第9章 通過儀礼 借金返済で弁護士に相談




第9章  通過儀礼




男女は平等の価値観の対象としてある、という観点に立てば、
四十歳近い中年の幾らか脂肪にだぶついた肉体にあって、月日を経て黒くなった陰茎、
俯き加減とさせている顔付きは、銀縁の眼鏡を掛けて、
とても美男と言える風采にはない男性が一糸も許されない、
生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧をされて、その上、
陰茎を露わとさせる恥ずかしい股縄を施された姿態をさらけ出されて、
<チシアン風の憂鬱な森と夕空との仄暗い遠景を背に、やや傾いた黒い樹木>へ繋がれ、
柔らかに縮れた金色の髪をした、愛らしい西洋人の顔立ちをくっきりとさせている、
ふくよかな全裸のキューピッドの放つ矢に心臓を射抜かれたことで、
性欲と性的官能は、火柱となって、思考を炎上させられるという情景は、
黒い樹木へ繋がれている、緊縛の裸身を置き所のないように激しく悶えさせながら、
もたげる思いを望みつつも、立ち上がる陰茎の余りの快さには、
狼狽さえ感じるように両脚をもどかしく絡ませて押さえ付ける思いになるが、
それを振り払うように快感を大きくさせる反り上がりの充血は、
これ以上には伸び切らないというほどに天上を仰いで、しずくを滲ませ始めることにあった、
全裸にあって、縄で後ろ手に縛り上げられている身の上では、逃れることの自由は奪われ、
赤々と灼熱した快感が天上へ引っ張り上げられるばかりの状況にあっては、
揺れ動く先端が糸を引かせる、銀のしずくのきらめきさえもが美しいと思えることにあった、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された肉体の感触は、
陰茎に掛けられた恥ずかしい股縄へ収斂する、熱いばかりの抱擁となっていたことは、
頂上へ至るための噴出を余儀なくされるという以外の道筋にはなかったことにあった、
起・承・転・結という整合性のある快感の絶頂、
それをあらわす以外にはなかったことだった、
性欲と性的官能に火をつけられ、燃え立たせられ、燃え上り、燃え盛って、
うねらされ、くねらされ、悶えさせられて、瀕死の高ぶりにまで追い上げられると、
ついには、絶頂にまで及ばされたことは、反り上がるまでに反り上がり、
白濁とした精液の噴出は、
喜びにあること以外にはあり得ないことがあらわされたのであった、
つんざくような頂上のその快感こそは、
思考の<整合性の存在>を実感させるものにあったのである、
というありさまは、片手落ちであると批判されても当然のことにある、
従って、女性の同様のありさまが示されることを要求されることも必然の事態にある、
日本人の女性であれば、いずれの女性が被縛の対象者となっても良いことにあるが、
身びいきのないところでは、冴内谷津雄の妻である、小夜子に登場してもらい、
引き受けてもらうのが妥当と思われることから、以下の表現となる、
三十七歳という年齢の生まれたままの全裸があらわす雪白のなめらかな柔肌は、
優美と言える女性の曲線を見事に匂い立たせる肉体を露わとさせて、
ほっそりとした首筋、柔和な両肩、愛らしい乳首を付けたふたつのふっくらとした乳房、
綺麗な形の臍、くびれも妖艶な腰付き、たるみのない腹部、漆黒の靄のような妖美の陰毛、
艶かしい太腿、しなやかに伸ばさせた両脚の足先に至るまでに漂わせ、
波打つ艶やか黒髪を掛けて俯き加減とさせている、清楚な美貌にある顔立ちにあって、
一般的に言って、美人にある風采という女性が示されていたが、
その一糸も許されない、これ見よがしの全裸には、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧が施されていた、その縦縄は、
漆黒の陰毛を掻き分け、小丘にある割れめを如実とさせるほどに埋没させられていて、
恥ずかしい股縄を掛けられた姿態としてさらけ出されていることにあったが、
後ろ手に縛られている身の上では、逃れることの自由は奪われて、
<チシアン風の憂鬱な森と夕空との仄暗い遠景を背に、やや傾いた黒い樹木>へ繋がれ、
柔らかに縮れた金色の髪をした、愛らしい西洋人の顔立ちをくっきりとさせている、
ふくよかな全裸のキューピッドの放つ矢に心臓を射抜かれるままにあった、
その性欲と性的官能が火柱となって、思考を炎上させられるという情景は、
黒い樹木へ繋がれている、緊縛の裸身を置き所のないように激しく悶えさせながら、
込み上がる思いを望ませながらも、余りにも激しく立ち上がる官能の快さには、
狼狽さえ感じるように両脚をもどかしく絡ませて押さえ付ける思いになるばかりで、
それを振り払うように快感を大きくさせて込み上がっていく充血は、
これ以上は膨らみようがないという花びらの開花から、しずくを滲ませ始めることにあった、
全裸に晒されて、縄で後ろ手に縛り上げられ、緊縛されている身の上では、
されるがままに、置かれるがままに、受容するしかないという境遇において、
赤々と灼熱した快感が天上へ引っ張り上げられるばかりのことにあっては、
割れめへ食い込まされた麻縄をしとどに花蜜で濡らせ、
その豊饒が銀のしずくのきらめきとなって落ちることさえもが美しいと思われることだった、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された肉体の感触は、
股間に掛けられた恥ずかしい股縄へ収斂する、熱いばかりの抱擁となっていたことは、
頂上へ至るための感応を余儀なくされるという以外の道筋にはなかったことにあった、
起・承・転・結という整合性のある快感の絶頂、
それをあらわす以外にはなかったことだった、
性欲と性的官能に火をつけられ、燃え立たせられ、燃え上り、燃え盛って、
うねらされ、くねらされ、悶えさせられて、瀕死の高ぶりにまで追い上げられると、
ついには、絶頂にまで及ばされたことは、込み上がるまでに込み上がり、
全身を痙攣させての感応は、
喜びにあること以外にはあり得ないことがあらわされたのであった、
のたうつような頂上のその快感こそは、
思考の<整合性の存在>を実感させるものにあったのである。


これは、生まれたままの全裸へ菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された、
中年の夫婦がそれぞれの樹木へ立位で繋がれ、
並べられ晒されているという情景を想起させられることにあるとしたら、
繋がれている樹木は、<チシアン風の憂鬱な森と夕空との仄暗い遠景を背に、
やや傾いた黒い樹木>にあることではなく、
日本の風土において、地域が東京都台東区北上野界隈にあるという経緯であれば、
<白昼の眩しい陽射しは、大樹の緑に遮られて涼しく感じられ>という大樹が立ち並ぶ、
小ぢんまりとした<山伏公園>が舞台となることは、整合性的な展開にある。
流れにある文脈上、<チシアン風の>という<西洋思想>に依存することも、
日本民謡を<リゴドン風の>編曲で聴かせることが快適な音響にあることだとすれば、
或いは、<ギリシャの彫刻のように気品のある文夫の横顔>が納得のいく表現にあれば、
殊更に、日本の風土に執着する意図が快適な文章表現を保証するとは限らないことにある。
しかしながら、日本における、<近代的自我の超克>という文脈へ置かれてしまっている以上、
仕方がないことは、無批判の迎合の志向を執ることができないことにある。
みずからにある、<自然観照の情緒的表現>の求めるがままに、
<自然観照の合理的表現>へ追従してしまうということは、
無批判の迎合の志向に導かれることは、隷属がもたらされることにあるという事実に依る。
<隷属することは、悦びである>ということが快適な音響にあって、
模倣・追従・隷属表現が納得のいく表現となることは、
<近代的自我の超克>の不毛を彷徨える現代人の存在理由の不明に置き換えることで、
主題を作り出すという芸術表現では、浅はかさがそこはかとなく見え隠れしてしまうのは、
<自然観照の情緒的表現>の強調された、日本的表現の様相を帯びていたとしても、
<隷属することは、悦びである>とされる、
<サディズム・マゾヒズム SMの概念>という<西洋思想>を無批判に迎合している限りは、
甘受するばかりの歴史の継続を生じさせていることにしかならないからである、
従って、その歴史が無批判に迎合され甘受され続けていくことは、
憂国、亡国、没国の思いが生じることにおいて、永続敗戦の通低意識へ置かれるままに、
それは超脱できない状況にあるからこそ、<意義ある概念>となることにあって、
かなわないことにあれば、追従するほかにはないという無力感に対する自慰として、
<隷属することは、悦びである>という甘美な響きが真の救済の言葉のようにあらわれ、
自虐にあることこそが本懐である、といった倒錯を成立させることになるのである。
しかも、それが倒錯にあることだと気付かないでいるとしたら、或いは、
<SMの概念>など認めていない、関わりがない、知らないことだと言ったとしても、
<近代的自我の超克>の不毛による倒錯が日本国民の主要な態度のひとつにある以上、
その状況は、倒錯とは映らずに、快適な音響の<西洋風日本音楽>となることは、
その<西洋風日本音楽>が流行することの大衆の愉悦と経済効果のある実際に従えば、
倒錯にあることこそ、正常にあることだ、という認識に成り変わることがあり得るからである。
大東亜戦争・太平洋戦争に完璧な敗戦を果した日本国において、
それが国民総力戦にあったという自覚からは、敗戦の貧困にあって、
大衆の愉悦と経済効果のある実際に優越するものはあり得ないという認識がある、
従って、敗戦の貧困が続く事態の限りは、永続敗戦の意識に置かれたままにあることも、
超克できないことにある道理となることにある。
東京都台東区北上野にある、山伏公園の樹木において、
生まれたままの全裸へ菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された、
中年の夫婦がそれぞれの樹木へ立位で繋がれ並べられ晒されているという状況は、
西洋人のあどけない顔立ちをした、キューピッドの矢によって心臓を射抜かれたことで、
ふたりは、性的官能の絶頂に硬直し痙攣するというありさまを露呈させたことにあるが、
筋立ての文脈からすれば、冴内谷津雄は、ついに、
妻の小夜子とめぐり合うことができたと見なすこともできる、しかし、
互いに縄で緊縛されている不自由な身の上にあって、性的官能の恍惚に舞い上げられて、
その余りの快感に法悦自失となるばかりにあったことは、
他を省みる余裕のないふたりにあったとも言えることだった。
この性欲と性的官能による絶頂のありさまは、
日本女性の美麗な全裸が晒されるという芸術的鑑賞にまで及ぶ審美の表現においては、
多少の猥褻があったとしても、美の尊厳において、
眼を瞑って戴くことは可能なことにあるかもしれないが、
男性の見るに余る全裸が晒されるという表現が射精にまで及ぶことにあれば、
その猥褻に相当の理由が示されない限り、猥褻極まりないということにしかならない。
性欲と性的官能は直裁にある、という知覚の実感と認識において、
善悪の彼岸にある清冽という意義のあらわされることが実存としてあることだとしても、
あからさまにされることに猥褻という覆いが被せられることにおいては、
その覆いを一度取り去ることをしなければ、
本質を考えられないという複雑が示されることにある、しかも、その猥褻というのは、
性欲と性的官能のあらわれの露骨を猥褻と見ることで成立する概念にあることから、
猥褻をまとわせないと、性欲と性的官能の実態を表現できないことにある、
という倒錯へ置かれることにある、覆いを被せたり剥いだり着せたり、
逆さになった状態を戻したり反対にしたりというのであるから、錯綜も止むを得ない、
言い換えると、<近代的自我の超克>の不毛にある状況が作り出す倒錯にあって、
猥褻の倒錯という状況が作り出されることだが、従来の体裁の良い表現を踏襲すれば、
言うなれば、これが性欲と性的官能には不思議があるという見識を開陳できる所以となる、
だが、この二重の倒錯にあって、
猥褻を斥けるために隠蔽するという方法が<近代的>であると言えることは、
<西洋思想>が確立させた<近代的>方法にあるからで、それに準じることのなかった、
明治時代以前の性欲と性的官能の表現は、例えば、浮世絵の春画のあらわす通り、
性欲と性的官能のあらわれが露骨な表現に置かれると、
まったく別の要因が浮かび上がってくるという、それこそ、不思議が示されていることにある、
人間の実存において、人間は、何を意欲して交接を行うことにあるかの多義の開陳である、
一義にはあり得ない、性欲と性的官能の露骨な表現は、
<近代的>を超えることを示唆していると見ることが可能となる、放埓を認識できることにある。
従って、 生まれたままの全裸へ菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された、
中年の夫婦は、第三者によって見られることをされる対象となることは、当然のことにあった。
その第三者とは、この筋立てを追っている読者は別として、
すでに、示されているように、小ぢんまりとした<山伏公園>のベンチには、
銀縁の眼鏡を掛けたスーツ姿の男がもう一人座っているという経緯があることに依る、
涼しく感じられる樹木を背にしてさらけ出されている男女の全裸の緊縛痴態も、
当然、眼にすることは可能なことにあったという状況が生まれることで、
その人物の名前が冴内谷津雄であったとしても、
世の中には、自分にそっくり似た人物が三人はいるものであると言われていることにあれば、
彼がみずからと同年くらいの中年男女の射精し気をやる全裸の緊縛姿を鑑賞して、
みずからの身の上を重ね合わさせたことがあったとしても、不思議と言えることではなかった。
真実はひとつと考えたいところであるが、数多過ぎるほどの人間がいれば、
数多過ぎるほどの見解が生まれることは、
ひとつの真実を数多過ぎるほどに考えることが可能であるということで、
その数多のささやかなひとつが次のような成り行きとしてあったのである。


妻の小夜子は、いつものように、夕食の後片付けを手際良く終わらせると、
台所の電源を切り、居間となっている続きの部屋の照明を落として、
部屋を出るのであった、それから、夫婦の寝室へと向かい、
静かに扉を開けるのだった。
そこには、夫の谷津雄が待っていた、
銀縁の眼鏡を掛けた顔付きは、思いに深く沈んだようにこわばっていて、
ベッドの端へ腰掛けさせた身体は、身動きひとつあらわすことにはなかった。
部屋へ入ってきた相手にまるで気付かないといった、その素振りは、
それだけ緊張している思いにあることだと感じられると、
小夜子の方にも緊張が走り、ためらいが意識されるのであった。
しかし、躊躇しても仕方がないことだった、夫に求められることにあれば、
それが彼のためになるということであれば、従うしかなかったことだった。
小夜子は、思いを固めたようにうなずくと、衣装戸棚の奥から、
縦55センチ・横36センチ・深さ8センチの紙製の衣装箱を持ち出してくるのであった。
そのような妻の様子にも、素知らぬ顔といった表情で床の一点を凝視し続ける、
谷津雄は、眼の前の床へ、衣装箱が置かれたことを知らされると、
眼の前に立つ、小夜子がほっそりとした白い指先でブラウスのボタンを外し始め、
それを脱ぎ去り、スカートを降ろして、ブラジャーとショーツだけの姿態となったことに、
初めて、まじまじと相手を見やるという態度をあらわしたのであった。
波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、小夜子のうりざね形の顔立ちは、
細くきれいに流れる眉の下に、澄んだ大きな瞳を愛らしく輝かせ、
小さくまとまりのよい小鼻をひらかせた鼻筋は純潔をあらわすかのように通り、
大きすぎず小さすぎない美しい唇を品を示すような真一文字とさせていた、
表情は、緊張のために幾分か蒼ざめた感じにあったが、
それが美貌をいっそう際立たせるものとさせているのであった、
水色のブラジャーとショーツが覆うだけの雪白のなめらかな柔肌の姿態は、
優美と言える女性の曲線を見事に匂い立たせる肉体をあらわして、
ほっそりとした首筋、柔和な両肩、ふっくらとした乳房、綺麗な形の臍、
くびれも妖艶な腰付き、たるみのない腹部、悩ましく膨らませる小丘の下腹部、
艶かしい太腿、しなやかに伸ばさせた両脚の足先に至るまでに漂わせていた。
相手から、まじまじと見つめられる羞恥を意識させられてのことか、
蒼ざめていた顔立ちも、いまは、桜色にほんのりと上気していたが、
そこに、匂い立つような色っぽさが漂うのは、
やはり、家庭の主婦であり、夫を持つ妻であるという身の上のことからなのか、
人妻にあるという憂愁と喜悦と艶美がかもし出されていることは否定できなかった。
妻は、夫に対して、澄んだまなざしをほんのわずか床へ落とす仕草をして見せた、
それは、これから行われることの恥じらいの思いを滲ませるようで、
愛くるしくさえ映るものにあるのだった、谷津雄の思い寄せる、
女の存在という現実がそこにあるのだと感じさせられることにあったが、
夫の手は、妻のまなざしが投げ掛けられた床の物へ伸ばされて、蓋を開けていた。
衣装箱の中身は、使い古されて灰色に脱色した、麻縄の束であった、
夫は、そのごっそりとある束のひとつを手に取ると、
妻へ向かって、掲げるようにして差し出した。
縄を眼の前にさせられた、妻は、狼狽の色を隠しきれず、
さっと視線をそらさせるのであったが、ほっそりとした白い手先には、
麻縄の束がしっかりと受け取られていた。
谷津雄は、おもむろに、腰掛けていたベッドの端から立ち上がると、
身に着けていた衣服を脱ぎ始めた、その様子は、ためらいもなく、一気に、
シャツやズボンや下着、靴下までのすべてを取り去らせて、
生まれたままの全裸を露わとさせる肢体をさらけ出させたことにあった。
ブラジャーとショーツ姿の小夜子は、握り締めている麻縄をぶらりとさせたまま、
放心したようなまなざしを相手に投げ掛けながら、
一糸もまとわない、夫の全裸を見つめるばかりにあった。
四十歳近い中年の幾らか脂肪にだぶついた肉体にあって、月日を経て黒くなった陰茎、
俯き加減とさせている顔付きは、銀縁の眼鏡を掛けて、
とても美男と言える風采にはない男性の姿は、
しっかりと窓を遮蔽する、カーテンの下がった寝室の明かりに照らされて、
これから始まる、夫婦の秘め事を予兆させることにあったが、それに応える、妻の言葉は、
「どうしても、駄目なの……」
とぽつりと述べられたことだった。
夫は、真顔でうなずくばかりにあった、
それから、相手にくるりと背中を向けると、両手をそろそろと背後へまわし、
両手首を重ね合わさせる姿勢を執るのであった。
夫が顔付きを上げて、後ろ手にさせた全裸の肢体を直立させたまま、
されることをじっと待っている様子を見ると、妻は、艶やかな黒髪を揺らせながら首を振って、
「私、もう、したくないわ……
あなたが小説の創作をまったくできなくなった状態を打開するためだと言って、
私も、あなたのためにと思えばこそ、従ってきたことだけれど、
もう、駄目だわ、駄目……したくない」
そのようにつぶやきながら、小夜子は、
ほっそりとした白い手に握っていた麻縄を離していた。
始まったばかりの夜の静寂は、床へ落ちた古びた麻縄の束の音をしっかりと伝えていたが、
谷津雄は、身動きひとつしないまま、されるがままになることを待っていた……
待ち続けていた……
待ち続けていれば、いずれ時間の問題で、
小夜子は、麻縄を拾い上げることをする、最近は、駄々をこねる仕草が多くなったが、
やがて、手にした一本の麻縄をふた筋とさせて、
重ね合わさせた両手首へその縄頭を当て、縛り始めることになっていたからであった、
この夫婦の秘め事を始めた頃は、ぎこちない縄掛けにあったことだったが、
勉強熱心な小夜子は、言われもしないで、幾多の縛り方の本やビデオを参考にして、
縄による緊縛をみずから習得していったことに依るものだった、
それも何も、新しい作品の書けない作家を奮い立たせるための行為にあればこそ、
世間の一般常識からすれば、異常としか映らない、
男女の愛欲行為を夫の求めるままに為す妻の立場を自覚して発揮されたことだった、
美しい妻に縄で緊縛されて、被虐に晒される醜い夫、これが主題にあった、
大東亜戦争以前の昭和初年頃を想定した、
男尊女卑の風潮が確固とされていたとされる時代において、
大企業の社長である夫と令夫人との間で繰り広げられる夜毎の秘密の営み、
政情不安は、国内にも、国外にも波及し始めている状況にあって、
夫婦の異常な愛欲行為は、突然の軍事クーデターに巻き込まれることよって、
思わぬ展開を迎えるという設定にあった、
しかし、古色蒼然とした、まったくの陳腐にあり、時代錯誤とも、
荒唐無稽とも思えるような筋立てには、現代の現実を超えさせるものはなかった、
思わぬ展開は、書けなくなったという実情を露呈させることでしかなかったのであった、
そうして、実際に始められた、夫婦の秘密の営みにあった、
始められた妻の手際の良い縄掛けは、
後ろ手に縛り上げた麻縄の縄尻を身体の前へまわすと、
ふたつの乳首の上部へ掛けられながら背後へ戻されていき、
もう一度、同じことが繰り返されて、手首を縛っている縄へ縄留めが行われた、
次の縄が用意されると、ふた筋とさせた縄頭が手首を縛った縄へ留められて、
縄尻が身体の前までまわされ、今度は、乳首の下部へ掛けられながら背後へ戻され、
同じことが繰り返されて、戻された縄は、一度、手首の縄へ巻き付けられると、
片方の腋の下までもってこられて、胸縄となっている下部の縄へ絡められ、
元へ引かれた縄尻は、もう一方の腋の下へ向けられると同様に施されて、
戻された背後で縄留めがされた、こうして、後ろ手胸縄縛りとされたことは、
剥き晒しの生まれたままの全裸の姿にあって、柔肌へ密着させられて締め付けられる、
麻縄の感触というものを明確に意識させられたことにあった、
当人の思惑をよそにして、ふたつの乳首を欲情的にこわばらせ、
陰茎をもたげさせるのに充分な効果が発揮されている事実としてあった、
全裸を縄で縛り上げられるという被虐のありさまは、
羞恥・嫌悪・屈辱の思いを掻き立てられる境遇に置かれることにある、
拘束によっって自由を奪われた自己が他者から見られることを意識してのことに依る、
その自己対他者という関係性は、相対的な心理としてあることは、
他者を想定することがなければ、羞恥・嫌悪・屈辱の思いは、希薄なものとなることにある、
しかし、縄と被縛者の関係性は、他者を必要としない、主体的な心理としてあるだけである、
麻縄の感触ということは、主体的な認識においてのみあり得るのである、
主体的認識は、縄によって緊縛された境遇にあるからこそ、
如実となることは、縄の拘束によって生起させられる皮膚感覚は交感神経を刺激して、
性欲と性的官能の高ぶりをもたらすものにあるということがあらわされることである、
拘束の緊縛感は、当人の心理をよそに、放埓な羽ばたきを始めることがあらわされることで、
それは、拘束された不自由にありながら、放埓という自由が意識できるという矛盾にある、
この知覚の矛盾は、日常性の生活感覚では、ほとんど体験できないものにあって、
もたらされる知覚が性欲と性的官能の高ぶりという快感であることは、
不思議な矛盾と感じさせる、蠱惑あるものとして印象させることにある、
一度縛られた経験を持つ者が再度縛られることを求め、それが繰り返されるとすれば、
その不思議な矛盾を意識させられて、再現を求める欲求となることは
縄による緊縛が虐待をあらわす行為にはないことの証明でもある、
いや、それは、厳密ではない、虐待をあらわす行為の境界があらわされるということである、
その境界を越えることが残酷・残虐・悲惨という虐待行為となるということで、
その領域においては、縛者と被縛者という相対的認識が優勢となることは、
虐待する者と虐待される者という関係性が前提とされることにある、
従って、主体的認識はおざなりにされる、
境界がどのようにあるのかを探求することは、心理を明らかとさせる問題にある、
加虐対被虐という相対的認識に留まるだけの心理を展開させるものにある、
近代が立たされた、超克されるべき問題である、
寝室は、光と影が交錯するなかに浮かび上がる、心理と欲情の解放にあった、
妻によって、照明がベッドサイドの明かりひとつに落とされたことは、
その舞台へ上がることを申し渡されたことであった、
生まれたままの全裸を後ろ手に縛られ、自由を奪われた拘束の胸縄を施されて、
直立した姿勢を崩さないままにある、夫の深い陰影にある緊縛姿を見つめて、
美しい妻は、ブラジャーとショーツの姿態を相手の身体へ摺り寄せると、
「あなたは、心で見い出すべきなのよ、
このようなものは、必要ないわ……」
と言って、銀縁の眼鏡を外させると、ベッドサイドにある小机の上へ置くのであった、
それから、なよやかな両肩を上気させられた緊張に震わせながら、
美しいまなざし向け、夫の緊縛の全裸を強引とも言えるほどに激しく引き寄せて、
みずからを忘れてのめり込むというように、
綺麗な形の唇を激しく押しつけてくるのであった、
力一杯抱擁されながら、唇をぴったりと押しつけられるばかりの身にあっては、
重ね合わせていた妻の美しい唇がやるせなさそうな身悶えと共に開かれて、
甘く濡れた舌先が唇を割って、口中へと忍び込んでくるの抑えることはできなかった、
とろけるような甘い舌先を迎え入れたことは、匂い立つ女の肉体の芳香に、
むせるかえるような甘美さを感じさせられたことにあって、
妻の舌先がみずからの舌先とくねくねと戯れるに及んでは、もたげていた陰茎も、
皮を剥き晒し、赤々となっている口からは、銀のしずくを滲ませられるのであった、
大きな瞳の両眼をうっとりと閉じ合わせ、熱っぽく芳しい鼻息をもらしながら、
ねっとりとした舌先の愛撫を続ける妻にあったが、
重ね合わされた唇がそっと離れるのをきっかけとしては、
妻には、女の官能の自負というようなものを漂わせる雰囲気がかもし出されていた、
夫に創作を開眼してもらうための調教に入ることを自覚している、
縄の縛者の立場があらわされていることにあるのだった、
水色のブラジャーとショーツの姿に露わとさせた、
女の柔肌は、乳白色の光沢を放って、あたりを明るませるような美しさにあったが、
その清楚で美しい顔立ちのまなざしは、きらきらとした輝きを放っていて、
男の全裸を縛った縄尻を取ると、床へ跪くように強いる態度をあらわすのであった、
縄を引っ張っての無言の強要は、被縛者にあることの心理を確認させられることにあって、
従順にあることは、無理をするようにして、時代の流行に逆らって、
新しい創作を生むために惹き起こされる、対立や軋轢などの希薄である、
追従するばかりの思いという安堵を感じさせることへ置くものであった、
思い上がりの気丈のもろさへと導かれることにあったことは、
仁王立ちに立った、妻に縄尻を取られて、
縄で緊縛された全裸の肢体を跪かせた姿勢で居続けさせられる境遇は、
次に命じられることがあるまでは、犯してはならない責務を実感させられたことにあった、
ベッドサイドの明かりは、じっとなったまま動かない、
男と女の陰影を深さを増した夜の静寂の調べのなかに浮かび上がらせていたが、
やがて、縄尻が引き上げられる張力をあらわしたことで、
不自由な身上にある、男は、もどかしい素振りで床から立ち上がったが、
陰茎は、萎えた状態が示されたことにあった、
女にも、それは了解できたことは、新たな縄束が用意されることであった、
手にした一本の麻縄は、縄頭が作られてふた筋とされ、小さな環が拵えられた、
それから、しなだれた陰茎がつままれて、その環が掛けられた、
睾丸を左右からから挟んで、その縄尻が股間へ通されることが示されると、
男は、顔付きを正面に向けたまま、従順に、両腿を大股開きにさせていった、
股間へもぐらされた麻縄は、環を作った結びの部分を肛門へあてがわれるようにされて、
尻の亀裂からたくし上げられていったが、その縄尻は、背中を伝うように持ってこられ、
ふた筋の縄は、首筋で左右へ振り分けられて、身体の正面へ下ろされるのであった、
掛けられた環の張力が増すことにあって、陰茎がもたげ始めたことは明白だった、
ふた筋の縄はひとつにまとめられ、乳首を上下に挟んで掛けられた胸縄へ絡められて、
それから、腰付きまで下ろされると、引き締めるように二度巻かれて、
正面で縄留めが行われ、残りの縄は、ふた筋の縦縄とされて腹部を伝わされながら、
睾丸を左右から挟むようにされて、股間へ通されていった、
尻の亀裂からたくし上げられた、縄は、後ろ手に縛った縄へまとめられて縄留めがされた、
それは、縄で縛られている思いを一気に恥ずかしい思いへと突き落とす拘束にあった、
柔肌へ密着する麻縄が増えれば増えるだけ、高ぶらされる官能を感じさせられていた、
交感神経を刺激する、縄の圧迫は、我知らずに、
興奮する思いへと駆り立てられていくばかりのことにあるのだった、
両頬を火照らせる、その高ぶらされる官能の心地よさは、
全裸の姿態へ掛けられた縄へ従わされるように、
縛めが露わとなればなるだけ、広がっていくものにあった、
陰茎へ掛けられた縄の張力は、再び、剥き晒しの赤々となった硬直を露わとさせていたが、
それが生まれたままの全裸にある恥ずかしい姿を後ろ手に縛られたばかりでなく、
胸縄を掛けられ、その胸縄を縦縄が引き締めたことで、ふたつの乳首がせり出され、
掻き立てられる欲情に立ち上がって、腰付きを締め上げられている縄の感触は、
股間へ下りる縦縄を尻にある肛門の縄瘤の感触と通電させながら、
もたげた陰茎の反り上がりを否応なしとすることへ向けていった、
思いを集中させられるように一点を凝視したまなざしの顔付きになっていたことは、
その巧みな縄掛けを施した相手を見つめることへの羞恥を募らせた、
性欲と性的官能の虜とされたように、恥ずかしいばかりに身体へ掛けられた縄、
その縄による緊縛へ封じ込められた思いが逃れられないものであることを思い知らせた女、
我が妻、美しい小夜子の存在があるのだった、
女は、ブラジャーとショーツ姿の優美な姿態を見せつけて、
美しい顔立ちに毅然とした表情をうかばせながら、
ベッドへ上がるように、手にした縄尻を引き立てるようにして、強要するのだった……
そのようにされることを待っていた……待ち続けていた、
だが、いつまで待っていても、後ろ手に縛られることは、始められなかった。
「どうしたんだ、小夜子、始めてくれ」
谷津雄は、ついに、求めるようにつぶやいた。
しかし、返事はなかった。
夫は、仕方なしに、肩越しに振り返ったが、そこに、妻の姿はなかったのである、
あったのは、床へ残されてとぐろを巻いている、一本の麻縄だけであった。
小夜子が夫を見限って、家を飛び出して行ったことは、考えられることだった、
創作の開眼を目指しての修業と言いながら、何年もの間、
異常性愛行為と呼ばれる羞恥を続けさせられたことは、
私は、加虐嗜好者でもなければ、ましてや、被虐嗜好者でもないのよ、
あなたのためになると言われたからこそ学んだ、縄による緊縛の縄掛けなのよ、
このような方法で成果が見られないというのなら、
このようなことを行い続ける、あなたと私は、
ただの異常性愛行為者になるだけのことではないのかしら、
と言い切った妻にあったからであった。
一般常識からすれば、妻の正当性は、歴然としていることだった、
客観的実証として示されないことにあれば、個人の思い入れでしかないことである、
創作の実証があらわされなければ、希望・願望・祈願にあることでしかないのである、
小夜子に逃げられた、ふがいなさの証明でしかなかった。
静寂に満ちた夜更けの小さな明かりがともる寝室で、
独りぼっちで生まれたままの全裸の姿になり、
まったく当てもないのに、縄で縛られるのを待つという心境は、
切なさと情けなさの奈落の底にあって、成す術を見い出せない、絶望であった。
小夜子に会いたいという激しく募る思いは、悲哀を慰める思いを引き摺り寄せて、
谷津雄に、床へ転がっている麻縄を取らせるのであった、
それだけでは足りなかったことは、衣装箱の中から、更に、数束を手にさせると、
縄に導かれていくように、ベッドへ上がらさせたことにあった。
縛ってくれる相手のいない身の上にあれば、
必要とされる縄は、みずから、縛ることにしかないという道理にあることだった。
何故、縄で縛るのか、
性欲と性的官能に導かれるままに欲情を発揮させること、
もちろん、それが通奏低音として奏でられることは当然のことにある、
だが、 白濁とした精液の噴出や花蜜の豊饒がもたらす、
つんざくような頂上の快感やのたうつような頂上の快感は、
喜びにあること以外にはあり得ないことがあらわされることにおいて、
思考の<整合性の存在>を実感させるものにある、
通奏低音とは、与えられた旋律に和声が付けられて、リアライズされるもので、
この響きに終始支えられ、主題となる旋律が様々の楽器で展開されて演奏が生まれる、
性欲と性的官能に対する思考の関係というのも、これとまったく同様にあり、
夜更けが呼び覚ます、<小夜曲>が演奏されるとすれば、そのようなものになる。
ベッドのシーツの上には、みずからの縄掛けで緊縛された肢体をあらわした、
谷津雄が横たわっているのだった、
生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧をされ、その上、
陰茎を露わとさせる恥ずかしい股縄を施された痴態をあからさまとさせている姿だった。
その縄に封じ込められた我が身にあって、悩ましく高ぶらされるばかりの思考は、
次のような展開へ導かれることにあったのである――


三十七歳になる、容姿端麗で聡明な女性が縄掛けの巧みにあったことは、
世間の注目を浴びるようなことではなかったが、
<財団法人 大日本性心理研究会>が関心を惹く対象としては、充分なものとしてあった、
従って、その招聘に遭遇することを必然の事態とさせたことは、
当事者にとっては、想定外のことにあったとしても、台本通りの筋立てにあることだった。
冴内谷津雄の妻である、小夜子の失踪は、台本通りの筋立てにあったのである。
この<財団法人 大日本性心理研究会>という存在であるが、
<財団法人>とあれば、当然、登記された団体にあることになるが、
日本人は言うに及ばず、外国人に至っても、誰が調査しても、
その実体を日本国内に確認することはできない存在にあった、
つまりは、違法に設立された団体にあるということになるわけだが、
現在までのところ、その違法を訴えた者も、誰ひとりいなかったことは、
その団体の所在そのものが確認できないという事情にあったからであった。
従って、その最も容易な解釈というのは、
その存在が単なる創作上のものにあるということに落ち着くことであるが、それでは、
余りにも、月並みで、常套で、ありふれた発想にあるということは否定できない。
そういうことであるならば、せめて、<創作上のものにある>ということを一歩推し進めて、
その存在は、平屋建てという建物にあって、二階へ通じる階段の上にあるようなもの、
その一階にあっては、地下へ通じる階段の下にあるようなもの、
天国のようなものであると言えば、そうであり、冥府にあることなのかと言えば、そうでもある、
つまり、実在はしないが存在はする、
まるで、人間の<心>のありようと同様なものにあると見なすことが可能と言える、
<正体の未だに不確かな構造として存在するもの>と言い切ってしまった方が歯切れがよい。
確かに、<心理研究会>と称されているのであるから、文字通りと言えることにある、
要するに、<財団法人 大日本性心理研究会>は、心理の象徴存在にある、
ということになるわけで、<実在はしないが存在はする>という<心理>にあることならば、
所在の不明の謎は、少なくとも、こうして解かれたことにあると見なしてもよいかもしれない。
しかし、その実態の不明なことは、依然としてある以上、
それは、<心理>と同様な問題にあることだとして、これからの探求において、
この場合は、その招聘を受けた、小夜子に付いていって知るしかないことにある。
その日、小夜子は、明るい夏の陽射しが差し込む、午後の居間に寛いでいたが、
以前であれば、心癒された、<アイネ・クライネ・ナハトムジーク>というセレナーデも、
今宵の夫との営みのことを考えると、第一楽章の提示部が終わったところで、
いらいらして、突然、切ってしまったという煩悶のあらわれの対象となったことにあった。
「ああ、いやっ、本当に、もう、どうにかならないのかしら、続けたくない……」
とつぶやくの抑え切れなかったときだった。
チャイムの音が鳴って、マンションの玄関に、訪問者があった。
インターフォンからは、冴内小夜子様、お迎えに上がりました、
という若い女性の礼儀正しい声音が聞こえてきた。
お迎え?
覚えのない申し出に、小夜子は、
「何かの間違えですわ、私は、呼んだ覚えはありません、失礼します」
と言って切ったが、みずからの氏名を呼ばれた、はっきりとした響きだけは、耳に残った。
それから、しばらくの静寂が訪れたことで、彼女は、気分転換のために、
夕食の買物にでも行こうと思い立って、身繕いを始めるのであった。
小夜子が階下へ降りて、マンションの玄関に立ったときだった、
白い絹のブラウスと紺地のタイト・スカートという、
まるで事務員のような服装の若い女性が近付いてきて会釈をすると、
「冴内小夜子様、お迎えに上がりました」
と礼儀正しい声音で申し述べて、停まっている車の方へ案内を示すのであった。
小夜子は、びっくりしたが、波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、
美しい顔立ちしたその女性の表情に真摯さが伺えたことは、
もはや、拒絶することのできない状況に立たされたのだという思いを強く意識させられて、
少しの疑念も挟まずに、相手の言いなりになることを承諾したのであった。
停車していた車は、黒塗りの霊柩車だったのである。
その車に乗るために、小夜子は、身に着けているものは必要ありませんと申し渡されて、
衣服から下着、ピアスからネックレスに至るまでのすべてを取り去るのであった、
その生まれたままの全裸の姿態には、純白の長い衣が優しく掛けられて、
差し出される白い手を取りながら、霊柩車へ乗せられていくのであった。
小夜子は、目的地まで運ばれた。
到着した場所は、台東区北上野にある、と或る店舗であった、
平屋建ての家屋は古すぎて、台風でもげ落ちた看板はすでに失われ、
出入口は木製の桟のガラス戸で、そこにかすれた文字で、
ようやく、<桜花堂>という店名を読むことができるものにあった。
事務員の服装の女性に導かれて、軋むガラス戸を開けてなかへ入ると、
古本が古本らしさを放つ紙とインクの腐食した臭いが、
カビと埃と体臭の干からびたような臭いと入り混じって漂っているのが感じられ、
十畳程度の店内の狭さでは、当たり前のように空調設備はなかったことは、
まるで、嫌なら入るな、と無言に言われているような威圧感のある雰囲気があった。
書棚に並べられている書籍の背文字を判別できるくらいの明るさにあっては、
おどろおどろしいというだけで、客を寄せないばかりか、
店自体が無視されているようでさえあった。
確かに、暗鬱で陰惨で異様で淫靡な雰囲気があったのは、
書棚に並べられている書籍を見れば、
それらが<SM雑誌>と呼ばれているようなものしかなく、
店の奥にある小部屋に座り込んでいる人物には、
尋常でない風情が感じられることにあった。
異様な風情が片脚の膝から下が義足にあることは、
立ち上がるもどかしさから、知ることができたことにあったが、
その老人の風采は、まなざしの鋭さにおいて、威厳の感じられるものにあった。
小夜子は、上がってください、と言われ、若い女性に手を取られながら、
土間から畳の上へ立ったとき、間近にさせられた老人の差し延べられた手によって、
純白の長い衣を一気に剥ぎ取られたことに驚かされた、
思わず、乳房と下腹部へ両手をやって、覆い隠す仕草を執るのであったが、
老人の顔付きがあらわす真摯な表情を知ると、
それがまったく意味のない動作だと思われて、むしろ、反動の思いは、
その雪白に輝く優美な全裸の姿態を見せ付けるようにして直立させたことにあった。
老人は、皺だらけの真顔の顔付きをその姿態へ向けて、語り始めるのだった。
「 男女を生まれたままの全裸にして、自然の植物繊維を素材として綯った縄で、
その肉体の露呈がどれほどまでに美の鑑賞に耐え得るかという問いに対する答えとして、
縄による緊縛という事象があり、それを作り出すための縄掛けというものが存在する、
このことを定義として明確に示せるのは、その者が日本民族における者にあるということで、
その者には、伝統の継承である、物の見方や歴史的実証が厳然と存在していることにあって、
日本民族によって行われる、縄による緊縛は、異化・変化を通して
美へ昇華されるための芸術表現にあると言い切れる所以にあることである、
それを、いま、あなたが具現する……」
老人は、若い女性から手渡された麻縄を取ると、相手の顔立ちの前へ掲げていた。
小夜子は、みずからがその縄で縛られることを意識させられると、
なめらかな背中と艶かしい尻をおもむろに向けさせ、
ほっそりとした両手をそろそろと背後へまわさせて、
両手首を重ね合わさせる仕草を執るのであった。
「縄による緊縛が美へ昇華されるための芸術表現にあることは、
次のような歴史過程として見ることを可能とさせることにある、
縄による緊縛は、縄による拘束を意義するだけのことにあって、
縄掛けは、被縛者の自由を奪うための目的をあらわすという意義にしかない、
このように、縄を単なる道具と見なして、
使用される道具が論理的な因果関係をあらわすことだけを重要視する合理性は、
自然観照の合理的表現による、物の見方から考えられるありようが示されている、
これに対して、縄は、道具にあることの実用以上に、自然界の認識を反映したものにあって、
縄掛けは、その方法と意匠において、それを表象したものにあることの意義を認める、
自然観照の情緒的表現という物の見方がある……」
重ね合わされた華奢な両手首へ、一本をふた筋とさせた麻縄が巻き付けられて、
後ろ手に縛られると、その残りの縄は、ほっそりとした首筋まで持ってこられ、
左右へ振り分けられながら、身体の前へ垂らされた。
「自然観照の合理的表現は、
観念を主潮として自然を観照するという物の見方において、
思念的に、見た目に美しいということであれば、それがどのような感情に基づいていようが、
大して重要としない、美しいという論理に最上を見るということにある。
一方の自然観照の情緒的表現は、
感情を主潮として自然を観照するという物の見方において、
感覚的に、見た目に美しいということであれば、それがどのような思念に基づいていようが、
大して重要としない、美しいという情緒に最上を見るというものにある。
人間存在にあって、この二つの自然観照という物の見方は、
双方が備わっていることにおいて、双方の相違と言うことは、
いずれが主潮となった表現が行われることにあるかという相違になることである……」
身体の前の左右に垂らされた、ふた筋の縄には、首元、胸、鳩尾、臍の上部、臍の下部へ、
等間隔の結び目が作られていき、その残りの縄は、漆黒の妖美な陰毛へ当てられた。
為されることへ従う、小夜子は、顔立ちに緊張した表情を浮かべながら、
艶かしい太腿を左右へおずおずと開かせていく仕草をあらわしていたが、
控えるように老人の傍らに立って、二人の様子を見つめ続けている、
若い女性の表情も、真剣そのものにあった。
陰毛へ当てられた縄は、股間へ通されるとき、花びらの穴へ埋まるような結び目を作られて、
優美な尻の亀裂の間からたくし上げられると、手首を縛った縄へ繋がれた。
老人には、若い女性から、二本目の麻縄が用意されていた。
「日本民族の場合は、自然観照の情緒的表現が主潮にあって、
自然観照の合理的表現は、明治時代以前は中国から、
明治時代以降は西欧諸国から影響を受けるという歴史にあった。
これまでの歴史が明らかとさせてきた、その文明と文化の成果は、
自然観照の情緒的表現が主潮にあることが日本民族の特質であることが示された、
だが、それは、民族が島国に引きこもって営みを続ける限りにおいては、
有意・有益なことにあるが、外国に対する関係の増大にあっては、
限界があることを思い知らされた、大東亜戦争や太平洋戦争と呼ばれる、
中国や西洋諸国との戦争において、つまりは、合理的表現対情緒的表現の戦争において、
徹底的な敗戦と余りにも悲惨な事態がもたらされた歴史を生じさせたことになった、
そればかりか、その戦後にあっても、
情緒的表現の主潮にあることが戦後を終わらせることまでを困難とさせる状況を生んでいる、
情緒的表現が主潮にある民族の保持と継承に留まり続けることにあるならば、
超克することは、不可能とも言える状態が作り出されている……」
ふた筋とされた二本目の縄頭が背中にある縦縄の上部へ結ばれて、
左右へ振り分けられた縄が身体の前へ持ってこられると、
首元と胸の結び目の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていった、
左右の縄は、背後で交錯されて、再び、身体の前へ持ってこられると、
今度は、胸と鳩尾の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていった、
左右の縄は、背後で交錯されて、左右の二の腕へ巻き付けられると、
背中の縦縄へ戻されて縄留めがされた、この縄掛けによって、
身体の前部にある、縦縄には、二つの菱形が浮かび上がっていたが、
それが縦縄の張力を増させていたことは、股間に当てられていた縄は、
漆黒の妖美なふくらみをあらわす陰毛へ沈み込んで、
小丘にある割れめが露わとなるくらいに食い込み始めたことで明らかとされていた。
小夜子がその感触が伝えてくる緊張に思いを集中させられていたことは、
柔和な両頬を上気させながら、澄んだまなざしを一点に凝視させ、
綺麗な形の唇を真一文字とさせていたことにあらわされていたが、
後ろ手に縛られたばかりでなく、左右の二の腕をがっちりと拘束された緊縛感は、
自由を奪われて、されるがままになるという意識を明確にさせられたことでもあった。
「だが、明治二十七年に創設された、
財団法人・大日本性心理研究会という存在がある、
日本民族が置かれている困難な状況に対して、ここで研究されている成果が打開策となる、
あなたも招聘されて、本日より、その研究の一翼に参加されるわけであるが、
そのためには、入社のための通過儀礼が行われなければならない。
あなたは、縄掛けの巧みにあるという評価に依って選出されことにあるが、
あなた、みずからが縄掛けの対象となって、
その実感のなかに見い出せる、性欲と性的官能の意義を確認することは、
あなたにとって、根源的洞察となるはずである、
そのために、縄師である、私、桜花が役目を仰せつかった……」
縄師の皺だらけの指先は、若い女性から手渡された三本目の縄をふた筋とさせて、
その縄頭を背中にある縦縄の中程へ結び付けていた、それから、
左右へ振り分けられた縄が身体の前へ持ってこられると、
鳩尾と臍の上部の結び目の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていった、
左右の縄は、背後で交錯されて、再び、身体の前へ持ってこられると、
今度は、臍の上部と臍の下部の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていった、
左右の縄は、手首を縛った縄へまとめられて縄留めされ、縄尻がだらりと垂れ下がったが、
それは、被縛者を引き立てるために用いられるものとしてあった。
三本目の縄掛けが行われたときには、小夜子は、すでに、
その雪白に輝く柔肌を上気させ始めていて、うっすらと汗さえ滲ませていた。
更に二つの菱形が浮かび上がって、合計四つの菱形が肉体に鮮やかに示されたことは、
二つのふっくらとした綺麗な乳房は、環が掛けられたように強調されて、
愛らしい乳首が欲情的なこわばりをのぞかせていることが明らかとされ、
優美な腰付きへ掛けられた縄は、くびれを際立たせられた悩ましさをあらわして、
漆黒の艶やかな陰毛にもぐり込まされている縦縄に横縄の張力が増したことは、
押し開かれた小丘の割れめを女らしさの如実として示されていることにあった。
それは、当然、埋まるように拵えられた結び目が花びらにある穴の奥へと沈み込み、
同時に、鋭敏な女芽と菊門が縄で強く圧迫されたことは、
小夜子の半開きとされた綺麗な形の唇からは、
ああっ、ああっ、という悩ましい声音が漏れ始めたことにあって、
直立させていた緊縛の裸身も、もどかしそうな揺れがあらわれたことで見て取れた。
「縄による緊縛という事象は、
縛者と被縛者と縄の存在なくしてはあり得ないことにある。
この縛者と被縛者は、男性対女性、女性対男性、男性対男性、女性対女性、
という関係をもって行われることにあるが、
この関係性が相対論的思考として、二元論的展開にあると見られている限りは、
縄による緊縛は、縄による拘束以上のものにはならない、
縄掛けも、その方法と意匠が芸術を生み出すようなことにはならない。
自然観照の合理的表現と自然観照の情緒的表現が心理においては、
客観的には、相対論的思考による二元論的展開として示されることにはあっても、
主体的には、双方は、ひとつによじり合わされていることにあるのと同様のことである。
この問題こそは、あなたがあなたの縄掛けの巧みによって、
人間性の問題として探求するために、ここへ呼ばれた理由にある……」
小夜子は、縄師・桜花によって語り続けられ事柄を拝聴している思いにあったが、
その縄師の縄掛けがその思いを上回る効果をもらすことにも注意を向けられていた、
いや、もはや、注意を向けるどころの状態にあることではなかった、
立っているのもままならないくらいに、熱く、執拗に、高ぶらせる縄にあった、
火をつけられ、燃え立たせられ、うねらされ、くねらされる、縄にあった。
小夜子は、波打つ柔らかな黒髪を打ち震わせて、艶かしい両腿を摺り寄せて、
激しく集中してくる股間の縄の突き上げに、煽り立てられる責めを懸命にこらえていたが、
ついには、なよなよと畳の上へ、へたり込んでしまっていた。
その様子を確認したと言うように、事務服の若い女性は頷くと、
「それでは、報告と準備に行って参ります」
と告げて、奥へ通じる扉を開けて、小部屋を出て行くのであった。
「性欲と性的官能による、思考の整合性の存在の実感、
人類の祖先がこの実感を把握したことが文明と文化の創造の始まりにあることは、
人類の文明と文化とは、整合性の実現にある、という意義があらわされていることにある。
整合性の実現とは、謎と答えという因果において、
事物の経過があらわす起・承・転・結にあって、
快感の至福がもたらされる生活を営み続けることが人類には可能であるということで、
人類の進化とは、道の果てにある到達点、登攀の果てにある頂上、
航海の果てにある上陸地、宇宙の果てにある星を目指して、
弛まぬ邁進の活動があらわされていることにある。
性欲と性的官能による、思考の整合性の存在の実感が始まりにあることは、
人間という動物種は、実存することにおいて、生を最高に実感できるというありようは、
性欲と性的官能がもたらす快感の至福を認識することであり、
快感の至福が最上としてなければ、生殖の維持と種の持続もあり得ないことにあり、
生殖の維持と種の持続を意識すれば、それだけ、
整合性の存在の実感は明白になるという因果律にあることが示されている」
桜花は、畳の上にへたり込んだ、小夜子の緊縛された裸身を優しく横臥させていくと、
四本目の麻縄を手にして、揃えさせた足首を束ねるように縛り上げ始めた、
それから、残りの縄を引きながら両膝を曲げさせると、手首を縛った縄へ絡め、
それを再び足首へ戻して絡めてから、手首まで引き上げて縄留めをした。
生まれたままの全裸を後ろ手に縛られて、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧をされ、
女の割れめには、妖美にも、淫猥にも映る、股縄を食い込まされた、
小夜子は、その横臥の姿態が相手にしっかりと見られるように、
小部屋の入口近くに座り込んだ老人の正面へ向けさせられていた、
その縄師の皺だらけの手には、手首を縛った縄へ繋がれた、縄尻が握られていた。
そのときであった。
軋むガラス戸を開けて、家のなかへ入ってくる者があった。
その者は、躊躇しているような素振りにあったが、
書棚の端から順繰りと探し物をしているように見始めていた。
やがて、一冊の雑誌に注意が向けられて、書棚から取り出されると、しばらく眺めていた。
それから、雑誌を手に携えて、おずおずとした様子で、
桜花の座っている方までやって来たのである。
「これをください」
そう言って、『SMクイーン 十月号』という雑誌に添えて、一万円札を差し出した。
桜花は、身体を不恰好に曲げた姿勢で、そっぽを向いたままでいた。
銀縁の眼鏡を掛けた、スーツ姿の男は、今度は、大きな声で、
これをください、と繰り返した。
桜花は、仕方なく、鋭いまなざしだけを相手に向けて、
「耳は遠くないよ、それは売り物ではないから、答えなかったまでのことだ」と返事した。
それに対して、銀縁の眼鏡の男は、驚かされたように、むきになって、
雑誌の裏表紙を桜花へ見せ付けるようにして、言い返したのであった。
「だって、誰が見たって、売価一万円と貼ってあるじゃないですか、ここに!」
桜花は、答えずに、鋭いまなざしで相手を睨んだままでいた。
ふたりが睨み合う沈黙がしばらく続いた。
埒の明かない状態を続けているわけにはいかなった、通過儀礼の最中にあった、
小夜子は、抑えようもなく悶え始めている、桜花は、口を切らざるを得なかった。
「それは、売り物ではないと言ったはずだ、
それに、ここは本屋ではない、桜花堂の看板はすでに取り外されている。
おまえさんは、他人の家へ断りもなく入って来たんだ、
失礼しますの一言もなく、ずけずけと入ってきて、
他人の収集品を勝手に手にして眺めまわして、
挙句の果てに、これをくださいって金を差し出す無礼を働いたということだ。
金銭で何でも片を付けられると思っていたら、それは単なる無知だろう、
売値一万円の札は、収集品をあらわす標章ということだってあるのだ。
わけがわかったら、さっさと出て行くことだな、礼儀を知らない若造。
わしは、いま忙しいんだ」
落ち着いた調子の低い声音で語られた内容に、
若造は、心底驚かされたという表情になって、立ち尽くしたままになっていた。
桜花は、身体を不恰好に曲げた姿勢のまま、そっぽを向きながら、
縄で緊縛された全裸の姿態をくねくねと悶えさせている小夜子へ、まなざしを凝らしていた。
「だっ、黙って入り込んで、勝手に大事な収集品に手をつけて、
不躾なことまで言って、本当にすみません、謝ります、申し訳ありません……
本当は、あなたにお会いしたくて、この場所をようやく探し当ててきたのです……
少しお話をさせて頂けませんでしょうか……」
どもりながら、恐る恐る、語り掛けてくる、若造の声音であった。
返答のない静寂は、代りに答えるように、小夜子の漏らさせる、
うん、うん、うん、という悩ましい甘美な声音を聞き取らせるほどの状況にあった。
桜花は、仕方なく、早々に立ち去らせようと返事をした。
「わしに会いに来たって……
それならそうと、最初から言えばいいことだ。
しかし、あいにく仕事の最中で取り込んでいる、
一時間くらいして、もう一度来てくれれば、暇ができる、そうしてくれ」
まなざしも向けずに言ったことは、銀縁眼鏡の男を納得させたらしく、
「承知しました、ありがとうございます、では、改めさせて頂きます」
と丁寧な礼が述べられ、足音を忍ばせた素振りにさせながら、
立て付けの悪いガラス戸を静かに開閉させて出て行かせたのである。
『SMクイーン 十月号』を一緒に持っていかれたことに気付いていたが、
桜花は、それどころではない状況にある、小夜子を見取らねばならなかった。
三十七歳という年齢の生まれたままの全裸があらわす雪白のなめらかな柔肌は、
優美と言える女性の曲線を見事に匂い立たせる肉体を露わとさせて、
ほっそりとした首筋、柔和な両肩、愛らしい乳首を付けたふたつのふっくらとした乳房、
綺麗な形の臍、くびれも妖艶な腰付き、たるみのない腹部、漆黒の靄のような妖美の恥毛、
艶かしい太腿、しなやかに伸ばさせた両脚の足先に至るまでに漂わせ、
波打つ艶やか黒髪を頬へ掛けた、清楚な美貌にある顔立ちを明らかとさせた女にあった、
その一糸も許されない、これ見よがしの全裸には、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧が施されていた、その縦縄は、
漆黒の恥毛を掻き分け、小丘にある割れめを如実とさせるほどに埋没させられていて、
恥ずかしい股縄を掛けられた姿態としてさらけ出されていることにあったが、
後ろ手に縛られ、両足首を束ねられている身の上では、逃れることの自由は奪われて、
畳に上へ横臥させられた姿態をもどかしくも、悩ましくも、悶えさせることが精一杯で、
緊縛の裸身の縄尻を取った縛者の縄掛けに導かれるままにあると言えることにあった、
その縄掛けは、縄は蛇の象徴にあるという日本古来の伝承をあらわすように、
縄が肉体へ触れると同時に、肉体が放つ生命の体液を縄も吸い上げることによって息づき、
高ぶらされる肉体と生々しい蛇は、ひねり合い、ねじり合い、よじり合って、
両者一体となることで、性欲と性的官能は、天上を目指す火柱となり、
冥府へ落ちていく思考も、また、炎上させられるというありさまは、
畳に上へ置かれた、緊縛の裸身を置き所のないように激しく悶えさせながら、
込み上がる思いを望ませながらも、余りにも激しく立ち上がる官能の快さには、
狼狽さえ感じるように両脚をもどかしく絡ませて押さえ付ける思いになるばかりで、
それを振り払うように快感を大きくさせて込み上がっていく充血は、
これ以上は膨らみようがないという花びらの開花から、しずくをしとど滲ませることにあった、
全裸に晒されて、縄で後ろ手に縛り上げられ、緊縛されている身の上では、
されるがままに、置かれるがままに、受容するしかないという境遇において、
赤々と灼熱した快感が天上と地下へ引っ張り合うばかりのことにあっては、
割れめへ食い込まされた麻縄を滴り落ちるほどに花蜜で濡らせ、
その豊饒とした銀のしずくがきらめきとなって落ちていくさまは、妙なる響きの美しさにあった、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された肉体の感触は、
股間に掛けられた、恥ずかしい股縄へ収斂する熱いばかりの抱擁となっていたことは、
頂上へ至るための感応を余儀なくされるという以外の道筋にはなかったことにあった、
蛇は、女の肉体から噴き出す汗、陰部から漏れ出す花蜜を容赦なく吸い込んで、
花びらの穴の奥までもぐり込んだ挿入を露わとさせながら、
起・承・転・結という整合性のある快感の絶頂へ舞い上げていくのであった、
性欲と性的官能に火をつけられ、燃え立たせられ、燃え上り、燃え盛って、
うねらされ、くねらされ、悶えさせられて、瀕死の高ぶりにまで追い上げられると、
うん、うん、うん、という甘美な声音も、
あん、あん、あん、という悩ましい声音に変わり、
あ〜ん、あ〜ん、あ〜ん、というやるせない泣き声は、
ついには、あっ、あっ、あっ、という絶息の咆哮となって、絶頂にまで及ばされたことは、
込み上がるまでに込み上がり、全身を痙攣させての感応は、
喜びにあること以外にはあり得ないことがあらわされたのであった、
のたうつような頂上のその快感こそは、
思考の<整合性の存在>を実感させるものにあったのだった、
仰向けになってのけぞらせた、緊縛の裸体の全身に渡って、
びくん、びくん、びくん、と痙攣を走らせ浮遊させられる、その姿は、
白蛇に変容したように、妖艶な生々しさがあらわされたものにあった。
やがて、畳の上へ息絶えたように仰臥するだけの女の姿態にあったが、
奥から小部屋へ戻ってきた、事務服の女性は、そのありさまをしげしげと眺めながら、
「小夜子様は、通過儀礼を越えて、行ってしまわれたのですか」
とおもむろに尋ねていた。
それに対して、縄師・桜花は、
「逝った」
とはっきりと答えるのだった。




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<章>の関係図


上昇と下降の館



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