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供 物

神仏・寺社などに、供養(くよう)のためそなえるもの。 「大辞林 第二版」





驚異と乱交の一件も終えて、美恵と恵美に初々しい花嫁・花婿のように祝福されて送り出され、
亡夫の国文学者・大江の住居を後にして、小夜子が岩手伊作と手と手を携えて向かった場所は、
八王子にある<上昇と下降の館>の<権田孫兵衛老人のアンダーグラウンド>であった。
ふたりは、そこへ住み、仲睦まじい縄による緊縛生活と伝導活動を始めるのであった。
これで、小夜子を主人公とした『因習の絵画表現』は、
<供物>と<精霊流し>の章を未完にし、多くの中途半端な事柄を謎めいた形にはしたが、
謎をわざと残して置いた方が作品の深みを感じさせるという文学小説的慣習から、
めでたく幕を閉じるのであった。
ご愛読頂きました読者の皆々様方、ありがとうございました。
私、鵜里基秀も、厳しい現実生活のために、
しばらく、遠方へ出稼ぎに出なければなりませんので、ちょうどよい頃合ということでした。
皆様、また、お目にかかれる日まで、お元気よう、お暮らしください。

…………………………

そのように結末をつけて、鵜里基秀氏は、委嘱された著述者の役割を離れていったのであるが、
<導師様>である権田孫兵衛老人は、
『因習の絵画表現』は、おまえと小夜子の幸福な結末を作り出すためにあらわされるものではない、
最初の出会いから幾多の困難を乗り越えて、思いを寄せる相手へ真の認識の目覚めを得て結ばれ合う、
確かに、それは、おちんちんとおまんこの愛らしさが結ばれ合う、素晴らしい人間劇であるが、
そのような常套的な恋愛劇では、<民族の予定調和>は茶番である、と言っているようなものだ、
<縛って繋ぐ力による色の道>の修行は、それほどなまやさしいものではないはずだ、
それには、<驚異と乱交の一件も終えて>とある<驚異>は表現されているから、ともかくとしても、
<乱交>は二文字で片の付けられることではないのは、
美恵と恵美という双子の美人姉妹が<表象の女>として生まれ変わった所以は、
これから、<表象の女>となることを希望する女性たちへの励みとなることでなければならないのだ、
と申されて、私、岩手伊作が『因習の絵画表現』の完成を引き継ぐことになった、という次第です。

…………………………

「………さまざまな様式をもった日本の伝統音楽には、
非常に多くの音階が存在するばかりでなく、それらがお互いに混合されているので、
このような単純な表記は誤解をまねきやすく危険である。
そのうえ平均率とは異なった音律をもっているので、五線記譜法そのものが無理である。
………弱吟は柔吟ともいわれ、基本的なうたい方で、
剛吟ともいわれる強吟が謡曲へとり入れられたのは、江戸時代に入ってからといわれている。
弱吟には謡曲本来の味ともいえる風雅な美しさがあるが、
強吟には豪快さ、厳粛さといった対照的な風格がある。
………音程はその時の気分によって即興的に変化するので、記譜はむずかしく、
同音程に二個の音が並ぶような矛盾も生じる。
したがってこの場合は、広義には音階の範囲に入るが、
厳密な意味では音階以前の音列と見るほうが正しいであろう。  『音楽の基礎』 岩波書店」
オーケストラを男役と女役のふたつに分割し、セックスを表現しようとした作品、
<弦楽オーケストラのための『陰画』>の作曲者である芥川也寸志が、
日本の五音音階について触れた箇所である。
この日本音楽の五音音階と小夜子の亡夫の国文学者・大江の住居にあった、
拷問倉を模した大層な舞台装置と拷問道具が置かれた部屋で行われた乱交、
この双方は、どのように結ばれることであるのか、これから、それを明らかとさせたい。

…………………………

「小夜子さん、そして、結城由利子さん……
あなたは、人間の脳にある<永遠の黄昏>の叡智を示された……
そして、あなたは、<民族の予定調和>の<表象の女>として、向かうべき道のあることを示された……
どうか、おそばに置いて、あなたの行かれるところへ、私たちを付き従わさせて下さい」
優しい顔立ちをした美しい双子の姉妹は、そのように唱和すると、
その生まれたままの優美な全裸の姿を結ばれ合っている小夜子と岩手伊作の方へ、
さらに近づかせていくのだった。
「私は女、
すべての生まれるものの母、
私はすべてを受け入れられます、
私を愛し光り輝きなさい」
と語った小夜子は、官能の絶頂に浮遊させられた想像力の飛翔にあって、
喜びの痙攣を縄で緊縛された優美な姿態へあらわとさせながらも、ふたりを優艶な表情で見やるのだった。
並んだ美恵と恵美は、岩手伊作の間近へ、きちんとした正座をあらわして座ると、
ほっそりとした両腕をそろそろと背中へまわさせ、華奢な両手首を重ね合わさせる姿勢を取った。
それが<女の絵姿>と呼ばれる絵になるような妖美をあらわす姿態であるとしたら、
 あくまでも、縄を掛けられて緊縛されるのを待つ女の風情を漂わせているからにほかならなかった。
そして、ふたりは、真剣なまなざしを岩手伊作の方へ向けながら、唱和するように言うのだった。
「<民族の予定調和>の広報担当者である岩手伊作様、
私たちは、小夜子さん、そして、結城由利子さんへ付き従うことを決意した者たちです。
あの方へ付き従い、あの方と結ばれるために、あなた様から掛けられる縄を必要としている女たちです。
私たちの虐待という未熟な振舞いをお許しくださり、私たちが迷妄から真に超脱させられることのために、
自然の植物繊維から撚られた麻縄を、どうか、あなた様の手になる緊縛でお与えくださいませ。
美恵と恵美の心からのお願いでございます」
ふたりは、深々と頭を下げて、沙汰を待つ罪人でもあるかのように、そのままの姿勢を崩さなかった。
小夜子と下半身同士を結ばれ合ったままでいた岩手伊作であったが、
<表象の女>となることを決意した女性の前では、聡明をもって、引き抜かざるを得ないことであった。
「どうか、頭を上げてください。
あなた方の振舞いは、むしろ、小夜子さんに大いなる目覚めをもたらしたことです。
あなた方と小夜子さんは、そのようにして、結ばれる間柄だったのです。
あなた方が加虐にあったから、あなた方へ掛けられる縄は被虐となる、虐めは虐め返され、また虐めが起こる、
<民族の予定調和>へ向かう縄の緊縛は、そのようなものではないことです。
男女は如何にして性交するか、という考えは、如何にして性的官能のオーガズムを求めるか、ということであって、
オーガズムの刹那な時間を高めるために、前戯と称される行為が様々に案出されてきたことであったように、
サディズム・マゾヒズムから超脱した縄による緊縛は、
現在は、前戯としてその存在理由をあらわし始めていることなのです。
従って、そこで得られる性的官能のオーガズムということが想像力の飛翔へ導かれる修行は、
<民族の予定調和>を求める方々のまさに手中にあることなのです。
わが日本民族における縄による全裸緊縛、そのことが本来の意義をあらわし始めているということです。
あなた方の抱かれた決意こそがさらなる展開を生ませることになることです。
日本民族の美しい女性である、美恵さん、恵美さん」
岩手伊作は、そのように語り始めると、
生まれたままの全裸の姿にある美恵の雪白の柔肌へ縄を掛け始めていた。
麻縄は、女の愛らしい乳首をつけてふっくらと隆起させたふたつの乳房の上部へ掛けられ、
幾重にも巻き付けられて背後で縄留めがされると、すぐに、二本目の縄が背後へ結ばれて、今度は、
下部へ掛けられて幾重にも巻き付けられ、緩みの起きないように、両脇の背後から締められて縄留めがされた。
さらに、背中の縄へ繋がれて、左右から首筋を挟むようにして胸縄へ絡ませられた縄は、
腰付きの優美なくびれを締め上げるようにして巻かれていったが、その間も、広報担当者の話は続いていた。
「わが日本民族は、現在、<民族の予定調和>へ到達するための歴史過程にあるのです。
現在は、未熟な段階であっても、いずれは、成熟へと向かうことなのです。
わが日本民族であるからこそ、唯一に成し遂げることの可能である、
<人間の抱く想像力こそが人間本来のものとしての神であるというヴィジョンが実現されること>へ向かって、
日本民族にある数多の方々がみずからの表現において、数多の多様をあらわすことを行っているからです。
わが日本民族においては、追従隷属する他の民族の思想は、あり得ないことです、
私たちは、他の優れた民族思想から発想を得ることはあっても、私たちみずからが創造にあたることだからです。
私たちにあっては、私たちひとりひとりがみずからの想像力でもって、各自の多様を創造していくことだからです。
性的官能の法悦が指し示す整合性の深遠な歓喜をもって、
想像力が飛翔させられ、ひとりひとりの多様な思想が創造されることこそが、
<民族の予定調和>を成し遂げさせることだからです。
このことへ思い至ることさえできれば、
みずからを成熟へ向かわせる修行へ入ることができるということです」
美恵を縛り終えた岩手伊作は、生まれたままの全裸にある恵美の方へ縄掛けを始めていた。
麻縄は、女の愛らしい乳首をつけてふっくらと隆起させたふたつの乳房の上部へ掛けられ、
幾重にも巻き付けられて背後で縄留めがされると、すぐに、二本目の縄が背後へ結ばれて、今度は、
下部へ掛けられて幾重にも巻き付けられ、緩みの起きないように、両脇の背後から締められて縄留めがされた。
さらに、背中の縄へ繋がれて、左右から首筋を挟むようにして胸縄へ絡ませられた縄は、
腰付きの優美なくびれを締め上げるようにして巻かれていったが、その間も、広報担当者の話は続いていた。
「私たちが行わなければならないことは、余りにも多くあるのです。
私たちの行っている、人間の全裸へ掛けられる縄による緊縛行為は、
サディズム・マゾヒズムの超脱された行為ではあっても、猥褻であることは、いまだに払拭できません。
猥褻のまったく示されない表現で、<民族の予定調和>が伝えられたら、
二十歳以上の成人指定の思想などという手狭なものとしてではなく、
生まれたばかりの赤子から瀕死の老人まで、老若男女へ、あまねく広めることのできるものとしてあるはずです。
しかし、猥褻のまったく示されない表現で果たし得なかった人間の問題だったのです。
綺麗事とは綺麗事としてある、という道理のように、人間の問題が綺麗事だけでは済まされないものであれば、
私たちの段階では、猥褻なくしては超克できない人間の問題としてあるだけなのです。
私たち、<民族の予定調和>を進行する者に課せられている試練であり、修行なのです。
しかしながら、およそ想像のつかなかったようなことでも、
<民族の予定調和>へ向けられた持続する想像が実現されたときには、
実に何と言うことではなかった、ということでしかないことです。
私たちは、到達している段階にあっては、過ぎた段階へ戻るということはできないのです。
<民族の予定調和>は、それを理解できる者同士だけが理解し合う、というものではありません。
それでは、信じる者だけが救われる、というありようでしかないことです。
人間における宗教の問題ではなく、人間における人間の認識が問われていることです。
<民族の予定調和>が問題にしている想像力は、
民族の問題であり、人間の問題であり、人類の問題であるからです!
美恵さん! 恵美さん!
あなた方の参加が! ひとりでも多くの女性の<表象の女>としての参加が!
人類の展開を生ませることなのです!
それでこそ、<民族の予定調和>の<信奉者>である男性にとって、正しく立つ瀬のあることなのです!」
ふたりの女性の裸身へ縄掛けを終えると同時に、岩手伊作の思いのこもった言葉も、
その生まれたままの全裸にあらわされた陰茎同様に、熱を帯びて立つ瀬のあるものとなっているのだった。
それほどに、緊縛された全裸の姉妹は、きらめくような美しさがあらわれているのであった。
それは、女体と縄との間には相性が存在していることをわからせるものがある、という<女体緊縛の必然性>、
かつて、『環に結ばれた縄』というパンフレットに記載された事柄を彷彿とさせるものがあるのだった。
 「女体と縄との間には、相性が存在していることがわかる。
 その優美さは、神のみわざと讃えられる女性の肉体は、
ほっそりとした美しい首、なでた優しい肩、なよやかな細い腕に華奢な手首、
ふっくらと隆起する柔らかな乳房、わきのしたから腰へかけての弓形のあでやかな曲線、
まるみのある豊かで官能的な尻、股間の麗しいなめらかさ、匂い立つような太腿から脚まで伸びるしなやかさ、
 すべてにおいて、柔軟性と曲線性につつまれ、大自然を思わせる壮麗な起伏に富んでいることをあらわしている。
 このことは、身体の箇所のひとつひとつが縄を掛けやすい特徴を示しているということである。
 後ろ手にさせ重ね合わせた手首を縛るとき、ほっそりと華奢であることがまとめやすくさせている。
 その縄を身体の前へまわし胸の上へ掛けるにしても、隆起している乳房の弾力でずれることがない。
 ふたつの乳房を上下から挟むような胸縄として施せば、縛った後ろ手は否応なくがっちりと固定されるのである。
 さらに、古来より首やうなじの美しさを引き立たせるためにされてきた首飾り、
 この場合は、掛けられる首縄というものが、これほどまでにしっくりと合うなまめかしい姿というものがほかにない。
 牛や馬や豚や犬や猫などに掛ける首縄、畜生を意識させる以外にない野卑さとは大きな相違である。
 その首縄を縦縄にしておろし、股間までもっていってもぐらせて背後へ引きまわすにしても、
 陰茎と睾丸のような突起物があって邪魔をするようなこともない。
 むしろ、麗しいほどになめらかであって、深々とした切れ込みさえあることが、
しっかりと収まるようにさせるのである。
 どうして、女体には女としてのわれめが存在するのかという疑問があれば、
 それは、緊縛されるために掛けられた縄をしっかりとくわえ込むためにある、
という因果の必然性を言うことができる。
 この地球上に棲息する動物を探して、このような意味の縄の相性を示す存在は、女体以外にはないからである。
 そして、そのわれめへもぐらせた縄を埋没するくらいに食い込ませるにしても、
 股の縄を左右から引っ張り上げる縄は、弓形の曲線をもった腰があることで難なく果たせるのである。
 そのあでやかなくびれは、優美さばかりでなく、機能的にも縄を引っかかりやすくさせているということである。
 かぐわしささえ漂わせる太腿やしなやかな両脚に至っては、
 きちっと揃えさせても、激しく折り曲げても、左右へ大きく開かせても、
 その柔軟性は、魅力的な足首へ掛けられた縄を見事に固定させていくのである。
 そして、この総体は、表面を被う柔らかで弾力のある脂肪の肌があることで、縄を芯から密着させる性質を示し、 
 女体というのは、縄へなじむ肉体というものをあらわにさせている、ということをまのあたりにさせるのである」
美恵と恵美に掛けられた初縄は、見事にそのことをあらわしているのであった。
岩手伊作が彷彿とさせられた事柄は、当然と言えば当然のことで、
著者不明とされる『
☆環に結ばれた縄』というパンフレットは、彼が二十歳のときの若書きの一編であったのだ。
かつて、八王子にある<上昇と下降の館>では、一度廃館になるまで、そのパンフレットが配布されていたが、
新たな館の持ち主となった<あの方・ご主人様>と呼ばれる存在の手によって、廃棄処分とされたのであった。
<あの方・ご主人様>から給与を受けるために、岩手伊作が苦渋を呑んで承諾した雇用条件だった、
彼には、みずからの母親を生まれたままの全裸にして、美術品の晒しものとした公然猥褻物陳列の事件により、
支払うことのできなかった憲法第一七五条の罰金のために、是非とも、現金が必要であったことからだった。
とここから、『岩手伊作の物語』へ展開していくことになるのは、
床へ正座した姿態にあった双子の美人姉妹も、
生まれたままの全裸を後ろ手に縛られ、胸縄を掛けられ、首縄と腰縄を施された縄の拘束感から、
みずからへ閉じこもるように寡黙となり、みずからと面と向き合うように思い詰めた表情となり、
無防備であることをあからさまとさせる全裸と緊縛の結び付きから生み出される羞恥に上気させられて、
火をつけられた女の官能は、燃え立たせられ、煽り立てられ、昇り詰めることを求めるようになっていくのであった、
そうした高ぶらされた思いがあらわされるように、置かれている身の上がもどかしいとでも言うように、
たまらくやるせないとでも言うように、切なく悩ましく身悶えを示し始めているのであった。
岩手伊作がほんの一歩、身体を前へ移動させれば、
剥き晒して反り上がっている陰茎の紅潮した先は、双子の姉妹の可愛らしい鼻先にあるのだった。
だが、ふたりの女性のあらわす官能の慎ましさは、貪欲にそれを望ませるものではなかったことは、
生まれたままの全裸を縄で縛り上げられた思いは、ふたりの女性に、認識の変革を生み出させていたからだった。
緊縛の裸身を床へ仰臥させられたままの小夜子においても、
いまだに官能の浮遊を続けている状態にあるのだった。
岩手伊作は、みずからの物語へ没頭できる、しばしの時間を得たということであった――

人間は、生きてそこにあるということにおいては、そこにあるための過去というものがある。
それは、本人が望もうと望むまいと、そのようにしてあるということにおいて、出自の狂おしい問題ともなる。
岩手伊作が『奥州安達ケ原ひとつ家の図』に描かれている<岩手>という名の鬼婆が生んだ男子であり、
鬼婆は、権田孫兵衛老人と双子の姉弟の関係にあって、しかも、姉弟の禁断の交接からできた子供であった。
筋骨たくましく浅黒く精悍な若々しい風采の美形である岩手伊作とは、余りにも似ても似つかない両親であれば、
そんなこと、でたらめで、絶対に嘘だあ、と最近は、女性からファン・メールをもらうようにさえなっている、
彼の人気を中傷することだ、とされそうな出自の暴露である。
嘘に決まっているのは、その両親の子供であるとすれば、年齢は三十歳くらい、ということはあり得ない。
『奥州安達ケ原ひとつ家の図』は一八八五年の作品であるから、単純計算でも、伊作の歳は、百二十一になる。
百二十一歳という長寿まで生き長らえる方も実際においでになるから、生きてあることは不可能なことではないが、
そもそも、絵画に描かれた人物が、たとえ禁断の近親相姦であろうと、交接して孕むということが無茶苦茶である。
子供を孕んで臨月の妊婦姿となった鬼婆を想像することは、かなりの努力を要求されることであったとしても、
子供を孕んで妊婦姿となった女であれば、むしろ、残虐な鬼婆の餌食となることが鬼婆の所以であるのだから、
鬼婆が妊婦であるみずからを湯文字ひとつの半裸の逆さ吊りにして腹を切り裂くという筋道となることだが、
そのようなことの方が明らかに人間業として成立しそうにないという絶対矛盾がある。
そもそも、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』は、<奥州安達ケ原の鬼婆伝説>に由来している作品であるから、
伝説は事実とは異なることがある、と言われれば、根も葉もない幻想ということで、一件落着されることでしかない。
何が? 鬼婆が近親相姦で妊娠した事実が? 鬼婆がみずからの妊婦姿を切り裂くということが?
いや、いま問題としているのは、岩手伊作が鬼婆の息子であるという問題で、
鬼婆の妊娠が根も葉もない幻想ということであるならば、想像妊娠と呼ばれるようなことになってしまい、
岩手伊作は生まれなかったことになってしまう、現在ある岩手伊作は、亡霊ですらないということになる。
それでは、岩手伊作の女性ファンは、一体誰にメールを送っていることになるのかわからなくなる。
いい加減な話である、とされたことだとしても、
伊作の恋人であり、心の妻であり、すべての生まれるものの母であり、
<表象の女>である小夜子は、一之瀬と坂田と結城が結ばれた由利子の娘であるとされ、
結城由利子を名乗っているようなこともあるのであるから、
いい加減だ、と言ってしまえば、すべてがいい加減である。
所詮は、ただの物語に過ぎないことである、としてしまえば、
そこにあるための過去は、個人は言うに及ばず、民族ばかりでなく、人類の歴史さえも、
どのくらいの事実であるのか、どのくらいの伝説であるのかによって、ただの物語と変わらないものになってしまう。
そうなってくると、<民族の予定調和>という事柄も、ただの伝説であるという、いい加減なものであって、
いい加減の引き金は、あたりかまわず無作為乱射となって、人間のありようのいい加減さへ及んでは、
詰まるところは、おためごかしのない人間は人間とは呼ぶことはできない、
ヒューマニズムの意味は、おためごかしの人間という正義である、ということまで言い出されて、
挙句の果ては、人間存在の殺伐とした荒唐無稽を否応でも感ずるということへ繋がることになる。
断崖に立つ恐怖、森に迷う不安、高山に登る虚脱、大海に漂う果てしなさが渾然一体となって表現された、
文学と音楽と美術と劇場という建築の総合芸術である荒唐無稽である。
このありようが生じてしまうのは、言語による概念的思考に<ほころび>が生じることにある。
言語による概念的思考は、完璧な活動として作用しているものではないから、当然として、ほころぶのである。
概念が整合性的に成立しない事柄をそのままにはして置けないことで、
嘘だ、でたらめだ、いい加減だ、と概念化することで無理やり解決を求めようとするとき、
そもそもは、言語概念と言語概念の結び付きから思考されていることであるから、その関係がほころぶのである。
双方の言語概念が結び合わされる繊維の質に問題のあることであるが、
女体を縛り上げるときも、綿よりは麻の方が強靭であるというように、その繊維質をさらに考察すべき問題である。
ストレスというのは、言語による概念的思考がほころんだ状態のことであるが、
この恐怖、不安、虚脱、果てしなさを一時には違いないが救うことの可能は、
世界を円満具足とした絶頂の快感で感受させる性的官能のオーガズムにあるから、
概念的思考がほころんで、至らぬ思考に翻弄されていることがある場合は、
すぐさま、異性に事情を説明して結ばれるか、或いは、自慰でやり過ごす方が無難であると言えることである。
その状態を放置しておくと、ストレスでむしゃくしゃしていたから、強姦を行ったり、殺人を犯したりすることは、
大して異常な行為として思えなくなるのは、殺戮欲が食欲と同じくらい当然の欲求として感じられるからである。
腹が減ったから食いたいと求めるように、手近に、弱小な子供でもいたら、犯したり、殺したりさせるのである。
概念的思考は、答えを求めなければ収まらない、という整合性の活動を持っていることに所以することである。
言語による概念的思考における整合性の問題は、これからの学問には違いないが、
その重要性が理解されるまで、その認識で結ばれた岩手伊作と小夜子は、一生懸命頑張ります、
岩手伊作と小夜子の仲睦まじい緊縛生活と伝導活動は、
人類のお役に立つために捧げられる供物のようなものであるのですから……
ということは、ともかくとして、
『岩手伊作の物語』は、もっと、根本的な点から進めた方がわかりやすいことなのかもしれない。

『事実として語られた岩手伊作の物語』


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偉大な傑作絵画が人類の謎を解き明かすということは、偉大なダ・ヴィンチの絵画にあることばかりではない。
各々の民族は、そのような絵画を必ず所有しているものであり、
わが日本民族の偉大な芸術家、月岡芳年の傑作絵画『奥州安達ケ原ひとつ家の図』にもあることである。
「謎をわざと残して置いた方が作品の深みを感じさせるという文学小説的慣習」などという安手な発想は、
言語による概念的思考における謎と答えという整合性の意味合いを大して理解していない作者が言うことで、
作品にある謎は、文芸評論家の分析の弛まぬ努力など要らぬお節介であると言わんばかりに、
その作者によって、どんどん解き明かされてしまった方が良いことは、
文芸評論家においても、それでも残った謎から考察すべき文学の真髄へ専念できることであれば、
余計な手間暇の掛らない省力化とパルプの節約という資源保護へ貢献することにも繋がることである。
『因習の絵画表現』という表題について解き明かせば、
「優れた因習の絵画表現というものがあり、それらは、見たくない、知りたくない、考えたくない、
と感じさせるかぎりにおいて、観念の根拠として、因習が消し去ることのできないものであることを教えてくれる」
という正式の表題にあるように、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』という絵画を指している。
その絵画は、<奥州安達ケ原の鬼婆伝説>に由来しているが、伝説は、このようなものである。
「昔、京都の公卿屋敷に<岩手>という名の乳母がいて、手塩にかけて、姫を育てていた。
あるとき、姫が重い病気にかかったので、易者に尋ねてみると、
妊婦の腹にある胎児の生き肝を呑ませれば治る、という答えが返された。
そこで、<岩手>は、胎児の生き肝を求めて、旅へ出ることにした。
しかし、妊婦の腹にある胎児の生き肝など、容易に手に入るはずのものではなく、
いつしか、奥州の安達ケ原にある岩屋までたどり着いていた。
木枯らしの吹きすさぶ、ある晩秋の夕暮れどきであった。
<岩手>が住まいとしていた岩屋に、生駒之助と恋絹という名の旅すがらの若夫婦が宿を求めてやって来た。
その夜更け、身重であった恋絹は産気づいて、生駒之助は、産婆を探すために岩屋の外へ走った。
<岩手>は、この時とばかりに、研ぎ澄ました出刃包丁を振るって、
陣痛に苦しむ恋絹の膨らんだ腹を切り裂いて、胎児の生き肝を取ることを果たしたが、
恋絹は、息絶え絶えの口で、
幼い折に、京都で別れた母を探して旅してきたが、とうとう会えなかった、と言って息を引き取った。
<岩手>がふと見ると、恋絹はお守り袋を携えていた、それは、見覚えのあるお守り袋だった。
恋絹は、別れた<岩手>の実の娘であったのである。
まことに気がついた<岩手>は、余りの驚愕に気が狂ってしまい、鬼婆と化したのだった。
それ以来、宿を求めてやって来た旅人を出刃包丁を振るって殺害しては、その生き血を吸い、
いつとはなしに、<奥州安達ケ原の鬼婆>として、知れ渡っていくことになったのである。
数年後、宿を求めた東光坊という僧があらわれて、鬼婆と対決し、如意輪観音を示して祈願した。
観音像は、空中高く舞い上がり、まばゆいばかりの光明を放ちながら、白木の真弓で討ち取って成仏させた。
<黒塚>と呼ばれる、鬼婆の遺骸の埋められた場所が阿武隈川近くに、現在も残っている」
つまり、実在した鬼婆は死んだということになっているが、
月岡芳年の絵画は、鬼婆を見事に甦らせた、という傑作絵画としての所以を示しているのである。
鬼婆は死後復活したのである、月岡芳年の絵画が存在し続ける限り、生きてある存在ということである。
その絵画は、鬼婆の残虐で凄惨な宿命の所業を見たくない、知りたくない、考えたくない、
と感じさせることにおいて、われわれの観念にある因習の存在を想起させ続ける表現としてあるからである。
因習とは、われわれの生存を成り立たせる、食欲、知欲、性欲、殺戮欲で営まれる生活、
それらが満たされるために作り出され、それだけで生きることを可能とさせる、継承されるしきたりのことである。
月岡芳年の絵画には、人類の存在にとって不可欠であり、不滅である、
その因習が見事に表現されているということである。
絵画へまなざしをじっと向ければ、浮かび上がってくることである……
赤い湯文字ひとつの半裸の女が白い柔肌をさらけ出せている。
噛まされた手拭いの猿轡からは、その顔立ちをはっきりと見ることはできないが、
長々と垂らされた艶やかな黒髪や豊かな乳房のつんと立った愛らしい乳首は、瑞々しい若さを漂わせている。
それにも増して、大きく突き出された孕み腹の白さは、初々しさの輝きをあらわしている。
その女に縄が掛けられているのである、後ろ手に縛られ、畜生扱いされるような首縄を施され、
ほっそりとした両腕にも巻き付けられているばかりでなく、孕み腹が飛び出すように下腹さえも締め上げられている、
そして、合わされた両膝を固定され、華奢な足首をまとめられて、天井から逆さ吊りとされているのであった。
若い女の晒されている姿態が漂わせるものは、人間にある性欲の如実以外にないものである。
対照的に、同じように着物をはだけて半裸姿をさらけ出させた鬼婆は、
骨と皮という老いさらばえた姿を黒ずんだ肌であらわとさせ、
しぼんだ乳首の皮だけという醜さのふたつの乳房をだらしなく垂れ下がらせ,
 禿げ上がった真っ白な頭髪、歯のないくぼんだ口もと、どぎつい目つきと鋭い鷲鼻があいまって、
 老いた険しい形相を剥き出しとしている姿は、死を間近にしていながらの強靭な生の執念が漂っている。
何に対してのみずからが生き延びようとする執念であるかと言えば、
男のように立て膝をして、皺だらけの手で持った出刃包丁を砥石で研いでいる姿があらわしている。
鬼婆が如実とさせている人間にある殺戮欲は、みずからを生存させ、他者を殺害するというものであることを。
その研ぎ澄まされた出刃包丁の存在が結ばれる先にあるものは、若い妊婦の突き出された孕み腹であり、
膨らんだ腹が切り開かれて胎児の生き胆が取り出されるのは、食されるための人間の食欲の如実である。
絵画にある表現を見つめながら、それらを結び付けて、因習という全体として把握させることは、
人間にある知欲の如実が示されてあるということである。
因習としてある人間、永遠の人間の姿、人類の不滅のありようが表現されているということである。
西洋製品である精神病理学というブランドのサングラスを掛けて眺めたのでは、
サディズム・マゾヒズムしか見ることのできない絵画なのである。
ひとつの民族のあらわした芸術表現は、民族みずからの眼で見ることをしなければ、実体を見ることはできない。
他の民族から、民族の芸術を賞賛されることは、名誉なことには違いない、
しかし、名誉なことではあっても、その評価と批評が実体を言いあらわすことは、きわめて稀である。
ひとつの民族が民族の叡智として他の民族の表現した芸術を用いるということは、
真似事や茶番であるならともかく、追従隷属したありようにあって、成し得ることではないからである。
民族みずからの眼で見えることを思考し、民族みずからの表現で示さなければ、可能とはならないからである。
死後復活した鬼婆は、わが日本民族の想像力に生きているものとしてあるのである。
従って、蘇った鬼婆が伝説にある鬼婆と同様なものとしてあるわけではないことは、
死後復活した者も民族を救済する神となるたとえもあるように、
鬼婆は、女と絡み、女の本性をあばくために、女を永遠に責め続けなければならない業に生きるのである。
そして、生きているから、交接もし、受胎もし、出産も可能であったということである、
このことも、交接なしの無原罪の受胎を果たされた女性のたとえもあることであるから、突拍子なことではない、
或いは、桃太郎は桃から生まれ、かぐや姫は竹から生まれたということが公に認知されたことであるならば、
岩手伊作が鬼婆から生まれた子供であるということも、公に認知されれば、不思議でも何でもないことである。
そのことよりも、問題は、鬼婆と双子の弟である権田孫兵衛老人は、いつ結ばれ合ったのかということである。
人間業としては、一般的には、男女の交接なしの受胎というのは、体外受精しかあり得ないことであるが、
産婦人科の歴史によれば、一九七八年、イギリスで世界初の赤ちゃんが誕生、
日本国内では、一九八三年、東北大学医学部付属病院産婦人科においての誕生が最初とされる。
つまり、日本最初の年よりも以後のことであれば、可能であるということであるが、
岩手伊作が二〇〇五年に三十歳くらいであったのであるから、数字の一致を求めるには少々の無理がある。
逆に考えれば、岩手伊作は、一九七五年頃に誕生しているわけであるから、
その一年以前に、鬼婆と権田孫兵衛老人は結ばれ合った、ということが自然と言える。
単純計算で、九十歳になる男女が、この場合、老人の方は、すでに縄による緊縛を習得していたのであるから、
老婆を生まれたままの全裸にし、思い入れのある縄掛けを施し、交接を果たしたと考えるのが妥当であろう。
老いさらばえた男女であっても、思いを寄せ合うふたりであれば果たし得る、ということかもしれないが、
どうして、老いさらばえたふたりが結ばれなければならなかったのか、という謎は残る。
鬼婆と権田孫兵衛老人は、互いを敵視する、相反する姉と弟であったのである。
深い愛があればこそ、という愛の万有引力を持ち出してもよいが、娯楽としての映画や小説ではないのだから、
わざとらしくも陳腐で常套的な解決でしかなく、かつ、矛盾しているということは避けられない。
弟が姉を縛り上げて無理やり犯した、とすることが最も自然な成り行きであると考えられるが、
人間は、生きてそこにあるということにおいては、そこにあるための過去というものがあり、
それは、本人が望もうと望むまいと、そのようにしてあるということにおいて、出自の狂おしい問題があることでは、
岩手伊作は、権田孫兵衛老人が鬼婆を強姦した近親相姦から生まれた子供ということになる。
では、何故、権田孫兵衛老人は、実の姉を犯すまでに及んだのであるか。
ストレスでむしゃくしゃしていたから、というよくある理由であれば、
自慰行為でやり過ごすこともできたことであろうが、
権田孫兵衛老人の放出する精子が鬼婆の受けとめる卵子と結ばれる必要があったからである。
権田孫兵衛老人は、姉の女性に対する残虐で凄惨な宿命の所業を救済するのは、
<民族の調和>という人類が向かうべき輝ける存在へ献身的な闘いを行う英雄の誕生以外にない、
と望んだのである、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ワルキューレ』にもたとえがあるが、
人類を救済する英雄は、まことの兄妹が結ばれ合って生まれた子供が果たし得るのことなのである。
このことが、あながち、無理な解釈とならないのは、
ワーグナーのジークフリートという英雄は、人類を救済する前に、姦計にあって殺害されてしまい、
人類を救済するのは、彼の心の妻であり叔母でもあるブリュンヒルデというワルキューレであることだ。
拷問道具の<漆黒の木馬>へ跨がされた小夜子が官能の法悦の絶頂にあって、
<その姿は、天空に黒馬を駆ける美しき戦う乙女の姿の重なり合う、栄光の気高さが光り輝いている>
というありさまと見事に符合するものであれば、英雄・岩手伊作の誕生の所以は、理解できるものがあるのだ。
そのように見ると、英雄・岩手伊作がこの世にあらわれてから行った怪しげな所業についても、
すべてが英雄として成長を遂げるための所以であれば、納得のいくことであるのかもしれない。
生まれたばかりの岩手伊作は、権田孫兵衛老人が山へ芝刈りに行っている間に、
子供は胎児のうちに生き胆を食らうものであるとしか思っていない鬼婆が、
眼の前にある胡散臭い赤子へ業を煮やして、洗濯の片手間に、阿武隈川へ無断投棄してしまった。
これを<英雄・岩手伊作の阿武隈川への旅立ち>として、
三管編成の壮麗な管弦楽で表現した楽曲が存在しないのは、誠に残念なことであるが、
だいたい物理的にそうなることであろうが、赤子は、阿武隈川の上流から下流の方へ流れされていった。
下流の川辺を仲睦まじく散策していた若夫婦によって発見され、警察へ届けられることも考えられた。
しかし、偶然にも、岩手生駒之助と恋絹と言う名の若夫婦は、恋絹が最初の子供を帝王切開で亡くしていて、
子供の産めない身体となっていた、赤子は、抱き締めたくなるほど、輝くばかりに愛らしいものであったのだ。
生駒之助と恋絹は、伊作という名前を付けて、喜んで我が子としたのであった。
夫婦は、常識のある思いやり深い人たちであった、
ふたりは、互いを思いやる熱烈さと同様に、新しくできた息子にも、充分な愛情を注ぐのであった。
生駒之助と恋絹には、結婚した初夜以来のふたりだけの性愛行為があって、それは、
生まれたままの全裸の姿になった妻を夫が思いのままに縄で緊縛をして、官能を高め合うということだった。
ふたりの思いは、縄でしっかりと結ばれていたから、その夫婦の営みを<環に結ばれた縄>と呼んでいた。
だが、生駒之助が突然の事故で亡くなったのだ、
取り残された二十三歳の母親は、我が子を掻き抱いて哀しみに暮れるばかりであった。
それから、二歳になったばかりの幼子を亡き夫の生まれ変わりと思い、立派に育て上げようと苦労へ身を捧げた。
息子もその母親を慕い、高校生にまで成長したときだった。
『環に結ばれた縄』という夫婦の縄による緊縛の性愛を赤裸々に綴った父親の手記をこっそりと発見した息子は、
母に対する思いの丈をあらわすように、母が喜びと安らぎと幸せを得られるようにと、
みずからが父親となり、夫に成り変り、母親へ、妻へ、女へ、縄の緊縛による性愛を求めたのであった。
恋絹は、余りのことに驚愕し狼狽したが、その息子は、もとはと言えば、阿武隈川で拾った他人の子供だった。
考えることは未成熟であったにせよ、顔立ちは美しく、充分に大人である体格と立派な陰茎を備えているのだった。
世間の眼から見れば母と子に違いなかったが、自分へ強い思いを寄せてくれている夫の生まれ変わりとして、
夫婦の寝室で、ふたりが相対せば、男と女でしかなかったのである。
この成り行きについては、岩手伊作がみずから書きあらわした作品
『☆はりつけにされたヴィーナス』にあるが、
母と子の縄による緊縛の性愛は、その行き着くところまで行かねばならないものであった。
美術大学へ進学していた息子は、みずからの飽くなき芸術表現のために、
恥毛を剃り上げた生まれたままの全裸の姿にある母親を十字架へはりつける、という作品を製作したのだった。
何と言う破廉恥な暴挙であるか、と世間のひとは思うかもしれないが、
性的官能が性愛の行為で表現されていくと、それが表現であるという属性であることから、
他者によって確認されることにおいて、その存在理由の明確さをみずから納得したいという整合性へ向かわせる、
社会的、宗教的、政治的、軍事的に、破廉恥であるという許されない行為には違いないことであるが、
公然全裸露出、それを芸術と言う一語を持ってして行われてきたことは、いまに始まったことではない、
簡単に言えば、芸術表現は、その真価を求めようとするほど、激しく露出的になるということである。
これは、芸術の真価とされる美の認識が性的官能を動力としていることによる。
人間の性的官能が日常茶飯事・四六時中働いているものであることによるのである。
人間は、すべて、生を受けて死に至るまで、みずからの表現を行い続ける動物である、という所以によるのである。
従って、性的官能の日常性を認めることのできないありようが文化の一般である場合、
新しい芸術の誕生が艱難辛苦を乗り越えなければ成し遂げられないのは、いつの世も変わらないことになる。
恋絹にあっても、生駒之助が生きていれば、同じように到達した官能の法悦の頂上と思えたことだった。
美しい全裸の晒しものとなった美術品の母親へは、毀誉褒貶、揶揄皮肉、罵詈雑言が浴びせかけられたが、
製作者の岩手伊作には、公然猥褻物陳列の罪が問われることになった。
鑑賞者のなかにあって、ひとりの富裕な紳士が恋絹を求めて、是非とも結婚してもらいたい、と言ってあらわれた。
その紳士は、生駒之助の古い友人で、恋絹へひそかな思いを抱き続けていた男だった。
当時は、貧乏であった彼も、いまは、インターネット事業で成功した、飛ぶ鳥を落とす勢いの実業家だった。
求婚された母親は、そこで初めて、息子へ互いの真実の関係を明らかとするのであった。
岩手伊作は、このように世間の注目を浴びるほど、立派に育て上げて頂いたあなたには、感謝に余りあります、
あなたさえ幸福になれることなら、あなたの道を歩いてください、と言って、祝福して母を送り出すのであった。
そして、岩手伊作には、憲法第一七五条の罰金か、或いは、懲役が待っていた。
恋絹の新しい夫が資金援助をしようと申し出たことではあったが、
岩手伊作には、独立した生き方をしなければならない理由があったのである。
それは、彼が、人類が向かうべき輝ける存在へ献身的な闘いを行う英雄であったからだった。
美術表現と同様に文才のあった彼には、
八王子にある<上昇と下降の館>という見世物小屋の初代館長から依頼されて書いた、
『☆環に結ばれた縄』というパンフレットというものがあった。
その内容は、<1、女体緊縛の必然性><2.緊縛の手段><3.緊縛の効果><4.何が見えるか>、
という四章の構成により、<4.何が見えるか>に示された『平成墨東奇談』という物語からは、
同じく、彼の台本による『ひとつ家の惨劇』という舞台が演じられる構成であった。
岩手伊作は、このパンフレットをみずからの母親との緊縛体験と父親の手記、
そして、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』という絵画を見たときの強烈な感動を基にして書き上げたのであった。
だが、初代館長は、人柄の良い人物ではあったが経営の才覚に恵まれず、
ついには、館を手放さなければならなくなって、<あの方・ご主人様>と呼ばれる人物が持ち主となった。
<あの方・ご主人様>から、いの一番に雇われたという老婆がすべての対人の交渉にあたっていたが、
岩手伊作は、その老婆が『ひとつ家の惨劇』で主役を張っていた女優と同一人物であることに不審を持った。
そもそも、『奥州安達ケ原ひとつ家の図』の絵画から実際に飛び出してきたかのように、
相手とする若手女優に対する情け容赦のない加虐の演技に異様な迫力のある老婆であるとは感じていたが、
『環に結ばれた縄』のパンフレットの在庫を廃棄処分とすることを承知するならば、
<あの方・ご主人様>は、過分な給与の待遇で雇用する、という条件を持ち出してきたことは、不可解であった。
どうして、そのパンフレットにこだわりを持つ必要があるのか、深い疑問を覚えた岩手伊作には、
老婆を見つめれば見つめるだけ、何故か、一方で無性に惹かれるものが感じられるのであった。
まるで公然とした見せしめのように、みずからの眼の前で、
育ての父や母の思い出の含まれた作品を古紙回収業者の手によって無残にも廃棄される、
という苦渋を舐めさせられることを承諾したのも、それによって罰金を支払うことが可能となり、
新しい持ち主のもとにある<上昇と下降の館>へ入り込むことができる、ということがあったからだった。
岩手伊作は、老婆に対して、不可解や不可思議を感じていることを解き明かそうと決意したのだった。
それから行わされた岩手伊作の仕事のありようは、
☆『小夜子の物語』に示されてある通りであるが、
心の妻となる小夜子との出会いと成り行きは、ともかくとして、
屋上と地下を備えた三階建ての広さのある<上昇と下降の館>のなかで、
老婆との交渉はたった一度きりのことであって、その後は、後ろ姿さえ見かけたことはなかったのだった。
<あの方・ご主人様>の厳粛な命令により、すべてが執り行われているということになっていたが、
<あの方・ご主人様>の姿については、一度も見かけたことはなく、声さえも聞いたことはなかった。
岩手伊作は、仕事の合間を見つけては、館内を隈なく探索するようなことをしていた。
そうした折、地下へ降りて行ったとき、権田孫兵衛という人物とめぐり合った。
その風貌は見間違えるほどに酷似していたので、最初はあの老婆だと思った。
だが、口の効き方はぞんざいであったが、相手が男性であるともわかり、
のっけから語り出した<民族の予定調和>という事柄には、強く共感のできるものがあるのだった。
権田孫兵衛老人も、生活のために<あの方・ご主人様>に雇用され、給与をもらっている身の上だった。
だが、権田老人も、<あの方・ご主人様>に会ったことは一度もなかった。
さらに、老婆のことを尋ねると、険しい老いの凍りついた表情を思案気にさせながら、
神出鬼没のまったく手の施しようのない姉なのだ、しかも、<あの方・ご主人様>まで味方にしている、
彼女をその生きざまから救済できるのは、<民族の予定調和>へ献身することのできる英雄だけなのだ、
その英雄をこの世へ送り出すために、禁断の行為をあえて犯したわしであったが、
最近は、場所を問わずにやっていることだが、その子も、母親に川へ不法投棄され、死体遺棄とされてしまった。
生きていれば、ちょうど、おまえさんと同じくらいの年齢になるのだろうが、と語るのであった。
岩手伊作には、みずからへ重ね合わせられる話に同情を感じたものの、
まさか、みずからの父親であると思える年齢の相手ではなかったので、せめてもの好意のあらわれと、
権田孫兵衛老人の弟子として、<民族の予定調和>の思想記述者となることを申し出るのであった。
それには、権田孫兵衛老人も、我が息子を得たように喜んで、岩手伊作を指導していくことを承知するのだった。
こうして、<上昇と下降の館>に<権田孫兵衛老人のアンダーグラウンド>が誕生したのであるが、
被雇用人がひとつの会社のなかで勝手な事業を始めることを雇用人が許すことはあり得なかった。
<あの方・ご主人様>の命令は、超絶とした厳粛な絶対であり、
それに対して、異を唱える者、異を行う者は、ただちに解雇とされること以外にあり得ないことだった。
ここで、支配者と被支配者における、階級闘争の始まりがあるのであるが、
この場合、<あの方・ご主人様>と呼ばれる支配者の存在は、その命令が厳粛の絶対とされているほど、
その存在自体は確証のないことへ思い至った岩手伊作は、権田孫兵衛老人と協力して、
☆<民族の予定調和>認識の五段階』を書き上げて、
その<
☆展>において、<あの方・ご主人様>と呼ばれる支配者の存在を明確なものとさせたのであった。
これによって、一方的に解雇され、<上昇と下降の館>から退去させられるという事態にはまだ至っていないが、
双方の関係は、依然として、緊張の持続としてあることに変わりはなかった。
これが、事実として語ることのできる、ここまでの岩手伊作の物語であった。

――岩手伊作は、双子の美人姉妹が緊縛された裸身を悩ましく悶えさせている姿を見つめ続けながら、、
<女体緊縛の必然性>、それは、あることに違いない、
だが、縄と女体との結び付きを言うならば、それは、まったく、始まりに過ぎないことだ、
縄による全裸の緊縛が加虐や被虐、虐待や陵辱を結ばせることで終わるしかないという<起承転結>は、
五音の音階を成立させる<展>のありようなくして、
四音の連結から作り出される音階ではヨーロッパ音楽の整合性の土台であり、
わが民族の響かせる官能からあらわされる楽曲とはなり得ない、求められる<展>があってこそ、
官能の想像力は、歌われる言語の飛翔を可能とさせることである、と感じさせられることだった。
ヨーロッパ音楽の伝統から学んで発想を受けた、わが日本民族のクラシック音楽と呼ばれている表現は、
五音の音階を成立させる<展>のありようなくしては、模倣と追従に留まるものでしかあり得ないことだった。
人間の生涯は、ことさらに深い認識などなくても、因習において、誰でも容易にやり遂げられるものである。
模倣や追従や隷属にあったところの思考であっても、快適さを求めた一生を送り続けることが可能であれば、
それは、その者にある生涯の表現であった、ということである。
人間には、それぞれに固有の表現が行われる生涯があり、それをひとつにする思想が必要とされるのは、
人間が群棲をして生活をする上で、同じ目的の事柄を成し遂げようとする行動が求められるときにある。
国家や社会の目的として掲げられる大義名分、極楽浄土を目的とした信仰と行い、
それらは、罪と罰、善と悪、という法律や規律で、餌を食し合う放牧場へ鉄条網の囲いを作っているものである。
個人にある固有の表現も、その囲いを逸脱すれば、社会的処罰や宗教的処罰が与えられることになる。
人間にある想像力がその可能を求めて、天空へ飛翔することが必要なことであるかどうかは、
それを求める者の表現に対する欲求でしかない、四音でも、五音でも、そのときは大差のないことである。
全裸を縄で縛り上げられた思いが官能の慎ましさをあらわすくらいに艶麗に裸身から表現されていたことも、
美恵と恵美に、そのような認識の変革を生み出させていたことも、
人間にある想像力がその可能を求めて飛翔することが必要であるかどうかに過ぎない。
認識は、到達している段階にあっては、過ぎた段階へ戻るということはできない。
ただ、それを知らずにいた、ということがあるだけである。
今日という日のそのときまで、美恵も恵美も、他人を縛り上げることでは巧みな者であったに違いなかった。
それが岩手伊作によって掛けられた縄によって、これほどまでに異なる思いを感じさせることに、
驚き、戸惑い、目覚めさせられ、火をつけられ、燃え立たせられ、煽り立てられ、
みずからにある想像力の所在と面と向かわされることへ至るとは、思ってもみなかった、知らずにいたのである。
同じく施される縄による生まれたままの全裸への緊縛であっても、新たな認識へ導かれることであったのだ。
「人間には、性的官能によって導かれる道、
<縛って繋ぐ力による色の道>というものがあるのです、
あなた方の想像力は、あなたみずからの想像力において、その道の歩みを展開させるのです。
人間の想像力の展開は、すべて同じではない、ということにおいて、
あなた自身の想像力が発揮されることなのです」
<民族の予定調和>の広報担当者のその言葉は、美恵と恵美をしっかりと首肯させるものがあるのだった。
美恵は、柔肌を縛り上げられた縄の感触が煽り立てる官能へ集中するように、両眼を閉じていた。
恵美もまた、突き上げられる官能の快感に誘われるように、おのずとまぶたを閉じていた。
ふたりの思いは、離れたお互いのなかにありながらも、交錯するようなものとしてあったことは、
床へ緊縛の裸身を仰臥させて、目をつむりながら官能の浮遊を続けていた小夜子とも交感していたことだった。
それは、<女体緊縛の必然性>の末尾に書かれた事柄があらわされようとしていることだった。
「たとえ、緊縛された全裸の姿で、股間を剃毛されようが、放尿させられようが、脱糞させられようが、
 どのような羞恥の姿をさらけだすことがあっても、女性とは美しいものであろうとする自意識がそれを超越させ、
 さらに、なぶられ続けてさえも、受苦の存在を生き続け、やがて、新しい生を産み出す歓喜に至ろうとするのである。
 それが発動したエロスが官能を昇りつめるために行なわれることであると言うならば、
 出産の偉大な受苦を引き受ける自負は、最大の肉体的苦痛さえ、歓喜を前提としてはいとわないということになる。
 出産――この場合は、子を生むことではないのだから、何かが新しく生まれると言うことである。
 それは、神に近き存在者の自意識が生まれるのである。
 古来より、人間を超越するものとの交信を司ったシャーマンの自意識である。
 全裸を縄で緊縛された女体は、その女性の自意識において、
人間存在の意義を告げる媒介者へと至るのである」


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