第10章 『縄掛けが奏でる琴の調べ』 権田孫兵衛 借金返済で弁護士に相談




第10章  『縄掛けが奏でる琴の調べ』 権田孫兵衛




<その存在は、平屋建てという建物にあって、二階へ通じる階段の上にあるようなもの、
その一階にあっては、地下へ通じる階段の下にあるようなもの、
天国のようなものであると言えば、そうであり、冥府にあることなのかと言えば、そうでもある、
つまり、実在はしないが存在はする、
まるで、人間の≪心≫のありようと同様なものにあると見なすことが可能と言える>とされる、
<財団法人 大日本性心理研究会>という存在であるが、
その入口が台東区北上野に所在する、家屋は古すぎて、台風でもげ落ちた看板はすでに失われ、
出入口は木製の桟のガラス戸で、そこにかすれた文字で、
ようやく、<桜花堂>という店名を読むことができるとされる店舗にあったことは、
その店舗がすでに廃業している状態にあったとしても、
十畳程度ではあるが、店舗の書棚にあるすべてが<SM雑誌>にあったことは、
<縄による緊縛>という事柄に関心を寄せる者にとっては、大いに興味を惹かれる対象にある。
1946年創刊の『奇譚クラブ』に始まる、<SM雑誌>の戦後史は、
そのまま、<縄による緊縛>という事象がどのような経緯をもって、
日本国民の間へ定着していったのかを時系列で追うことのできる文献にあることで、
猥褻雑誌の一時代の流行と見るだけでは収まらない、莫大な<量>としてあることである。
従って、莫大な<量>の意義は、当然、その<質>の意義を問われることにあるが、
その<質>を問うという問題は、大変に魅力的な問題に違いないが、
<縄による緊縛>に関心を寄せる者にとっては、大いに興味を惹かれる対象にあると述べたように、
莫大な<量>の文献を実際に所有していない者にとっては、ただ、興味を惹かれる対象にあるか、
或いは、羨望の対象ということに留まるしかないことにある。
それは、非常に残念なことである、何故ならば、
<SM雑誌>の一時代の流行が<SMの概念>の流布ということにおいて、
その戦後史が日本国民の間へ、敗戦したことによって生じた被占領国家という状況にあって、
<隷属することは、悦びである>という心情を定着させたことは、現在も継承されて、
西洋思想の模倣・追従や永続敗戦の意識へ置かれたままにさせている現状を生んだ原因としてある、
という批判のあることに対して、その<質>の意義が反論と成り得る可能性を断たれているからである。
従って、<桜花堂>にある、莫大な<量>の文献の些細な一部は、貴重な所蔵にあると言える。
その中の一冊である、『SMクイーン 十月号』を手にしたまま、冴内谷津雄は、
邪魔をしないように足音を忍ばせ、立て付けの悪いガラス戸を静かに開閉して、<桜花堂>を出ていた。
動転している思いからは、雑誌を手にしたままでいることに気づいたのも、大分歩いてからのことであった。
返すために戻ろうとも考えたが、戻ったところで、主人の緊張感あふれる仕事の事情からは、
複雑厄介な事態へ展開させることになるとしか感じられなかった、
仕方なく、戻るに戻れない思いは、こわれ物でも扱う丁重さでその雑誌をつかませていたが、
通りすがるひとに出会う度に感じる後ろめたさは、それを上着の下へ隠させるのであった。
雑誌を見られることは、じいさんと女性の現場を見られているような気がしたのである。
じいさんが女性を縄で縛っていたことは確かだった、
しかも、相手の女性は、生まれたままの全裸の姿にあったことは間違いなかった、
どうしても、そのように思えたことであったし、
それがあの淫靡な雰囲気のなかでは、最も自然なありように思えたことだった。
その女性も、恐らくは、しなやかな姿態の若い娘などではなく、
声音の感じから脂肪のだぶついた、隣近所にいるような普通の中年の主婦……
そのようなことをぼんやりと考えていると、公園に出くわしたので、ベンチへ座って待つことにした。
<山伏公園>と表札された、こじんまりとした公園には、他に人影は見受けられなかった。
上着の下から取り出した、『SMクイーン 十月号』を白昼の陽の下で、まじまじと見ることができた。
鵜里基秀という作者の書いた、
『終焉なき悪夢』という写真付きの短編が掲載されている雑誌が実在したことは驚きであったが、
それ以上に驚かされたことは、開いた目次にあった。

グラビア 『じゅずつなぎ』
緊縛写真付き随筆 『終焉なき悪夢』
緊縛絵画 『縛めの変容譚』
実録 『びっこの縄師 桜花の誕生』
 『小夜子の赤裸々な自縛手記』 村上小夜子

と続いた後に、『縄掛けが奏でる琴の調べ』 権田孫兵衛(ごんだまごえ)とあったのである。  
権田孫兵衛とは、小夜子が所属する<財団法人 大日本性心理研究会>における、彼女の筆名であった。
冴内は、白昼の燦燦とした陽射しの下で手掛かりを得たとの思いから、
更に輝く突然の希望の光を感じて、震える指先で、当該のページを開くのであった。


『 縄掛けが奏でる琴の調べ 』     権田孫兵衛(ごんだまごえ)


私が財団法人大日本性心理研究会から招聘を受けて、
研究を始めることになった経緯は、私が縄掛けの巧みにある女性であったことに依るものです。
研究課題のために、無作為抽出法で選ばれた、縄による緊縛の未経験者である、
十六歳から六十五歳にわたる女性を被験者として、五百件の事例を得ることを果しました。
五百件の事例は、10歳代 70人、20歳代 100人、30歳代 100人、40歳代 100人、
50歳代 100人、60歳代 30人という内訳にあるものですが、詳細な研究報告は別途のことにして、
縄掛けをする縛者が女性であることの重要性について、最初に触れておきたいと思います。
一般に、縄による緊縛の縛者、縄掛けの巧みにある者を縄師と称することにあるならば、
縄師は、男性であることが常識であると見なされていることにあります、
縄師は、男性であって、その被縛者は、女性にある、
この相対関係が縄による緊縛の性愛行為における、一般的概念としてあることは、
時代の社会的通念としてある事象をそのまま反映してのことにあると見ることができます。
社会的通念としてある事象とは、因習と社会制度から作り出される、風潮というものをあらわしますが、
男尊女卑という風潮が如実とされる時代にあれば、縛者の男性と被縛者の女性という関係は、
高位にある男性と低位にある女性、能動的な男性と受動的な女性、
支配する男性と支配される女性、虐げる男性と虐げられる女性
といったありようの明確な表現において示されることは、因習と社会制度下にある、
女性の社会的地位が低い実態にある現実を浮かび上がらせることをします。
縄による緊縛は女性蔑視の表現にあると批判されることですが、蔑視する表現が売れ行きとなることでは、
購買・消費する者が属する社会が女性蔑視を当然視する実態にあるからだと見なすことができるわけです。
これは、社会現象として見た場合です、一方、縄による緊縛が性愛の表現にあることにおいては、
男女関係の価値転倒は容易に行われることにありますから、その点については、異なる問題となります。
そこから、縄による緊縛という事象において、女性の縄師があらわれることは、
女性の社会的地位が向上している兆候と見ることもできますが、実際は、それほど容易ではない状況は、
就業女性の社会進出の問題と同様であり、また、性愛行為の事柄として見た場合も、
男性には加虐的性向が強くあり、女性には被虐的性向が強くあるという見方に対して、
サディズム・マゾヒズムという認識だけで容易に理解できるかという問題を浮上させることにも繋がります。
従って、私の研究者の立場としては、私が女性の縄師であることの重要性は、
男性と女性という差異を超えて明らかとすることができる事柄がその意義であると考えます。
以下は、その立場からの考察と見解にあります。

縄による緊縛という事象は、日本の場合、縄の発祥が縄文時代とされることにあれば、
人間と縄が存在して、縛者と被縛者を関係付ける縄の使用を考えることが可能としてあれば、
一万六千五百年にわたって継承されてきた歴史をあらわす事柄にあると言えることにあります。
民族の創始以来とも言えるべき、長大な時間を抱いている事象にあれば、それは、当然、
民族の思考方法に影響をもたらしていることがあると考えるのは、自然な成り行きにあります。
しかしながら、人間が人間を縄で縛り上げる行為というのは、自然な現象にはありません、
人為的であるということでは、そこには、特殊性が存在することにあります。
日本の場合、これまで、この特殊性が縄による緊縛の研究を遅らせてきたことは、
人間生活の上で、二つの面を持っているということに原因を見ることができます、
縄による緊縛という行為は、社会性と個人性の双方をあらわすものにあるという点です。
社会性とは、因習、宗教、制度、道徳、倫理を意義するものとして、
室町時代後期に発祥し江戸時代に隆盛を見た、縛者と被縛者を関係付ける、
捕縄術というものが存在します、江戸幕府の法制度に依って、奉行所に用いられたことは、
隆盛時には、流派は百五十以上、縛り方と名称は三百種類くらいあったと推定されることにありますが、
明治維新を境として、警察機構の改革は、不要とする方向へ向けられたことにありました。
しかし、縄による緊縛という捕縄術の意義することは、たとえ、捕縄術の流派の消滅があったとしても、
因習、宗教、制度、道徳、倫理をあらわす社会性としては、現在も残存する意識としてあることは、
少なくとも、室町時代後期から江戸時代を経て現代に至る社会を舞台とした、
歌舞伎、演劇、映画、文学、絵画等の表現において維持され続けていることに依存しています。
日本人の場合は、好むと好まざるとに関わらず、そのような時代劇表現が存在する限り、
生まれてから自然と縄による緊縛の社会性を会得していく意識を育てられることにあるということです。
そして、これは、公然とされた社会性にあることですから、覆い隠されるようなことではなく、
明白に表現されて、明白に受け留められることにあって、
因習、宗教、制度、道徳、倫理を意識させられるということにあります、
それを一言で言えば、捕縄術の成立理念である、不正や誤りを打破し、正義を実現することにある、
破邪顕正ということを教えられるということです。
これに対して、個人性とは、欲望、習慣、嗜好、善悪、愛憎を意義するものとして、
閉鎖社会における私刑、家庭内暴力、暴行・強姦等の虐待行為に用いられるほかに、
江戸四十八手と称される、性交表現に示されているように、
縛者と被縛者を関係付ける使用を性愛の目的として行われるということがあります。
この個人性は、欲望の赴くままに、嗜好を募らせ、愛憎という感情を揺り動かせながら、
独善的な善悪の判断によって、縄による緊縛という行為を習慣化することを可能としますから、
そのありようは、十人十色、千差万別のあらわれとなることにあります。
このように、縄に依って人体を拘束するという現象が社会性と個人性という相対をあらわすことは、
二つの面の相反であり、同一事象のあらわす意義では矛盾にさえあることですが、
日本人においては、相反・矛盾をひとつにあると認識することを可能とさせる宗教性である、
神道を因習として継承する背景があることから、十人十色、千差万別の八百万の神が存在することは、
みずからでさえ神と成り得ることにあるとされることにあって、矛盾は希薄なものとしてあります、
それは、この特殊性ということでさえ、特殊ではないと感じさせることにあることです。
相反における二元論的展開は止揚されるという思考方法は、
明治維新以降に導入された、西洋思想に学んで育ませてきたものであり、
相反・矛盾にあるふたつを並列にひとつとしてあると考える、日本人の思考方法とは相違します、
むしろ、相反における二元を撚り合わせてひとつとする、という縄を綯うような方法の思考にあります、
<結びの思想>というものです。
<結びの思想>を民族の創始以来育ませてきた日本思想と称することができるかどうかは、
現在も充分に活用されていることのあらわれの多大に掛かっていることですが、
少なくとも、ここで用いられている日本語が示しているように、相反する言語である、
中国由来の漢文(漢字)と日本由来の和文(ひらがな)が撚り合わされた言語が用いられていることは、
ひとつの明確な事実にあると言えることは確かです。
従って、縄による緊縛という行為について、西洋思想と日本思想、
いずれの思考方法に基づいているかによっては、考察と見解も相違があらわれてくることになります。
先に、サディズム・マゾヒズムという認識だけで容易に理解できるかという設問を提示しましたが、
この特殊性の問題を西洋思想で理解しようとすれば、次のようになります。
縄による緊縛という行為は、縄に依って、人間が人間を人間の自由を奪った拘束の状態へ置くことにある、
それは、虐待という加虐と被虐の様態があらわされていることである、
心理及び性欲と性的官能から示される肉体は、
縛者と被縛者を関係付ける、縄の使用が性愛行為を目的としていることにあれば、
サディズム・マゾヒズムのあらわれとして見ることができる、という見解へ導くことができます。
そこから、人間が人間を縄で縛り上げるということは、自由を奪う拘束が行われることにある以上、
奪われる自由の意義する事柄が何であるかを如実とさせられる状況へ置かれることにある、
不自由にあることを望む人間はいない、むしろ、人間はより自由になることを求める、
従って、不自由に置かれることに相応の理由がなければ、
いずれの人間にあっても、縄による緊縛の状況を欲求したり、甘受することはあり得ないことにある。
これが人間観という常識としてあることならば、捕縄術とは、社会性をあらわす単なる制度にあり、
縄で拘束される行為を求めることは、剥奪される自由を求めるという人間の常識の倒錯にあって、
それが性愛行為ということは、性的倒錯にあるという個人性の異常が示されていることでしかない、
個人性の性的倒錯という異常にあり、人間の常識の倒錯ということにあるのであれば、
いずれの民族や国家においても、大衆媒体を通じての一般性の流布などは、
あり得ない事柄となる、にもかかわらず、それがあり得る、
唯一、日本という国家、日本民族だけがそれを行っているという現状に示されている。
相反・矛盾にあるふたつを並列にひとつとしてあると考えられる、日本人の思考方法においては、
それこそが人間の常識と考えられていることの証明と見るべきことなのか、それとも、
現行の日本人の思考は、ただ倒錯している状態にあるということの明示と見るべきことなのか。
すでに述べた特殊性に対して、日本の場合は、このような錯綜とした事情にあることは、
縄による緊縛という行為の存在理由を複雑とさせていることにあります。
この錯綜の事情が先の太平洋戦争という対外戦争に敗戦した事実に由来していることは言えます、
しかし、ここでは、触れません、ここで問題としたいのは、縄による緊縛の本質的問題であって、
敗戦思想に隷属する、サディズム・マゾヒズムの理解は、超克されるものでしかないことにあるからです。
それは、縄による緊縛という行為についてのこれまでの理解では、
初期の段階のようなものに過ぎないということにあります。
民族の思考方法に影響をもたらしていることがあると考えられることにあるならば、
それが明らかとされて、それがどのような展開を生むことにあるかが示されなければなりません。
要因と要素と関係性から見るという方法を用いて、それをあらわしてみたいと思います。
縄による緊縛という行為における、要因は、縛者と被縛者と縄が存在することにあります、
その縛者には、縛るという行為の要素があり、被縛者には、縛られるという行為の要素があり、
縄には、それが使用される方法の縄掛けが要素としてあります、
三つの要因は、関係性というものをあらわすことで、縄による緊縛という表象となることにあります。
次にそれぞれについての考察を示します。

縄が道具として誕生したことの経緯については、
初めは、植物の蔓などの一本のものが結ぶ・縛る・繋ぐを目的に使用されていたことにあったが、
可変性と強度と耐久性が求められて、縄を綯うということが考えられたと見ることができます。
日本の場合、縄文土器の意匠に見られる、縄の文様は、
糸が撚られたものを土器の表面に回転させてつけたものとしてあることは、
二つの糸を一つにして撚るという考えが存在していたことにあると見ることができます。
新石器時代の人類にあっては、一本の使用と複数を束ねて撚り合わせたものを使用することの相違は、
大いに思考の発展をもたらすものにあったと考えられる状況が示唆されることです。
それは、縄を綯うという作業は、一人で行う場合、腰掛けた姿勢となり、
複数をまとめて束ねた二つのものを足元を支えにして端を押さえ込み、
二つを手先で絡ませ、掌で擦り合わせながら撚り上げていくという行為そのものにあります。
これは、縄というものが最初に考え出されたときに、すべてが含まれていて、
縄に依るすべてのあらわれは、そこに由来すると考える可能が示唆されていることにあります。
縄を綯うとは、一本の植物繊維を始まりとして、それが複数にまとめられて束となり、その束を単位として、
単位と単位とが撚り合わされて、まったく異質のものが出来上がることが示されていることです、
縄を綯うという作業は、技術的には、習熟するのに相応の時間が必要とされることから、
そこには、或る思考方法が教育されるありようがあったと見ることができます、
その思考方法とは、<結びの思想>と呼ぶことのできる、認識の方法です。
先に触れましたように、日本語とは、このありようが具現されたものとして成立したことは、
日本語に依る認識の方法の具現こそが<結びの思想>ということになります、
それは、日本民族の固有の思想にあると言えるものにあります。
認識の方法として獲得された、<結びの思想>がいったいどのようなものであるかということは、
縄文土器にあらわされている、意匠という表象が答えを提示していますが、
新石器時代の人類の思考に依る表現にある以上、その答えは、推測の域を出ないことも確かです。
そこで、現代の表象から、結びの思想を紐解くという方法を執ることにします。
現代の表象とは、縄による人体の緊縛ということになります、それは、土器を人体と見立てれば、
土器の表象は、縄掛けされた状態があらわされていると見ることができることからです。
縄文土器にあらわされている、縄の表象とは、次の四つの要素として考えることができます。
(1) 縄は、実用的な道具であること
(2) 縄は、呪術(宗教性の表現)の対象であること
(3) 縄は、芸術の表現媒体であること
(4) 縄は、言語であること
これを縄による緊縛の社会性である捕縄術について当てはめてみると、
縄は、実用的な道具であることは、被疑者や囚人を拘束する道具であることをあらわします。
縄は、呪術(宗教性の表現)の対象であることは、不動明王が左手にする羂索になぞらえて、
打つことは、迷いの苦しみから衆生を救って、悟りの世界に渡し導くことであり、
衆生済度の不動の羂索を打つことに同義の神意にある行為とすることにあります。
縄は、芸術の表現媒体であることは、羂索は、中国の四神感応に従って、
五色(青・黄・赤・白・黒)の線が綯い合わされていることから、
四神は、青(東・青竜)、赤(南・朱雀)、白(西・白虎)、黒(北・玄武)として象徴されることを、
それぞれに、春・夏・秋・冬へ配して、捕縄四季弁色の制としていることにあり、
二度の土用中に、黄色の縄を使用する以外は、
春は青色の青竜縄を東に向けて打つというように、四季・方位・色の使用が定められていることで、
見た目に美しく縛るということが理念として表現されることにあります。
そして、縄は、言語であることは、不正や誤りを打破し、正義を実現することである、
破邪顕正が宣言されるということにあります。
また、四つの要素を縄による緊縛の個人性について当てはめた場合は、次のようになります。
縄は、実用的な道具であることは、拘束の目的に使用されるという一義を意義するだけではないことは、
人間にとって、道具の使用とは、その道具をどれだけ有効に用いるかという問題にあって、
その道具が多義をあらわす可能性というものを問われることにある以上、
縄の実用性とは、縄の使用される可能性を意義することにあります。
閉鎖社会における私刑、家庭内暴力、暴行・強姦等の虐待行為に使用される、縄は、
拘束を目的とする、一つの実用性をあらわしているに過ぎないということです。
そこから、縄は、呪術(宗教性の表現)の対象であることは、注連縄が象徴する神道を含めて、
特定の宗教を意義することにあるのではなく、人間に備わる宗教性からは、より高い存在を目的として、
縄は用いられることの可能にあることが導き出されます。
縄による緊縛の個人性とは、この故にあってこそ、縄は、芸術の表現媒体であることの意義が生まれます。
つまり、それは、加虐・被虐の様態を離れることでは、サディズム・マゾヒズムの現象ではなく、
芸術を目的とした、意思・方法・技術ということでは、縄掛けという意匠は美術となることにあって、
人間が人間をキャンバスとして、縄の絵筆が織り成す、縄の表現ということが示されて、
その織り成される縄掛けは、巧みに奏でられる琴の調べのように、音楽にさえあるということです。
そのように用いられる縄が言語であることは、表現している意義を伝達している以外のものではあり得ません、
何故ならば、縛者も生きてある人間にあるならば、被縛者も生きてある人間にあるからです、
生きてある人間が生きてある人間を生きている縄で生々しく作り出すということにあるからです、
縄が言語であることは、文学にさえあるということになります。
美術と音楽と文学の総合、
縄文土器の表象に示唆される、<結びの思想>とは、このような原型にあることだと言えます、
日本人にあるということは、この<結びの思想>の原型を所有していることであり、
継承していることであり、思想展開させていることであり、実践しているということにあって、
日本語を用いるということは、<結びの思想>の具現を始めていることにあると言うことができます。

その縄が使用される手段である、人体への縄掛けとは、認識の方法であり、
関係性を作り出す方法であり、意義を表現する方法にあることです。
これは、表象と意思が示されていることにあります。
表象とは、見えるものであり、意思とは、見えないものにあります。
この見えるものと見えないものが関係性を持ってあらわされることが意義の示されることです。
人体は、縄掛けという行為によって、その意匠をまとわされたことからあらわされる表象とは、
縄掛けという認識の方法にあることから、人体の意思が示されることにあるということです、
そこには、人間の進化の歴史が示唆されています。
人間の進化とは、この地球上にあって、他の動物種とは相違しようとする、
異質の固有を歩んでいるという意義にあって、それは、動物種にあることからの自由への邁進であり、
科学という方法が実現させようとする、人間性の表現としてあることです。
皆様は、恐らく、不思議に思われることでしょう、
人体が縄掛けされる表象は、人体が不自由に置かれることであって、
それは、自由への邁進とは正反対のありようを示しているのではないか、
それは、相反であり、矛盾していることではないのか、という疑問を持たれるに違いありません。
表象とは、見えるものであり、意思とは、見えないものにあります、
表象が意思をあらわすという見方に立てば、縄掛けされた人体は、不自由にあります、
しかし、表象は、必ずしも、意思と同一の事柄をあらわすことにはないという見方に立てば、
縄掛けされた人体は、自由にあると言うことができます。
別の言い方をしますと、縄掛けが作り出す不自由は自由を作り出すことにある、ということです。
このことは、人間が動物種にあるということを考える仕方の相違にあることです、
人間が不変的に動物種にあるという見方に立てば、動物をあらわす不自由にあるということになり、
人間が可変的に動物種を脱していく進化にあるという見方に立てば、自由が見い出せるということです。
更に、このことは、近代以前と近代以後の人間観の相違でもあると言えることにあります、
超克される近代的自我という問題が示唆されることです。
この点を理解するためには、表象と意思の関係性を具体的にしていかなければなりません。
その端緒となる事柄として、性欲と性的官能の存在があります。
性欲と性的官能の存在理由は、種の保存と維持ということにありますが、そこに留まれば、
人間は、発情期という周期性において、それを行うだけの動物種にあり続けるだけで、
他の動物種一般と同様にあり、周期性に縛られた不自由に置かれている状態にあります。
人間が発情期という周期性を超克して、日常茶飯事、常時、発情を可能とさせたという進化は、
他の動物ではあり得ない自由、異質の固有を歩むことをさせた、根源的事態にあると言えることは、
そこから始まった思考活動は、異質の固有を展開させることが目的の意思となったことにあります。
生存において、発情を自由にさせたということは、性欲と性的官能が常時活動していることにあって、
人間としてあらわされる様相のすべてに関与していることが示唆されることにありますが、
思考活動における関与は、発情の実感が整合性というものを認識させたことです。
性欲と性的官能は、火をつけられて、燃え立たせられ、燃え上り、燃え盛って、
うねらされ、くねらされ、悶えさせられて、瀕死の高ぶりにまで追い上げられて、ついには、絶頂にまで及び、
快感の至福をもたらすことにあるという実態は、強烈な整合性を知覚させることにあることです。
発情の自由に依って、快感の至福が獲得できる自在は、思考活動における、
謎と答えという因果、事物の経過があらわす起・承・転・結について、
それが整合性の存在の実態をもたらすことであればこそ、探求となり、思考活動の喜びの意識とは、
思考における整合性の実現、性欲と性的官能における快感の至福、
両者の同一にあることが示される、生ある実感ということにあります。
性欲と性的官能をそれと関連する性的事象を取り除いて分離し、関係性を断絶することで、
思考の産物を創造してきた歴史が近代までの方法であったとすれば、
超克される近代的自我という問題は、性欲と性的官能と思考の整合性の同一において、
根源的事態が始まりに据えられたありようからの展開にあると言えることにあります。
縄掛けが認識の方法であるということは、この前提を踏まえた上のことにあって、
それは、人類の進化という異質の固有があらわされることにあるのです。

その縄掛けを行う者を縛者と言います。
縛者は、両手を用いて、縛るということを行います。
片手で行うことが極めて困難にあるのは、一筋の縄があり、その両端を結ぶということを行う場合、
両端を両手がそれぞれに受け持つことで、双方を絡めて縛るということが成り立つことにあります。
つまり、縛者は、この発端の行為が意義するように、ふたつのものをふたつのものでひとつにする、
という作業を行うことから、常に、この方法を思考として、対象を考えることをするようになります。
技術的作業は、繰り返し行われることで習慣化すると、無意識の作業のように常態化しますが、
被縛者の生命の安全を常に留意しなければならない、縄による緊縛の場合は、
意識的な作業となることがその本領となることにあります。
例えば、重ね合わさせた両手首を縛る場合でも、きつく縛れば、血管が圧迫されて血行を阻害するように、
自然にある状態の人体を不自然な状態へ変化させるということにあるわけですから、
生命の安全が前提にある緊張から始まる行為にあることが固有の状況を生むことにあります。
生きてある人間が生きてある人間を生きている縄で生々しく作り出すということは、
ここに由来することですが、この点から見ることをすれば、縄掛けされた人体にあらわれる、
縄掛けの意匠は、見た目の様相を意義していることにあるだけではないことは、
緊縛の縄とは、人体に密着する縄にあるということが作り出させる意匠であるということになります。
従って、縛者が緊縛の個人性において、人間に備わる宗教性から、より高い存在を目的として、
縄は用いられることの可能から芸術の創造を目的とすることがあるとすれば、
縛者がこの人間存在の認識を明確に把握しているかに依存していることにあります。
芸術の創造とは、人類の進化という異質の固有にあって、
自由を獲得するための邁進が表現されるものでありますから、
縄掛けが作り出す不自由は自由を作り出すことにある、という意義が示されることにあります。
縛者が意思し、方法を作り出し、技術によってあらわされる縄掛けは、
それが縄の人体への密着を通して、被縛者に意思させるものを生じさせる事柄において、
自由の表象が示される存在となることの可能にあるということです。
それは、加虐・被虐の現象をあらわしていることではなく、サディズム・マゾヒズムを超脱した、
超克された近代的自我の意識のあらわれをもたらすものにあります。
何故ならば、近代的自我に至るまでの過程において、性欲と性的官能の果たす役割は、
生殖の器官と機能に依存することが示される限りにおいて重要でありました。
男性と女性が交接することにおいて、種族の保存と維持が獲得されることが正常の概念であり、
それを逸脱するありようを異常とみなすという人間観にあったことでした。
『性的精神病理』(1886年)に始まる、クラフト=エビングの提唱の画期的であったことは、
その正常と異常を区別することによって、人間には、異質の固有があり、しかも、
そのあらわされる自由においては、人間の進化があり得ることが示唆された点にあることです。
つまり、正常な性にあるとされる、近代的自我に対して、その超克が試みられる実際があることは、
生殖の器官と機能に依存するありようを正常な性と見なした場合、
それ以外は、性的倒錯として見なすことができるという考えとして推し進められたことにあるからです。
性的倒錯とは、現在、世界保健機関(WHO)が示す、次のような分類があります、
0.フェティシズム(Fetishism)
1.フェティシズム的服装倒錯症 (Fetishistic transvestism)
2.露出症(Exhibitionism)
3.窃視症(Voyeurism)
4.小児性愛(Paedophilia)
5.サドマゾヒズム(Sadomasochism) 
6.多重障害の性的嗜好(Multiple disorders of sexual preference)
7.その他の障害による性的嗜好(Other disorders of sexual preference)
8.未認定の障害による性的嗜好など(Disorder of sexual preference, Unspecified)
また、アメリカ精神医学界(APA)が示す分類としては、次のようなものとしてあります、
1.露出症(Exhibitionism)
2.フェティシズム(Fetishism)
3.接触性愛(Frotteurism)
4.小児性愛(Pedophilia)
5.性的マゾヒズム(Sexual masochism)
6.性的サディズム(Sexual sadism)
7.服飾倒錯的フェティシズム(Transvestic fetishism)
8.窃視症(Voyeurism)
9.上記以外の性的倒錯(Not otherwise specified, NOS)、
猥褻電話(Telephone scatalogia)、屍体性愛(Necrophilia)、部分性愛(Partialism)、
動物性愛(Zoophilia)、糞便性愛(Coprophilia)、浣腸性愛(Klismaphilia)、
尿性愛 (Urophilia)、嘔吐性愛 (Emetophilia)など。
人間の生存において、性欲と性的官能は、常時活動している実際があるということからすれば、
これらの分類は、人間の表現の多様が示されていることにあると見ることができます、
従って、人間の性的現象を分析する、可能な限りの分類へと進んでいく研究にあることも確かです、
それは、事物の現象には、すべて名前と概念が必要であるという、
人間の概念的思考の整合性からすれば、当然の要求ということにあるからです。
そして、性欲と性的官能の活動そのものには、生存の活動があるというだけで、意義は存在しない、
その活動の奥に、強いて意義を見い出そうとすれば、混沌か荒唐無稽しか存在しない、
という認識にあれば、性的倒錯の分類の進展は、
それが近代的自我の超克を促したという点で、その分類が人間に制限を与えたことではなく、
むしろ、その分類から自由になる進化が示唆されているということになります。
縄による緊縛がサディズム・マゾヒズムを超脱するということは、この意義にあることです、
それこそは、縄の縛者の意思に依存している事態にあることです。

縄掛けをされる存在を被縛者と言います、その被縛者において、
縄による緊縛という行為は、着衣にされる場合、及び、全裸にされる場合があります、
両者には、明確な相違が存在します、
その相対性は、着衣には社会性があらわされ、全裸には個人性があらわされるということにあります。
全裸の場合、公然とした露出にあることがすでに問題となることは、他の動物一般とは区別されるために、
人間は着衣することで人間性をあらわすという異質の固有の認識にあることに従って、
衆人に対する全裸の露出とは、刑法の処罰対象となることにあります。
その全裸にある者が縛られるということは、
全裸にある動物が動物のように縄で繋がれるという様相を示すことにありますから、
人間性に従えば、言語道断のありさまにあると見なされることは、常識としてあることになります。
全裸の緊縛には社会性はないと言えることは、
その存在理由は、個人性において見い出されるということでしかあり得ません。
かつて存在した、日本の捕縄術という縄による緊縛行為が社会性としてあることの明示は、
被縛者となる囚人は着衣で縛られることで、公然とした晒しものにされることにあって、
被縛者の着衣とは、その者が縛られる理由を罪と罰の明示とさせる表象とさせていることにあります。
着衣にある、人間性をあらわす存在にありながら、人間にあるまじき罪を犯した者は、
縄で緊縛されるという罰があらわされるということが示されているのです。
そこで用いられる縄掛けは、罪と罰を荒々しく表現する残酷な縛りの縄にあることではなく、
罪と罰の因果関係を破邪顕正としてあらわす、宗教性をあらわした人間性の表現としていることは、
被縛者の身分によって、雑人(十文字・割菱・違菱・上縄)、僧侶(返し縄)、神官(注連縄)、
山伏(笈摺縄)、女人(乳掛縄)、士分(二重菱)といった 縄掛けの様相が変えられるということにあって、
縄抜けのできない緊縛にありながら、
それが見た目に美しく映る縄掛けとして工夫が凝らされていたことにあった実際に見ることができます。
美しく映る縄掛けとは、日本民族の<自然観照の情緒的表現>のあらわれにあることは確かですが、
縄掛けという意匠の構造において、多様な色彩の縄と多様な縛り方にあって、
破邪顕正をあらわす宗教性の理念との合理をあらわすことを可能とさせているという点には、
観念が主潮となる<自然観照の合理的表現>があらわれていることも確かにあることです。
これは、<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>の総合が示される、
捕縄術は、完成された表現にあったと言い切れるものにあることですが、
その存在理由は、着衣に施される緊縛という社会性を示すことによって成立することにあります。
そこで、日本民族の自我ということについて、少し触れたいと思います、
それは、この<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>の相対という理解について、
それが知覚における問題にあるという点において、
表象としての見えるものと意思としての見えないものを判断させる根拠にあるということからです。
日本民族における、<自我>は、そこに属する各自がそれぞれに所有しているものであれば、
<我>の意識という漠然としたものでしかありません、その<我>を定義しようとすれば、
知覚され意識される事柄の集合化されたもの、と言うようなものでしかありません。
その知覚され意識される事柄について、本居宣長が知覚作用の認識として提唱した、
<もののあはれ>という<自然観照の情緒的表現>があるということは、
<感情>を主潮として自然を観照するというありようが日本民族の自然体としてあることになります。
その<もののあはれ>にある知覚に依って思考するありようが<大和心>にあることだとされれば、
その<自我>にあることは、そうではないものと相対する、というありようが作り出されることになります、
<観念>を主潮として自然を観照する<自然観照の合理的表現>と遭遇した場合、
両者の矛盾・相克・軋轢が生まれるという情況が作り出されることにさえなることにあります。
この<もののあはれ>による<自我>、
即ち、<自然観照の情緒的表現>にある<自我>は、
<情緒的表現>においては、豊富な表出の見られるものにありますが、
<自然観照の合理的表現>の希薄は、<観念>の事象を<大和心>で見ることを優勢としてしまいます、
従って、<合理的な分析>の希薄な思考を日常性とすることを<観念>と意識するようになります。
例えるならば、その同様にある<自我>同士の相対にある場合であれば、
<矛盾・相克・軋轢>が生じることがあったとしても、<自然観照の情緒的表現>による解決は、
論理や合理や整合性を明確とする結論を導き出すというよりは、
言わば、<なあなあ>の結論の曖昧な展開で済ませることを可能とさせることにあります。
この常態は、確かに、<日本的なもの>を作り出してきたことは事実にありますが、
その<日本的なもの>は、<自然観照の情緒的表現>にあるばかりのものである、
と称されるものとしては、正しいとは言えないことにあります。
人間存在は、<自然観照の情緒的表現>と<自然観照の合理的表現>という知覚作用があって、
いずれが主潮となってあらわれるかという問題にあることで、
<日本的なもの>は、<自然観照の情緒的表現>の主潮にあると見なしてきたというだけで、
前述しましたように、<捕縄術>の存在は、
縄掛けの表象としての見えるものにだけ注意を向けていれば、
<自然観照の情緒的表現>による<日本的なもの>としか映らないということでしかありませんが、
意思としての見えないものがその構造としてあらわす縄掛けとしては、
<自然観照の合理的表現>としてあることの明確さが示されていることにあることです。
<日本的なもの>とは<自然観照の情緒的表現>の主潮にあるものだと見なしているだけでは、
<矛盾・相克・軋轢>を超克することが困難となるばかりか、
<日本的なもの>の将来的展開という自立を望むことは難しい状況へ置かれることでもあります。
日本民族史において、大東亜戦争・太平洋戦争の敗戦という契機は、
<日本的なもの>の将来的展開へ向けた邁進であるべきありようであることは、
日本民族を<人間存在>として考察することを可能にしているという状況に依ります。
従って、全裸にある者が縄で縛られるという個人性についても、
それは、<人間存在>の問題として考察されることになければ、意義はあり得ません、
そうでなければ、縄による緊縛は、単なる因習の表現に留まるという以上のものには成り得ません。
全裸にある者が縄で縛られるという個人性は、単なる因習の表現に留まるというありようは、
全裸にある動物が動物のように縄で繋がれるという様相において、
人間にある四つの欲求―食欲、知欲、性欲、殺戮欲―という決して消し去ることのできない、
人間が動物としてあることの存在理由が如実とされることにあります。
因習は、人間が共存して生きていくための<しきたり>として受け繋いでいく概念にある以上、
民族の種族保存と維持のために、社会を構成する目的の<宗教、法律、刑罰>なくしては、
成立し得ないことは、世界にあるいずれの民族にあっても同様の事柄としてあることであり、
それを一般家庭へ持ち込めば、<信心、しきたり、折檻>ということにあって、
縄による緊縛が虐待を目的とした道具の使用をあらわすことを容易とさせる事態も、
事実としてあることになります。
縄による緊縛の研究の必要は、因習をあらわす人間の問題を考察するためには、
初期の段階を終えて、次なる段階へ移行することを要求されているものにあるということです。
その次なる段階については、私自身の個人的体験で誠に恐縮ですが、
被縛者の個人性の事例として紹介させて戴きたいと思います。

大日本性心理研究会へ入社する際に執り行われた、通過儀礼と称される手続きは、
根源的洞察というものを取得するための必要不可欠の過程にあることでした。
その必要不可欠は、麻縄が用いられた、縄による緊縛という行為を意義することにありました。
私は、それまでに、縄で他者を縛ったことはありましたが、縛られた経験は、まったくありませんでした、
私に縄による緊縛を教えた夫は、私を一度も縛ったことがなかったことにありました、
私にとっては、縄による緊縛は、夫の文芸創作のための奉仕という作業に過ぎないことでした、
それ以上の意義は、考えたことがなかったことにありました、
みずからが縄で緊縛されることになるなど、私にとっては、想像も及ばない事態にあったことでした。
縄による緊縛が通過儀礼と称されて、
根源的洞察というものを取得するという明確な目的を有していることは、
その構造も明確にあるということが意義されていることにありました。
私は、衣服から下着、ピアスからネックレスに至るまでのすべてを取り去った、
生まれたままの全裸の姿態になることを求められました、
これは、生まれたままの身体は、生まれたままの身体で死へ赴くということから、
縄による緊縛がもたらす根源的洞察に依って蘇生が行われるという意義の示されることにありました。
構造は、縄による緊縛が三重層の密閉という状況を作り出す手段としてあることでした。
全裸を衆人に晒すということが為されれば、それは、刑法上の罪に問われる、猥褻行為にあたります、
その全裸にある姿態を縄で縛り上げている様相が羞恥・嫌悪・屈辱を助長するものにあれば、
全裸の縄による緊縛行為は、衆人の眼に触れることはあってはならないことになりますから、
社会常識の遮断された、密閉された空間という状況がまず必要とされることにあります。
密閉の第一層は、一軒家にある小部屋という室内で行われたということにありました。
古びた家屋の古書店の店先に続く、畳敷きの小部屋において、
私的な当事者を除いては、公的な衆人のまったく存在しない境遇に置かれて、私が相対したのは、
研究会に所属する、縄師と称する老人と助手になる若い女性事務員の二人だけでありました。
老人は、女性事務員から手渡される麻縄を取ると、私の顔立ちの前へ掲げて見せました。
私は、みずからがその縄で縛られることを意識させられると、
すでに、二人の前へ全裸をさらけ出させていた羞恥から火照っていた思いを一気に当惑へ落とされて、
狼狽さえ感じさせられる不安に囚われて、相手を見つめるばかりになっていました。
しかし、縄師の老人の真剣な表情は、私の決心を促すのに充分なものがあったのです、
私は、背中と尻をおもむろに相手へ向けさせると、両手をおずおずと背後へまわさせて、
両手首を重ね合わさせる仕草を執ったのでした。
重ね合わされた両手首へ、一本をふた筋とさせた麻縄が巻き付けられて、
後ろ手に縛られると、その残りの縄は、ほっそりとした首筋まで持ってこられ、
左右へ振り分けられながら、身体の前へ垂らされていきました。
身体の前の左右に垂らされた、ふた筋の縄には、首元、胸、鳩尾、臍の上部、臍の下部へ、
等間隔の結び目が作られていき、その残りの縄は、ためらいもなく、陰毛へ当てられていきました。
私は、びっくりして、思わず腰付きを引かせましたが、
為されることへ従うことが今の私の立場なのだと思い直して、顔立ちに緊張した表情を浮かばせながら、
太腿を左右へおずおずと開かせていく仕草を執ったのでした、
控えるように老人の傍らに立って、二人の様子を見つめ続けている、
若い女性事務員の表情も、真剣そのものにあったことは、私を勇気付けることにあったことでした。
陰毛へ当てられた縄は、股間へ通されるとき、花びらの穴へ埋まるような結び目を作られて、
尻の亀裂の間からたくし上げられると、手首を縛った縄へ繋がれていきました。
老人には、女性事務員から、二本目の麻縄が用意されていました。
ふた筋とされた二本目の縄頭が背中にある縦縄の上部へ結ばれて、
左右へ振り分けられた縄が身体の前へ持ってこられると、
首元と胸の結び目の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていきました、
左右の縄は、背後で交錯されて、再び、身体の前へ持ってこられると、
今度は、胸と鳩尾の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されました、
左右の縄は、背後で交錯されて、左右の二の腕へ巻き付けられると、
背中の縦縄へ戻されて縄留めがされました、
この縄掛けによって、身体の前部にある、縦縄には、二つの菱形が浮かび上がっていましたが、
それが縦縄の張力を増させていたことは、股間に当てられていた縄は、
漆黒のふくらみをあらわす陰毛へ沈み込んで、
小丘にある割れめが露わとなるくらいに食い込み始めたことで明らかとされていました。
股間に掛けられた縄の感触が伝えてくる緊張に、私が思いを集中させられていたことは、
両頬を上気させながら、まなざしを一点に凝視させ、
唇を真一文字とさせていたことで如実となっていましたが、
後ろ手に縛られたばかりでなく、左右の二の腕をがっちりと拘束された緊縛感は、
自由を奪われて、されるがままになるだけという意識を明確にさせられたことでもありました。
縄師の皺だらけの指先は、若い女性事務員から手渡された三本目の縄をふた筋とさせて、
その縄頭を背中にある縦縄の中程へ結び付けていました、
それから、左右へ振り分けられた縄が身体の前へ持ってこられると、
鳩尾と臍の上部の結び目の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていきました、
左右の縄は、背後で交錯されて、再び、身体の前へ持ってこられると、
今度は、臍の上部と臍の下部の間にある縄へ掛けられて背後へ戻されていきました、
左右の縄は、手首を縛った縄へまとめられて縄留めされ、縄尻がだらりと垂れ下がっていましたが、
それは、被縛者を引き立てるために用いられるものとしてあることは、
私にも、充分に理解できることにありました。
三本目の縄掛けが行われたときには、私は、すでに、
柔肌を上気させ始めていて、うっすらと汗さえ滲ませている状態にありました、
更に二つの菱形が浮かび上がって、合計四つの菱形が肉体に鮮やかに示されたことは、
ふたつの乳房は、環が掛けられたように、突き出させられて強調され、
ふたつの乳首が欲情的なこわばりをのぞかせていることまでも明らかとされて、
腰付きへ掛けられた縄は、くびれを際立たせられた悩ましさをあらわしているようにあって、
陰毛へもぐり込まされている縦縄に横縄の張力が増したことは、
縄で押し開かれた小丘の割れめを女らしさの如実として示されているとさえ映らせたことにありました。
それは、当然、埋まるように拵えられた結び目が花びらにある穴の奥へと沈み込んで、
同時に、鋭敏な女芽と菊門が縄で強く圧迫されていたことは、
私の半開きとなった唇からは、思わず、
ああっ、ああっ、という悩ましい声音が漏れ始めたことにあって、直立させていた緊縛の裸身も、
突き上げられる官能的な疼きから、もどかしそうな動揺があらわれたことに明らかとされていました。
私は、老人の縄掛けがみずからの思いを上回る効果をもたらすことに注意を向けさせられていました、
私が夫に施していた縄掛けなど、ままごとのようにあったものだと思い知らされたのです、
いや、もはや、注意を向けるどころの状態にあることではなかったのです、
立っているのもままならないくらいに突き上がり、、熱く、執拗に、高ぶらせる縄にあったことでした、
官能に火をつけられ、燃え立たせられ、うねらされ、くねらされる、縄にあったのです。
縄による全裸への緊縛の知覚がこれほどに性欲と性的官能を高ぶらせるものにあることを、
私は、初めて知ったという思いから、その縄を施して私をそのような状態へ仕向ける老人に対して、
恨みがましい思いまで募らせてこらえるしかないという状態にあったのです。
私は、波打つ髪を打ち震わせて、両腿を摺り寄せて、
激しく集中してくる股間の縄の突き上げに、煽り立てられる責めを懸命にこらえるようにしていましたが、
身体全体に力を入れて踏ん張るようにすれば、それだけ、
身体全体を包んでいる縄の緊縛がいっそうの食い込みを身体全体に増させるばかりで、
それは、息をも詰まらせるほどの甘美な激しい抱擁を露わとさせて、
ついには、畳の上へ、なよなよとへたり込んでしまう以外には、為す術がなかったことでした。
老人の縄掛けは、まるで、縄という生き物を全裸に張り付かせたように尋常ではなかったのです。
性的官能を追い上げられている、私の様子を確認したと言うように、若い女性事務員は頷くと、
奥へ通じる扉を開けて、小部屋を出て行くのでした。
部屋に残されたのは、縄師と私の二人だけです、老人の思うがままに為すことのできる、
縄で自由を奪われて、縄に導かれて、縄に従う、無防備な裸の女がいるだけのことにありました。
老人は、畳の上にへたり込んだ、私の緊縛された裸身を優しく横臥させていくと、
四本目の麻縄を手にして、揃えさせた足首を束ねるように縛り上げ始めました、
それから、残りの縄を引きながら両膝を曲げさせると、手首を縛った縄へ絡め、
それを再び足首へ戻して絡めてから、手首まで引き上げて縄留めをしました。
生まれたままの全裸を後ろ手に縛られて、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧をされ、
女の割れめには、妖美にも、淫猥にも映る、股縄を食い込まされた、
私は、その横臥の姿態が相手にしっかりと見て取れるように、
小部屋の入口近くに座り込んだ老人の正面へ向けさせられるという格好を執らされたのでした、
縄師の皺だらけの手には、手首を縛った縄へ繋がれた、
引き立ての縄尻が握られていたことは、言うまでもありません。
密閉の第二層は、こうして、縄で緊縛された感触から意識される肉体に封じ込められたことにあったのです。
三十七歳という年齢の生まれたままの全裸があらわす雪白のなめらかな柔肌は、
優美と言える女性の曲線を見事に匂い立たせる肉体を露わとさせて、
ほっそりとした首筋、柔和な両肩、愛らしい乳首を付けたふたつのふっくらとした乳房、
綺麗な形の臍、くびれも妖艶な腰付き、たるみのない腹部、漆黒の靄のような妖美の恥毛、
艶かしい太腿、しなやかに伸ばさせた両脚の足先に至るまでに漂わせ、波打つ艶やか黒髪を頬へ掛けた、
清楚な美貌にある顔立ちを明らかとさせた女をあらわしていることにありました、
その一糸も許されない、これ見よがしの全裸には、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧が施されていました、
その縦縄は、漆黒の恥毛を掻き分け、小丘にある割れめを如実とさせるほどに埋没させられていて、
恥ずかしい股縄を掛けられた姿態としてさらけ出されていることにありましたが、
後ろ手に縛られ、両足首を束ねられている身の上では、逃れることの自由は奪われて、
畳の上へ横臥させられた姿態をもどかしくも、悩ましくも、悶えさせることが精一杯で、
緊縛の裸身の縄尻を取った縛者の縄掛けに、ただ導かれるままにあることにありました。
それは、縄の導きに従ってということでは、遥か縄文時代より継承される、結びの思想にあるということでは、
被縛者を縄文時代にまで遡及させるありようを示すことでもあったのです。
その巧みで美しい縄掛けは、縄は蛇の象徴にあるという日本古来の伝承そのものをあらわすように、
縄が肉体へ触れると同時に、肉体が放つ生命の体液を縄も吸い上げることによって息づき、
高ぶらされる肉体と生々しい蛇は、ひねり合い、ねじり合い、よじり合って、
両者一体となることで、性欲と性的官能は、天上を目指す火柱となり、
冥府へ落ちていく思考も、また、炎上させられるというありさまは、
畳に上へ置かれた、緊縛の裸身を置き所のないように激しく悶えさせながら、
込み上がる思いを望ませながらも、余りにも激しく立ち上がる官能の快さには、
狼狽さえ感じるように両脚をもどかしく絡ませて押さえ付ける思いになるばかりで、
それを振り払うように快感を大きくさせて込み上がっていく充血は、
これ以上は膨らみようがないという花びらの開花から、しずくをしとど滲ませることにあったのでした、
全裸に晒されて、縄で後ろ手に縛り上げられ、緊縛されている身の上では、
されるがままに、置かれるがままに、受容するしかないという境遇において、
赤々と灼熱した快感が天上と地下へ引っ張り合うばかりのことにあっては、
割れめへ食い込まされた麻縄を滴り落ちるほどに花蜜で濡らせ、
その豊饒とした銀のしずくがきらめきとなって落ちていくさまは、妙なる響きの美しさにあることでした、
縦に四つの菱形の紋様も鮮やかな亀甲縛りの縄化粧を施された肉体の感触は、
股間に掛けられた、恥ずかしい股縄へ収斂する熱いばかりの抱擁となっていたことは、
頂上へ至るための感応を余儀なくされるという以外の道筋にはなかったことにあったのでした、
蛇は、女の肉体から噴き出す汗、陰部から漏れ出す花蜜を容赦なく吸い込んで、
花びらの穴の奥までもぐり込んだ挿入を露わとさせながら、
起・承・転・結という整合性のある快感の絶頂へ舞い上げていくことにあったのです、
性欲と性的官能に火をつけられ、燃え立たせられ、燃え上り、燃え盛って、
うねらされ、くねらされ、悶えさせられて、瀕死の高ぶりにまで追い上げられていくと、
うん、うん、うん、という漏らさせる甘美な声音も、
あん、あん、あん、という悩ましすぎる声音に変わり、
あ〜ん、あ〜ん、あ〜ん、というやるせない艶かしい泣き声は、
ついには、あっ、あっ、あっ、という絶息の妖艶な咆哮となって、絶頂にまで及ばされたことは、
込み上がるまでに込み上がり、全身を痙攣させての感応は、
喜びにあること以外にはあり得ないことがあらわされたことにありました、
のたうつような頂上のその快感こそは、
思考の<整合性の存在>を実感させるものにあったことでした、
仰向けになってのけぞらせた、緊縛の裸体の全身に渡って、
びくん、びくん、びくん、と痙攣を走らせ浮遊させられる、その姿は、
白蛇に変容したように、妖美な生々しさがあらわされたものにあったことでした。
やがて、畳の上へ息絶えたように仰臥するだけの私の姿態にありましたが、
第三層の密閉である、みずからを意識する心に封じ込められたことにありました。
それは、性欲と性的官能がもたらす最高潮という快感の存在にあって、
妙なる琴の楽音が聞こえてくるように感じられたことでした、
縄掛けが奏でる琴の調べのようでした、
根源的洞察というものがあらわれたことにあったことでした。




















そこで文章は終わっていた、その後は、白紙のページが続いているばかりにあった、
冴内は、奇妙を感じさせられるのと同時に、ただならぬ予感を意識させられていた、
それは、すぐにも、あの<桜花堂>という古書店へ戻ることを強いていた。
腕時計を見れば、約束の一時間には、まだ二十分もあったが、
遅くなれば手遅れになるという込み上がる思いが雑誌を閉じさせ、ベンチから立ち上がらせていた。
彼は、<桜花堂>へ向かったのである。
ところで、冴内が感じた奇妙とは別に、読者も感じられた奇妙があるはずである。
それは、 物理現象としての時間と空間の一致に従うことにあれば、
冴内が雑誌を読んでいた時間は、小夜子が<通過儀礼>の最中にある時間と同一である、
小夜子が筆名で書いたとされる論考を冴内が読むことの可能にあるということはあり得ないことにある、
彼女は、<通過儀礼>を終えて、財団法人大日本性心理研究会へ所属したのであるから。
この整合性の問題が重要であるかどうかは、
この先の展開に依存しているとしか言いようのない荒唐無稽である。




次回へ続く


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<章>の関係図


上昇と下降の館



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