第6章 脳にはびこるインポテンツの妄想 借金返済で弁護士に相談




第6章  脳にはびこるインポテンツの妄想




<女房に逃げられた、ふがいない亭主が女の行方を捜す、という冴えない男の話>、
亡き愛する妻、エウリュディケーを冥府へ降りて捜す、
オルペウスの話に啓発されて始められたことにあったが、
物語は、一体全体、どのように組み立てられたらよいものにあるのか、
皆目見当の付かないまま、かつ消え、かつ結ぶ、
淀みに浮かぶうたかたのように流れていくばかりにあることだった、
あのとき、夫婦の寝室で、生まれたままの全裸になった小夜子を麻縄で縛り、
みずからも全裸になって、ベッドへ上がろうとしたとき、
枕もとに置かれた、小説本の腰巻に記された宣伝文へ、ふと注意を奪われて、
美しい小夜子の緊縛姿から視線を逸らし、振り返ったときには、
彼女の姿は、そこにはなかったことだった。

恋に溺れながら
私の愛は乾いていく
高ぶるほど空虚
満たされるほど孤独

オルペウスと同様に、振り返るようなことはすべきではなかったのかも知れない、
だが、文学の問題も重要であったことは、事実としてあったことだった、
新たに創造することができないという、長きに渡っての閉塞した情況に置かれていた、
脳にはびこるインポテンツの妄想から抜け出せないままでいたのだ、
<脳にはびこるインポテンツの妄想>、
それは、<扇情して・勃起して・硬直して・射精する>、
という<起・承・転・結>に依って成立する創造過程において、
<森羅万象の事物に刺激を受けて、創案し、構造化し、作品とする>、
という自然過程が何らかの理由で阻害され、勃起できない状態をあらわすことにある、
扇情しても、勃起できないことであるから、当然、硬直のない、ふにゃふにゃの構造は、
射精することによって起こる、新たな生命の誕生は言うまでもなく、
感動も、快感も、説得力もまるでない、
新味のないありきたりな設定、登場人物、発端、会話、展開、結末、
小説の歴史が繰り返してきたことをただカラーを変えてコピーしているだけの作品、
何もかもがマンネリズムの真骨頂ということでは意義があるかもしれないが、
それ以外は紙面を活字の汚れで埋めているというだけの代物、言語の崩壊、
誰も、興味を持つわけがない、お粗末な宣伝チラシと同じ、
興味を惹かず、面白くもなければ、
それよりも興味を惹く、面白い表現へ、読者の関心が移っていくのは、世間の人情、
<文学>という二文字の尊厳は、その内容が証明することでしかないという、世の常、
売れ行きの悪い作品は没となり、人気のない作者には仕事が廃れていく、
単に、文才がないだけだということで終わらせることができれば、それに越したことはない、
そうであれば、<脳にはびこるインポテンツの妄想>は生まれない、
<妄想>と言うからには、<妄想>があるのである、
狂おしく、悩ましく、悶えて、のた打ちまわる、終わりのない、観念があるのである、
それこそ、そのようなものを作品にしたら、編集者から、
このようなものを出したら、読者からそっぽを向かれてしまう、
或いは、このようなものを書く者は、本人が気がついていないだけで、気違いだ、
とさえ言われかねない、<脳にはびこるインポテンツの妄想>なのである、
それは、都合よく喩えるとするならば、
明治維新以来の日本文学が抱えた、<矛盾・相克・軋轢>へ置かれるという呪縛である、
呪縛とは、心理的な強制によって、人の自由が束縛されることであるから、
あたかも、恥ずかしい生まれたままの全裸の姿に剥かれ、しなだれた陰茎をあからさまにされ、
がっちりと後ろ手に縛られた上に、しっかりと首縄と胸縄を掛けられて、
淫らな股縄までも施された姿態をこれ見よがしと晒し柱へ繋がれているありさまと同様である、
羞恥、屈辱、嫌悪の極みに舞い上げられる、被縛者の身上へ置かれるということだ、
読者の老若男女は、その晒し者の頭上へ掲げられた、罪状証明の表札の二文字、
<文学>とは、それほどまでに罪深い行いにあることなのかとつぶやき合い、
被縛者の余りに奇怪、滑稽、荒唐無稽の印象から、猥褻を遥かにすっ飛ばして、
思わず哄笑するばかりにあることであった、
その文字の羅列を熟読できない、幼い子供の何人かが近付いて来て、
そのうちの一人がしなだれた陰茎をつまみ、ふにゃふにゃしているとにやにやしながら叫べば、
残る子供たちは、脱構築とは、構築が堅牢であるからこそ果たせることなのに、
構築そのものがふにゃふにゃじゃあ、何が脱構築か分からないよ、と笑い声で応えるのであった、
母親は、役に立たないものだからと言って、玩具じゃないんだから、遊んでは駄目よ、と嗜めれば、
子供たちは、そのようなものは打ち捨てて、
そのようなものへ将来を託すなど、思いも及ばないというように、他所へ遊びに行くのであった、
<文学>の存在理由とは、何か、
明白である、それは、人間が言語による概念的思考を行い続ける限り、
言語による表現を一層豊かなものにするために、新しい言語表現を創造し続けることにある、
そうであるならば、明治維新以来の<文学>の百四十五年間に及ぶ蓄積とは、いったい何か、
それは、新たに創造される事柄を準備するためにある、これも、明白である、
陰茎の存在は、膣へ挿入されることが自然なありようである、と言い切れるほど、明白である、
だが、<文学>における、読者離れ、評論家離れ、出版社離れは、
<文学>が売り上げの少ない、収益を上げない、という数値の事実において、明白である、
興味を惹かず、面白くもなければ、
それよりも興味を惹く、面白い表現へ、読者の関心が移っていくのは、世間の人情であり、
<文学>という二文字の尊厳は、その内容が証明することでしかないことは、世の常である、
そのことも、明白にあるからこそ、
売れ行きの悪い作品は没となり、人気のない作者には仕事が廃れていくという現実がある、
もはや、<近代文学の終わり>、<小説の終焉>といった見解が提唱されるという事実は、
明治維新以来の<文学>の百四十五年間には、限界が来ていることが示されている、
これまでのありようや方法では、太刀打ちできない、瀬戸際に立たされた、
現実があるということの明白にある、
にもかかわらず、どうにもできないことにあるならば、
<脳にはびこるインポテンツ>にあるということでしかない、
<文学>は、皆目見当の付かないまま、かつ消え、かつ結ぶ、
淀みに浮かぶうたかたのように流れていくばかりにあることでしかなければ、
それは、ひとつの民族の漂白を露わにさらけ出させているということでしかない、
では、何が問題であるのか、
何が超克させることにあるのか、
勃起は、扇情と向き合うことがなければ、成し得ることではないことは、確かだ。


上野駅を降りて、昭和通り沿いに千住の方面へ向かって、ひたすら、歩き続けながら、
組み立てられた物語をまるで迷宮に彷徨ったように、
ひたすら、思考し続ける、冴内谷津雄の問いであった、
そこで、ふと、緑の生い茂る、公園らしきものを見かけたとき、
少し休んでいこうという思いになったことは、照りつける陽射しのせいでもあったが、
人影がほとんどなかったことがその気にさせたことでもあった、
こじんまりとしたその場所は、<山伏公園>と表札されていた、
冴内は、空いているベンチに座ると、銀縁の眼鏡を外して、顔中の汗をハンカチで拭った、
そして、掛け直したときだった、
円形の大きな時計を掲げた支柱のそばにあるベンチに、
銀縁の眼鏡を掛けた、自分と同年くらいの男が雑誌を読んでいる姿が目に入ったのだ、
いや、その男のことは、どうでもよかった、
その男の前に現われた、女性の存在である、
年齢は、三十歳くらいになるのだろう、遠目に見てもそれとわかる、
女性の顔立ちと黒髪の美しさもさることながら、
白い絹のブラウスと紺地のタイト・スカートという、まるで事務員のような服装にありながら、
それは、まるで、紺地のセーラー服でさえ似合いそうな趣きがあり、
女らしさを際立たせる、起伏のある優美な姿態を見せ付けられて、
思わず、どきどきとさせられるものがあったのだった、
女性は、ほっそりとした白い両腕で、紙製の衣装箱のようなものを抱えていた、
縦55センチ・横36センチ・深さ8センチという大きさのその箱を差し出しながら、
はっきりと聞き取ることのできない声音で男に語り掛けているのであった、
男は、その衣装箱を受け取ると、蓋を開けて中身を見た、
そして、おもむろに顔を上げて、波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、
相手の美しい顔立ちをまじまじと見つめ返すばかりになっているのだった、
それから、男は、しっかりとうなずくと、衣装箱の蓋を閉じて、ベンチから立ち上がった、
女性が歩き始めるのに従って、箱を片腕に抱えて、もう片方の手には雑誌を携えて、
付き従うように公園から出て行くのであった、
その間、五分にも満たないという、男女の出来事であった、
しかし、冴内にとって、それは、
見せ付けられた謎というものを意識せずにはいられないことだった、
女の顔立ちと男の顔付きには、
真剣過ぎるほどの表情の浮かんでいることを見て取ることができたからであった、
<物語>の始まりにしたら、悪くはない、と感じさせられる光景にあったのである、
その発想は、冴内をすぐさまにベンチから立ち上がらせて、
男女の後を付けるという行動に至らせた、
男女は、一方通行の道路を挟んで、左右に伸びる商店街の歩道を歩いていた、
その反対側の道を追いかけていた、冴内は、彼らが或る店舗へ入っていくのを確認するのであった、
ガラス戸に、<ブックス パフューム>という表示のある、書店と思える店舗であったが、
波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、美しい顔立ちの女性は、扉に鍵を掛けている様子で、
水色のカーテンをきっちりと引いては、<本日休業>をはっきりと示したのであった、
冴内にとっては、それ以上に後を付けることができない、<立入禁止>の表示と言えることだった、
従って、立入が許されないことにあれば、
そのまま立ち尽くして、事の成り行きを待つしかなかったが、
自動車の通行にしても、人通りにしても、極めて少なかったその場所では、
長引く時間は、みずからを挙動不審者と見なされても致し方のないところが感じられた、
冴内は、仕方なく、<山伏公園>へ戻り、ベンチへ腰掛けて、創案をめぐらせることを考えた、
照りつける陽射しは、数本立つ太い樹木と生い茂る緑の木の葉に遮られて、
涼し気ではあったが、人影は冴内以外にはないという環境は、
想像という土足で店内へ入っていく、という情況を一気に作り出させたことにあった。


波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、美しい顔立ちの女は、
水色のカーテンを引き終わると、店の奥にある部屋へ、男と一緒に入っていった、
土間を上った、畳敷きのその部屋には、すでに、整然と夜具が敷かれてあったことは、
その部屋の扉さえも、女に鍵を下ろさせるということさせたことだった、
男は、待たされたことがもどかしいと言わんばかりに、
振り向いた女のほっそりとした両腕を掴んで引き寄せると、相手の綺麗な唇を求めた、
吸い付き合うように重ねられた互いの唇は、男の舌先を女の口中へ差し入れさせ、
女の舌先は、それを絡め、くねらせ、もつれ合わせて、情感を高ぶらさせるままにあった、
男の両手は、すでに、白い絹のブラウスに綺麗な隆起をあらわす、
ふたつの乳房の上に置かれていたが、その指先がボタンを外しにかかっていたことは、
勃起を露わとさせた、男のズボンの膨らみへ置かれていた、
女の華奢な指先を優しい撫で擦りに変えさせていたことでもあった、
情感あふれる、双方の熱烈な舌先の愛撫は、もはや、もどかし過ぎると言わんばかりに、
抱き合ったふたりの姿態を離させると、どちらが早いかを競わんばかりに、
男と女は、一糸も身に着けない、生まれたままの全裸の姿になるのであった、
向き合った両者は、互いの顔立ちと顔付きを見つめ合い、
女は、男の銀縁の眼鏡を両手を使った丁寧な仕草で外すと、タンスの上に置いて、
おもむろに、跪くようにしてしゃがみ込み、眼の前に屹立する、
赤々と剥き晒した陰茎をほっそりとした指先でしっかりと掴んで、
開き加減の綺麗な唇を寄せていくという振舞いに出るのであった、
柔らかな舌先が舐め上げ、舐めまわし、やがて、口中へ頬張るに及んでは、
男の両手が女の波打つ艶やかな黒髪の頭を押さえさせ、
込み上げさせられる快感に首を仰け反らせて、享楽を露わとさせていることにあった、
陰茎が優しく口中から引き抜かれると、唾液にまみれた矛先は、
銀色の長い糸筋を引いて、準備が整ったことを露わとさせているのであった、
全裸の男は、全裸の女を抱き寄せると、夜具の上へ寝かし付けるように、
その姿態を横たわらせて、顔付きは、相手の股間の方へ、しっかりと向けられていた、
しなやかに伸ばさせた両脚は、太腿をぴたりと閉ざさせて、
付け根にふっくらと茂らせる漆黒の和毛を羞恥にあるように震わせていたことは、
官能の高ぶりから紅潮させた、美しい顔立ちの両眼も、潤ませた情感にきらきらと輝いていた、
そのきらめきに匹敵するように、男の両手が掴んで押し開かせた、艶やかな太腿の奥は、
花びらを開き加減として、滲ませた女の花蜜で潤い満ちて、その内奥までものぞかせていた、
開いた花びらの内奥にある深淵に、男の尖らせた舌先が忍び込み始めたが、
綺麗に拭うように舐めまわせば、それだけ、滲み出させる豊饒にある、女の花蜜であった、
やがて、反り上がった男の陰茎の矛先がその花びらへあてがわれ、
深淵に迎え入れられるように、潜り込んでいくことには、困難などまるでないことにあった、
見事な硬直をあらわして深く沈められた矛先が緩やかな抜き差しを始めれば、
女の華奢な両手は、行き場を探し求めて、シーツをしっかりと掴んでいるのだった、
緩やかな抜き差しが次第に激しさを増していけば、
女の美しい顔立ちは、置き場のないように、波打つ艶やかな黒髪を打ち震わせて、
右に左に向けられるが、ああっ、ああっ、という甘い声音も抑えることはできなかった、
その甘美な声音も、ああん、ああん、という泣き声のようなものに変わるほど、
陰茎の抜き差しが高揚をもたらすことにあれば、男の息遣いも激しいものとなって、
放出と絶頂は、時間の問題ということになるだけにあった、
男女の睦み事としては、新鮮味のない、ありきたりとも言える表現である、
従って、そこへ至る、男と女の関係の描写が重要性を持つということになるわけだが、
この場合の愛人関係は、社会的に、世間的に、個人的に、
どのような意義にあることなのか、という表現の問題が問われることにあった。
しかし、それだけでは、愛人関係の客観的意義があらわされるというだけで、
縦55センチ.・横36センチ・深さ8センチという大きさの衣装箱の存在が見失われている、
男女を性愛の行動へ至らせた、衣装箱の中身とは、いったい何であったのか、
という重要な問題があるはずであった、
何故なら、その中身が男女のふたりを繋ぐものに間違いないことは、
ふたりは、連れ立っていって、何が行われるかに繋がることにあったからであった、
それが謎である……
ふたりが閉ざされた空間で、今、実際には、何を行っていることにあるか、
それを示唆する、衣装箱の問題と言えることにあった。


実は、ふたりの逢瀬で行われたことは、世間にありがちなありきたりの性愛行為などではなく、
昨今、極めて稀で珍しい、男女の真面目な文学的会合であったことは、
衣装箱の中身は、安達由香という名の女性が書いた、小冊子にあったことに依るものであった、
向かいに座って、それを真剣に読む男性は、冴内谷津雄という文筆家であった。
小冊子とは、以下の内容のものであった。


『 <もののあはれ>という呪縛 ―<近代的自我>の超克― 』


1868年の明治維新を契機として、日本民族が<近代的自我>というものを意識し始めたことは、
キリスト教を根幹とする、<西洋思想>の導入に依ることにある。
この<西洋思想>の導入ということは、明治政府の<欧化主義>、
即ち、世界の先進国である、西洋の列強国家と肩を並べた独立を獲得するためには、
政治・経済・社会・自然科学・哲学・芸術、他諸々のすべての分野において、
<西洋思想>による産物を可能な限り自前のものとする、
積極的な方策として実施されたことにあった、それが果たし得なければ、
他のアジア諸国のように植民地化される、危機意識に基づいてのことからであった。
従って、急速で過激な導入にあったことは、
夏目漱石の次の言葉にあらわされている(『現代日本の開化』 明治44年 和歌山における講演)。
「それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。
もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、
西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。
ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味で
ちょうど花が開くようにおのずからが破れて花弁が外に向うのを云い、
また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず
一種の形式を取るのを指したつもりなのです。
もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、
御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います」
この<勝手が違う>という意味は、
「少なくとも鎖港排外の空気で二百年も麻酔したあげく
突然西洋文化の刺戟ね上ったぐらい強烈な影響は
有史以来まだ受けていなかったと云うのが適当でしょう。
日本の開化はあの時から急劇に曲折し始めたのであります。
また曲折しなければならないほどの衝動を受けたのであります。
これを前の言葉で表現しますと、今まで内発的に展開して来たのが、
急に自己本位の能力を失って外から無理押 しに押されて否応なしに
その云う通りにしなければ立ち行かないという有様になったのであります。
それが一時ではない。四五十年前に一押し押されたなり
じっと持ちえているなんて刺戟ではない。
時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、
またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ
日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない」とされる。
明治維新の文明開化に始まる、日本国の展開は、
<西洋思想>の列強国家の圧力に依って行われたものにあるということが示唆されているが、
漱石の講演の言葉は、以下の心情告白で締め括りとされている。
「とにかくわたしの解剖した事が本当の所だとすれば
われわれは日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。
外国人に対しておれの国には富士山があるんだというような馬鹿は今日はあまりいわないようだが、
戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。
なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。
ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申したとおり私には名案も何もない。
ただ出来るだけ神経衰弱にかからない程度において、
内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方がない」
これは、日本民族における、<近代的自我>というありようを投げ掛けると同時に、
日本国家がその後に歩む道筋を予見しているようなものでさえあることは、
その後の歴史の展開に見ることができることからである。
<近代的自我>とは、<西洋思想>と衝突した、
日本民族の自我意識が抱え込んだ、<矛盾・相克・軋轢>にあるとすれば、
それは、<西洋思想>を手本とする<開化>にある限り、超克できないというありようは、
永遠と続く問題であることは避けられない、ということが問題提起されている、
言い方を換えれば、<自主・独立・固有の知覚>をあらわす表現を獲得できない限り、
<西洋思想>の隷属にあるということになる。
国家として、他国の隷属にあるということは、属国にあるか、植民地としてあるということである、
日本国家は、<自主・独立・固有の知覚>をあらわす表現を獲得するために、
無謀な戦争を行い続けたという<気違い沙汰>の経過を歩まねばならないものであったとしたら、
それは、日本民族が神経衰弱を患っていたことの証明となることにあるのだろうか、
それとも、日露戦争の対外戦争勝利から、<戦争以後一等国になったんだ>とされる自負は、
<おれの国には富士山があるんだ>という自然礼賛の素朴さなどは幼稚で話にならず、
<外国人に対して><自主・独立・固有の知覚>をあらわす表現は、
軍事力・武力で証明する以外にないとされることにあったと確信できることにあるのだろうか。
夏目漱石は、第一次世界大戦中の1916年に没したので、
満州事変も、日中戦争も、太平洋戦争も知らない、
最終的に、無条件降伏という惨敗で国家の戦争が終結を迎えたことも知らない。
その到達した境地とされる、<則天去私>は、
自我にとらわれずに、自我を超越した天地自然に委ねる以外にない、ということにあるが、
自然礼賛ということでは、<富士山がある>という素朴さと変わらないものにある、
<矛盾・相克・軋轢>にある、<近代的自我>は、ついに超克されることはなく、
日本民族が倫理と美の認識としてきた、
<自然観照の情緒的表現>に落ち着いたという境地が示されただけにある。
<自然観照の情緒的表現>というありようは、人間の一般論からすれば、
<自然観照の合理的表現>と相対を成すものとしてある、
前者は、<感情>を主潮として自然を観照するということに対して、
後者は、<観念>を主潮として自然を観照するという相違にあることである。
漱石の<則天去私>が<自然観照の情緒的表現>にあると言えることは、
<自我>という<観念>を超越して、<自我>という<感情>に委ねたことにある。
しかしながら、この<自我という感情>は、漱石の創意にあることではない、
創始以来、日本民族が培ってきたありようであり、明確な認識の学説として提唱した者も存在する、
江戸時代の学者であり医者でもあった、本居宣長の<もののあはれ>という認識がそれである。
宣長の<もののあはれ>が画期的な学説の提唱にあったことは、次の点にあるが、
その提唱以後の歴史は、この学説の立証を確認するための経過であったと言えることにもある。

<もののあはれ>とは、森羅万象を相手にして存在する人間は、
どのような知覚をもって、それを知ることにあるかを解き明かした表現にある、
<もの>という客観的対象を<あはれ>という主観的感動で捉えて認識し、
調和のとれた優美繊細な情趣をあらわす、芸術意識にあることが示されたことであった、
それは、<知覚作用である>と述べられていることにあるのは、
森羅万象に対して、その自然という本質を見極めるには、
事に触れて起こる様々の微妙な感情を率直にあらわすことをする、というその意義は、
喜怒哀楽といった、感情の変化に対してだけではなく、それを徹底して、
<日常性の知覚>において行われるすべてを<もののあはれ>という認識としたことにある。
美しいは、<もののあはれ>にあるから、そこはかとなく美しく、
良いは、<もののあはれ>にあるから、しみじみと良い。
それは、<日常性の知覚>にあると認識されることにおいて、
日本民族に<固有の知覚>としてあることを示すものとなり、
日本民族は、異民族に模倣・追従・隷属することなく、<自主・独立・固有の知覚>をもって、
森羅万象を認識し得るとされることにあった。
これは、<自然観照の情緒的表現>という一つのありようが示されていることでしかない、
と見ることができれば、上田秋成のように、直接に反論する者もあらわれた。
しかしながら、宣長の<もののあはれ>は、
日本民族の存在理由をあらわすものとして、倫理と美の認識が示されていることに留まらず、
<自我>という意識が明確に示されているものにあった。
その<自我>とは、<大和心 やまとごころ>と<漢意 からごごろ>の相対として、
前者は、日本の心性、後者は、日本以外の心性をあらわす、と明確に区別されるものとしてあった。
この<もののあはれ>にある<大和心>という<自我>を成立させる根拠として、
宣長は、『源氏物語』と『古事記』を据えていた。
『源氏物語』は、明治維新以降の<西洋思想>の導入による評価において、
世界に先駆けての<小説>文学作品にあると見ることができるものとしてある、
この<世界文学>にあるという見方に従えば、西洋の産物になる、<小説>を導入する以前に、
すでに、日本民族は、『源氏物語』という<小説>を持っていたことになる。
つまり、西洋の<小説>を手本にして、日本の<小説>を確立しようとする以前に、
すでに、確立された<小説>が存在するということが意義されていることになる、
その確立された<小説>は、<大和心>という<自我>をあらわすものにある。
このことは、<もののあはれ>という<自然観照の情緒的表現>によってあらわされた、
『源氏物語』の存在は、日本の心性としての<自我>を表象するものにある以上、
導入される<西洋思想>による<自我>は、日本以外の心性をあらわすものでしかなければ、
<大和心>と<漢意>の相克が生まれることは、当然の情況としてあることであった。
両者の<自我>の対立が<近代的自我>とされる、
<矛盾・相克・軋轢>へ置かれることであったが、ここで、疑問が生じる、
<漢意>は、宣長の本来の定義では、<中国の思想>を指して述べられているものにある、
<西洋思想>を指して言っていることではない、宣長の定義にはそぐわない。
その通りである、宣長の定義にはそぐわない、だが、<もののあはれ>の定義には合致する、
<もののあはれ>にある<大和心>であれば、その<自然観照の情緒的表現>は、
それと相対するものを<日本の心性以外のもの>とさせることにある、
<漢意>は、<西洋思想>を意義するものにあっても、矛盾は生じない、
何故ならば、その<西洋思想>があらわす<自我>は、
<観念>を主潮として自然を観照する、<自然観照の合理的表現>を顕著とさせたものであって、
<自然観照の情緒的表現>と対立するものにあるからであった。
<近代的自我>の<矛盾・相克・軋轢>は、
<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>の対立から生じているということで、
当事者がそのように置かれている心理状況を把握し切れない事柄にあるとしたら、
<もののあはれ>の呪縛という<強制>が働いていることにあると言える。
西洋の芸術運動に敏感に反応して、その導入に躍起になったとしても、
<西洋思想>による産物を可能な限り自前のものとすることが行われようとしても、
<模倣・追従・隷属>にあるようにしか作り出すことのできない葛藤、その結果は、
<自然観照の情緒的表現>によって焼き直しされるものしか生まれないという<強制>である。
そのありようを<日本的>と称することは、容易である、
しかしながら、解決されない<近代的自我>の<矛盾・相克・軋轢>は、
そのまま引き摺っていくには、余りにも、大きな問題を惹き起こすことになることであった。
<文学>は、折々に強く吹く、<西洋思想>の風に乗って、
<近代的自我>の<矛盾・相克・軋轢>を放置したまま、<日本的>表現を続けていく、
夏目漱石が象徴的に述べた、
「前申したとおり私には名案も何もない。ただ出来るだけ神経衰弱にかからない程度において、
内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方がない」
そのように向かうしか方途がなかったように。
時勢は、内省する余裕もなく、<戦争以後一等国になったんだという高慢>な思いに依って、
軍部が満州事変・日中戦争を開始して、<文学>の反抗意欲を徐々に奪い去っていくのであった、
それは、<もののあはれ>の呪縛は、単に、<文学>における問題にあるだけではなく、
<政治・宗教・国家>をあらわすものとして露骨になれば、それに反旗を翻すということは、
政治犯として社会的に抹殺されることを現実としていたことにあるからであった。
宣長の据えた、もう一つの文献、『古事記』の存在である。
『古事記』は、日本民族の起源について、その民族史は、
現在まで存続する天皇が万世一系としてあることにより、歴史が証明されるものにある、
世界に唯一、固有のありようとして、
天皇の存在が予定調和する歴史にあることが示されていることにある。
宣長の<もののあはれ>は、日本民族における者であるからこそ、
あらわすことが可能である、<自然観照の情緒的表現>ということであれば、
日本民族の存在は、<大和心>の起源となる、『古事記』に依って証明される、
天皇と一体としてあるということから、天皇の存在がある限り、
<もののあはれ>にある<大和心>を持つ日本民族の存在も失われることはない、
天皇の存在に依って予定調和される歴史を歩む、日本民族は、
世界に唯一、固有のありようとして、
<自主・独立・固有の知覚>をあらわす国家を形成できることにある、
この論理に基づいて、国家の方策を定めようとする、<もののあはれ>の呪縛にあった。
天皇の位置付けを限定する、<天皇機関説>という見解もあったが排斥された、
<合理性>よりも<情緒性>を優先する、<もののあはれ>にある<大和心>の<自我>は、
部分の総和による全体の構築という考え方よりも、
部分を考慮せずに全体を把握することを構築という考え方にあるとすることにあった。
従って、この<自我>から作り出される思想は、<脱構築>という方法が成し難いことは、
<改革・改造・変革>と称しても、全体の雰囲気が何となく変わるという意味でしかなく、
<部分を考慮しない全体>という考え方は、国家の成員は国民であるという意識が希薄で、
その国民は一人一人の人間にあるということの軽視は、
国家という全体へ属するということでは、個々人の生命の尊重もまた軽視されることになる。
その国家の実情は、自給自足で賄えない人口において、政治体制は、貧富の格差を是正できず、
失業者の増大による社会不安は、政府高官や財閥人の暗殺、軍事クーデターの勃発を招いて、
軍部が政治体制の実権を握るようになるための道筋を引いていくことを促し、ついには、
日本国以外の地へ生産物の供給を求めるための<対外膨張主義>となることにあった。
満州事変による満州国の成立は、日中戦争へ展開して、
<北方>は、ソ連を見据えて、<南方>は、西洋列強国の植民地を見据えて、
日本国家は、戦争を推し進めたのである。
この<戦争>の過程は、<もののあはれ>にある<大和心>の<自我>に依って、即ち、
<自然観照の情緒的表現>に依って、<軍律・戦略・戦術>が行われたならば、
どのような戦争の結果を生むかということを示したものにある、
しかも、希薄となっている、<自然観照の合理的表現>は、
敵対する、<西洋思想>にある連合国側が<自我>としていることにあった、
太平洋戦争にまでに及んだことは、
<自然観照の情緒的表現>対<自然観照の合理的表現>の闘争と言えることにあった。
明治維新以来、アジア諸国のなかにあって、<西洋思想>の列強国の植民地とならずに、
<自主・独立・固有の知覚>をあらわす唯一の国家がその存在理由を試されたことであった。

軍部である、大日本帝国陸海軍の軍事行動が<合理性>を欠いたものにあって、
それは、<情緒性>によって成されたという見方のできることは、次のような点にある。
軍部は、満州事変に始まる、戦争の経過を<成り行き>で考えていたことは、
国内の社会不安から政情不安を払拭するために、<対外膨張主義>を必要としたが、
それは、<総力戦>で臨むというような体制ではなかったことに見ることができる。
武士の時代以来の上下関係を重んじる、縦割りの官僚的体質は、
陸軍と海軍の協力に依る、<戦略・戦術>の実行を極めて消極的なものとさせて、
<各々にある威信>は、その対立が作戦行動に支障を来たすようなものにさえあった。
<総力戦>を如何に行うかという<合理性>の欠如が戦争終結まで続いたことは、
当初から、戦力は最大限に発揮されたことにはなかったことをあらわし、
<戦略・戦術>のあらゆる面に示された、負の影響を如実とさせたことであった。
<戦争に勝利すること>、及び、陸海軍の<各々にある威信>、
いずれが戦争することの目的であり重要にあるかを考えれば、
陸海軍の協調は、その当然の答えにより、必然的な<戦略・戦術>を作り出すことになる。
その当然が成し得なかったことは、<もののあはれ>にある<大和心>の<自我>は、
<自然観照の情緒的表現>を行うものとして、<合理性>を阻んだことのあらわれである。
状況の把握について、情報の複数性、信憑性、詳細の綿密な分析・検討に対して、
現状の把握よりも、<創案された>作戦を実行することに優先が置かれたことは、
<創案された>作戦は、立派であるから、勝てるものにある、
そこに不足するものがあれば、現地調達して補えばよいと考えることをさせた。
明治維新の開国以来、日本国家は、国内の需要を満たすために、
輸入物資へ依存しなければならないという現実を抱えてきた。
海外進出における、<対外膨張主義>とは、物資の確保を意義するものにあり、
石油を始めとする、原材料や食糧の輸入と輸入された原材料からの生産品の輸出、
これが円滑に遂行される、<輸送手段>は、最重要課題となることにあった。
<輸送手段>を断たれれば、国内の生産を支えている、物資も人も立ち行かなくなり、
戦争を行うための供給はなくなり、戦争を続行することは、不可能になることであった。
<輸送手段>を円滑に遂行する仕組みとそれを支える軍事力、
それがなければ、続行できる戦争ではなかったことは、想定外と言えることではなかった、
つまり、国家は、<兵糧攻め>に晒されれば、城は簡単に落ちるということで、
武士に由来する軍人にあることならば、そのようなことは、心得ていて当然のことであった。
だが、現実にある数字の差異を数値という<合理性>で判断するのではなく、
<もののあはれ>にある<大和心>の<自我>は、<情緒性>で判断するのである。
日本国家が行った戦争は、1977年に厚生省援護局が明らかにした数字では、
1937年7月以来の軍人・軍属・准軍属の戦没者は、約230万人、
外地での戦没一般邦人は、約30万人、内地での戦災死者は、約50万人、
合計で約310万人とされている。
この軍人・軍属・准軍属の戦没者の約230万人のうち、
約140万人は餓死にあったという見方がある。
(藤原彰 『餓死した英霊たち』 青木書店 2001年)
餓死は、<対外膨張主義>によって拡げられた戦地の全般に渡って見ることができるもので、
補給の不足、或いは、途絶による、栄養失調症が常態化し、
体力の低下から抵抗力を失って、マラリア、赤痢、脚気などによる病死や、
飢えによる直接の死をもたらしたことにある、
戦闘する相手は、敵兵ではなく、みずからの身体であったと言えることになる。
それが<無駄死に>であると見なされるならば、約140万人という大き過ぎる数字は、
大日本帝国陸海軍の軍事行動が<合理性>を欠いていたと見るしかない。
<合理性>の欠如にある<自我>は、戦局を数値ではなく、<情緒性>で判断していたことは、
戦地で欠乏しているのは、<物資>ではなく、それに耐え得る、<精神>にあると考えさせた、
補給など乏しくとも、立派な作戦の遂行は、<大和魂>をもってすれば成し遂げられる、
従って、敗北は絶対に許されない、負けて捕虜となることをその証とすることも禁じられる、
最後の一兵まで戦って、最後の一兵まで死んで、玉砕することが軍人の義務となる、
<生きて虜囚の辱しめを受けぬべし>と<戦陣訓>は教示していた。
兵器も武器も弾薬も食糧も貧困で、栄養失調症の病人ばかりの軍隊がどうして勝てるのか、
東京の参謀本部では、そのような戦地の現状を考慮しない、立派な作戦が立てられ命令が下る、
勝てるわけがないから、負ける、
だが、負けることは許されない、捕虜となることは禁じられている、
孤立させられた部隊は、餓死か、自決か、玉砕しかない。
このようにあった戦争は、真珠湾攻撃といった緒戦の先制攻撃の勝利を除いて、
米軍を主力とする連合国軍の反攻に合えば、敗北の一途を辿るだけのことにあった。
ただ、敗戦を引き延ばしにするために、戦争は続けられていくというだけで、
餓死者と自決者と玉砕者を積み重ねていくことになり、
死者となるべき国民が生き残っている限り、作戦は立てられ、実行に移されるものにあった。
<精神・魂・根性・気合>、これさえあれば、米軍は民主主義で腐敗している軍隊にあるから、
銃剣や竹槍や鎌の武器であってさえも、機関銃や戦車や航空機に負けることはない、
敗北を認めない以上、敗戦という結果には絶対に至らない、
という<精神主義>の理屈にあった。
この<情緒性>の<戦略・戦術>に対して、
米軍の軍事行動は、<合理性>のある<兵糧攻め>であった、
<輸送手段>を壊滅させて物資供給を断絶し、孤立化させて攻撃する、
孤立化した日本軍は、窮乏極まりない状態で、圧倒的な兵員の連合国軍に敗北する。
そのようにして、南方の島々は制圧され、壊滅させられた<輸送手段>は、
国内への物資の供給も途絶させられ、孤立化した日本列島は、空襲に晒されるようになる。
これも、国内の<輸送手段>を爆撃で遮断して、都市への物資供給を断絶し、
窮乏極まりない状態になった市民へ焼夷弾による無差別爆撃を行うというものであった、
200以上の都市へ行われた攻撃は、国土を焦土と化すものにあった。
これに対して、大日本帝国陸海軍の<情緒性>の戦略・戦術は、
敗戦が明白な情勢を理解しながらも、<合理性>のある解決を求めることをしなかった、
一機一艦撃沈を目的として、<特別攻撃隊>という人間爆弾を考え出して対抗しようとした。
特攻兵器は、零戦を始めとして、最先端兵器としては、回天、桜花などが開発されたが、
米軍の<合理性>の思考にある、最先端兵器は、原子爆弾であったから、
与える損害・死者数は、<何百人>対<十数万人>の相違にあることだった、
しかも、国内の生産性と燃料の逼迫は、特攻兵器も、<無駄死に>させるものでしかなかった。
残る戦術は、民間人を使っての一億総特攻、老若男女を巻き込んでの国民総玉砕、
敗戦を認めない軍部は、それを実行することを掲げるまでしたのである。
<情緒性>の<自我>は、<敗戦>することを屈辱・侮辱・恥辱と感じていることから、
<総玉砕>するとは、<敗戦>を感じる者が絶滅することで、<敗戦>の絶無と考える、
国家が<総玉砕>という全体からすれば、200以上の都市への絨毯爆撃による死者数や、
広島や長崎へ投下された原子爆弾による死者数は、一部という数字にしか過ぎない、
武士の時代に、一つの城が<兵糧攻め>に晒されて、
敵の手に落ちることを恥辱と感じた籠城者が老若男女を問わずに自決したことにあれば、
今に生きる武士の魂は、それは、桜の花が散るように美しいと思い描くのであった、
敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花>である、
<情緒性>の<自我>の最期である、
<もののあはれ>にある<大和心>の<自我>を持つ、日本民族の絶滅であった。

しかしながら、<情緒性>の<自我>の最期ではなかった、
無条件降伏により、被占領国家になるという惨敗が現実としてあることであった。
<生きて虜囚の辱しめを受けぬべし>としていた、軍の最高指導者たちも、自決する者はなく、
捕虜となり、極東国際軍事裁判において、戦争犯罪人として裁かれたことにあった。
<自然観照の情緒的表現>にある<自我>にあっては、
そこまでの可能でしかなかった、戦争であった、
再度行って、勝利で終結する戦争と成り得るか、それは、否としか思えないありようであった。
明治維新以来の<欧化主義>によって、
政治・経済・社会・自然科学・哲学・芸術、他諸々のすべての分野において、
<西洋思想>から学んだことは、
<西洋思想>による産物を可能な限り自前のものとするということは、
<西洋思想>の産物は<合理性>に基づいて作り出されたという理解において、
日本国家が近代化することは、<合理性>が導入されるということを意義したものであった。
しかしながら、敗戦があらわす、その結果は、
<合理性>が中途半端な導入でしかなかったことを示している、
<自然観照の情緒的表現>対<自然観照の合理的表現>の戦争においては、
<合理性>の勝利に終わったことが示されている。
日本民族に欠如しているものは、その<合理性>にある、明白な答えであった。
戦後、米軍主導による連合国の統治下に置かれながらの復興も、
明治維新以来の<欧化主義>にあって、
<西洋思想>による産物を可能な限り自前のものとするという方策として変わらなかったことは、
当然といえば当然のことであった、世界の先進国とは、<西洋思想>にある国々であり、
それらの国々と肩を並べるためには、<西洋思想>の導入は、必須のありようにあったからである。
従って、解決されないままにある、<近代的自我>の問題も、同様に置かれたことにあった。
漱石が予見したように、
「時々に押され刻々に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、
またはおそらく永久に今日のごとく押されて行かなければ
日本が日本として存在できないのだから外発的というよりほかに仕方がない」
という状況は、超克される問題としてあり続けることにあった。
漱石が明確に示しているように、<近代的自我>の問題は厳然としている、
<自然観照の情緒的表現>対<自然観照の合理的表現>の対立にある、
それが超克されることになければ、<矛盾・相克・軋轢>から生じる、
<曲折>は、戦争表現となってあらわすことでなければ、
おのずと社会現象となってあらわれるものにあることは避けられない、ということにある。
戦争に負けて、被占領国家の憂き目に晒されても、
<自然観照の情緒的表現>の主潮を放棄して、
<自然観照の合理的表現>が主潮である、<西洋思想>へ隷属することが可能でないことは、
<もののあはれ>は、<知覚作用>としてあることからである、
人間存在において、<自然観照の情緒的表現>が明白にあることを示した、
本居宣長の<もののあはれ>という認識は、偉大な見解にあることである、
従って、偉大な力は、呪縛となってあり続ける。
新しい憲法に依って、人間天皇の宣言が成され、天皇の神性から解放された国民は、
国家、国民、日本民族、人間という事柄について考え始める、そのありようは、
<自然観照の合理的表現>の<西洋思想>からの影響にある考えを<左翼的思想>、
<自然観照の情緒的表現>の<もののあはれ>からの影響にある考えを<右翼的思想>、
この両者の対立にある闘争において、
<近代的自我>にある<矛盾・相克・軋轢>をあらわすということを始めたことであった。
しかしながら、この両者の闘争は、<近代的自我>の超克を目的としたものではない、
互いの存在理由の確執を浮き彫りとさせることに終始する限りは、<各々にある威信>を示す、
日本国家の<戦略・戦術>における、大日本帝国陸海軍の確執のように映らないでもない。
いずれにしても、今度は、国民全体の総力戦で、復興へ邁進することが責務の状況にあって、
生活が貧困にあるか豊かにあるかの相違こそが最重要問題としてあった、
日本国家は、<高度経済成長>へ向けて、復活することに懸命にあった。
そのような苛烈な<現代的状況>にあるとき、<現代的自我>ということの方が問題であり、
<西洋思想>による産物の導入は、<矛盾・相克・軋轢>を問う余裕もなく進められて、
<経済大国>としての位置付けにまで、がむしゃらに昇ることが精一杯という状況にあった。
<経済大国>にまで昇り詰めたことは、その維持において、
また、それ以上を昇ることにおいて、同じ状態のままにあり続けさせることはあり得ない。
<経済大国>としての翳りを見せるようになれば、
それ以上の輝きをあらわす創造性がなければ、翳りは凋落へ向かうばかりのことになる、
それまでは、眼をくらませるように輝いていてことも、輝きを失えば、素地があらわれる、
据え置かれたままの<近代的自我>も、<曲折>の素地を露わとさせることになる。
漱石は、<曲折>の情況にある苦悩を<神経衰弱>と言ったが、
<脳にはびこるインポテンツの妄想>と言うような者があらわれても不思議がないほど、
それは、インポテンツと同様に、全く個人的な問題となってあらわれてくることにあった。
<曲折>の例には、数多くの事柄が見受けられるが、日本の民族史にあって、
かつて存在したとは思えない、特徴的な事象があらわれ始めたことは、確かであった。
それは、成人以下の若者に増加する、<引きこもり・いじめ・自殺>というありようである。
未来へ希望を抱くことのできない、現状しか見ることのできない、<自我>は、
打破できない現状の前に、屈伏をあらわすことしかできないことでは、三者は同様である、
これらの事象が若者にはびこる現象を漱石の<神経衰弱>にあることだと言ってもよい、
<近代的自我>における<矛盾・相克・軋轢>は、
若者の<引きこもり・いじめ・自殺>の増加にあらわれている、
<近代的自我>を超克することに依って、未来に希望を作り出すことが可能であるならば、
脱構築する以外にない、それが漱石の投げた問題意識に対する応答となることだ、
日本民族としてあることが<もののあはれ>の呪縛にあることならば、
その呪縛から解き放たれることは、必然の認識に至ることだと言えるのである。

<もののあはれ>の呪縛は、天皇制の存続と過去の歴史は変えられないという事実において、
日本民族の将来を決定付ける、<認識>と<知覚作用>としてあることである、
それは、日本民族の<予定調和>としてあることである。
日本民族にあれば、この存在理由を変えられない、
従って、<大和心>と<漢意>の相対から作り出される、<自我>は、
外来のあらゆる事柄に対して、<近代的自我>を意識させるように働くことになる、
<大和心>と<漢意>の相対に見い出せる、<矛盾・相克・軋轢>へ置かれることになる。
<矛盾・相克・軋轢>は、<もののあはれ>が<自然観照の情緒的表現>にあることにおいて、
<漢意>とされるものが<自然観照の合理的表現>にあることで生まれるものにある。
このありようは、<左翼的思想>にあって、天皇制の否定を述べたところで、
或いは、<右翼的思想>にあって、天皇制の肯定を述べたところで、変わることにはない、
<認識>の問題を表裏にしたところで、<知覚作用>に変化が起こるわけではないからである。
従って、天皇制のあることが問題なのではない、
<大和心>にある<自我>は、戦争をするための軍部という体制において、
一義としてあるべき国民の結束の必然性を<民族意識>としての<大和心=大和魂>とした、
その根拠は、宣長が示したように、『古事記』に由来する天皇の存在理由にある、
それは、<予定調和>をあらわすことであれば、天皇を神的象徴において、
天皇制崇拝、天皇のための英霊、皇軍不敗、神州不滅、神風、八紘一宇が掲げられたことで、
大日本帝国陸海軍の政治的利用における、神道風の宗教活動にあったことにあると言える。
国民全体がその<カルト的宗教活動>に翻弄されたことは、
<もののあはれ>の呪縛が日本民族に厳然としてあったことの証明でしかない。
従って、日本国家が行った戦争を<認識>する場合も、
日本の軍部による<カルト的宗教活動>のあらわれにあったと見ることができれば、
実際の客観的な検証として、何処まで事実を確認できるかを<認識>とすること以外にない。
<戦争行為>そのものは、依然として、人類に不滅の表現欲求にある以上、
超克しなければならない人間の問題ということ以上のものにはならない。
<戦争行為>は、人類不滅の表現欲求である、
何故ならば、人間存在には、<食欲・知欲・性欲・殺傷欲>という生存を目的とした欲求がある、
人間は、異種の動物を殺傷することを行うが、同種の人間に対しても同様に行う、
みずからに対しても同様に行うことさえ可能としてある、<殺傷欲>を持っている。
生命が保存と維持の目的として欲求を発揮させるというありようが動物の<正常>だとすれば、
人間のありようは、<異常>であり、地球上に存在する動物のなかにあって、
今のところ、唯一の特殊な存在にある。
従って、その人間が行う殺戮は、同じように、<異常>に発達させた<知欲>の働きによって、
<殺傷欲>の<認識>をどのようなありようのものにも考えることを可能とさせている、
同じように、<食欲>や<性欲>のありようを<異常>へ向けて際限なく欲求させている、
生存への欲求の全天候型にある人間、
これが現在までの人間の<進化>と言えることで、変えることのできないものとしてある、
<知覚作用>が変えられないものにあるのと同様である。
ところが、<異常>へ向けて際限なく欲求させるというありようが不変であれば、
変えられない<知覚作用>がそのままあり続けるということも不変とは言い切れないのである。
地球上に存在する動物のなかにあって、今のところ、人間は、唯一の存在にあることは、
<食欲・知欲・性欲・殺傷欲>という生存を目的とする欲求にあって、
<異常>へ向けて際限なく欲求することを続けていることにある、
それは、地球環境を破壊する行為としてある場合もある、
それは、人間の絶滅を招く恐れさえある道具を作り出す場合もある、
人間は、みずからさえも殺傷する動物にあるのだから、自殺行為は当然のことであるとも言える、
だが、それでも、地球誕生以来、此処まで、地球上に生存し続けてきた、
従って、これから先も、同様に、生存し続けていくことは変わらない、
人類が絶滅種となる、天変地異がもたらされるまでは、
未来を希望して生存し続けていくことにある。
その人類を構成している、世界に数多ある、民族としての問題である、
日本民族における、<近代的自我>の問題は、そうした状況にあっての事態にある。
従って、それは、人間の知覚における一般的問題、
<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>の相対を問い掛けていることになる。
日本民族がその相対に<矛盾・相克・軋轢>を生んでいるのは、
それを<大和心>と<漢意>の相対に見ていることにあるのは、
明治維新以降の<戦争表現>が<敗戦>という結果をもってして、見事にあらわしている。
それ以上の答えは得られないということにおいて、日本民族は、貴重な体験をした。
従って、<戦後>を<明治維新から敗戦>までと同様の過程を歩むことは、あり得ない。
漱石の問題提起に対しては、答えが用意されなければならない。
人間の知覚における問題として考えれば、
宣長の偉大な提唱は、人間にある、<自然観照の情緒的表現>をあらわしている、
そこから、人間にある、<自然観照の合理的表現>にある知覚を提唱することができれば、
日本民族の知覚は、人間にある、知覚の表現を考察している立場となる。
<大和心>と<漢意>の相対をひとつに<ひねる・ねじる・よじる>して、
<近代的自我>を超克した立場から始めることができる。
では、その<自然観照の合理的表現>の知覚としてあるものは、何か。
言うまでもなく、それは、新しいものではない、
宣長が民族の創始以来をあらわす『古事記』に根拠を置いて見い出したように、
民族の創始以来をあらわす事柄においてしか、それは、見い出すことができない。
<縄文時代>とされる事象において、その由来するありようを見い出すことしかできない。
それは、<縄文時代>の一万三千五百年に渡る期間に作り出されたとされる、
縄文土器の存在からである、その土器の表面にあらわされた表象にある。
その表象は、<もののあはれ>に対しては、<縄に対する知覚>、
<大和心>に対しては、<結びの思想>と呼べるものを示していることにある。


そこで、小冊子の論考は、途切れていた。
冴内谷津雄は、思わず顔付きを上げて、向かいに座る、安達由香をまじまじと見やるのだった。
由香は、両手を膝に置いた正座姿を崩さず、じっと相手の読書の様子を見つめていた。
互いのまなざしが出合ったとき、互いは、真剣な表情のままにあった。
「いやあ、大変に興味深い論考です、
この途切れている続きが是非読んでみたいのですが」
冴内は、手にした小冊子を開いたまま、語り掛けていた。
「それは、途切れているのではなくて、そこで終わりなのです、
私、ひとりの力では、それで精一杯のことです、
後は、冴内様がみずからでお書きになってください、
私は、惜しみなく、ご助力致しますから……」
そのように言い終わると、由香は、波打つ艶やかな黒髪を柔らかく揺らせながら、
立ち上がって隣の間へ通じる襖を静かに開くのであった。
そこには、整然と夜具が敷かれてあった、そして、麻縄の束も置かれてあった。
白い絹のブラウスと紺地のタイト・スカート姿の由香は、真っ白な敷布の上へきちんと正座をすると、
美しい顔立ちを上げ、虚空の一点へまなざしを投げて、待機しているという様子をあらわした。
冴内は、その意志をあらわす相手の姿を見て、躊躇を感じていた――
確かに、<脳にはびこるインポテンツ>は打ち消しがたい問題にあった、
長きに渡って、閉塞した情況に置かれていたことは、新たな創作を生むことはなかった、
<自然観照の情緒的表現>を主潮として行われる、民族史には限度がある、
ということを考えさせられたことであった、
<日本思想>が教える<情緒性>と<西洋思想>が教える<合理性>との相対は、
ちょうど、ストックホルムのノーベル文学賞授賞講演における、
川端康成の『美しい日本の私』と大江健三郎の『あいまいな日本の私』の対比のように、
<右翼的思想>と<左翼的思想>にある、日本のあらわれを見事に示している、
<近代的自我>を超克できなかったことでは、川端は自殺を回答としているが、
大江の文学創造の回答は、未定のままにある、この未定ということは、
それが新たな創造へ向かわせる、根拠となることにあるかという問題である、
それがもし、日本の小説家は、小説家の<域>を超えるものにはない、ということであるとしたら、
二葉亭四迷に始まる、明治以来の日本の小説家にあっては、
<矛盾・相克・軋轢>にある苦悩は表現できても、
小説という物語の面白さが第一義のことにあれば、それまでのことでしかないのかもしれない、
では、俳人、歌人、詩人、随筆家、童話作家、官能小説家は、どのようにあるのか。
要するに、当然のことながら、<脳にはびこるインポテンツ>にある者しか、
<近代的自我>を超克しようなどという<異常>なことは考えないわけで、
だから、行うということに至れば、<異常>は、普通ではない、ということでしかあり得ない。
由香さんは、じっと待ち続けていた、
ぼくが部屋に入ってくるの待ち望んでいる、
敷かれた夜具の傍らには、麻縄の束が置かれている、それがあかしであった、
どうして、縄がある、
そのような疑問は意義を成さない、人間がひとり以上存在して、縄があれば、
その縄は、人間を縛り上げるために用いられる道具としてある可能性をあらわすからである、
<縄に対する知覚>と<結びの思想>と呼べるものを示していることにあるからだ――
冴内は、畳から立ち上がると、ネクタイを首から引き抜いた、
それから、スーツの上着を脱いで、ズボンを取り去った、
下着の上と靴下を脱ぎ去ると、トランクスひとつの裸姿になった、
だが、もはや、躊躇はなかった、肉体を隠す最後の覆いを取り去って、全裸となった。
しかし、全裸となった<自我>は、その羞恥から、陰茎をもたげさせるまでには至らなかった、
冴内は、ぶらぶらとさせながら、おずおずとした様子で、隣の間へ入っていくばかりにあった。
ブラウスにタイト・スカート姿の女性は、生まれたままの全裸の姿にある男性が入ってくると、
その姿をしげしげと見つめながら、傍らにある、
使い古されて脱色した灰色をあらわす、麻縄の束へ手を差し延べていた。




次回へ続く


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<章>の関係図


上昇と下降の館



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