けているのであった、男性が背後に立てば、その縄は、
強靭な蛇が柔和な枝へ巻き付いていくようにするすると絡まり、
後ろ手に縛った縄の残りは、乳房の上部へ二重に掛けられて縄留めされると、
新しい縄が女性の背後へ繋がれて、乳房の下部へ二重に巻き付けられて、
双方の腋の下にある、下部の胸縄へ絡められて引き絞られると、
背中の縄へ縄留めされていくのであった。
「後ろ手胸縄縛り……
お上手ですね、縄がしっくりと肌に馴染むように掛けられて、
まるで、生き物に抱かれているよう……」
京子は、直立させた姿勢を保たせたまま、静かに両眼を閉じると、
全裸を縄で緊縛された身上にある、みずからへ注意を向けながら語るのであった。
「それは、縄を肉体へ掛けられる、摩訶不思議……
肉体へ掛けられる縄と言えば、それは、被縛者から自由を奪うための拘束にあること、
折檻を受けさせられたり、罪人扱いされたり、拷問に晒されたりするためのもの、
縄掛けをされていない状態にあることを自由の状態とすれば、
縄は、それだけの存在理由をあらわすもの以上にはない、
そのようなものですから、誰が好んで縄を打たれましょう、忌避されることが当然、
進んで縄で縛られたいと言ったりしたら、変態と見なされることでしかありません、
ましてや、縄掛けされることが被縛者に自由をもたらすなどと言ったとしたら、
気違いのたわごとに思われるだけのことでしかありません、
しかも、男性と女性、人間対人間、
この両者によって行われる、縄による緊縛は、性行為をあらわすことにあれば、
気違いの変態行為の異常と見なされることは、常識を持つ、良識を抱く、
人間としてあることならば、人間の倫理にそむくとさえ言われても仕方がない、
縄による人体の緊縛という性行為、
それは、公然とされることの決してない歴史にあることは、必然のありようです、
それが公然となるものとしてあることだとしたら、
そこには、普遍の意義があらわされていなくてはなりません、
縄を肉体へ掛けられる、摩訶不思議が解き明かされなければなりません……」
京子は、縄で縛り上げられた感触が伝えてくるものに応じるように、
顔立ちを赤らめさせ、大きな溜息をひとつ吐くと、続けるのだった。
「最初は、ごわごわと冷たい感触にある縄も、柔肌と触れ合うようになると、
その温もりが縄に伝わって、縄がその温もりで目覚め出す、
今度は、縄がみずから帯びた熱を柔肌へ伝えて、
その拘束の存在感を明らかなものとさせていく、
縄がしっくりと肌に馴染む始まりです、
ふたつの乳房も、下腹部の羞恥の箇所も、あからさまとされている全裸にあって、
両手を背後にされて、双方の手首を重ね合わされて束ねられていることは、
女性にあることの羞恥の箇所を覆い隠すことのできない、
厳然とした状況に置かれていることです、縄を打たれたことが作り出す、
縄を打たれることがなければ、決して生じることのない、厳然とした情況です、
それは、みずからの羞恥の箇所を隠せないという羞恥する思いにあって、
羞恥を意識させる思いは、後ろ手を縛られた縄の存在を明確とさせることに始まり、
恥ずかしく突き出させられるように、乳房の上下へ掛けられた胸縄の存在、
両腕をがっちりと固定されている縄の存在と結び付いて、
縄が羞恥を生ませているという拘束感は、柔肌を圧迫され続けている触覚において、
交感神経は、いや増しにされた興奮を呼び覚ますようになってきます、
羞恥は、人間の存在にとって、みずからを独立した存在と感じさせる、
自尊心を作り出すことにありますから、他者の存在が明確になればなるほど、
高ぶらされる感情となります、羞恥が煽り立てられるということは、
独立した存在を脅かされるということにありますから、
自尊心が動揺するということヘ置かれます、
縄による緊縛は、この羞恥のありようをあからさまとさせる状況を作り出すものです、
羞恥心の強い者ほど、自尊心に対する意識も高いということにありますから、
全裸でなくても、着衣した姿態を前手縛りされただけで、
激しく興奮することもあり得ることは、まったく個人差に依存することです、
そして、激しく興奮するということは、官能を高ぶらせるということですから、
性的官能も高ぶりにあれば、女性は膣を濡らし、男性は勃起します、
縄で緊縛されたことで、濡れる膣や勃起を意識させられることにあれば、
縄で緊縛されたことは羞恥であり、その羞恥は更なる羞恥を生むという意識において、
縄の緊縛によって置かれている、自由を奪われた拘束の状態は、
みずからが独立した存在にあるという自尊心の動揺を逃れられないものと意識させて、
それが不安や恐怖の感情を呼び覚ますことは、縄で縛った者を始めとする、
他者の存在が明確となることにあって、他者の自由に取り扱われることを許す、
被虐に晒されている状態にあることの自覚へ至らせます、
被虐の状態は、虐待や陵辱、殺傷という最終にまで及ぶ可能にあることですから、
高ぶらされた羞恥で動揺する自尊心は、生命の危険と対峙することになります、
縄で緊縛されることは、生命の危険と表裏一体にあることは、
縄掛けも、その仕方を誤れば、被縛者の生命を奪うことになる、現実にあることです、
縄による緊縛が羞恥と結び付くことが希薄にあれば、
高ぶらされる性的官能も希薄にあるということですから、
羞恥を呼び覚ます縄掛けにあるか否かの始まりは、とても重要なことです、
縄掛けが一気に被虐の状態である虐待や陵辱や殺傷を意識させることにあれば、
不安や恐怖は、高ぶらされる官能にはあっても、性的官能は高ぶりません、
性的官能は、性欲という生存の意欲の属性にあって、
最高潮へ至る快感の幸福感を感覚させるものにあることですから、
不安や恐怖が導く殺傷欲とは、異なるものとしてあります、
縄を肉体へ掛けられる、摩訶不思議というのは、このことにあります、
縄掛けという状況が作り出す次第で、官能と心理は、
性欲へ向かう場合と殺傷欲へ向かう場合のふたつにあることが分かることです、
官能と心理を一体化させてしまえば、
そのあらわれを加虐と被虐の二分化と見ることは可能ですが、
その二分化によって、あらわれのすべてを見るということには無理があります、
それは、官能と心理は、結び付くという関係にはあっても、
一体化したものにはないということからです、
縄による緊縛は、加虐にも被虐にもない、
特別の状況を作り出すことを可能とさせるということです」
京子は、閉じていた両眼をおもむろに開くと、
真剣なまなざしで、<求道者>の方を見やるのであった、
それから、言った。
「縄で縛られることが責め苦にあるかどうかは、
その状況に置かれることが苦痛や苦悶を生じさせるか否かにあることです、
苦痛や苦悶の生じない、縄による緊縛にあれば、それは、
官能と心理を性欲へ向かわせる条件を作り出します、
性欲と性的官能は、最高潮へ至る快感の幸福感を感覚させるものにありますから、
その状況に置かれた心理を快感の幸福感へ同調した思考に置きます、
そのとき、縄で縛られることが被虐に晒されることにあると考えなければ、
縄による緊縛は、加虐にも被虐にもない、状況を作り出すことを可能とさせます、
人間の思考は、整合性を求める言語によって、整合性を求める概念を作り出して、
その作り出された概念の各々を相互に整合性があるように、
結び付かせる活動としてあることです、
相反と矛盾を可能な限り、超克しようとすることが本然としてのありようです、
その本然を達成しようとする、知欲は、
その達成感が性的官能の最高潮へ至る快感の幸福感として知覚されることは、
知欲も性欲も、生存することが快感と感ずる、
生存を目的とした活動にあることからです、
動物は、生存することが快感と感ずることを本然としていますが、
人間という動物は、人間性という整合性を作り出すために、
人類の創始以来、生存することが不快と感ずるありようを生み出して、
相互における、相反と矛盾を解決しようと叡智を傾けてきた歴史にあることです、
縄による緊縛も、人間性という問題にあっては、
相反と矛盾を解決しようと試みる、ひとつの方法にあることです、
<縄で縛られること>という概念が<幸福感を生むもの>という概念と、
相互の結び付きを整合性のあるものとすることができれば、
<民族の予定調和>の<色の道>を歩む者にとって、達成となることにあります、
それがどのようにして可能なことにあるか、
ひとつのありようをご覧にいれます、
新しい縄で、結び目を等間隔に作ってください、できましたら、
あちらの柱へ、私の腰付きよりも高い位置で繋いで下さい」
<求道者>は、京子の言う通りの処置を行った。
全裸を後ろ手に縛られ、ふたつの乳房を突き出すようにされた、胸縄姿の女性は、
しなやかに伸ばさせた片方の脚を上げて縄を跨ぐと、
「お持ちになっている縄を反対側の柱へ、
私の腰付きよりも高い位置で繋いで下さい」
と言ったのだった。
<求道者>は、相手に言われるがままの処置を行った。
麻縄は、柱と柱の間に張り渡された格好になった、それを跨いでいる女性は、
腰付きよりも高い位置にある縄のために、密生した漆黒の繊毛を掻き分けて、
縄を女の小丘にある亀裂へもぐり込まされているありさまにあった。
京子は、それでも、真顔にさせた顔立ちをしっかりと上げて、
真剣なまなざしを<求道者>の方へ投げ掛けていたが、
割れめに挟み込んだ縄の結び目が敏感な小突起を擦っていることは、
しなやかに伸ばさせた両脚を爪先立ちにさせた姿勢にあらわされていた、
しかし、いつまでも、同じ姿勢を保つのは、困難なことだった。
「いまある私の姿をご覧になられて、
浅ましくも恥ずかしい姿にあると感じられているはずです、
私も、このような姿を見られていることは、激しい羞恥にあることです、
それだけでなく、股間の縄は、鋭敏な箇所を責め立ててきます」
京子は、両頬を上気させて、艶やかな黒髪を一度振るう仕草を見せると、
ああっ、と声音をもらさせて、ついに我慢し切れず、両足の裏を畳の上へ付かせた、
それから、両脚をねじり合わせるような具合にして、責めを逃れようとしていたが、
割れめの箇所があからさまとなるくらいに、深々と埋没させている縄は、
身動きすればするだけ、擦られる責めをいや増しにさせるだけにあった。
それでも、京子は、話し続けようとした。
「激しい羞恥に晒されると性的官能の高ぶりも同調します、
快感へ向かわされる官能にあることならば、
もっと恥ずかしいことに晒されたいという思いになることが整合性的に感じられます、
羞恥によって作り出された自尊心は、羞恥によって動揺させられる自尊心となることで、
性的官能の自尊心へと向かわされるということになります、このとき、
自己と他者を隔離させていたはずの羞恥は、両者を繋ぐ感情に成り変わっています、
性的官能を高ぶらされる直接の箇所を責められることは、
自己と他者は、ひとつに結ばれることで、快感の最高潮を実現できると感じさせます、
みずからを越境させる、性的官能にある意識です、
縄掛けされることが被縛者に自由をもたらすという摩訶不思議です、
私は、こうして、準備ができました、
あなたさえよろしければ、私の身を捧げること、やぶさかではありません」
京子の艶やかな太腿は、滲ませた女の花蜜でてらてらとした輝きを帯びていた、
挟み込ませた麻縄からは、きらめくひとしずくがまさに落ちようとしていた。
<求道者>は、手にした縄をふた筋とさせて、
菊門へ当たる位置を定めるように、結んで瘤をこしらえた、
それから、その縄頭をもたげた陰茎へ引っ掛けて、
ふた筋を左右から睾丸を挟むようにして股間へともぐらせていった、
瘤が菊門へ当たるように縄を引き絞ると、
陰茎は、否応でも反り立つ硬直を示すようになるのだった、
そして、尻の方から出された縄は、左右へ割られて腰へとまわされ、
臍のあたりできっちりと結ばれた、
<民族の予定調和>の<信奉者>にあることの<不浄の縄>の姿となった。
<求道者>と京子の交合は、
男性は女性を快感の絶頂へ引き上げては、降ろすことをさせず、
女性は男性を快感の絶頂へ至らせては、萎縮することをさせない行為にあって、
長々と繋がり合ったままにあったことだった。

第六日。

<求道者>は、奥の座敷で、雅子様と対面した、
男性は二十一歳、女性は三十五歳にあった。
雅子様は、ブラウスともんぺという質素な姿にあって、 束ねていた髪を解いた、
艶やかに波打つ黒髪に縁取られた顔立ちは、澄み切った綺麗な両眼、
鼻筋の通った高い鼻、結ばせた美しい形の唇に、強い気高さを漂わせていたが、
その立ち振る舞いや仕草の優雅さにおいても、
女性のあらわす気品とは、このように艶麗なものにあるのかという、
圧倒される思いを抱かせるものがあるのだった、
このように美しく貞淑ある女性を荒々しい縄で縛り上げることは、
その美を台無しにしてしまうのではないかという畏れを抱かせたことは、
<求道者>を躊躇させるものがあった。
しかし、雅子様は、両頬を赤く染めて羞恥を滲ませ表情にはあったが、
ためらうことなく、身に着けている衣類の一切を脱ぎ去って、
生まれたままの全裸の姿をあらわとさせたのであった。
その全裸は、あたりを明るませるくらいに純白を輝かせる柔肌にあって、
ほっそりとした首筋、撫でたなよやかな両肩、
愛らしい乳首を付けて綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房、
美麗な曲線を描いてくびれを際立たせた腰付き、なめらかな腹部にある形の良い臍、
艶やかな太腿から伸ばさせた、しなやかな両脚と華奢な両足の全体から、
女性にあることの姿態の優美さを芳香匂い立たせるようにしてあるのだった。
だが、ひとつの驚くべき異様があったことは、
<求道者>の眼を釘付けにさせるのと同時に、大きな戸惑いを感じさせていた。
それは、漆黒の靄のような和毛を慎ましやかにのぞかせているはずの下腹部は、
白い無垢の女の小丘をあらわとさせ、
深々とした亀裂のありようをあからさまとさせていることであった。
<求道者>のまなざしは、ようやく全裸の姿態の全体へ向けられたが、
気高さをあらわす顔立ちをしっかりと上げ、綺麗に澄んだまなざしを投げ掛け、
覆い隠す仕草の気配など微塵も感じさせない両手を脇へ沿わせて、
直立させた姿態を保ち続けるありさまには、
堂々とさらけ出させている、全裸の美の矜持さえ感じられることにあるのだった。
それは、このような美しい女体を縄で縛り上げることは、
美を冒涜することに等しいさえと思わせるものがあったことは、
<求道者>の態度を膠着させた状態に置かせるに充分なことだった。
手にした麻縄をだらりと畳へ垂らしながら、ただ、立ち尽くしたまま、
茫然となったまなざしで見続けるだけの<求道者>に対して、
雅子様は、綺麗な唇を開いて、優しい声音で語り掛けるのだった。
「驚かれているご様子ですが、
あなたにご覧になって戴くために、京子さんに剃って戴きました。
陰毛を剃り上げて、女性の羞恥を剥き出しにさせた女にある私を、
あなたがどのようにご覧になるかは、あなたの思いのあらわれにあることです。
あなたが、それを剥き晒した女性の恥辱にある姿だと思えば、
それは、女性の恥辱の姿をあらわすことにあります、
あなたが、それをまるで幼女のそれのように愛らしい姿だと思えば、
それは、幼女の愛らしさをあらわすことにあります、
あなたが、それを女性の美の昇華された姿にあると思えば、
それは、女性の美の昇華の姿となることです。
私は、<民族の予定調和>の表象としてある女性です、
<表象の女性>は、自然に生育した植物繊維で撚られた縄で縛られることなしには、
<表象の女性>をあらわすことにはありません。
あなたの縄掛けが必要とされることです、
あなたの思いをあらわす縄掛けに置かれることが、
わたしをいずれの姿にあることなのかをあらわさせます。
<表象の女性>は、<民族の予定調和>の<信奉者>の縄の前では、
区別されることはありません、差別されることもありません、相違もないことは、
桂子さんと京子さんに見ることができたはずです、
私も、<表象の女性>のひとりにあれば、同様にあることです。
このありようは、<色の道>においては必然のことにありますが、現在の状況では、
世間の一般常識からすれば、猥褻、淫乱、不道徳と見なされることでしかありません、
しかし、この過程を通らなければ、超克に至ることはできません、
日本民族には、超克すべき事柄が数多あるなかのひとつにあることです、
食欲・知欲・性欲・殺傷欲において、
生存活動する人間の避けられない問題としてあることです。
明治十八年に、権田孫兵衛様、<導師様>がこの世に現出なされたことは、
偉大な意義にあることは、日本民族という存在がその誕生以来の歴史にあって、
ひとつの実現を目指しているものにあることを示されたことです、それは、
人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンです、
縄文時代の縄を信仰することに始まる、八百万の神という多神教的ありようは、
その流動転変とする自然観にあって、その柔軟で強靭で寛容な性質からは、
<色の道>によって、想像力が昇華された段階に至れば、
神の認識を幻視するありようと同一となるということです。
私は、猥褻、淫乱、不道徳とされることにあっても、
神の認識を幻視するという<民族の予定調和>へ向かう<色の道>を歩む、
<表象の女性>のひとりとしてあることに、矜持と誇りと勇気を抱いています。
あなたがどのように私を見るかは、あなたの思いのあらわれにあることです、
あなたの思いのあらわれとは、<色の道>をどのように歩んでいるか、
それが示されることでしかありません。
あなたの思いのあらわされる縄掛けを、私に行ってください」
そのように言い終ると、両手をそろそろと背後へまわさせて、
華奢な両手首を重ね合わさせる姿勢を取るのであった。
生まれたままの全裸の姿にあるという羞恥にありながら、
女の小丘にある、悩ましささえ漂わせる妖艶な亀裂を剥き出しにさせた姿にありながら、
女性の自負をあらわす毅然とした態度には、尊厳さえ滲ませるものがあるのだった、
美と猥褻と高貴がひとつになっているという、ひねられ、ねじられする、
相反と矛盾と調和がひとつにあらわされているという不思議にあることだった。
その圧倒される不思議を前にして、<求道者>は、依然として、
縄を手にしたまま、行動を許さないという思考状態にあった、
縄を道具として使用する意義の本質が問われるばかりの状態に置かれていた。
縄文時代という長大な時間に渡る、縄の執着は、縄の思考というものを育ませた、
それは、日本民族における者であれば、血肉としてあることは、
縄文時代を起源として、縄による思考によって、
その後の時代があらわした事象に見ることができる、宗教的なものとしては、
縄文土器の縄の表象が神道の注連縄へ展開されたありようがある、
神道が日本民族の国粋の宗教とされたことは、<桜花>の訓練基地においても、
肇国の精神としての八紘一宇の旗が掲げられていたことにある、
天下を一つの家のようにするという維新の実現は、戦争という武力行使にあって、
正義にある自国の戦闘行為へ参加することは崇高な義務にあるとされた聖戦であって、
従軍して戦死すれば、英霊という神になるとされたことにあった。
それを信じたわけではなかった、ただ、幸乃に生き延びて欲しいという思いは、
そういうことを信じなければ果たせないほど、戦況は逼迫していた、だから、
訓練中の事故は、信じてもいないことを行ったことで、ばちが当たったのだろう、
幸乃さえも空襲で失ったことは、祟りでしかないことなのだろう、
自分は、呪われた、片輪であるに過ぎず、死を考えても、死ぬことができず、
戦争によって焦土と化された、荒廃した故郷を流浪するだけの者にあった。
権田孫兵衛という得体の知れない老人に付いて来たことも、
それ以上のものは、自分には、何もないという絶望からだった。
だが、この僅か六日という間に、世間から超絶したようにある長屋のこの部屋で、
美しい女性たちから経験させてもらったことは、
生きてあるということは、生きてしなければならないことがある、ということだった。
<縄の導き>に従うとは、縄文時代の縄の執着に始まる、
縄の思考に従うということであれば、<導師様>が<民族の調和>としていることは、
日本民族は、創始以来、その実現に至る道を歩み続けていることになる、
それを<色の道>とするならば、神の認識を幻視するありようという目的にあっては、
そこへ至るまでの事柄のすべては、どのような事象があろうと、
その実現のための歴史にあることでしかないことにある、
戦争に負けて、日本が凄惨な状況に立たされていることも、
自分が片輪になっていることも、その至るまでの過程にあることでしかないことにある、
みずからが生きてあるとは、縄文の縄の執着に始まる、
縄の思考を行うことにおいて、過去と未来を結び・繋ぎ・縛る、
維持継承者となることにある。
国家の行動をあらしめる、大儀を作り出すことが概念でしかなければ、
一個人の行動をあらしめる、<縄の導き>に始まることも概念でしかない、
概念の層的構造のなかで、みずからを考えるということでしかない、
みずからは、国家であり、一個人であり、
そのいずれにもない者にさえあると言えることだ。
そのときだった、沈思黙考する<求道者>の耳に、
全裸を後ろ手にさせて立ち尽くした姿態のままにある、
雅子様の言葉が聞こえてきた。
「<色の道>は、縄によって、認識を展開させるためのものとしてあります、
縄がその使用目的において、ひとつの概念しかあらわさないということは、
その概念においてしか、事象を判断できないということに置かれることです、
縄のあらわす柔軟性は、流動転変の思考を促すことにあるのは、
日本民族の育んだ自然観であり、縄の思考の本然としてあることです」
まるで、みずからの考えていたことを読まれていたかのような言葉に、
<求道者>は、まじまじと相手を見やるのであった。
私たちが燃え滅びる<淫魔屋敷>を脱出できたのは、
雅子様の超絶とした思いによることでしかあり得ません、
という桂子さんの言ったことが思い出された。
突然、そこに立つ雅子様という女性が超絶をあらわす存在に思えたとき、
澄み切った綺麗な両眼、鼻筋の通った高い鼻、結ばせた美しい形の唇、
その艶やかに波打つ黒髪に縁取られた顔立ちのあらわす強い気高さは、
畏怖を感じさせるくらいの美が輝いているようにあるのであった。
あたりを明るませるくらいに純白を輝かせる柔肌にあって、
ほっそりとした首筋、撫でたなよやかな両肩、
愛らしい乳首を付けて綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房、
美麗な曲線を描いてくびれを際立たせた腰付き、なめらかな腹部にある形の良い臍、
下腹部には、あらわとさせた白無垢の女の小丘が深々とした亀裂をあからさまとさせ、
艶やかな太腿から伸ばさせた、しなやかな両脚と華奢な両足の全体から、
優美さの芳香を匂い立たせる女性の姿態は、
美の化身と思わせる、壮麗なありようをあらわしているのであった。
雅子様の美しい顔立ちは、慈愛に満ちた、まるで、菩薩様のようにあったことだった。
だが、どのように崇高な美にあったとしても、
雅子様が人間であることは、その全裸が漂わせる温もりと芳香において、
その語り掛けてくる澄んだ綺麗な声音の確かさにおいて、あることだった。
「人間は、そこに踏み止まっているということは、できないのです。
私も、<導師様>から縄掛けされた初縄からすれば、
掛けられる縄の都度に、みずからを展開させてきたことにあります、
みずからを展開させることなしに、先を進むということは、あり得ないことです、
縄の思考は、展開することを求めさせる、知欲にあることだからです」
<縄の導き>に従えば、縄が人体へ用いられるということは、
被縛者が自由を獲得するための拘束に置くという、相反・矛盾したありようにある、
縄掛けという状況が作り出す非日常性が柔肌へ密着する縄の感触とひねられて、
被縛者の意識をねじられた状態へ赴かせる、更に、そこには、
性的官能を直接に刺激する縄目が付け加えられることによって、
高ぶらされてねじられた思いは、官能の高揚において、最高潮へよじられていく、
縄による緊縛の不自由な姿にありながら、
官能の拡大と深化の自由を知覚することになる、
京子さんがあらわしてくれたことだった。
<求道者>は、ズボンとシャツと下着のすべてを脱ぎ去って、全裸の姿となるのだった。
華奢な両手首を背後で重ね合わさせる姿勢を取る女性は、
男性の縄を待ち受けているのであった、男性が背後に立てば、その縄は、
強靭な蛇が柔和な枝へ巻き付いていくようにするすると絡まり、
後ろ手に縛った縄の残りは、乳房の上部へ二重に掛けられて縄留めされると、
新しい縄が女性の背後へ繋がれて、乳房の下部へ二重に巻き付けられて、
双方の腋の下にある、下部の胸縄へ絡められて引き絞られると、
背中の縄へ縄留めされた、それから、更に、新しい縄が用いられ、
美麗な曲線を描く腰付きへ二重に巻き付けられると、
くびれが際立つように締め込まれて、臍のあたりで縄留めされると、
なめらかな腹部へ垂らされたのだった。
後ろ手に縛られ、ふたつの綺麗な隆起を見せる乳房を胸縄で突き出させられた、
雅子様は、されるがままになっているだけで、両眼を閉じさせた真顔の表情は、
伝わってくる縄の感触に思いを集中させていることを明らかとさせていた。
白くふっくらとさせた女の小丘に、妖艶をあらわす深遠な亀裂は、
<求道者>が片方の艶かしい太腿を恐る恐る掴んだことを察知しては、
おのずからそろそろと両脚を開かせたことから、生々しいばかりの割れめにあった。
<求道者>が鋭敏な女芽と陰門へあてがうための結び目を作っている間も、
雅子様は、赤らませた顔立ちをしっかりと上げて、直立させた姿勢を保たせたまま、
置かれていく身上を引き受けた毅然をあらわとさせていた。
<求道者>は、縄尻を股間へもぐらせると、慎重な手付きで、
縄のふたつの結び目をそれぞれの箇所へあてがいながら、
優美な尻の亀裂の間からたくし上げていくのであったが、
女芽と陰門へ触れられた縄の感触には、双方の太腿の付け根をびくっとさせて、
たくし上げられていく圧迫には、思わず、ああっ、という声音をもらさせた。
背後の腰縄で縄留めがされると、出来上がった股縄を確かめるために、
<求道者>が雅子様の前に立ったときだった。
恐るべきというくらいの変容がそこにはあったのだった。
雅子様は、波打つ黒髪を打ち振るうように、美しい顔立ちを上気させながら傾げさせ、
上下の縄に挟まれて、つんと立ち上がらせたふたつの愛らしい乳首のある乳房を、
上半身をひねらせていることで突き出させ、ふっくらとさせた女の小丘を盛り上げて、
麻縄の縄目を深々と埋没させている鋭敏な刺激によって、腰付きをくねらせ、
双方の艶やかな太腿を擦り合わせるようにさせながら、
しなやかに伸ばさせた綺麗な両脚が危うく立たせているという状態にあったのだ。
縄に対して、これだけ敏感に反応できる雅子様は、
それだけ思考されていることも超絶としていたことは、
瞬く間に、縄で緊縛された姿態をうねりくねりとさせながら、
双方の太腿をぶるぶると痙攣させたかと思うと、ああっ、という甘美な声音を発して、
性的官能を昇りつめていったのであった。
その法悦とした顔立ちの美しさは、縄で緊縛された裸身をよじらせた妖艶にあって、
天上へ昇っていくような壮麗を感じさせるものとしてあったのだった。
<求道者>は、立っているのもままならない雅子様を柱へ寄り掛からせて、繋いだ。
それから、柱に晒された状態で、雅子様は、昇りつめた絶頂にあって、
双方の太腿の付け根を輝く女の花蜜をあらわとさせて痙攣させていたが、
置き所がないように、うねりくねりさせる緊縛の裸身は、
更に、もう一度、絶頂を極めようとねじられていったのだった。
ああっ、ああっ、ああっ、と甘美な声音が響き渡り、全身をぶるぶると震わせた、
その美しい顔立ちは、人間離れしたものに感じられることにあったのだった。
そして、うわ言のように、告げられたのだ。
「私は女、
すべての生まれるものの母、
私はすべてを受け入れられます、
私を愛し光り輝きなさい」
その広大で深遠な受容に対して、
<求道者>は、<民族の予定調和>の<信奉者>の流儀として、
<不浄の縄>と呼ばれる、陰茎へ縄を掛けた姿となった、
不浄とは、浄化されるものにあることからの不浄ということにあった。
<信奉者>は、雅子様の縄による緊縛の裸身を抱き締めていた、
子が母へ抱きつくように、美しく突き出した乳房にある乳首へむしゃぶりついていた、
壮麗なる美神を三度目の天上へ戴かせるのは、みずからにあるというように、
夢中になって、双方の乳首を頬張り、舐めまわし、吸い上げていた。
<信奉者>がふと顔付きを上げれば、雅子様の典雅をあらわす美しい顔立ちが、
慈愛にあふれたまなざしをこちらへ向けて、真顔の気高さを微笑ませていた。
男性は、ためらうことなく、女性の綺麗な唇へ吸い付くのだった。
雅子様は、唇を開いて、<信奉者>から差し出される舌先を受け入れて、
みずからの柔和で温もりのある舌を絡めて愛撫するのだった。
行き場を求めて反り上がった陰茎は、柱へ繋いだ縄を解かせていた、
緊縛の裸身を丁重に畳の上へ横臥させると、背後の腰縄にある結び目を解いた、
股縄を食い込ませた割れめから慎重に抜き去ると、腰縄を取り外した。
仰臥された雅子様があらわした、後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられた全裸の姿態は、
女性の優美を華麗にまで昇華させた、美の壮麗が感じられるものとしてあるのだった、
そのしなやかで綺麗な両脚を開くようにさせて、艶やかな太腿の付け根にある、
白無垢のふっくらとした女の小丘をあらわとさせているのであった、
それは、深々とした亀裂を女の花蜜で濡らさせて、輝かせている妖艶にあった。
「私はすべてを受け入れられます、
私を愛し光り輝きなさい」
その美しい唇から、毅然とした澄んだ声音が発せられると、
<信奉者>は、開いた花びらの奥にある、柔和で温もりのある深淵へ
陰茎をもぐり込ませていくのだった、それから、灼熱とした収縮に抱かれて、
抜き差しすることなく、休む間もなく、三度の放出をもたらされ、
その都度に、凄艶な声音を上げながら、女体を快感の絶頂の歓喜に震わせる、
雅子様の表情に、超絶とした思いのありようを見たのであった。

最終日。

<信奉者>は、奥の座敷の襖を開いた、
そこで、雅子様、京子さん、桂子さんと対面した、対面したと言っても、
三人は、すでに、生まれたままの全裸の姿にあって、縄掛けされていた。
その縄掛けを行ったはずの<導師様>の姿は、そこにはなかった。
三人は、一様に、後ろ手に縛られて、乳房の上下に胸縄を施され、
各々の背後へ繋がれた縄でじゅずつなぎとされて、
その縄尻は、柱へ縄留めされていたが、言葉を禁じられているように、
豆絞りの手拭いで猿轡を噛まされているありようにあったことは、驚かされたことだった。
両腿をぴたりと閉じ合わさせて、姿態を縮こまらせながら、畳へ正座している姿には、
まるで、人買いにでも拉致されてきた女性が囚われの身をあらわしているように、
被虐に晒されている雰囲気がありありと漂っていたのである。
それが確かなことのように、雅子様も、京子さんも、桂子さんも、
<信奉者>が座敷へ入ってくるのを知ると、怯え切ったように、まなざしを逸らさせて、
かたくなにみずからへ閉じこもろうとする素振りをあらわしたのであった。
不可解という謎を眼の前に置かれたという思いは、
しばらくの間、見つめ続けるだけの光景でしかなかったが、
ようやく、<信奉者>は、びっこを引きながら、
じゅずつなぎの最後になっている、桂子さんの前まで行くと腰を落として、
猿轡の手拭いを外しながら、
「いったい、どうしたと言うのです」
と問い掛けた。
それに対して、桂子さんは、蒼ざめた表情の顔立ちを逸らせながら、
「あなたと行ったことに、<導師様>は、腹をお立てになってしまったのです。
私たちは、その罰を受けるために、繋がれた身とされていることにあります。
間もなく、戻られれば、折檻が始まります、
あなたには、何の罪もないことです、
お帰りになって、二度と此処へは、足を踏み入れないことです、
さあ、お帰りなって下さい」
<信奉者>は、わけの分からないまま、容易に身動きのできない状態にあった。
そのときだった。
「ほう、若造、いいところへ来たな。
いまから、いいものを見せてやるから、そっちの壁のあたりにでも座っていろ」
恐ろしさを漂わせる低い声音であらわれた、<導師様>は、
禿げ上がった真っ白な頭髪に歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきや鋭い鷲鼻、
皺だらけの小柄で痩せ細った身体が険しい老いをあらわとさせている風貌にあって、
片方の手には、日本刀の抜き身を握っているのであった。
「どうして、このようなことに。
ぼくが悪いのであれば、ぼくが罰を受けます、
彼女たちは、ぼくのために行ってくれたのです、
ぼくに、生きる希望を与えてくれたのです、
どうか、お願いします、彼女たちを自由にしてやって下さい」
<信奉者>は、頭を下げて、懇願するのであったが、
<導師様>は、脅しつけるような響きを帯びて、
「おまえは、誰にものを言っているのだ、
わしの存在の絶対は、わしの言動に過ちがないからであろう、
それだから、おまえたちは、弟子であり、<信奉者>でいるのだろう、
わしが座って見ていろと言えば、それだけの意味にしかない」
<信奉者>は、その言葉に、反論するだけの勇気が奮えなかった、
<信奉者>であることは、もはや、事実であったからだった、
言われるがままに、片方の壁まで退いて、そこへ腰を落とすのだった。
<導師様>は、その<信奉者>の前へ立つと、
ぎらりと輝く抜き身の切っ先を見せつけるようにしながら、
「いまから、いいものを見せてやるから、しっかりと思いに刻んでおけ。
確かに、おまえの言う通り、彼女たちに何らの罪のないことは、
お前に罪がないのと同じだ、罪があるから罰を受ける、
それは、当然のことだ、人間の道理だ、だが、
罪がなくても、罰を受けさせられるということもある、冤罪と言ってもいいが、
それは、法律に関することだ、世間の生活の言葉で言えば、いじめだ、
その者に罰を受けさせるために、罪を作り出すという考えやありようのことだ、
それでも、罰を加える側に正当性が生まれなければ、
人間には、加虐・被虐の性的嗜好が本能的に備わっているという学術が使える、
公認されている論拠があれば、いじめも、サディズムやマゾヒズムと言葉を変えて、
おおっぴらに行うには難があるだろうが、
隠れてこそこそやるには、もってこいだというわけだ。
わしは、いまから、そのいじめをやろうというわけだ、
わしには、論拠など必要ない、
わしの正当性は、わしの言動に過ちがないことにあるからだ」
と語り終えると、きらめく切っ先を女性たちの方へ向けるのだった、
それから、桂子さんのそばへ行って、外された豆絞りの手拭いを拾い上げると、
綺麗な口元へあてがって、しっかりとした猿轡を噛まさせるのであったが、
彼女は、<導師様>の行いには、されるがままになっているだけであった。
<信奉者>は、<導師様>が述べられたことを理解することはできた、だが、
何を意図してのことなのか、何を行おうとするのか、まったく不可解であった、
困惑と不安のなかで、じっとなったまま、ただ、成り行きを見守るしかなかった。
「さあて、どの女から責め苦に晒すかな。
おまえさんの初体験の愛しい桂子がいいかな、
それとも、官能の絶頂の喜びを教えてくれた悩ましい京子の方か、
いや、菩薩様や聖母様のように慕われている雅子にするか、
そうだな、雅子は、責め苦の対象となる箇所に余計な覆いがないだけ、
あからさまに見える分、行われているありさまの理解も早いことになる。
よし、雅子、立て。
京子、桂子、お前たちも繋がっているのだから、一緒に立ち上がれ」
<導師様>からそのように言われると、雅子様は、
手拭いの猿轡を噛まされた顔立ちを上げ、怯えたまなざしを相手に向けて
全裸の緊縛の裸身をもどかしそうにさせながら、言われるがままになるのだった。
京子さんも、桂子さんも、雅子様に付き従うように、畳の上へ立ち上がるのだった。
「雅子、そこの柱を背にして立て、
立ったら、大きく両脚を開いて、爪先立ちになれ」
<導師様>のその言葉に、雅子様は、柱を背にして立ったが、
狼狽と不安は躊躇を生ませて、まなざしを相手に投げやるばかりになっていた。
「雅子、後がつかえているんだ、早くしろ」
<導師様>のしわがれた鋭い声音に促されて、雅子様は、
後ろ手に縛られ、ふたつの美しい乳房を突き出すように胸縄を掛けられている裸身を、
柱へぴったりと持たせ掛けると、しなやかで綺麗な両脚を開かせていくのだった。
艶やかな太腿の付け根にある、ふっくらとした白無垢の女の小丘は、
これ見よがしのあからさまな女の亀裂を深々とあらわさせたが、
その華奢な両足が爪先立ちの姿勢を取ったときだった。
日本刀の切っ先がその箇所を襲ったのだった。
<信奉者>は、思わず、わあっ、と大きな声を上げていたが、
<導師様>がその場を離れれば、その切っ先は、
肉体とは、わずかの隙間をもって、柱へ突き刺されたことが分かった。
だが、そうではあっても、
女性の最も柔らかで敏感な箇所を間近として、鋭利な刃があるのだった、
ふっくらと柔和な女の小丘が漂わせる乳白色の温もりは、
鋼鉄の刃のぎらつく冷やかさと相対されたことで、両者が結ばれることは、
妖美をあらわすようにさえある女の亀裂の深淵においてほかならず、
それは、鋭敏な女芽、柔弱な陰門、すぼまる菊門を傷付けられることにある、
と思い知らされたことは、困惑と不安を一気に吹っ飛ばして、恐怖を感じさせていた。
<信奉者>は、思いも身もすくませる以外になかったことは、
雅子様がしなやかに伸ばさせた両脚をこれでもかと言うくらいに突っ張らさせて
爪先立ちとさせた両足で、緊縛された裸身の全体重を支えている、激しい緊張感は、
座敷内に、微動だに許さない、張りつめた静寂を生んでいたからだった。
じゅずつなぎに繋がれた、京子さんと桂子さんがそれを察知していることは、
誰よりも強烈であったことは、繋がれた縄が引っ張られれば、
雅子様の意思に関わらず、その肉体は、うごめかされることにあったからだった。
ふたりは、額に汗を噴き出させながら、顔立ちを上気させて
直立させた姿態をひたすら身動きさせまいと懸命だった。
爪先立ちの姿勢がどれだけ長く保つことのできるものにあるか、
それが問われていた、
身体が下がれば、日本刀が女の割れめへ食い込むことの必至は、
ぎらぎらする刃の存在感は、殺傷さえ答えとする凄絶にあることでしかなかった。
雅子様は、すでに、身体全体の純白の柔肌から、激しく汗を噴き出させて、
必死のまなざしを虚空へ投げながら、死に物狂いでこらえているという状態にあった。
「京子、桂子、お前たちは、縄で繋がっているんだぞ。
じっとしていられない思いから身動きすれば、雅子を引っ張ることになるんだぞ」
冷ややかとも言えるくらいの落ち着いた低い声音は、
ぶるぶると震えながら、涙を流し始めている、
ふたりの女性を必死に固まらせるのだった。
しかし、時間の問題であることは、最初から分かり切ったことにあった、
雅子様は、艶やかに波打つ黒髪を揺らさせて、顔立ちをのけぞらせると、
ずるずると足の裏を畳に付けさせていったのだ、
その瞬間だった、
<導師様>は、素早く、刀を柱から引き抜いた、
それは、人間離れした業としか言いようのない、俊敏なものだった。
雅子様は、気を失ったように、なよなよと緊縛の裸身をその場へくず折れさせていった、
涙を浮かばせた顔立ちの京子さんと桂子さんは、すぐさま、
畳の上へ横たわるそのかたわらへ、みずからの緊縛の裸身を擦り寄らせて、
手拭いで猿轡をされ、縛られた姿にあっては、どうにもならないという思いの限りを、
柔肌を触れ合わせることで何とか伝えようとしていた。
それは、畳の上に、生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、
豆絞りの手拭いで猿轡を噛まされ、乳房を突き出す胸縄を掛けられた姿にある、
三人の女性がじゅずつなぎに繋がれている光景であった、
過酷な被虐から解放されて、脱力して横臥する、空ろになった女性を守るようにして、
横座りとなったふたりの女性が左右から、
顔立ちと姿態を密着させて寄り添っているというありさまであった、
<じゅずつなぎ>という言葉があらわす、
互いに結ばれ合った絆という意義をひしひしと感じさせるものにあり、
女性の存在の美しさ、人間存在の思いの尊さを伝えるものにあったのだ。
「お前さんに見せたかったいいものとは、
いま、まさに、おまえさんが見ているそのものだ、
縄は、意義を生み出すものにあることだ」
抜き身を鞘へ収めた、<導師様>は、しわがれた声音でそのように声を掛けると、
<信奉者>の前へ立って、鋭いまなざしを向けながら、
「じゅずつなぎは、結ぶ・縛る・繋ぐの象徴にあることだ、
おまえさんがこの七日間で知ったことは、始まりに過ぎない、
新たな民族史の展開は、おまえさんが成し得ることだ、
生きてある、日本民族にある者が邁進させることだ。
もう、二度と会うことはあるまい、
後は、おまえさんみずからで、<民族の予定調和>へ向かえ」
と語られたことが最後のお言葉となった。


それから、<導師様>とも、雅子様とも、京子さんとも、
そして、桂子さんとも、お目に掛かることはなかった。
半年が経過したとき、どうしても会いたい思いから、
長屋を訪れたときには、引き払われた後だった、
近所の人に尋ねても、知らないと言われた、
そのような人たちが住んでいたことさえ知らないとまで言われたことだった。




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<章>の関係図


上昇と下降の館



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