第4章 縄の思い出 神沢圭子の回想(2) 借金返済で弁護士に相談
          第4章  縄の思い出 神沢圭子の回想(2)





まだ「嫁」にも行っていない女性がこんなことを口にするのは恥ずかしいのですが、私は男性の陰茎が好きです。
 私の肉体に性的快楽を与えてくれる硬く勃起した陰茎も好きですし、弛緩状態のダランとした陰茎も、まるで男性の肉体に付随したアクセサリーのようで好きです。
 小学校に上がったばかりの頃に行った縄による自慰行為について、前回お話ししました。もちろんあの頃は男と女の身体が結ばれる「性の神秘」など知る由もありません。私の得た快感が、「赤ちゃん」を産むことにつながっているとは知らなかったのです。
 そして、かわいい赤ちゃんの「タネ」があの陰茎から出てくることも……。

 私は小学校の2年生ぐらいまで、父である神沢晃一郎と一緒にお風呂に入ることが時々ありました。
 なぜ一緒に入らなくなったのかはよく覚えていませんが、私から「イヤ」と言った覚えはありません。たぶん、私の成長にあわせて父が遠慮するようになったのだと思います。

 私にとって、父が初めて接する「異性」でした。この点は他の女性も同様であると思います。
 父の陰茎は非常に大きく、お風呂に入るたびに私は驚かされていました。「馬並み」とよく言いますが、まさにそんな表現がピッタリで、長さも太さも、まるで馬の陰茎のようでした。
 もちろん父は私と入浴しているときに陰茎を勃起させていたわけではありません。弛緩状態でも十分大きかったのですから、もし、一緒にお風呂に入っていた子供時代の私が父の勃起した陰茎を見たら、きっと仰天してしまうでしょう。
 陰茎の大きさはもちろん、子供だった私が驚いたのは陰嚢の大きさでした。父と銭湯に行った際に他の男性と比較すると、父の陰嚢の大きさはやはり際立っていました。中に入っていた睾丸のサイズも、きっと大きかったのだと思います。
 今、私が「女」になって思えば、私の持つ遺伝子の半分は、父のあの大きな陰嚢が源だったのですよね。私が父の股間にぶら下がっていた袋の中にいたということが不思議に思えます。
 母のお腹の中は私にとって「ふるさと」であることに違いありませんが、父の睾丸の中も私の「ふるさと」であり、父が性的快感を味わいながら陰茎の先端から「私」を放ったことも消し去ることのできない事実なのです。

 父の陰茎が与えた影響でしょうか。私は子供時代から男の子たちの陰茎に興味津々でした。
 幼稚園児だった頃、周りの男の子が着替えているときに、かわいい「おちんちん」をこっそり観察していました。細いウインナーのようなそれと比べると、父の陰茎はまるで野生動物の持ち物のように見えたのです。周りの子供たちの持つ「おちんちん」と、父の持つ「陰茎」とは、まるで全く別の生物が持つ器官であるかのように大きく異なっていました。
 あの頃は陰茎を見ても、淫らな気持ちなんか起きませんでした。ただ、いろんな男の子たちの陰茎を見て、形や大きさを比較することが楽しかったのです。
 身体は大きいのに、おちんちんが細くて小さな子。逆に、身体はまだ小さくてもおちんちんの成長が早くて大きな子。ある子はおちんちんを硬く勃起させていました。あの頃はどうしてそんな状態になっているのか、理由がよく分かりませんでした。あの子はきっと、女である私を見て硬直させてしまったのでしょう……。
 水遊びをしていた時だったか、不意にその男の子のおちんちんに触れてしまったのです。大人の陰茎とは全く異なりますが、彼のおちんちんはそれなりに硬く、熱くなっていました。あの時の手の感触が今でも忘れられないのです。子ども同士の無邪気なじゃれ合いであり、彼は触られたことを全く意に介していないようでした。

 私は今でも父の陰茎が好きです。
 時々、無性に父の陰茎へ帰りたくなる私は異常でしょうか。
 「私にも陰茎がついていたなら……」と、股間に陰茎が生えた自分の姿を妄想するのです。結ばれたい対象と陰茎を介して自分の意思によって結ばれることができるなら、そして、他人の身体に新しい生命を植え付けることができたなら……。
 そんなことを考えながら、私は人知れず股間を濡らすのです。



                    (2018年6月28日 脱稿)





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