青い色艶を帯びた淫乱卵 |
鶏の卵というものが日常生活にあって卑近であるほど、 それが用いられる用途というものが卑近なありようであるとは限らない。 同じように、磁器製品であれば、日常生活にあって卑近なものであるだろうから、 鶏卵と磁器製品が結び付けられれば、朝食の卓へ出される小鉢に入った生卵を想像させることかもしれない。 生卵も、女性同士の性愛の行為では、言葉の代わりの口移しのやり取りに用いられることであるから、 卵というものは、生命そのものであるからこそ、心のこもったあらわれを伝えることになるのだろう。 この場合の鶏卵と磁器製品の結び付きも、新たな生命の誕生さえも示唆させるありようがあって、 青い色艶を帯びた妖美はそれを浮かび上がらせている、ということなのかもしれない。 では、それは、どのようなものなのか―― 「さて、奥様、これが何かおわかりになるかしら? 先ほど、奥様がお休みになられるときに、 調教師様から申し付かった<お決まり>が行われると聞かされましたでしょう。 これが、その<お決まり>の道具なのですよ」 そのように言って、年上のやくざ女が手のひらに示したものは、 青い色艶を帯びた鶏卵の形をした大小ふたつの磁器製の物体だった。 「これは、通称、淫乱卵と呼ばれているもので、 大きい方を膣の方へ、小さい方をお尻の穴の方へ入れて、使われるものなのです。 入れられて体温で温まってくると、青い卵が淫乱にうごめき始めて、激しく官能を高ぶらさせることをするのです。 奥様には、淫らな奴隷女であることの自覚を片時も忘れないでいて欲しいのです。 奥様の膣とお尻の穴の吸引と収縮が鍛えられるために、 お休みのときには毎回、挿入されていなければならないもの、ということです」 雅子夫人は、思わず、まなざしを青い色艶のある物体の方へ投げ掛けていたが、 やはり、言葉は何もなく、それは、ただ、置かれている境遇をじっと耐えているという様子があるばかりだった。 年下のやくざ女が柱へ繋いでいた縄を解いて、夫人を縛り上げている縄尻を取ると、 「さあ、奥様! そのしなやかで綺麗な両脚を開いて下さいな!」 と強い語調で言うのだった。 雅子夫人は、華奢な両肩をぶるっと震わせるようにしたが、言われるがままの格好になっていくのだった。 「そうじゃない! もっと、脚を大きく開いて、前屈みの姿勢になるのよ!」 そのときには、夫人の背後へまわっていた年上の女の方も、強い語気で畳み掛けているのだった。 淫乱な奴隷女は、言い付けられるままに、おずおずと緊縛された裸身をその格好とさせていくだけだった。 年下の方が相手の優美な腰付きのくびれへ麻縄を二重に巻き付けて、背中の方で縄留めを行っていくと、 股間の箇所がさらけ出されている夫人の優美な尻を前にした、年上の方の指先によって、 大きい方の卵が妖美な花びらへ押し当てられ、一気に押し込まれていくのだった。 さらに、小さい方の卵が可憐なすぼまりを見せる菊門へ、繰り込まされるように押し入れられていくと、 腰を縛った縄の残りがそれらへ蓋をするような具合に、尻の亀裂から前部の肉の合わせめまで掛けられていった。 年下のやくざ女は、夫人の前へまわると、股間へ掛けさせた麻縄をくいっ、くいっと引っ張り上げながら、 漆黒の色艶が艶めかしい靄となって覆い隠している、ふっくらとした女の小丘が盛り上がるほど、 激しく縄を割れめへと埋没させて、可愛いらしい形をした臍のあたりの腰縄へ繋ぎ留めていくのであった。 夫人は、そのようにされても、うめき声ひとつもらすことはなかった。 ふたりのやくざ女から、緊縛の裸身をしゃんと立たせられ、股間の縄の出来具合を確かめられるように触られても、 羞恥の底へ落されて上がれないというように、美しい顔立ちを真っ赤とさせて俯かせているだけであった。 「これで、宜しいですわ。 では、牢に入って、ゆっくりとお休みなさいませ」 年下のやくざ女は、夫人を縛った縄尻を取って、相手のなよやかな肩先を小突くようにして歩かせたが、 年上の女は、すでに、頑丈な白木が格子に組み合わされた牢舎の扉を開いて、待っているのであった。 夫人は、背中を突き飛ばされてなかへ入れられると、重々しい響きと共に、扉を閉められ錠を下ろされた。 「お休みなさい、奥様、よい夢をご覧になられるといいですわね。 明朝は、その緊縛姿で、大勢のやくざ衆が眺めているのを前にして、 女の羞恥の翳りである恥毛をすっかりと剃り上げられることから始められますので、宜しく」 そのように言い終わると、ふたりの女は、笑い声を上げながら、 <民族の予定調和>ですって、まったく馬鹿なことを考えるものねえ、何の役にも立ちやしないじゃないの、 と言い合いながら、部屋を後にしていくのであった。 ひとりぽつねんと牢のなかへ取り残された雅子だった。 部屋のなかは、すでに、たったひとつの高い窓から月明かりが落とされているだけの薄闇にあり、 物音は聞こえていたが、くぐもったその響きは、遥か彼方の地上を思わせるような底深さを感じさせるものだった。 雅子は、牢の出入口とは反対側の壁へ近づいて、そこへ縄で緊縛された全裸を横座りの姿勢とさせて腰掛けさせ、 額を冷たい壁へ押し付けるようにしながら、両眼を閉じて安らぎを得ようとしていた。 激しく動揺させられてきた思いと同様、疲労困憊とさせられていた肉体は、ただ、休息を求めているのであった。 身動きの不自由な身体ではあったが、じっとしていれば、安らぎが得られると思えたのだ。 だが、それも、ほんの束の間の思いであった。 膣と菊門の奥へ含み込まされたものが異物感という鬱陶しさを感じさせていたことは事実であったが、 それが異様な膨張を感じさせるような熱い感触で、おぞましさをさらけ出してきたのだ。 雅子は、思わず、両膝をぴったりと閉じ合わせて、艶めかしい純白の太腿へ力を入れてこらえようとした。 しかし、そうすることは、返って、美しい靄のような漆黒の繊毛へ分け入って、 深々と女の割れめにもぐらされている麻縄をいっそう食い込ませるようにさせることだった。 縄の強い圧迫は、愛らしい敏感な小突起を擦られ、妖美な花びらを押し開かれて果肉へ密着し、 菊門を撫でられていくような感じさえ伝えてくるものがあるのだった。 だが、そうだからと言って、じっとなったままでいるだけでは、膣と肛門の奥へ含ませられた卵は、 どんどんと灼熱としたおぞましさをあらわとさせてくるばかりであった。 雅子は、額に脂汗を滲ませ、美しい眉根を寄せ、両眼をしっかりと閉じて、 綺麗な形の唇を噛み締めるようにしながら、こらえ続けるしかなかったのだった。 やがて、灼熱とした卵が膨張したような感じばかりでなく、まるで、卵のなかに生き物が入っているかのように、 淫靡にうごめいている感触を伝えてくるようになると、官能に火をつけられた疼きが始まるのだった。 股間の甘美な疼きは、閉じ合わせている純白の太腿の付け根から、逆撫でされるような急激さで走ってくるのだった。 「ああっ、ああっ、ああっ」 双方の太腿の内側へ懸命に力を込めて、抑えつけるようとするのであったが、官能の疼きの突き上げは激しく、 思わず、悩ましいうめき声が自分でもびっくりするくらいの大きな声音で上がるのだった。 「ああっ、いやっ、いやっ」 膣と肛門から両輪で駆け上がろうとする官能のうねりは、ふたつの卵をさらにうごめいた感じのものとさせていた。 卵の淫猥なうごめきを止めさせれば、激しく疼いて掻き立てられる官能も、少しは和らぐのではないかと思い、 膣と肛門の内奥へ意識を集中して、吸引と収縮を操作しようと試みているのだった。 だが、そうすることは、官能を和らげさせるどころか、煽り立てるということでしかなかったのだ。 「ああっあ、ああっあ、ああ〜ん」 煽り立てられる官能は、どんどんと昇りつめさせられていくものでしかなかったのだ。 雅子は、もう、その官能のうねりへ身を任せるしかないと思っていた、その方が楽になれることだと思っていた。 麻縄で緊縛された全裸から吹き出す汗は、したたり落ちるほどの灼熱を肉体に感じさせていたが、 膣と肛門から噴出してしまうものを懸命になってこらえる激烈な疼きの快感は、 もはや、一時でも早く、喜びの頂上へと行き着きたいと望ませるものでしかなかったのだった。 しかし、頂上へ押し上げられる、あと僅かという間際で、官能は踏み留まってしまった。 雅子は、膣と肛門へ精一杯の吸引と収縮を与えて、押し上げようとするのだったが、昇りつめられないのだった。 昇りつめられない官能は、重力に牽引されるかのように、そのまま、ずるずるとすべり落ちていくのであったが、 それで終息してしまえば、ひと安心があるはずだった。 だが、含み込まされたふたつの卵は、落ちていく中途から、再び、官能を煽り立てるのだった。 今度は、重力に抵抗して上昇しようとするように、官能が押し上げられていくのだった。 到達することのできない、果てしない上昇と下降が繰り返し続けられることだったのである。 絵画表現に喩えて言えば、M.C.エッシャーの『上昇と下降』にあるような不分明の意識の擾乱があるのだった。 連なった僧たちは、天国の認識へ向かうために階段をぐるぐるとまわり、上昇を終わりのないものとして続けている、 だが、同じ階段は地獄の認識へ向かわせるためにぐるぐるとまわらせ、下降を終わりのないものとさせている、 いや、まったく、その逆のことがそこにはあるのか、不分明という相反と矛盾の並置という擾乱、 人間の性的官能のありようは、 上昇と下降という意識が相反と矛盾という認識と同義であることを露呈させるのである。 最高潮へ昇りつめようとする喜びの快感は、降ろされようとする苦悶や苦痛と並列させられることで、 あたかも、与えられている苦悶や苦痛が喜びの快感であると知覚させることをするのである、 この苦悶や苦痛を喜びの認識として、加虐・被虐の相対的意味合いと結び付けられることがされれば、 加虐されることで性的快感が生まれ、被虐されることで性的快感が生まれる、という考えが成立することになる。 さらに、加虐されることや被虐されることに整合性的な心理的な意味付けを付加されていけば、 人間は、加虐・被虐の状況にあることで、性的快感を感じる必然があるということになる。 この誤謬は、性的感覚が不分明という相反と矛盾の並置という擾乱であることをおざなりとしていることで、 残念ながら、そうした加虐・被虐の相対的二元論にある限り、分かりやすいことのように思えることであるが、 エンターテインメントとしてあることならともかく、学術であればそれで済まされることではない。 加虐・被虐のありようが神学的な意味にまで結び付けられることであれば、 そのこんがらがった糸を解きほぐすことは容易なことではないように見えるが、 人間の言語による概念的思考というのは、整合性を求めることを属性としていることを思い返せば、 こんがらがった糸を解きほぐすことは、そのような思索の展開へ持ち込んだ方々へ丁重にお任せして、 上昇と下降という意識が相反と矛盾という認識と同義である点から、 結び、縛り、繋ぐという縄掛けを新たに始めればよいということは、ほんの始まりに過ぎないことである。 それは、神を信じている者が考えれば、性的感覚も超越的神秘とされるような知覚であるかもしれないが、或いは、 信じてもいない神を信じている者が考えれば、その超越的神秘は性の神秘とされることであるかもしれないが、 <民族の予定調和>の表象としてある雅子には、前提となる超越的存在という神があり得なかったから、 もう、気が変になりそうなくらいの擾乱に動揺させられていたことに過ぎなかった。 何とか意志を立て直して、せめて、官能が成就するように、必死の祈祷をしようとさえ思うのであったが、 何に対して祈祷を行うというのであろうか。 超越的存在という神が前提とされていない<民族の予定調和>には、 もとより、かなえられるための祈祷自体があり得ないことである。 あり得るとすれば、雅子は、みずからに対して、加護や恵みの救いを求めるということがあるだけだった。 そのみずからというものは、如何にしても、みずからでは解決のできないありさまに晒されているだけであった。 人間が人間みずからにおいてのみ、すべてを解決しようとすること、人間が神のような想像力を持つということ、 それは、ただの人間の思い上がりであり、人間の浅ましい低能を知らない者が妄想しているだけのこと、 みずからは、みずからに対して何もできない、という人間の創始以来の必然があるだけということ、 雅子は、そのように思い知らされると、すすり泣きを始めているのだった。 やがて、その声音は、泣きじゃくるものへと変わっていくのであったが、 泣いたからと言って、答えの出ることでないことは、まったく変わらないことだった。 激しく高ぶらされ続ける官能ではあった、決して思いの遂げられない、果てしないもどかしさのあることだった。 『因習の絵画表現』 「祈祷 ― 花の変異 雅子外伝 ―」 より |
淫靡な責め道具の妖美な奇想 |