借金返済で弁護士に相談



煩 悩

人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望。 「大辞林 第二版」



小夜子は、自宅の居間のソファへ腰掛けて、ぼんやりとした面持ちで考え事をしていた。
健二から、再三に渡って、<ふたりのとき>を過ごそうという誘いがあった。
<ふたりのとき>というのは、生まれたままの全裸となった小夜子へ、健二が思いを込めた緊縛の縄の意匠を施し、
<信奉者の流儀>に従って縄の掛けられた陰茎を膣へ挿入して、ふたりが共に官能の絶頂を極めるというものだった。
それが<民族の予定調和>へ至る<縛って繋ぐ力>による<色の道>の修行ということだった。
絶頂を極めた喜びの最中に生み出される想像力を切磋琢磨せよという<導師様>の<教え>であった。
<民族の予定調和>の表象としての女性が<信奉者>の男性と手に手を携えて歩まねばならない道だったのである。
しかし、小夜子は、体調が良くないことを理由に、その申し出を断り続けていたのであった、そればかりではない、
再三に渡って、<ふたりのとき>を過ごそうという義弟の健三の願いに対しても、同様の態度を示していたのであった。
ふたりの男性が自分に対して熱い思いを抱き続けてくれていることに、喜びばかりでなく、感謝さえ感じていたが、
彼女は、いま、彼らの縄掛けに対して、不審のようなものを感じ出していたのだった。
それは、一之瀬由利子、またの名を坂田由利子が図書館で語った次の言葉であった。
「あなたは、権田孫兵衛老人の尊厳のある縄掛けと私の縄掛け、どれだけの相違が感じられますか。
いや、どれだけの性感の高まりという相似を感じられますか」
由利子から全裸を縄で緊縛され、二度に渡って官能の絶頂を極めさせられた思いは、
この言葉を忘れ難いものとさせるに余りあることだったのである。
小夜子は、居間の電話が鳴り響く度に、それが由利子からのものであったら、どうしよう、と思うのだった。
邪道への誘惑である電話は来てはならないと思うほどに、
恋慕する相手からの電話が来て欲しいと思わせる、期待と不安と困惑を生じさせていることだったのだ。
小夜子は、<権田孫兵衛老人の尊厳のある縄掛け>と言われたが、
実際は、<導師様>から直接の縄掛けをされたことは一度もなかった、
いや、<導師様>が直接に女体を縄掛けされるところでさえ見たことがなかった。
縄掛けは、<導師様>の尊厳ある<教え>として<信奉者>へ伝授されているもので、
<信奉者>の縄掛けを受けることは、すなわち、<導師様>から縄を打たれる行為と同じことだったのである。
従って、健二にせよ、健三にせよ、彼らから、生まれたままの全裸を縄で緊縛されることは、
<導師様>の尊厳ある縄掛けをされていることであったのである、
それが<教え>ということのありようだったのである。
従って、小夜子が健二や健三の縄掛けに対して、官能を高ぶらされる喜悦を感じていたことであったとしても、
それが<導師様>の縄掛けである以上、ふたりへの縄掛けの不審と感じられる道理となることだった。
何故なら、小夜子は、一度もみずからが体験させられたことのない<導師様>の縄掛けというものであり、
行うところさえ見たことのない<導師様>の縄掛けというものは、
実際にあり得ることなのかどうか、という不審を感じさせられることだったからである、言い方を換えると、
<教え>として伝授され、流布されているとされる縄掛けが真実に<導師様>のものなのかどうか、
小夜子は、疑問を持ってしまったということであった。
由利子から、<権田孫兵衛老人の尊厳のある縄掛け>と言われた事柄は、意味不明となってしまったのだ。
由利子は、また、
「<縛って繋ぐ力による色の道>が導く<民族の予定調和>など、起り得ないことの概念的思考の迷妄であって、
あなたがそれに追従しているのは、
ただ、それが官能を高ぶらされる性的恍惚を知覚させてくれることだからではないのかしら……」
と言ったが、それを由利子自身の見事な縄掛けで証明して見せたという事実である。
<されたこともない尊厳のある縄掛け>と<邪道にされた縄掛けで法悦を得たこと>、
いずれを実証のあることだと思えるのだろうか。
いや、小夜子、おまえは、<夢の告知>において、<導師様>から縄掛けされているではないか、
そのとき、<陽間>の健四が<導師様>から縄掛けされているところを見ているではないか、
それは、事実ではないのか。
そう、確かに事実には違いない、しかし、<夢の告知>は事実であったとしても、<夢>は現実なのかしら?
<夢>が現実であったとしたら、<現実>ということは<夢>であるのかしら?
或いは、読者によっては……いや、小夜子、おまえは、『小夜子の物語』の「女の股縄」において、
権田孫兵衛老人から実際に縄掛けを受けているではないか、あれは何なのだ……と問われるかもしれない……
あの縄掛けは、小夜子が<民族の予定調和>の表象としての女性になる以前の縄掛けであるから、
<導師様>である<権田孫兵衛老人>の<尊厳ある縄掛け>ではない……
しかし、それはおかしいだろう、自然の植物繊維で撚られた縄で全裸を縛られた女性は、
すべて、<民族の予定調和>の表象としての女性になる大前提があるのではないか。
宗教的<教え><戒律><規律>といったことが一朝一夕にでき上がるものではなく、
歴史的変遷を経て現在のありようを示していることは、ほかの偉大な宗教の実例を見ればわかる通りであるが、
<縛って繋ぐ力>による<色の道>が導く<民族の予定調和>は、宗教ではなく、宗教性のある思想であるから、
この事柄は、同一のことなのか、それとも、相似であることなのか、その点もまた問題である。
「あ〜あ、もう、難しくて……何だか良くわかりません……
<縛って繋ぐ力>による<色の道>なんて……私には、良くわかりません……
全裸になって、縄で緊縛されて、官能の恍惚を感じているだけのことでは、だめなのかしら……」
小夜子は、思わず、そう独り言をもらすほかなかった。
「……ただ、私にはっきりしていることは……
由利子さんは、私が十二歳のときに経験したことを思い起こさせたということ……
結城さん……私は、その方の苗字しか知らなかったけれど……
私に初めて女であることの喜びを教えてくれたひと……
そのひとにされたことがあったからこそ、私は、縄による緊縛ということに興味を持ったのです……
<縛って繋ぐ力>による<色の道>という<民族の予定調和>にも、関心が持てたのです……
結城さん……美しくて、聡明で、優しい方だった……」
小夜子は、思わず、古い記憶へノスタルジアを覚えて、
そのとき、居間に静かに流されていた音楽に聞き入るのだった。
音楽は、ガブリエル・フォーレの劇付随音楽『ペレアスとメリザンド』だった。
小夜子は、エドガー・ヴァレーズでさえも聴くように、フランス音楽が好みだった。
その<前奏曲>の劇的で美しい響きは、恋慕という感情を見事に盛り上げていながらも、
それが決して果たされない思いをあらわすものであることを素晴らしい管弦楽で表現していた
(室内楽編成の原曲の二管編成・管弦楽編曲は、シャルル・ケクランによる)。
モーリス・メーテルランクの筋立ては、兄のゴローが森で出会ったメリザンドを妻とするが、
弟のペレアスが横恋慕する、ふたりは、互いの心にふたりだけの夢が宿っていることに気づく、
ふたりは愛し合い、その現場を発見したゴローは、逆上してペレアスを斬殺する、
身ごもっていたメリザンドは、ペレアスを愛していた、でも、決して、あなたを裏切るようなことはしていません、
と打ち明けて、女の子を生んで絶命する、というもの。
同じ原作で、耽美なオペラを作曲したクロード・ドビュッシーは、フォーレの音楽に対して大層批判的で、
その手紙に、「俗物で間抜けな連中にはうってつけの音楽家だろう」などと書き残しているが、
<前奏曲><糸を紡ぐ女
<シシリエンヌ>< メリザンドの歌> メリザンドの死>の五曲は、
小夜子を瞑想に誘うほどに官能的な音楽であった――

十二歳になったばかりの小夜子は、誰からも、
美少女と褒められるほど愛くるしい顔立ちと姿態をそなえた女の子だった。
美少女は、その顔立ちほどに姿態も愛くるしいものであるか、
男性であれば、誰でも関心を抱くようなことであろうが、それを明らかとさせたのは、この場合、女性であった。
結城と名乗る十八歳になる女子高校生であったが、彼女も、
十二歳の美少女が成長したらこのように美しくなるのではないか、と思わせるような美少女だった……
どのようなありようの女性であっても、生まれたままの全裸姿とされて、
自然の植物繊維を撚って作られた縄で緊縛されれば、<民族の予定調和>の表象となる、
という大前提が<縛って繋ぐ力>による<色の道>にはあるのであるから、
<導師様>である権田孫兵衛老人と文章として記述している鵜里基秀、このふたりの容姿不細工者を除いて、
あらわれる登場人物が容姿端麗の男女ばかりであるというのは、偏向か偏重か偏見か偏執ではないのか、
という批判が読者の側から上がったとしても、やむを得ないことであろう。
読者に期待され満足して頂くための耽美・官能・性愛・情欲・愛欲のエンターテインメントであれば、
容姿端麗の男女が全裸となり、縄の緊縛で絡み合い、加虐・被虐で性的恍惚が表現されるのは当然のことである。
しかし、ひとつの民族の過去と現在と未来という重大事を扱っているのが本編である、
美女、美男、美青年、美少女、美少年ばかりが登場するというのであれば、
「俗物で間抜けな連中にはうってつけの物語だろう」と言われたとしても、返す言葉さえないのかもしれない、
現実の男女は、老若男女、美醜の複雑多様化したあらわれを存在理由としているのであるから。
しかし、これは、若く美しい男女がことのほかお気に入りであるという、
権田孫兵衛老人の変更不可の状況設定という要請であるのだから、
このまま進行させていく以外にないことも事実である……
小夜子は、結城とどのような初めての出会いを持ったのであろう、少し似ている感じがしないでもないが、
もちろん、ゴローは道に迷い、森のなかの泉のそばで泣いていたメリザンドを見つけた、というような始まりではない。
その頃、小夜子は、文京区本郷の東京大学に近い西片に両親と住んでいた。
小夜子が通う小学校への道に立派な門構えの大きな屋敷が一軒あった。
そのあたりの住宅の風情から、その家が特別に注意を惹くようなものとしてあったわけではなかった。
小夜子も、ほかの小学生と同じように、ただ通りすがっていただけであった。
ある日、学校からの帰宅途中、そのときは、たまたま一緒に帰る仲良しもなく、
ひとりでその立派な門構えの前を通り過ぎようとしたときだった。
突然、なかから飛び出してきたセーラー服姿の女の子と鉢合わせしそうになった。
びっくりしたふたりは、お互いに顔と顔を見合わせたまま、しばらく立ちすくんだままになっていたが、
やがて、あらわれた背の曲がった老人に、セーラー服姿の女の子は家のなかへ引き戻されていった。
そのことが小夜子の印象に残ったのは、その子が明らかに涙を流していた顔立ちだったということだった、
それと、片方の手首に巻き付いていた、縄……。
小夜子は、それから、その屋敷の前を通る度に、どきどきと胸が高鳴るのを感じないではいられなかった。
通学路を変えようかと思ったこともあったが、むしろ、その屋敷の前を通る度に、
なかを盗み見るようなまなざしを送っている自分に気がつくと、
自分とは何だろうという自我の目覚めが意識されるのと同時に、
あのセーラー服姿のお姉さんの顔立ちが思い出されて、その表情は本当に綺麗だったと思うのだった。
それから、三ヶ月が過ぎた、灼熱とした太陽の照りつける真夏のある日だった。
学校の水泳授業からの帰宅途中、そのときは、たまたま一緒に帰る仲良しもなかったときだった、
小夜子も、もう、印象の薄らいでいた思いにあった屋敷であり、セーラー服姿の女の子だった。
その女の子が「あなたのお名前は何ていうの」と通り過ぎる背後から、突然、声を掛けてきたのだった。
小夜子は、余りのことにびっくりして、どきどきと胸を高鳴らせるばかりで、立ち尽くすだけであった。
「驚かせてごめんなさい……私のこと、憶えていらっしゃる?」
相手は、その綺麗な顔立ちに優しい感じの笑みを浮かべながら、尋ねてくるのだった。
小夜子は、もう、どぎまぎするだけで、頷いた返事をするのが精一杯だった。
「私は、あなたのこと、よく、憶えています……
もう一度、お目にかかりたかったから、ずっとあなたのことを考えていました……
あっ、私は、結城と申します、その表札に書かれている苗字です……
あなたのお名前は、何と言うのかしら? 教えてください」
結城と名乗った少女は、小夜子の方へもう一歩近づくようにすると、優しい口調で尋ねてくるのだった。
「小夜子です……小さい夜と書きます……」
か細い声であったが、恥ずかしさを押し負かしての答えだった。
「小夜子さん……セレナーデの響くような素敵なお名前ですわね……
私たち、きっとよいお友達になれますわね……」
少女は、その美しく波打つ黒髪を揺らせながら、ほっそりとした白い両手を相手の手に重ねて、言うのだった。
小夜子は、重ねられた手にびっくりしていたが、その温もりは安心感を与えるものがあった。
そして、大人びた丁寧な喋り方は、信頼できるものを感じさせたのであった。
「小夜子さん、今日は、もう、お家へ帰らないと、お父様、お母様が心配されます?
もし、あなたさえよかったら、お友達になれたお祝いに、お茶でも召し上がっていきませんこと?」
そう言って、相手の手首を引き掴むと、屋敷のなかへ招き入れようとするのだった。
小夜子は、不安を感じさせられたものの、その強引さには、思わずされるがままになって、
立派な門をくぐらされ、広い中庭を通らされ、玄関先まで連れられていったのだった。
「大丈夫ですわ、気がねなどなさらないで……家には、叔父しかおりませんの」
少女は、複雑な装飾の施された木製の扉を開けると、大きな建物のなかへ案内するのだった。
なかへ入った瞬間、小夜子は、そのありさまの圧倒的な異様さに、
口をぽかんと開けたまま、見つめるばかりになっていた。
玄関は、広々としていて、そこから天井に向けて、三階ある高さまで吹き抜けとなっていて、
各々の階へ上がるには、その場を中心として、ぐるりとした螺旋を描いている階段を昇るようになっていた。
全体は、各所に小さな照明があったが、光と闇とが交錯する、明るいとも暗いとも言えない薄闇を感じさせ、
その天井を眺めていると、何処までが行き止まりであるのかわからないような曖昧とした高さがあって、
めまいさえ覚えさせられるものだったのである。
それに、ほのかに漂っている香りだった、その胸を詰まらせる芳しさを現実にあらわしたら、
まるで、そこに立つ少女の美しさを思わせるものであったのだ。
小夜子は、黒眼がちの深い陰翳のあるまなざしで、自分の方を見つめ続ける相手を今やそのように感じていた。
「小夜子さんと私は、出会わなくてはならないふたりだったのですわ……
ですから、あなたは、私に気がねもいらないし、この家に気がねすることもないのです……
あなたのお家だと思って、くつろいでください……」
結城は、優しい微笑を美しい顔立ちに浮かべて、そのように言うのであったが、
小夜子の驚きと戸惑いと少しの不安は、言っていることの意味をつかませなかった。
「結城さんには、お父さんとお母さんがいないのですか?
ここに、叔父さんとふたりで住んでいるのですか?」
小夜子は、突拍子もなく、質問したのだった。
それに対して、少女は、微笑を崩さずに答えるのだった。
「もちろん、私にも、両親はいますわ……
けれど、亡くなって、今はいないということです……
私には、兄弟姉妹もありません……」
小夜子は、兄弟姉妹がないことは自分と同じだと親近感を感じて、
言葉を発するきっかけができたことに勢いを得ながら、尋ねていた。
「結城さんは、どうして、あのとき、泣いていたのですか?
お父さんとお母さんのことで、悲しかったのですか……あっ、ごめんなさい」
言ってしまってから、まずいことを聞いてしまったと思った小夜子だった、思わず首をすくめるのだった。
相手の心遣いを感じた少女は、優しく微笑んだまま、答えていた。
「いいえ、失礼ではありませんわ……
死んだものは生き返りません、私たちの思いのなかに生き続けるだけです……
それに、あのとき、私が泣いていたのは、悲しかったからではありません……
小夜子さん……
嬉しいときに流す涙、女が喜びのあまりに流す涙……そういうものも、あるのですよ……」
小夜子は、あのときの相手が涙を流していたにもかかわらず、
印象に残る美しい表情をしていたわけをわかったような気がした、
そう思うことは、大人びた相手と接する自分が少し大人になったような気にさせるのだった。
「そうですわ、小夜子さん……
私の母を描いた絵があります、ご覧になって頂けます?」
少女は、相手の華奢な手を取ると、引っ張るようにして螺旋の階段へと向かわせるのだった。
三階の入口まで昇る階段は長く急な感じで、思っている以上の高さへと上がるような気にさせるものだった。
小夜子は、手摺から、恐る恐る階下を眺めたりしたが、
そのとき、ふと背の曲がった人影のようなものを見た気がした、
きっと、あのとき、結城お姉さんを連れ戻しに来た老人、叔父さんだろうと思った。
小夜子の思いのなかには、すでに、結城お姉さんと呼ぶような親しさが感じられているのだった。
結城お姉さんは、自分などがまだまるで知らない、大人の世界を知っているお姉さん……
一人っ子で育った小夜子にとって、美しく優しい姉が意識されるようなことだったのだ。
そのお姉さんが手をしっかりと握ってくれて、しっかりとしたした足取りで、
たどり着いた三階の曲がりくねった長い廊下を歩いて、
不可思議な雰囲気を感じさせられる家のなかを案内してくれることは頼もしいことだった。
「この部屋にありますの……どうぞ、入ってください……」
真夏の燦燦とした光が窓を覆うカーテンの隙間からもれている、暗くて広い部屋だった。
お姉さんが室内へ明かりをともすと、
柔らかな蒼白い照明が中央のシーツの敷かれた大きなベッドと、
それを挟むようにして左右の壁へ掛けられた大きな額縁の絵画を浮かび上がらせた。
お姉さんは、小夜子の手を優しく引きながら、絵画のひとつの前へたたせると、言うのだった。
「この絵が私の母だった、由利子を描いたものです……
母は、私を産んで亡くなったので、私は、母をまったく知りません……
この絵は、母の形見のようなものです……」
そのように言われたことであったが、小夜子は、絵の前に立たされた瞬間、それを見て驚愕させられ、
かすかな震えさえ全身からあらわして、茫然となったまなざしを注ぐだけであった。
絵に描かれた女性は、お姉さんと瓜ふたつの美しい顔立ちをしていた、
波打つ艶やかな黒髪もまったく同じような髪型で、結城お姉さんを描いたものだと言われても、不思議ではなかった。
ただ、お姉さんのお母さんは、何も身に着けていない、生まれたままの全裸の姿だった、
その姿の女性としての美しさは、図書館の画集で見たことのある、アングルという画家の『泉』の絵を思い出せた、
だが、お母さんは、女性の美しい官能をあらわすような、
清らかな水のとめどもなくあふれ出す壷を掲げるようなことはしてはいなかった、
お母さんも、正面を向いてすっと立った姿勢でいたことは同じだったが、
そのしなやかな白い両腕は頭の上へ持ってこられ、重ね合わされた華奢な両手首には、
巻き付けられていたのだ、縄が……
あのとき、結城お姉さんの手首に巻き付いていたような縄が……
そして、その絵は、確かに、お姉さんのお母さんを描いた絵であったのだ……
お腹は張り裂けるばかりに蒼白く膨らみ、
そのうごめきに身悶えするように、優美な両脚を悩ましくよじらせている妊婦の姿であったのだ。
「このような絵では、あなたをびっくりさせたかも知れませんわね……
でも、私の母なのです……」
最後の念を押されるような言葉に、小夜子は、絵の女性をもう一度見やるのだったが、
お母さんの顔立ちのうっとりとなった表情の美しさは、今までに見たことのない女性の顔であって、
どきどきさせる手首のおぞましい縄さえなければ、
いつまでも眺めていたい喜ばしさのあふれるものであったのだ。
「小夜子さん……
もうひとつの母の絵も、ご覧になってください……」
結城お姉さんの声音は、相変わらず優しいものであったが、
小夜子は、無理やりされるように手を引っ張られて、
反対側の絵の前まで連れて来られることに、込み上がる不安を覚えるのだった。
その不安を恐ろしさに変えられて、眼の前とさせられたような絵だった。
絵に描かれた女性の顔立ちは、結城お姉さんだった。
いや、それがお姉さんのお母さんであったと言われたとしても、
子供を孕んでいない生まれたままの全裸の美しい姿態は、お姉さんの顔立ちであれば、お姉さんの身体だった。
だが、その身体には、またしても、縄が……
縄は手首にだけ巻き付けられていたのではなかった、お姉さんは、後ろ手に縛られていたばかりではなかった……
綺麗な乳房を突き出すように上下から挟まれて、胸にも縄も掛けられていた……
そして、その姿で、上の方から吊らされる縄に繋がれて、またがされていた……
三角の形をした柱のようなもの、その三角の鋭く尖ったところへ……
結城お姉さんのしなやかで優美な雪白の両脚は、左右へ突っ張るように垂れ下がって……
漆黒の靄に覆われてふっくらとした、女性の最も大事とされているところへ……
割れめがあからさまとなるほど深く、三角を食い込まされているのであった……
それは、もう、ただ、恐ろしいとしか言いようのない、悲しい、残酷な姿だった……
絵を見つめる小夜子が身体を震わせ、顔立ちを凍りつかせ、緊張の極みに達していることは、
握り締められている手が強く握られてくる感触からも明らかであった。
結城お姉さんは、しっかりと握り返していた。
年齢の小さな少女は、驚愕と恐怖と不安と悲哀と不可思議で身体をすくませるばかりで、
もらす言葉さえなく、立っているのが精一杯というありさまであったが、
その最後の不可思議という思いは、その恐ろしい姿をあらわした絵であってさえも、
結城お姉さんの顔立ちのうっとりとなった表情の美しさは、先ほどの絵に負けず劣らずのものがあり、
いつまでも眺めていたい喜ばしさのあふれているものだと感じさせたことであった。
そのわけのわからなさが恐ろしさと同じくらいに込み上がると、
どきどきとした胸の高鳴りが甘美にさえ感じられるようになってくるのだった。
「私の母が超絶的な認識を得たとされるありさまが描かれた絵です。
ここには、実際には、私の三人の父もいたのですが、描かれてはいません。
私の叔父、父の弟の結城は、父のひとりである一之瀬が遺した手記から、そのように教えてくれました。
これらの絵を描いたのも、幼いときから画才のあった叔父です。
叔父は、土蔵で行われたという一件のあった後、
学徒動員で軍隊へ召集されて戦地へ赴いて行った父たちに代わって、母の面倒を見たのです。
結城の実家は、すでに妊娠をあらわしていた母と叔父の結婚には猛反対で、結婚はできませんでした。
しかし、叔父は、母が無事出産に及ぶまで面倒を見たのです、そればかりではありません、
私がこうして成長するまで養ってくれたのです。
いまは、代々の結城家の住まいにあって、こうして暮らすことができるようになりましたが、
傾いた結城家も、叔父の命も、もう、時間の問題なのです。
今日、突然、このような絵を見させられて、このようなことを聞かされて、
関係のない小夜子さんには、驚くばかりのことで、わけがわからないことでしょう。
でも、私は、決して悪気があって、あなたに、このようなことをしているのではありません。
小夜子さん、私も、あなたと同じ年齢のときに、これらの絵を見せられて、これが私の母だと言われたのです。
そして、私には、三人の本当の父親がいたが、戦争で亡くなったことを教えられ、
父のひとりが書き残した手記を読んで聞かされたのです。
私にも、恐ろしくて、悲しくて、不可思議なことでしかありませんでした。
しかし、不可思議は人間を成長させるものなのです。
私は、あの日、あなたと出会えたことを偶然とは考えていません。
何故なら、私は、あのとき、女が官能の恍惚の絶頂にあって、見ることのできるヴィジョンを見ていたからです。
その喜ばしさに泣き出さずにはいられず、家の外にまで飛び出さずにはいられなかったのです。
叔父が慌てて連れ戻さなければならないほど、超絶的な認識にあったのです。
私は、間もなく、この場所を去って、よそへ行かなければなりません。
その前に、小夜子さんにお伝えしておきたいことがあるのです。
今日、ここに、あなたといることは、いずれ起ることへの予兆であるからです……」
結城お姉さんは、優しい顔立ちを崩すことなく、真剣な口調で語っていたが、
小夜子は、その見つめられる陰翳の深い綺麗なまなざしが恐ろしいものにも映るのだった。
不可思議な家に、恐ろしい絵に、まったくわけのわからない話……
相手からぎゅっと握り締められている手も振り解きたい思いで一杯だったが、
圧倒される雰囲気に呑み込まれるばかりで、身体がすくんでしまい、声も出せないでいた。
だが、何もしなければ、事はどんどん運ばれていくようでしかなかった。
「……お願いです……もう、家へ帰らせてください……」
泣き出しそうになるほど、か細い声音で訴え掛けていた。
しかし、相手は、美しい顔立ちに優しい笑みを浮かべて、首を横へ振りながら、
「ごめんなさい……それは、まだ、できません……
あなたにお伝えすることが終わるまで、あなたは、私とここにいるのです……」
とはっきりとした口調で告げられるのだったが、小夜子は、思い余って、泣き出してしまっていた。
結城お姉さんは、華奢な両肩を震わせて泣きじゃくる相手を優しく抱き締めるようにすると、
「思いっきり泣くといいわ、母のことを初めて聞かされた私もそうだった……
女は、ひと仕切り泣くと、性根が座るものよ……
小夜子さんの性根が座らなければ、私だって本気になれないことよ……」
と励ますのだった。
薄闇が立ち昇るような室内に、柔らかな蒼白い照明が浮かび上がらせる、
シーツの敷かれた大きなベッド、それを挟むようにして左右の壁へ掛けられた額縁の絵画、
大きな少女に抱き締められた小さな少女というひとつの影が泣き声をこだまさせていた。
その泣きじゃくる声音も、すすり泣きとなり、むせび泣きとなって、
やがて、室内を沈黙へと変えていった。
その沈黙を破る女の声音は、凛々しさがあふれるものだった。
「……小夜子さん、いいわね、あなたは、女よ。
十二歳ならば、初潮も、もう済んでいるはずですね。
そうして、女の身体を持っているのですから、女としての自覚に目覚めなければならないのです。
女であることを恥ずかしがることなど、あなたには、少しもありません。
あなたは、女であるからこそ、知ることのできる身体と思いを持っているのですから、むしろ、誇るべきことです。
それを、これから、私が教えて差し上げます。
私の言うように、付いてきなさい」
結城お姉さんは、小夜子の身体を優しく離すと、相手の顔立ちをまじまじと見つめて言うのだった。
小さな少女は、大きな少女がさらに大きく見えるようで、見返すばかりのことだった。
お姉さんは、身に着けていたブラウスのボタンへほっそりとした白い指先を掛けると、ためらいもなく、
ボタンを外して脱ぎ去り、スカートをくびれた腰付きから落させ、さらには、ブラジャーを取り去っていった。
小夜子は、大きな瞳を大きくさせて、唖然とした表情でその振舞いを見つめていたが、
恥ずかしいところを覆うショーツをするりと脱ぎ去っていき、眼の前へ、
生まれたままの女の優美な全裸姿をさらけ出させたのを見せられるに及んでは、
その喋っていることのいい加減でないことを思わされるのだった。
「さあ、今度は、あなたの番です、着ているものを脱いでください」
その雪白の柔肌があたりを明るませるくらいにまぶしさを感じさせる、
お姉さんが優しく微笑みながら言うのだった。
だが、小夜子は、突っ立っているのが精一杯の思いで、とても、指先を動かすには至らなかった。
「では、私が脱がせて差し上げます」
お姉さんは、一歩間近へ寄りながら、小夜子の身体へ触れてくるのだったが、
女は、ひと仕切り泣くと、性根が座るものよ、と言われたように、
相手からされていくことに不思議と嫌悪感が湧かなかった。
身に着けていたTシャツとスカートとブラジャーとショーツは、簡単に取り去られてしまった。
「まあ、美しい姿態をしていますこと、少女の愛くるしさ、ここにありですわ」
生まれたままの全裸のお姉さんは、同じように、生まれたままの全裸の姿となった相手の、
艶やかな短い髪型から綺麗な顔立ち、身体を縁取る女の曲線、ふっくらと愛らしく盛り上がったふたつの乳房、
恥じらいの亀裂を覆い隠す靄も微かな女の股間、しなやかにすらっと伸びた両脚をじっと眺めていた。
小夜子は、顔立ちを桜色に染めて、恥ずかしさを懸命にこらえていたが、
その両手を脇にして直立している率直な姿勢は、十二歳のあどけなさをあらわすようなものだった。
「こちらへ来て、ベッドへ上がってください」
お姉さんは、相手の華奢な手を取ると、引っ張り上げるようにしてベッドへ昇らせるのだった。
ベッドの上の小夜子は、思わず、純白のシーツへへたり込むようにして座ると、
恥じらいを示すように、姿態を横座りの姿勢とさせて隠すようにしていた。
それを知った大きな少女は、笑い顔を浮かべて、
「小夜子さん、素敵な女らしさを発揮なさるのですね。
あなたは、やはり、ただものではない女性のようですわね」
と言いながら、ベッドの脇に置かれたチェストから、何やら取り出している様子だった。
取り出されたものを見せられたとき、小夜子は、驚きに瞳を大きく開かせていた。
縄……。
少女の腰掛けている前へ、麻縄の束が置かれたのだった。
「私を縛るのですか……」
上目遣いとさせたまなざしで、小夜子は、尋ねていた。
「そうです、女は、縄で縛られて、始めて、みずからが女であることの真実に目覚めるのです」
大きな少女は、縄束のひとつを取り上げて、見せつけるようにして言うのだった。
「いやっ、いやです、縄で縛られるなんて、いやです、そのようなこと」
小夜子は、短い黒髪を精一杯揺らせて、かぶりを振っていた。
「あなたが嫌がったとしても、私は、無理やりにでも、あなたを縄で縛ります。
あなたが、嫌がる思いになかで、虐めること、虐められることの思いを学んでくれるようにです。
加虐・被虐は、思いを成り立たせるための表現の相対性に過ぎないことを学んでくれるようにです。
ただ、虐められ、虐げられるだけの女という存在、
そのような存在を脱却するために、あなたは、縄で緊縛されるのです。
それを覚悟してください、みずからの女であることを知る、あなたの第一歩なのですから。
さあ、両手を背中へまわして、両手首を重ね合わせて」
小さな少女は、言った通りに素直にならなかった。
決め付けられるようにして行われていくことは、不安と恐れと羞恥を増大させることだったのだ。
お姉さんは、相手へにじり寄ると、そのほっそりとした両腕を強引に背後へねじ曲げようとした。
「ああっ、痛いっ、このような酷いこと、嫌です、嫌です、やめにしてください!
結城お姉さん、お願いです!」
懸命に訴え掛ける言葉も、まるで、にらみつけられるように存在感のある左右の緊縛の絵画に挟まれて、
弱々しく空しい抵抗の響きしか室内にこだまさせなかった。
お姉さんの縄掛けは、見事であると言えるほど、
重ね合わさせた華奢な両手首へ巻き付けた麻縄を縛り上げ、すぐさま、それを身体の前の方へ持っていき、
ふくらみがまだ可憐なふたつの乳房の上の方へ掛けられて三重に巻かれ、その縄の縄留めが背後でされると、
二本目の縄が今度は乳房の下方へ掛けられ、同じように三重に巻き付けられて、
緩みの起らないように左右の腋の下から引かれ、素早く縄留めが終了されるものだった。
「これで、宜しいですわ。
小夜子さんは、縄の衣装をまとった愛くるしいお人形さんのように、綺麗です」
十二歳の少女は、生まれて初めて、全裸にさせられた姿態を縄で縛り上げられた境遇に置かれていた。
それは、お姉さんにねじ曲げられる両腕に抵抗を示せば、痛く苦しいことであったが、
後ろ手に縛られてからは、されるがままになって縛られていくことは、苦痛を感じさせられることではなかった。
お姉さんの縄掛けは、身動きを自由にさせないがっちりとしたものではあったが、
お姉さんの態度のように優しい、そのようにさえ思わせる不可思議なものであったのだ。
小夜子は、縄で縛り上げられたことで、恥ずかしさをさらに意識させられていたが、
彼女を寡黙にさせていたのは、むしろ、その不可思議の思いの方だった。
しかし、少女も、女性が全裸を縄で緊縛されている姿を画像で見たことがなかったわけではなかった。
大人が読む週刊誌には、そのような女性の姿が<異常>とか<変態>と肉太文字で書かれて紹介されていた。
だがら、そのような姿になる自分は、<異常>とか<変態>になることで、恐ろしかった。
縄で全裸を縛られて<異常>や<変態>になった女性には、さらに、
鞭で打たれたり、ローソクの熱い蝋を垂らされたり、残酷な仕打ちが待っているのであった、
ちょうど、眼の前の絵があらわしているような残酷な仕打ちがあるのだった。
何故なら、縄で全裸を縛られた女性は、酷いことをされることで喜びを感じるものであったからだ。
大人の読む週刊誌には、そのように説明されていたからだった。
その喜びということが、眼の前の絵にあらわされているような、
うっとりとなった美しい喜びの表情であるということなのかどうかは、わからない……
わからなかった……
自分の知っていることだけでは、何もわからない、ということがわかるだけのことだったのだ。
小夜子は、驚愕と不安と恐怖と困惑のなかにあって、相手をしっかりと見やることができなかった。
相手に何を言ったところで、変わることはない、自分は、泣きじゃくるか、我慢するかしかなかったからだ。
行われていくことを我慢しようという思いは、激しく泣きじゃくっただけに、あった。
それが自分というものなのか、という思いでもあった。
「宜しいかしら、これから、私があなたと行うことは、<牝鹿のたわむれ>と呼ばれているもので、
女性が女性を高めるために必要な行為として、人間が考え出したことです。
これは、普通の男女の行為ではないことから、異常なものであるという見方がされるかもしれませんが、
いいですか、小夜子さん、重要なことは、その行為を通して、何を認識するかということであって、
その行為がどのように見られるかを考えることではありません。
人類の現段階では、人間は、現在の認識に至るまでのことしか所有してないのですから、
私たち、生きている人間は、過去から受け継がれてきた因習を引き受けながらも、
未来へ開かれる認識を獲得しなければならないのです。
それが人類が猿から人間へと進化したときに抱いた、脳にある薄闇、永遠の黄昏の存在理由だからです。
小夜子さんには、まだ、わかりにくいことかもしれません。
しかし、それを言ったら、あなたの年齢だから、成熟した大人でない未熟な少女であるから、
あなたが理解できないということではありません。
成熟した大人であっても、因習に隷属するばかりで展開する認識に至らなければ、未熟な少女と同じことです。
認識の問題は、簡単なことではないのです、人類の創始より問われ続けてきていることなのです。
それを、いま、あなたは、探求へと旅立たなければならないということです。
いずれは、あなたがたどり着かなければならない、起るべきことのために準備しなければならないということです。
小夜子さん、何もわからないあなたには、恥ずかしくて、不安で、恐いことかもしれません。
しかし、あなたは女なのです、認識を得るために生まれてきた女なのです。
私と出会うことを定められた女性なのです」
結城お姉さんは、まるで、学校の先生が授業を行うように、
はっきりとした口調で、難しい事柄を伝えているのだ、と小夜子は、感じさせられていた。
自分の置かれている生まれたままの全裸の恥ずかしさに、縄で縛り上げられているという不安と恐れが、
人間の不可思議という思いへ一挙にまとめられていく感じのする話し方だった。
真剣に語るお姉さんをじっと見やると、美しい顔立ちと優美な姿態は、輝くようにさえ感じられることだった。
その美しい女性が、縄で縛られているためにせり出すような具合になった両肩へ手を置いてくると、
優しく引き寄せるように、小夜子の顔立ちをみずからの顔立ちへ近づかせてくるのだった。
唇へ優しく重ねられてきた唇は、温かく、柔らかく、とろけていくような感じで、
美しい女性が柔肌と柔肌を触れ合わせたことは、麗しく匂い立っていた芳香を一気に強いものとさせるのだった。
小夜子は、生まれて初めての女同士のキスに、驚きと戸惑いと不安を感じさせられたが、
すぐに、それにも優る甘美な快さが、唇をうごめかされて吸われることで湧き上がってくるのだった。
その甘美な快さは、触れ合わされる唇と唇がうごめかせる強さと弱さを繰り返すにつれて、甘美な疼きへと変わり、
その疼きは、されていることをもっと求めなくてはいられないものにさせていくのだった。
自然と半開きになっていく少女の唇は、相手の舌先がもぐり込んでくるのを容易とさせているのだった。
先端を尖らせた鋭敏な舌先が差し入れられてきたが、少女は、受け留めるしかないことを感じさせられていた。
一糸も着けない全裸の姿にあって、身動きの自由を封じられたありさまにあって、
相手にされるがままになっていくほかに、何ができるというのだろうか。
無理な抵抗を示すことで招く苦痛よりも、されるがままになっていることで高ぶらされる甘美な疼きの方が、
遥かに望ませることだったのだ、もっと、もっと、気持ち良くなりたいと……
それが縄で縛り上げられているから感じられることだとしたら、縛られていてもいい、
結城お姉さんにであれば、縄で縛られても、されるがままになってもいい、と思わせるのだった、
それが、もっと、もっと、もっと、気持ち良くさせられることであるから……
差し入れられてきたぬめるような舌先は、縮こまるようにしている少女の舌先を立たせ、
舐め上げ、絡ませ、うねらせ、くねらせして、一緒のうごめきをあらわすように誘っていた。
それと同時に、抱き締めるように触れ合わせていた柔肌が離されると、
お姉さんのほっそりとした指先は、可憐にふくらむ片方の乳房の方へ持ってこられるのだった。
お姉さんの指先は、その舌先と同じくらい優しく、強弱を加えながらゆっくりと乳房を揉み始めていたが、
その愛くるしい感じの乳首は、まだ、立ち上がる様子を示すものではなかった。
舌先の愛撫は、口の端から唾液がきらめくしずくとなって流れ落ちるまで続けられていたが、
ようやく、唇と唇が離れる頃には、少女の高ぶらされる官能は、
華奢な両肩を震わせる息遣いをさせるほどに、導かれているものとなっていた。
お姉さんは、美しい顔立ちに微笑を浮かべながら、少女をシーツの上へ横たわらせていくと、
立ち上がっていない愛らしい乳首へ、その甘美な舌先を持っていくのだった。
そして、片方の手は、少女の腰付きのあたりの女の曲線をなぞるように這わせながら、
尖らせた舌先で、愛くるしい乳首を撫でまわし、てらてらとしたぬめりをおびてくると唇を当て、
吸い上げては舐めまわすということを繰り返すのだった。
それが上下からの縄で突き出すようにされたふたつの乳房へ代わる代わる行われていくと、
少女の顔立ちは、桜色からさらに染め上がって、一点を見つめ続けるまなざしは薄目勝ちとなり、
半開きとさせた唇の間からは、ああん、ああん、とやるせなさそうなため息がもれ始めるのだった。
お姉さんの片方の手は、くびれのある腰付きから可愛らしい臍のあたりへ移って、
さらに、ゆっくりと優しく撫で摩りながら、下の方へ向かうのであったが、
小夜子は、それが少女の恥じらいと意地であるとでも言うように、
すらりと伸びた両脚の白い太腿をぴったりと閉じさせて、股間の箇所を少しでも見せまいとしているのだった。
だが、お姉さんの丹念な舌先と熱い口中の吸引は、
ついに、少女の愛くるしい乳首を情欲をあらわとさせるように立ち上がらせていた。
その敏感になった乳首へ、さらに加えられる舌先と口中の愛撫は、
少女のため息を、はあ、はあ、と切なそうな吐息に変えさせて、
くっきりとのぞかせる女の割れめをほんのり隠す漆黒の靄を撫で始めた指先を熱心にさせるのだった。
「ああっ〜、いやっ……」
ほっそりとした指先で、ほのかな恥毛を優しく梳かれるようにされると、
縄で縛り上げられた裸身をのけぞらせるようにさせて、少女は、思わず、あらがいの声音をもらすのだった。
だが、その言葉とは裏腹に、お姉さんの熱心な指先で、優しく愛らしく盛り上がった小さな丘を撫でまわされると、
ぴったりと閉じ合わせるようにされていた左右の太腿は、開き加減となっていくのだった。
「ああっ〜、いやん、いやん……」
熱心なほっそりとした指先は、深い亀裂をあらわす女の割れめにまで触れられてきたが、
それを拒もうとするように一度閉じ合わされた左右の太腿も、愛らしい乳首が激しく吸われることで、
力なく開いていくようになるのだった。
「小夜子さん、宜しいですわね……
女であることをしっかりと認識なさってください」
少女の乳房から顔立ちを上げた結城お姉さんは、
官能にほだされて赤くなった相手の綺麗な顔立ちを見つめて、命じるような口調で言うのだった。
小夜子も、思わず、頷いているのだった。
お姉さんは、その美しい顔立ちを少女の股間の方へ向けていった。
力を失ったしなやかな両脚を左右へ開かせると、太腿を左右へ押し開いて、
股間の箇所をあらわとさせるのだった。
くっくりとした割れめは、純潔をあらわすように、閉じ合わされた趣きにあったが、
ほっそりとした指先は、それさえも、左右から押し開くようにして、目的の箇所をあからさまにさせるのだった。
女の花びらは、蕾のようにふくらみを見せているだけで、にじませる花蜜はなかった。
敏感な小突起も、隠れるようにしているありさまは、愛くるしいほどだった。
お姉さんの舌先は、その敏感な小突起を湿らすことから始められるのだった。
だが、少女は敏感だった、ぬめるように舐め上げられると、それは真珠の小粒のように立ち上がって、
加えられる刺激に、「ああっ、ああっ」と甘い声音がもらされ、縄で緊縛された裸身は身悶えを示した。
お姉さんの舌先は、花びらの方にまで及んで、熱心な舌先の愛撫を繰り返したが、
そのふくらんだ蕾も、じわっと女の蜜をにじませるまでになると、悶え方も悩ましさをあらわし始めるのだった。
「うう〜ん、うう〜ん」
真珠の小粒が舐められ、吸われ、軽く歯を立てられるに及んでは、
少女も、艶やかな短い黒髪を右へ左へ打ち振るって、高ぶらされる官能に煽り立てられるのであった。
腰付きから下半身にかけても、じっとしているのが我慢できないというように、
ねじられたり、よじられたりされている。
それは、もう、あとひと息で、官能を極めるというところまで来ているようだった。
そこで、突然、結城お姉さんは、気持ち良くしてくれている場所から離れた。
何事が起ったのか、と唖然となった表情を浮かべて、相手を見やる小夜子だった。
「そのように簡単に行き着けることだと思ったら、官能の絶頂の重要性はわかりません。
官能の絶頂が人間にとって、
自己の存在理由を問うのと同じくらいに重要性があることをないがしろにしてきたのは、
それが人間的であると言うよりは動物的なことだと見なしてきたからです。
人間は、動物的なありようから可能な限り脱却できてこそ、人間であると考えてきたからです。
しかし、その動物的なありようから可能な限り脱却できるという方法は、
宗教、倫理、政治、経済、法律、そして、形而上学として行われてきましたが、
官能の絶頂が人間にとって重要であるということを一層明るみに出したということでしかありません。
私がこうして喋っている間に、小夜子さんの官能はどんどん醒めていくでしょう。
だから、人間が思考を行うことよりも、低い事柄であるとしか見えないのです、
動物的な肉体の当然なことであるとしか思えないのです。
いいですか、小夜子さん、あなたがこれから感じることは、出発点なのです。
出発点に過ぎないものです、あなたは、そこから展開させるのです。
それが<牝鹿のたわむれ>という方法がある理由なのです、それを思い知りなさい。
思い知るために……さあ、私におねだりしなさい。
官能の絶頂まで連れていってください、と私におねだりしなさい」
小夜子は、自分をしっかりと見つめて、真摯に語る相手を素晴らしいひとだと感じた。
語られたことのほとんどは、難しくて、理解のできないことだった。
だが、結城お姉さんは、小夜子のためにしてくれていることだとわかると、
素晴らしい相手は、本当に好きになれる相手だと思えるのだった。
小夜子は、一字一句間違いないように、注意しながら復唱していた。
「官能の絶頂まで連れていってください!」
美しいお姉さんは、微笑むと、「私も、望むところです」と言って、
再び、少女の股間へ執着していくのだった。
そうして、極めさせられた女の官能の絶頂であった。
しかも、それを三度、思い知らされた。
縄で縛り上げられた生まれたままの全裸は、極められる官能の絶頂から痙攣し続けられ、
頭のなかまで真っ白にさせられる思いのなかで、
小夜子は、へとへとに疲れてしまい、ついに眠り込んでしまっていた。
気がついたときは、家のベッドにいて、お母さんが微笑んでいた。
結城さんというお嬢さんが、家で一緒に遊んでいるうちに眠ってしまい、
おんぶをして家まで送り届けてくれたということだった。
その翌日、小夜子は、お姉さんの家まで行った。
屋敷は、大作業で取り壊しが始められていた。
知り合いのひとに色々と聞いてみたが、年老いた主人と高校生の少女が住んでいたことは確かであったが、
近所付き合いもまったくなく、由緒のある家柄だったらしいが没落したのだと教えられた。
結城お姉さんは、実際にいたのだった。
あのことは、夢では、決してなかった出来事だったのだ。

――小夜子は、フォーレの音楽が
メリザンドの死>を持って終わるのを聴いていたが、
メリザンドが女の子を産んで絶命するという希望がそのコーダに聞くことができると感じていた。
結城お姉さんも、何処かでその美しさを発揮なさって生きていらっしゃる、と思えることだった。
小夜子にとってみれば、相手から、十二歳のときに語られことは、行われたことほどの印象はなかった。
行われたことの印象は、確かに、その後の彼女を探求へと旅立たせたことは事実だった。
しかし、探求と言って、小夜子ひとりに何ができたであろう。
生まれたままの全裸の姿にされて、縄で縛られて、しかも、女性同士の愛欲行為によって、官能の絶頂を迎える。
<牝鹿のたわむれ>と呼ばれるこの行為が意味することは、まず、普通の事柄ではないということだった。
彼女は、同じ年代の女子が男子に関心を寄せたり、付き合いを始めたりするのを眺めているだけの女性、
美少女と評判される容姿を持っていても、近づいて来る男子は幾らあっても、関心をあらわさない女性、
いや、その誰に、<牝鹿のたわむれ>のことを打ち明けることができるというのだろうか。
小夜子には、お高くとまっているだけの美少女という評価が成り立ち、彼女は爪弾きとされたのだった。
彼女には、結城お姉さんが思い知らせてくれた女の喜びに優るものが考えられなかった。
このことを幼少体験の傷、トラウマとして考えることは、それほど難しくない。
小夜子も、まわりの者たちから爪弾きにされて、孤独のなかで答えを見出そうと苦悩したのである。
<牝鹿のたわむれ>というありようが意味することは、本当はどのようなことであるのか、という問いだった。
そのような探求行為をしなければ、深夜にふと目覚めたときなど、
身体を疼かせる官能が意識されて、それに身を委ねていると、縄で縛られたいという思いが募り、
縛られた姿態を美しい女性の手によって、官能の絶頂まで運ばれたいと妄想させることになるのだった。
それが実際にかなわないことだとしら、せめて、そこで生まれたままの姿になって、
手近の縄になるようなもので自分自身を縛り、オーガズムに達するまで女の割れめを指先で愛撫し続ける、
満足はできないまでも、そうしたことで自分を慰めるしかなかったのだった。
だが、そうした自慰行為があのとき思い知らされた認識と呼べるくらいの過激なものとは、
およそ異なったものではないかという疑問の残るものでしかなかった。
到達するオーガズムは同じことである、だが、そこで感じられる思いが異なるものとしてあるのだった。
<牝鹿のたわむれ>は、本当に異なるものとしてあるのかどうか、その答えが欲しかった。
小夜子は、性愛に関係する事柄をあらわした雑誌や書籍を苦労して捜して、読んだり見たりした。
雑誌や書籍のなかでは、何処でも、<牝鹿のたわむれ>があらわすような行為を、
サディズムやマゾヒズムとして、或いは、レズビアンの愛欲として、異常性愛であるとしか説明されていなかった。
結城お姉さんが教えてくれたことは、<変態>である異常性欲者の行為でしかなかった。
それが明らかとされるように、風俗雑誌のなかには、
あの部屋で見せられたような妊婦を全裸で縛り上げた表現、
全裸にした女性を縄で緊縛して三角木馬という拷問道具で責める表現の写真や絵画が掲載されていた。
結城お姉さんが語ってくれたことは、ほとんどが理解できないほどに難しいことだったが、
お姉さんの見せてくれた母親を描いた絵や実際に行ったことは、異常性欲者のものでしかなかったのだった。
だが、異なるものがそこにはあるのだと小夜子には感じられるのだが、
それを言葉にして、思想の言語概念としてあらわされたものは、まったく見当たらなかったのだ。
小夜子は、自分のなかにある思いを打ち明けて、誰かに聞いて欲しいと思った。
しかし、そのような相手は、何処にも存在しなかった、専門の精神病理学の先生に診てもらったとしても、
雑誌や書籍に書かれていたことを難しい言葉で決め付けられて終わることは想像できた。
何故なら、それらの風俗雑誌や書籍が根拠としていたのは、その精神病理学の思想であったからだった。
小夜子は、孤独に苦悩するほかなかった。
この苦悩を幼少体験のトラウマとして見れば、その苦悩のありようを記述する文書があるとしたら、
以下のようなものになるかもしれなかった。



                         <或るマゾヒストの身上書>


 女は名前を小夜子と言った。
 年齢は二十七歳、美男子で思いやりがあり、健康で仕事にも有能であった夫を持つ人妻であった。
 彼女自身、美貌と優美な姿態を兼ね備えていたから、夫からも、だれからも、こよなく愛される存在であった。
 生活に困ることのない収入があり、不足しているものを見つけ出すとすれば、子供がいないことくらいだった。
 だが、彼女は、子供を望むことよりも、もっと満たされることを求めていた、それは、彼女自身の心であった。
 満たされた現状に甘んじられない心があるというのは、人間として、ごくあたりまえのことと言える。
 満たされた心のままに生き続けられるということの方が、現実生活では遥かに困難なことであるからだ。
 人間の心は移ろいやすいのである、心が完璧でありたいと思うのは、それが完璧なものではないからなのだ。
 従って、文学作品に見事に表現されているように、「恋に溺れながら、私の愛は乾いていく、高ぶるほど空虚、
 満たされるほど孤独」であると彼女が感じていたとしても、特別なありようを示していることでなかったのだ。
 彼女さえ受け入れることをすれば、近づいてくる男性との恋の機会はいくらでもあった。
 彼女は、その恋の大海原へ漂う小舟のように、移ろいやすく感じるままに愛の渇きを癒すことを求め、
 結ばれ合うことで高ぶらされる官能が、求める愛に比べては遥かに空虚なものであるからこそ、
 さらに結ばれ合うことを求めさせ、喜悦のなかに満たされるそのはかなさにあっては、
 人間という無常の孤独が感じられるのであった――このようなものを感じてもよかったのである。
 しかし、彼女は、愛するのは夫ひとり、と固い思いを抱いていたのだった。
 ここで、もし、「恋に溺れながら、私の愛は乾いていく」と言うときの<恋>と<愛>の意味することが、
 一般に言われているような恋愛ではないとしたら、どうであろう。
 彼女固有の世界を示しているようなことだとしたら、どうであろう。
 彼女の夫に対する純潔の思いは事実であっても、
 その肉体の奔放さも純潔であるとすることができるものなのだろうか。
 いや、その肉体と言えども、結局は心が支配しているものであるのだろうから、
 彼女の心は不純であると言えることなのだろうか。
 ここで、どのようなありようが心の純潔であるかを云々していても意味がない、
 そのようなことは、そのようなことを専門に考えてくださる先生方にお任せしておいた方がよい。
 ここで言わなければならないことは……
 彼女はマゾヒストである、ということなのである。
 現在のところ、その定義のほかに適当な言葉がない以上、そのように表現するしかないことなのである。
 マゾヒストとは、どのようなありようのことを言うのか、ここにおいでになっている方々には周知の事柄であろうが、
 作家であったザッヘル=マゾッホの名に由来する、
 肉体的及び精神的苦痛を受けることによって、性的な満足を得る異常性欲者のことである。
 小夜子は、異常性欲者なのである。
 彼女は、肉体的及び精神的苦痛を受けることによって、性的な満足を得ることができる女性であったのだ。
 しかも、<恋に溺れながら、私の愛は乾いていく>と言っている相手は、女性でしかあり得なかったのだ。
 マゾヒストでありレズビアンであったと決めつけてしまうのは簡単だが、
 男性である夫を愛し、その性行為に心底から喜悦する女性であることも否定できない事実であった。
 要するに、性に淫乱なだけである、と結論付けてしまえば、
 折り合いを付ける、辻褄を合わせる、収拾を付ける、整合性を成す、といった考えの点からは間違いない。
 いずれにしても、そうした加虐と被虐を通して女性同士の愛欲を行うことを<牝鹿のたわむれ>と称することを、
 彼女は、その愛欲に目覚めさせられた最初の相手から教えられたが、そのときは、まだ、十二歳だったのである。
 最初の相手は、その後、小夜子の前から忽然と姿を消したが、彼女にとっては、まさしく、本物の恋の相手だった。
 この世で最も崇高な愛と肉体の行為によって、法悦の高みにまで上昇させてくれる唯一の相手であったからだ。
 彼女は、人生の成長過程では、<牝鹿のたわむれ>を共有できる相手を見つけることがまったくできなかった。
 成人になってから、そのような行為を職業としている女性とたった一度だけ関係を持つことをしたが、
 相手の女性の真摯な奉仕にも関わらず、惨憺たる思いしかなかったのだった。
 彼女は、異常性欲者なのである、普通の女性であれば満足できるだろう行為も受け入れられなかったのである。
 誰が見ても、恐らくは、精神病理学の先生でさえ、彼女の外見を見ただけでは判断できないことだろう。
 美貌と優美な姿態に包まれた肉体の奥にある、その心の真のありようを知ることはできないであろう。   
 言動や振る舞いはごく普通の女性をあらわすものしか感じられない、この女性が実際に考えていることは、
 十二歳のときより、その恋する相手を求める心が生み出し続けている空想となって、
 犯しがたく偏執狂的なさまを示している異常な世界であることを……。
 その証拠を、これから、本日ご来場の皆様にご覧に入れようというのである。
 普通の女性であったら、とても耐えられない境遇に置かれて、
 この女は、悩ましくあだっぽい演技にしてさえ見せ、堂々と我々の眼へさらすことをするのである。
 人前へ生まれたままの全裸になったということだけで、女性は激しい羞恥を抱くものである。
 その裸身のまま、縄で自由を奪われる緊縛をされれば、屈辱は生きた心地さえ奪うものである。
 さらに、全裸を緊縛された姿を晒しものとされるのであれば、何が女性を救う思いになると言うのか。
 そればかりではない、この女は、慎ましく隠している翳りを見事に剃らせて、
 女性の羞恥の割れめを惜しげもなくご覧に入れるというのである。
 心に巣くっている異常性欲なくして、どうして、普通の女性がこのような振る舞いを行える、と言えるのか。 
 どうか、皆様、ご自身の眼で確かめて、納得していただきたい所存である……。


この文書が小夜子の空想における挿話に過ぎないことだったとしても、
彼女の思いを正しく伝える手段は他になかった。
彼女の思いを理解する唯一の者は、結城お姉さん以外にあり得なかったが、その女性の存在は不明だった。
小夜子がサディズムやマゾヒズムやレズビアンの愛欲としてだけでは説明できないことを認識していたとしても、
それを立証する学術が存在しないのであれば、単なる彼女の性の妄想ということになる。
単なる性の妄想であれば、そのようなものは、肉体や心の欲望が満たされない、煩悩ということに過ぎない。
そうとされて、致し方のないことだった。
だから、小夜子は、孤独に、結城お姉さんのひとつの言葉を信じ続けたのだった。
<いずれは、あなたがたどり着かなければならない、
起るべきことのために準備しなければならないということです>
ということを。
煩悩からの救いとなることだと思えたからこそ、
生まれたままの全裸を自然の植物繊維を撚った縄で縛られた女性は民族の予定調和の表象であり、
信奉者の流儀に従った縄掛けを陰茎に施された男性と交接することで、官能の絶頂が極められることは、
小夜子にとって、取って代わるものがない以上、拠り所であったのだ。
それがいま、問われているのだった。
小夜子のなかに本来ある、
<牝鹿のたわむれ>という認識が如実となってきたことで……。



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