第5章 『小夜子の赤裸々な自縛手記』 |
古びた板の間に、生まれたままの全裸を麻縄で後ろ手に縛られ、 豆絞りの手拭いで猿轡を噛まされ、乳房を突き出させられるような胸縄を掛けられた、 三人の女性が一筋の縄でじゅずつなぎに繋がれている情景にあった、 脱力したように横臥する、空ろなまなざしの女性を中央にして、 横座りとなったふたりの女性が左右から、 顔立ちと姿態を密着させて寄り添っているという構図は、 女性の優美な曲線に縁取られた姿態は、ふたつのふっくらとした綺麗な乳房、 くびれの優雅な腰付き、形の良い臍をのぞかせる、なめらかな腹部、 艶やかな太腿から伸ばさせたしなやかな両脚をあらわとさせていることで、 三人の女性が囚われの身となっている、 非情な状況が見事にあらわされていると感じさせる表現にあった、 中央に横たわる女性は、下腹部の箇所を白無垢とさせて、如実とさせていたが、 それは、ぼかしというもので、女の割れめを公然とはあらわすことのできない、 出版事情に依ることで、左右の横座りになった女性にあっても、 組ませた両脚は、陰部を隠させるようにさせている姿態にあった、 情景は、やくざ者にでも拉致されて、売り飛ばされるような女の悲哀を伝えてくるものがあり、 縄で緊縛された全裸の被虐があらわす、淫靡な写真と言えるものにあるのだった、 だが、添えられた文章には、次のように書かれていた。 <じゅずつなぎ> その崇高なありようは、 結ぶ、縛る、繋ぐ、という日本人の思考があらわされていることにある。 縄で縛られている女性たちがあらわとさせていることは、 縛られた被虐に晒された状態にあることではない、 縄は、彼女たちを守るために掛けられた、麻の鎧としてあるということだ。 女性たちを守護する、自然界から生まれた、麻縄は、 女性のあらわす、優美、尊厳、慈愛を明らかなものとするためにある、 その縛られた姿は、言葉を超えた霊力にあるのは、 言葉を禁じられた、豆絞りの手拭いで猿轡をされた姿に晒されても、 慈愛の姿にある三美神と言うべき、 艶美、壮麗、崇高が示されていることにある。 日本人にある、結ぶ・縛る・繋ぐ、という思考は、 日本民族の創始より育まれてきたありようにあって、 縄で緊縛された全裸の美女に、 美の厳粛を見ることを可能とさせることにあるからである。 <じゅずつなぎ>に結ばれた三美神は、やがて、休息から目覚めるだろう、 その場から立ち上がるときには、猿轡も取り去られ、 美麗な顔立ちをあらわとさせて、 新たな時代をあらわす象徴となることにあろう。 知人から、戦後の性風俗に詳しいじいさんが北上野で古本屋をやっているらしいと教えられて、 小夜子の手掛かり欲しさに、正確な住所も店名もわからずに、 浅草まで続く長い商店街で探し当てた店舗は、<ブックス パフューム>という、 小ぢんまりとした、きちんと整頓された、明るく清潔な趣きにある、古書店だった。 店内に客はなく、店の者も外出しているらしい様子にあったことは、店主を待つ間、 書棚を眺めさせるということを冴内谷津雄にさせたことであったが、風俗雑誌と言っても、 隅の方に、数冊程度あるだけで、場所を間違ったのではないかと思わせたことでもあった。 その数冊の中にあった、『SMクイーン 十月号』という雑誌を手にして、 最初に開いたページにあったグラビアが<じゅずつなぎ>という白黒写真だった。 写真と添え書きの表現の対照は、実に、当惑させられるものであったことは、 冴内に、他のページを繰らせることをさせたが、 緊縛写真付き随筆 『終焉なき悪夢』、緊縛絵画 『縛めの変容譚』、 実録 『びっこの縄師 桜花の誕生』といった表題が見られるなかで、 『小夜子の赤裸々な自縛手記』という告白は、興味を惹かれるものがあった、 それを読み始めようとしたときだった。 店のガラス戸がおもむろに開いて、ひとりの女性があらわれた。 その若い女性は、波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、美しい顔立ちをこちらへ向けて、 優雅さを漂わせた素振りで、冴内へ一瞥を加えると、澄んだ綺麗な声音で、 いらっしゃいませ、と言って通りすがり、仕切りの扉を開けて、奥へと入って行った。 冴内は、早速、すみませんと声を掛けて、レジの前に立った。 先程の女性がすぐにあらわれたが、まじまじと顔を見合わせた、冴内は、 年齢は、三十歳くらいになるのだろう、その女性の顔立ちと黒髪の美しさもさることながら、 白い絹のブラウスと紺地のタイト・スカートという、まるで事務員のような服装にありながら、 それは、まるで、紺地のセーラー服でさえ似合いそうな趣きがあり、女らしさを際立たせる、 起伏のある優美な姿態を見せ付けられては、思わず、どきどきさせられるのであった。 だが、女性は、笑みひとつ見せず、優雅さを漂わせる、真顔で事務的な態度にあった。 このような女性に対して、緊縛雑誌を見せることに少し気が引けたものの、 店の者と客の間柄にあれば、<猥褻>をレジの机上へ差し出す以外になかった。 女性は、雑誌をじっと見ると、一瞬、上目遣いのまなざしを冴内に投げかけたが、 すぐに雑誌を取ると、「千円になります」と澄んだ綺麗な声音で価格を告げながら、 ほっそりとした白い指先の慣れた手付きで、紙袋に包装するのであった。 冴内が財布からその金額を支払うと、女性は、丁寧に商品を手渡しながら受け取り、 レジスターを鳴らして収めると、レシートを出して、「有難うございます」と礼を言った。 しかし、そこですぐに立ち去ろうとしない客であった、 女性は、真顔の表情で、相手の挙動を待ち続けるという静寂が張り詰める状態となった。 「不躾な質問になりますが、こちらのお店の店主は、お年を召した方で、 戦後の色々な情報に詳しいお方と聞いて出向いてきたのですが、ご在宅になりますか。 申し遅れました、私は、冴内谷津雄と申しまして、文筆業者です」 冴内は、ようやく、そう言って、名刺を差し出すのであった。 ほっそりとした白く綺麗な指先で名刺を受け取った女性は、 相手をじっと見据えたまま、答えるのであった。 「店主は、私でございます。 あなたさまが言っておられるのは、恐らく、叔父のことではないかと思われますが、 叔父は、十年以上前に亡くなって、<安達書店>という店名も、在庫書籍も、 昨今の事情に合わせて、現在は、<ブックス パフューム>と改められたことにあります。 これで、よろしいでしょうか」 冴内には、納得する以外にない説明であったが、 ふとさした思いは、次の質問をためらわずにさせていた。 「これは、本当に、失礼な質問ですが、 あなたのお名前は、こちらの店主様のお名前は、何と申されますか」 女性は、その質問には驚いた様子にあったが、 「安達由香です」 と答えるのであった。 冴内は、有難うございました、と告げて、その店を出るのであったが、 由香と名乗った女性がこちらの背中を見つめ続けているのを意識せざるを得なかった。 商店街を裏通りに入ったあたりに、緑をのぞかせる公園らしきものが見えたので、 ひとまず休もうと思い、<山伏公園>と表札されたなかへ入るとベンチへ腰掛けた。 白昼の眩しい陽射しは、大樹の緑に遮られて涼しく感じられ、 他のベンチにも人影はなく、交通の騒音も激しくはなく、 しばしの読書を愉しめると感じながら、紙袋から雑誌を取り出した。 それから、筆者の告白とされる文章を読み始めた。 『 小夜子の赤裸々な自縛手記 』 村上小夜子 まっくらななかに、しろくひかるものがあった。 しろくひかるものは、おんなのひとだった。 おんなのひとがなにもきていない、はだかのまま、たたされていた。 おんなのひとのからだには、たくさんのなわがまかれていた。 かおにもてぬぐいがまかれていた。 でも、それがだれか、すぐにわかった。 わたしのだいすきなおかあさんだった。 これは、私のなかに刷り込まれている、<ひとつの像>です、 幼稚園の年長のとき、六歳頃に経験したことにあります。 私は、ひとりっ子でしたが、幼いときから、部屋で独りで寝かされていました、 夜中に目が覚めて、恐くなって、父と母の寝室まで行ったときでした、 かすかに開かれていた、扉の隙間からのぞいた、光景だったのです。 一糸もまとわない、全裸の母が荒々しい縄で縛られている姿を知ったとき、 私は、ただ、もうびっくりして、立ち尽くすばかりでした。 両親には、気付かれることはありませんでしたが、 そのあと、どのようにして寝床へ戻ったのか、まったく覚えがありません。 朝、目覚めたとき、いつものように、母の優しい笑顔が眼の前にあったことは、 夢を見たことに違いないと思ったのでしょう、 そのことは、忘れてしまったようでした。 しかし、その体験は、事実であったのかどうか、 という宙ぶらりんの状態で、私のなかに揺れ続けていることにあったのでした。 小学五年の終わり頃でした、私は、ひとつの出来事に出合ったのです。 体操の授業で、校庭でドッジ・ボールをしていたときでした、パスされたボールをそらさせて、 私は、校庭の端まで、追いかけて行かねばなりませんでした。 小学校に隣接した公園のベンチに、サラリーマン風の男のひとが一人腰掛けていました、 私の方へ背を向けて、雑誌のようなものを見ていました。 境になった金網まで近づいたときでした、 私は、思わず、その男性の見ている、雑誌のページを見てしまったのです。 女性が一糸もまとわせられない、全裸の姿のまま、立たされていました。 ほっそりとした両腕を後ろ手にされて、ふたつの豊かな乳房を突き出させられるように、 胸の上下から幾重にも巻き付けられた縄で挟み込まれて、 腰付きをよじらせている姿態にありました、悩ましそうに腰付きをくねらせていたのは、 腰のくびれが際立つように掛けられた、縄がお臍のある中央から縦へ下ろされて、 女性の最も恥ずかしいとされる箇所へ通され、締め込まれていることによるものでした。 私も、すでに初潮を経験していたので、その箇所は、敏感に感じられることにあったのです、 だから、そのありさまに有無を言わせない、 非情の猿轡が豆絞りの手拭いによって顔立ちを覆っていた状況は、どきどきさせられました。 私のなかに刷り込まれている、<ひとつの像>を眼の前にさせられたという思いでした。 それは、あのときの母の姿をまざまざと甦らせたことは、 私の存在に気が付いて、私を睨みつけるように見つめる、 その男性の顔付きの表情が確かなものとさせていたことにあったのです。 思いが高ぶって、鋭く眼光を輝かせながら、頬を紅潮させている男の険しい表情、 それは、あのときの父の表情とまったく同じであったのです。 そして、この出来事は、宙ぶらりんのまま揺れ続けていた、 疑問を大きく振れさせていくことになりました。 私の父は、私立高校の国語教師をしていました、 子供の躾には厳しく、人間の倫理や道徳のあり方について、 事あるごとに、先人の言葉を引いて説くひとでありました。 私は、そのような父に尊敬を感じていました、それだけに、 男性が女性を裸にさせて、人間にあるまじき、浅ましい格好に縄で縛り上げる、 という行為がまったく結び付かなかったのです。 どうして、そのようなことをするのだろうか、という疑問が始まったことは、 母にしても、穏やかで優しく、思いやりのある人柄は、大好きなひとにありましたが、 その母が父からされる、非情とも言うべき扱われ方は、 いじめられていること以外の何物でもないにもかかわらず、普段の生活にある、 父と母は、互いを尊重し合っている、良い両親と見ることができたことにあったのです。 私の成長に伴っては、父と母も、 夫婦の秘め事には、注意深くなっていたに違いありません、 私には、その気配さえ感じられないことにありましたが、私の寝静まった後、 夫婦の寝室では、あの行為が行われていたことは、確かなことに思えました、 何故ならば、緊縛写真の出来事以来、私のなかにも、生じた変化があったからです。 私は、縄を見るだけで、どきどきするようになったのです、 その縄が麻縄や藁縄であれば、両頬が赤くなることさえありました。 このような私の反応は、他人が注意深く観察すれば、 異常であると見なしたことかもしれませんが、私も、悟られないように、 注意することを心掛けていました、それは、私立の女子中学校へ通うようになった頃でした。 そのような私の自意識に対して、母のあらわす態度には、納得のできないものがありました。 家には、テレビが居間に一台あるきりだったので、 見たい番組も、見たくない番組も、母と譲り合って、一緒に見る以外にありませんでした、 家にいた場合も、父は、書斎に引きこもって、読書か音楽鑑賞にありましたから、 テレビをふたりで見るということに、不満というものを感じたことはありませんでした、 だから、そこに違和感を感じるようになったことは、重大なことだったのです。 刑事物のテレビ・ドラマを見ていたときでした、 誘拐された女性が薄暗い部屋に監禁されて、後ろ手に縛られ胸縄をかけられた上、 布で猿轡をされている場面があらわれました、短い映像でしたが、 私は、胸がきゅっと締めつけられ、どきどきしました、 頬も赤らめていたに違いありません、母に悟られるのを恐れるあまり、 宿題があると言って、自室へ逃げ込まざるを得ませんでした。 女性の緊縛の場面を見ていたときでさえ平然としていた、母は、 私の突然の態度にも、平静に応じるばかりにあったことは、 自室にひとりになった私に、不可解を呼び覚まさせる以外の何物でもなかったのです。 二度目は、時代劇でした、女囚にある、白単衣姿の女性が縄で後ろ手に縛られ、 役人から尋問されるという場面でしたが、それが眼に入った瞬間、胸の高鳴りが始まり、 長引く場面は、両頬を火照るくらいのものとさせて、それ以上見続けることの恐れは、 宿題があると言って、自室へ逃げ込む以外になかったのでした。 私の敏感な反応に対して、鈍感と言うか、無感動と言うか、母の平然とした態度には、 もしかしたら、あのときの<ひとつの像>は、私の思い込みに過ぎないことであって、 事実にあったことではなかったのではないか、という疑問さえ抱かせたことにありました。 それは、もどかしい思いを募らせることにあり、私は、答えを出さなければなりませんでした。 ひとつは、母の<ひとつの像>は、事実としてあったことなのかどうかということ、 そして、もうひとつは、私のなかで成長し始めている、私の変化ということに対してです。 しかし、中学生であった、私は、それだからといって、もやもやするばかりにありました、 心の成長期にある者は、成長することで精一杯で、 それを客観的に考えるというようなことは、なかなかできることにはないものです。 学校の生活は楽しかったし、友達もいたし、遊ぶことにも夢中になれたことにあって、 父と母も、夫婦の秘め事は、もはや、やめてしまったように、 家庭の朝昼晩は、ただ、日々の生活に忙しいという毎日にあったのでした。 私は、母と一緒にテレビを見るような時間も少なくなって、 縄を見ても、慣れということがそうさせるものなのか、 初めの頃ほど、胸をどきどきと高鳴らせるものにはなくなっていました。 私は、変化し始めていたのです、 そう、確かに、変化し始めていたのでした。 それに気付き始めたのは、高校へ進学して、進路について考えるようになった頃でした、 私は、父のように、学校の先生になりたいと望んでいました、 担任の先生も、学習塾の先生も、私の学力なら、それを維持できる限り、 希望の大学へ進学できると太鼓判を押してくれていました。 私は、勉強に励みました、目指すは、国立大学でした。 一九七一年、高校二年生の終わりのときでした、 その年の二月に公開されたアメリカ映画、 『ソルジャーブルー』のポスターを見たことは、 私にある変化を衝撃的に意識させたことにありました。 左右へ振り分けたおさげの黒髪に、紋様のある鉢巻を巻いて、 大きな赤い羽を挿した、インディアンの娘が一糸もまとわない全裸の姿で、 こちらへ背中を向けて正座している、 後ろ手とされた左右の手首は、重ね合わされて、太い荒縄が巻き付けられ、 その縄尻は、尻を伝い、ぐるりと身体の前へまわされて、反対の尻へと絡められている。 これが<ひとつの像>となったのです、 母の<ひとつの像>とは異なる、もうひとつの像となって、私のなかへ根付いたのです。 騎兵隊によるインディアン討伐虐殺の悲劇をベトナム戦争と重ね合わせた意識で描いた、 西部劇史上の転換的作品と評価される映画にあるとされていましたが、 西部劇には興味がありませんし、婦女子の虐殺など見たくもありませんでした。 私に意味があったのは、<緊縛>とは言えない、ゆるく巻き付けられた荒縄であっても、 それが全裸に施された、拘束の縄をあらわすことにあれば、 その示される表現の重みは、衝撃的としか言えない印象にあったことでした。 毎日、自室に閉じこもると、思い浮かべてしまうのは、 インディアン娘の全裸の緊縛姿でしたが、その<ひとつの像>は、 再び、縄というものを意識させ、宙ぶらりんのままにある、疑問を再び揺り動かさせて、 答えを出さなければならない思いを募らせるばかりのことになっていったのです。 受験勉強が手につかなくなってしまったのは、問題のあることでしたが、 私が変化していたことは、私は、もはや、六歳の幼児でもなく、十一歳の小学生でもなく、 十四歳の中学生でもなく、まもなく、十八歳になる、女性にあるということでした、 いや、女になろうとする、女性にあるということでした。 インディアン娘の<ひとつの像>は、虐殺の悲劇の象徴をあらわすことにあるとすれば、 母の<ひとつの像>も、象徴をあらわす何かになければ、心に抱き続ける衝撃にはない、 インディアン娘の<縄>は、胸をどきどきと高鳴らせるものにあるばかりか、 それを想像することは、私の女としての最も恥ずかしい箇所を濡らさせるという事実は、 母の<ひとつの像>も、いじめの残酷さがあらわされているばかりではないことは、 母の<縄>も、同じように、濡らさせる事実にあったことでした。 私は、主体性や自主性を放棄したように、 ただ、他人へ追従や隷属するような考え方のできない性格に育てられました、 幼いときより、父から、女だからという見方に立つ考え方を斥けられてきました、 女が社会で自立して生活するのは難しいことです、 だが、できる限り、みずからを発揮して、自立した考え方から行えることを行いたい、 それが私の人生目標でした、そのために、教師になることの目的があったことでした。 私は、宙ぶらりんの答えを出さなければ、先へは進めない状態にまで来ていました。 すでに、高校三年生の夏休みになっていました。 かねてからの予定で、父と母は、北海道へ旅行に出かけることになっていました、 私は、受験勉強のため、留守番でした。 四日間、両親から毎晩連絡をもらう以外、 家のなかでは、ひとりきりになれる時間ができたことにありました、 私が答えを出すための千載一遇の機会と言えることにあったのです。 私は、両親を送り出すと、早速、父と母の寝室へ向かいました、 躊躇する思いなどありませんでした。 それがどこにあるのか、まるで、見当はつきませんでした。 朝から始めて、部屋にある、戸棚という戸棚、引き出しという引き出しを調べました、 昼食をジャムパンと牛乳で済ませ、午後も、丹念に捜しました。 夕方、札幌へ到着した、両親から電話が入りましたが、何ごともない振りを装いました。 夜に入り、私は、クリームパンと牛乳で夕食を済ませると、探索を続けました、 そして、捜すのに疲れ切った頃、ようやく、目的のものを見つけ出したのです。 確かに、それは、父と母の寝室にあったのです、 使い古されて灰色に脱色した、麻縄の束の数々…… それがきちんと衣装箱に収められて、 他の衣装箱に紛れるように、仕舞われてあったのです。 その現実を見ることは、拒み続けていたことを見せられた思いにさせました、 その事実を知ることは、信じたくなかったことを考えさせられる思いにさせました、 想像であれば、どのように思えることであっても、 実際に、事実という現実と向き合わされると、予想した思いとは裏腹に、 私にある常識は、批判的なまなざしを向けさせるものとなっていました。 この部屋で、この縄を使って、全裸になった母は、父の縄で縛られていたのだ、 どうして、そのような浅ましい行為をするのだろう、 今も、私に隠れて、私のいない隙に、私を除け者扱いして、 北海道へ旅行してさえ行なっているのかと思うと、嫌悪さえ感じられることにありました。 男性が裸にさせた女性を縄で縛り上げるというのは、異常変態性愛行為に過ぎないのだ、 普段の日常の生活では、それこそ、立派な人格にあると言えるくらいのふたりが、 同じ人間が、他人の眼のないところにあれば、下品で下劣で卑猥な行為をする、 それは、どうしても、理解しがたいことであったのです。 どうして、どうして、どうして…… それは、答えのない問いを繰り返しているということでしかなかったのでした。 考えあぐねているうちに疲れ果てて、いつしか、 私は、父と母のベッドの上で、眠ってしまいました、 そして、夢のなかで、 今までになく、はっきりと、母の<ひとつの像>を見たのでした。 まっくらななかに、しろくひかるものがあった。 しろくひかるものは、おんなのひとだった。 おんなのひとがなにもきていない、はだかのまま、たたされていた。 おんなのひとのからだには、たくさんのなわがまかれていた。 かおにもてぬぐいがまかれていた。 でも、それがだれか、すぐにわかった。 わたしのだいすきなおかあさんだった。 目が覚めたときは、真夜中になっていました。 部屋には、薄闇が舞い降りて、 眼の前には、窓から差し込む月明かりで白く浮き上がる、麻縄の束がありました、 それは、まるで、白い蛇がとぐろを巻いているように、不気味な感じのするものでしたが、 一方では、不思議なくらいに、艶かしさの感じられるものにあったのです、 見つめ続けていると、股間へ注意を向けさせる、ときめきのようなものが意識されるのでした。 始まった胸の高鳴りは、暖かで厚ぼったい火照りとなって、両頬まで広がっていくと、 突然、ひらめいたことは、わたしのだいすきなおかあさんは、 父である夫が大好きな妻である母にあるということでした。 それは、扉が開かれていくように感じられたことでした、 六歳のあのとき、かすかに開かれた隙間からのぞいた、 宙ぶらりんだった扉は、今、開け放たれていくと思えたことでした、 その扉の向こうには、母である、妻である、女が立っているのがわかったからです。 生まれたままの全裸の姿にある、その女の身体には、縄が巻き付いていました、 逆らうことを許されないように、後ろ手に重ね合わされた、双方の手首がひとつに縛られ、 豊かなふたつの乳房には、上下から挟むようにして、胸縄が掛けられていました、 優美なくびれを際立たせるように、腰付きを締め上げている縄が、 お臍から縦に下ろされて、漆黒の色艶を帯びる柔らかな陰毛を掻き分けながら、 股間へ通されているありさまは、女の最も羞恥する、割れめがあからさまとなるほどに、 肉を盛り上げて食い込まされている、緊縛としてあるものでした、 そうした身上に、一切の口答えを許さない、豆絞りの手拭いの厳しい猿轡をされた、女は、 腰付きを悩ましそうによじらせて、情感を漂わせる、まなざしを投げるばかりにありました、 身体に掛けられた縄の拘束感に囚われて高ぶらされ続ける、その思いは、 そのありさまにあることを嫌だと思うことには決してなかったことは、 虚空の一点を凝視するまなざしは、高ぶらされる官能からきらめきを放ち、 立たせられた姿態の艶やかな両腿の付け根を、 滴らせた愛液でてらてらと輝かせていることにあったからでした、 全裸姿を荒縄で緊縛されるという、非情で醜悪でおぞましい姿にある女に見えたことは、 そのような姿にあるからこそ、そのようにしてくれた男がいるからこそ、 その男にまとわされた縄の縛めにあって、 女は、そうされることこそが喜びであるという輝きを放っていることにあったのです、 まっくらななかに、しろくひかるものがあったことだったのです、 しろくひかるものは、おんなのひとだったのです、 女は、常識にある、外観とは、倒錯されたものをあらわしていることでした、 妻は、常識にある、外観とは、異常なものをあらわしていることでした、 母は、常識にある、外観とは、異化されたものをあらわしていることにあったのです、 どうして、そのようなことが可能なのか、 それは、女であり、妻であり、母は、愛されていたからでした、 母の身にまとった縄の縛めは、母を抱擁して守る、 男であり、夫であり、父の愛のあらわれとしてあったからでした。 私のなかに刷り込まれている、母の<ひとつの像>は、そのように教えるのでした、 その答えに間違いがないことは、 それは、人間ならば、誰もが持っている、性欲と性的官能は、 抱く思いと如何にして結び付くかということがそのあらわれを作り出すことにあるからです、 それは、私がみずからをもって、 あらわすことができるということにほかならないことだからです。 私が問題としている、もうひとつのこと、私自身と向き合わざるを得ないということでした、 縄を見つめ続けていることは、ますます、高ぶらされるものを意識させることでした、 私の両手は、その高揚させられる思いのままに、身に着けていた、 ブラウスとスカートを取り去らせて、姿態をシュミーズとパンティの姿にさせていました。 このような姿になることだけでも、もの凄く、勇気がいることでした、 何故なら、それが始まりに過ぎないことであって、 高ぶらされる興奮は、私を更なる行動へと駆りやらせるものでしかなかったからです、 はしたなくも、浅ましくも、あられもなく、思うがままに、 もっと大胆になろうとすることがいっそう高ぶらせることになることを知っていたからでした、 私は、母に重ねる、みずからの<ひとつの像>を頭のなかに描いていました。 シュミーズとパンティだけの姿で立たされた少女がいます、 彼女は、麻縄で厳しく後ろ手に縛られ、乳房が突き出るくらいの胸縄を掛けられ、 腰に巻かれた縄に至っては、恥ずかしい股間を通されて、 柔らかく敏感な箇所を締め上げられるように食い込まされた、股縄とされていました、 それから、シュミーズをはだけられて、ふたつの乳房を剥き出しにされました、 柱を背にして立たされて繋がれた、彼女は、晒しものにされているのでした、 羞恥と屈辱感は、激しく募りましたが、それは、ますます、興奮させられる思いとなって、 その悩めるような苦しさでもあり、快感でもある、疼かせられる感覚は、 ただ、うわずった気持ちにさせるばかりのことにあるのでした。 母が縄で縛られたことで、愛を受けとめ感じることができたように、 少女も、また、縄で縛られることで、愛を感じられる存在になりたいと思わせたことでした。 ほっそりとした私の指先は、灰色に脱色した麻縄に触れていました、 それをつかんで、ごわごわとした感触を感じながら、鼻先へあてることをしていました。 母が流した女の汗、唾液、愛液、喜悦の涙、それらをしっかりと吸い込んでいる縄、 或いは、鼻水や小水さえ吸い込んだかもしれない、その匂いをしっかりと嗅いでいました、 しかし、それは、思っていたほど、鼻につく匂いを放ってはいませんでした、 しばらく使われていないように、無味乾燥とした、縄の匂いがあるだけのものだったのです、 それでも、母がその素肌に密着させて、身にまとった縄であることに違いはありません、 縛られた母のことを本当に理解するために、私の身体へ同じように掛けねばならない、 同じ麻縄であることに違いはありませんでした。 愚かなことをしている自分があるということは、わかっていました、 ただ、性欲と性的官能にほだされて、行き着くところまで行くだけのことで、 昇りつめて醒めれば、だらしのないことをしたと反省さえすることです、 しかし、それでも、私にはどうにもならない血が熱くほとばしり、導かれることにあります、 母にも流れていて、私にも流れているもの、そして、父にも流れている同じもの、 その血は、私も、父から愛される存在になりたいと望ませるものでもありました。 シュミーズとパンティだけの姿にあった、私は、 横たわっていたベッドから身体を起して、姿態を隠す、一切の下着を取り去っていきました、 そこには、 左右へ振り分けたおさげの黒髪をした、顔立ちこそ、少女の可憐さにありましたが、 ほっそりとした首筋、柔和な両肩、桃色の乳首を愛らしくのぞかせた、 ふっくらと綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房、優美なくびれの腰付き、 可愛らしいお臍からなめらかな腹部の下には、艶やかな陰毛を慎ましく茂らせて、 太腿の艶やかさは、しなやかに伸ばさせた両脚の足先まで瑞々しくさせている、 十八歳になる、女の肉体があらわされているものにありました。 私は、ベッドを降りて、床の絨毯へ腰付きを落として、正座の姿勢を取ると、 手にしていた麻縄を腹部から尻のあたりまでぐるりと巻き付けて、 その残る縄で幾重にもした環を作ると、華奢な両手首を後ろ手に重ね合わさせて、 その環をくぐらせて引っ張りました、厳しい縛りにはありませんでしたが、 左右へ振り分けたおさげの黒髪の少女が一糸もまとわない全裸で正座している姿、 後ろ手とされた左右の手首は、重ね合わされて、荒縄が巻き付けられ、 その縄尻は、尻を伝い、ぐるりと身体の前へまわされて、反対の尻へと絡められている、 という姿態ができ上がったことにありました、 それを背後から見ることをすれば、 <ひとつの像>にある、インディアン娘の被虐の姿態と同様でした。 その格好にあって、これまで、どれだけの想像に身を委ねてきたことか、 両親が共に外出にある、時間を利用しては、鍵を掛けた自室に閉じこもり、 身にまとう一切を脱ぎ去って、生まれたままの全裸となり、 インディアン娘の被虐の緊縛姿に、みずからをこしらえて、 床に正座させたその姿で、可能な限りの時間、想像に身を委ねるという自慰行為、 想像が高ぶらされれば、悩めるように疼いていた、女の割れめも熱くなり、 顔立ちが火照り、身体が上気していく、冷たい縄も、私の暖かさを吸い込んで、 しっくりと馴染むように柔肌へ身を寄せて、拘束を確かなものと感じさせる、 全裸の姿を縄で縛られた被虐、そうあることの思いは、 熱くなった女の割れめを開かせて、愛液を滲ませるまでになることでした、 しかし、その縛る縄は、私が購入した、私の縄にあることでした、 母が縛られたに違いないことを想像して用いた、擬似の縄にあることでした。 しかし、今は違います、母の縛られた、本当の縄がみずからを縛っているのでした、 父が母を縛った縄が私を縛っているのです、 そのように思うと、疼き高ぶる官能は、両頬を赤々とさせ、喜びとねじり合い、 白い柔肌を桜色に染めさせて、悩めるくらいに波立つ快感は、 愛液でじっとりとなった股間の感触を伝えて、女にあることを意識させることにありました。 赤裸々な手記と言う以上、事実としてある事柄を隠していたのでは、 多感で想像力豊かな文学少女が書いた、ありきたりな変態小説ではないかと見なされても、 反論の余地はないことです。 私は、男性と女性が縄を通じて愛欲をあらわす変態行為について、 中学生になった頃から、異常な関心を抱いていた、早熟な娘にあったことは事実です。 その火付け役は、女性が被縛される場面を見る、平然とした態度にあった母でした、 私には、それは、どうしても、納得のいかないことにあったのです。 そして、その得心が行かない、不可解は、ついに、 あのサラリーマンの男性が見ていた雑誌を手に入れたいという思いにさせました。 しかし、未成年にあって、しかも、女子がそれをかなえることなど、不可能なことでした。 それでも、私は、諦めませんでした、辛抱強く、機会を待ち続けました。 中学三年になったとき、北上野に住んでいる同級生が猥褻本の買える古本屋があって、 同い年の男子などは常連客であって、本当に嫌らしいことだわねえと話すのを耳にしました。 同い年の男子に買うことができて、同い年の女子に買えないはずはない、 というみずからを納得させるだけの理屈と若気の勢いで、その店を訪ねる決心をしたのです、 もちろん、髪を隠すために帽子を被り、できるだけ、男子の服装に近い格好をしました。 他に客がないのを幸運として、勇気を奮って、店に入りました、 雑誌を選ぶなどという知識も、気持ちの余裕もありませんでしたから、 緊縛と書かれている雑誌の払える金額のものをつかむと、すぐに、帳場へ差し出しました。 店の主人は、見た目にわかる、片方の脚が不自由な老人でしたが、 買う客に対しても、買う本に対しても、まったく関心がないという態度で、 ただ、支払われる代金が足りるか、釣銭が間違っていないか、慎重なだけでした。 私は、緊張で顔を赤らめて、心臓が破裂するくらいにどきどきしていましたが、 私の顔立ちはおろか、私の格好にさえ、まなざしを投げることのなかった、店主だったのです。 そうした事情にあったことは、私に、貯まった小遣いがあり、 他に客のないことを確認させては、その店で、合計で五冊の雑誌を手に入れさせました。 緊縛雑誌を持っていることを両親に知られたら、それこそ、どのような事態になるのか、 想像することさえ恐ろしいことにありましたから、隠すのは必死のことでした。 それから、私は、その五冊の貴重な雑誌から、様々なことを教わったのです、 しかし、それは、私が期待していたほどのものではなかったのでした。 私が母の緊縛された姿に見た、<ひとつの像>と同じ全裸の緊縛姿にあって、 同じものにはないという相違の感じられることにあったからでした。 縄による緊縛は、男性と女性の隷属関係をあらすようなものになることを表現している、 このことを表現するために、縄による緊縛はある、 この点では、異論の余地がないほど、どの写真も、絵も、文章も、 一致した見解があらわされていると感じました、 それは、サディズム・マゾヒズムという概念に依っているということもわかりました。 従って、私とは、無縁の事柄にあることは、 高校二年になったとき、すでに、はっきりとしていたことにあったのです。 私は、女性は、自立した意識にある存在であることが自然なありようと考えています、 人間は、隷属している事柄から自由になれることが人間性であると信じています、 こういう立場からすると、サディズム・マゾヒズムをあらわす表現は、 このように見えてしまう、 その概念は、そこから、性欲と性的官能が差し引かれれば、 残るのは、隷属関係をあらわす事柄といじめの事柄があるだけのものでしかない、 キリスト教的な宗教性の事柄もあるが、信者になければ、無縁の事柄でしかない、 これは、人間として、当然と言えることかもしれないが、或る思想に基づいて、 そこから価値判断を行っていることがあらわされていることにある以上、 もし、サディズム・マゾヒズムの概念以上に有用な概念が生まれれば、 それに従った価値判断が行われることに過ぎないということです。 私は、緊縛に関心を抱いた、中学生の始めの頃から、 指先で女の割れめを撫でては、思いを高ぶらせる、自慰行為を行っていたことは、 実際の緊縛雑誌を手に入れることができなかった、代償行為としてあったことでした、 ですから、性欲と性的官能は、身近なものとしてあることでした。 その性欲と性的官能について、どのような思想に基づいて価値判断をするかに依っては、 それがどのようなものとして見なされるかを定められることでしかなければ、 快感が高ぶるまで、指先で女の割れめを撫でる行為そのものは、そこに喜びのある限り、 善でも、悪でもないことは、普通に考えられることにあると思えました。 大人の事柄も事情もわからない、未成熟な小娘のくせして、生意気なことを言うな、 と怒られそうな独白になっていますが、過ちも多分にあることかもしれないので、 どうか、早熟娘の馬鹿な手記だと思って、大目に見てください。 私にとっても、何故、私は、縄にときめきを感じるのか、縛られたありさまに興奮するのか、 この答えは、依然として、わからないままのことにある以上、未熟は事実なのです。 そうしたとき、『ソルジャーブルー』のポスターとの出合いは、大きな啓発となりました。 サディズム・マゾヒズムの概念に関わりなく見れば、インディアン娘の全裸の緊縛姿は、 誰に依って、何に依って、被虐をあらわす姿にさせられていることにあるか、 という問い掛けを見事にあらわしている、象徴として感じられる表現にあったからです。 騎兵隊のインディアンの婦人や子供に対する無差別の虐殺行為は、 サディズムに依ることだと解釈してしまえば、ベトナムで行われた虐殺も、 ナチスが強制収容所で行ったユダヤ人虐殺も、日本人が南京で行ったという中国人虐殺も、 異性を虐殺する行為は、すべて、人間にある、サディズムのせいで終わってしまう、 これでは、人間の殺戮の動機が畜生のあらわす殺傷欲と変わらないということで、 人間性を問い掛けるべき殺戮の動機は、人間性を問うほどのものでなくなってしまう、 従って、インディアン娘の全裸の緊縛姿は、サディズム・マゾヒズムとは無縁の表現として、 政治とは何か、人類の共存とは何か、人間性とは何かを問い掛けることができることにある、 そのように思うと、まだまだ、人間の未知の部分が多大にあると感じられたことにありました。 そして、それは、眺めているだけではわからないことにある、 と教えられたことでもあったのでした、 私は、縄を必要としていることを実感させられたことでもあったのでした。 しかし、私を縄で縛ってくれる男性が実際にいるわけではありません、 もっとも、縛る男性があらわれたとしても、隷属している意識の持ち主であれば、不要です、 私は、私をみずから縛ることに依って、 私のなかへ入っていくほかないことだと思う以外にありませんでした、 緊縛雑誌を手本にして、受験勉強の合間に、みずからの身体の縛り方を勉強したのです。 麻縄を手に入れることは、緊縛雑誌ほど困難なことではありませんでした、 ロープ専門店へ行って、梱包に必要で、手頃な太さの丈夫な麻縄が欲しいと言えば、 年齢を確認されることも、女子であることの不審もなく、手に入れることができました。 縄の縛り方は、間違って行われれば、死を招くことさえあるという、奥の深いものです、 私など、まだ、水際にいるばかりですが、母の縛られた縄を見つけ出したことは、 半年に渡る、縄の勉学の成果を試されることでもあったのです。 薄闇の舞い降りる部屋で、全裸を縄で後ろ手に縛り、床の上に正座していた、 インディアン娘の被虐の緊縛姿にあった、私は、 被縛に晒されている、みずからの肉体が伝えてくる感触に思いを委ねていると、 縄の質感は、母が縛られたときにあった思いとは、その胸を高鳴らせるときめきにあって、 一糸もまとわせられない、覆い隠す一切を奪われた、生まれたままの全裸の姿、 羞恥で身を包むほかには、恥ずかしさにのぼせ上がる思いを抑えられないという倒錯は、 後ろ手に重ね合わされた手首を縛られたことで確実なものとさせられる、 みずからの自由を奪われることの始まりにあるとわかるのでした、 恥ずかしい姿にあるという嫌悪感があったとしても、羞恥が喜びを招くことにありさえすれば、 嫌悪感は喜びと変わるものにあることは、快感は、喜びにあるからです、 それは、女の割れめを疼かせる甘い悩ましさとなって、後ろ手の縛りばかりでなく、 ふたつの乳房のふたつの乳首が立ち上がるまでに、 上下から挟まれる胸縄を求めさせるのです、 腰付きへ巻き付けられた縄が火照り出した柔肌をなだめるように締め込まれていくことは、 愛液でじっとりとなった、女の割れめへ掛けられる縄の必然をもたらすことにあったのは、 私も、また、股間の感触を意識すれば、 じっとりと湿った愛液を知ることは同様にあるということで、 母も女であり、私も女であることは、ふたりを縛る、同じ縄は、 母があらわす、全裸の緊縛姿は、 誰に依って、何に依って、被虐をあらわす姿にさせられていることにあるか、 私のあらわす、全裸の緊縛姿は、 誰に依って、何に依って、被虐をあらわす姿にさせられていることにあるか、 という問いの答えを求めさせずにはおかないことにありました、 私は、姿態をもがきくねらせながら、両手首に巻き付けられている麻縄から、 両手を解放させると、おもむろに床から立ち上がり、 手にしている、母の麻縄で、みずからの縄掛けを始めていました。 床へ直立させた、私の全裸は、 ほっそりとした首筋、柔和な両肩、桃色の乳首を愛らしくのぞかせた、 ふっくらと綺麗な隆起をあらわすふたつの乳房、優美なくびれの腰付き、 可愛らしいお臍からなめらかな腹部の下には、艶やかな陰毛を慎ましく茂らせて、 太腿の艶やかさは、しなやかに伸ばさせた両脚の足先まで瑞々しくさせている、 十八歳になる、女の肉体があらわされているものです、 その肉体に掛けられる縄の緊縛として、亀甲縛りと呼ばれるものは、 縄の織り成す装飾性の点から見ても、ひとりで行うことが可能な点でも、 素晴らしい縄掛けの技法があらわされることにあります、 私の拙い技巧にあっては、 高ぶらされた思いを高みにまで引き上げることを可能とさせるかどうかは、 母の縄の力に頼るしかない、と思うばかりのことにありました。 一本の縄をふた筋とさせて、その縄頭を後ろへ余裕を持たせながら、うなじへ掛けます、 首筋を左右に割って、身体の前へ持ってきたふた筋をひとつにすると、 首元、ふたつの乳房の間、鳩尾、臍の上部、臍の下部へ、等間隔に結び目をこしらえます、 それから、残りの縄を腹部を伝わせて、余裕を保たせながら、股間へ通させます、 小丘にある、陰毛に覆われた女の割れめの縁から、はめ込んだ縄は、 愛液を滲ませて滑りやすくはなっていましたが、鋭敏さを増していたので、 肉襞の間へもぐり込ませるのは、慎重な手付きを必要としました、 それから、尻の亀裂の間からたくし上げるようにして、うなじにある縄頭まで持っていくと、 そこへ下から上へ通して、背後へ垂らすようにしておいて、その縄尻をひとつに結びます、 これは、私を後ろ手に縛る縄となります、 二本目の縄を取ると、一本の縄をふた筋とさせて、 その縄頭を背後へ垂れている四筋をまとめるようにしながら、 できるだけ高い位置で結びます、その縄尻を右の腋の下から前へ持ってきて、 縦縄にある、首元の結び目とふたつの乳房の間にある結び目の間へ、下から上へ通します、 その縄尻を背後まで持ってきて、今度は、左の腋の下から、同様に施します、 その縄尻を背後へ持っていき、引くことによって出来上がる菱形を整えながら、 右側から、ふたつの乳房の間にある結び目と鳩尾の結び目の間へ、下から上へ通します、 その縄尻を背後まで持ってきて、左側から同様に施して、出来上がる菱形を整えながら、 残りの縄を背中の縦縄と交錯している横縄へ絡めながら縄留めをします、 三本目の縄を取ると、一本の縄をふた筋とさせて、鳩尾と臍の上部の中間にあたる、 背中にある四筋の縦縄へ、その縄頭を結び、右側から、鳩尾と臍の上部の間の縄へ通して、 背中へ持ってきて、左側から同様に施して、背中へ戻すと、 右側から、臍の上部と下部の間の縄へ通して、左側からも同様に施して、 残った縄を背中で交錯する縦縄と横縄へ絡めながら縄留めをします、 最後に、背後へ垂らすようにしておいた、ひとつに結ばれた縄尻で環をこしらえれば、 それが私が後ろ手させた両手首を縛る縄となるのです。 部屋の隅にある、タンスには鏡がありました、 薄闇のなか、私は、近付いていって、扉を開いて、出来上がりを確かめました、 月明かりがちょうど鏡を光らせて、真っ暗ななかに、白く浮き上がりました、 それを見た瞬間、私は、私のあられもない姿に、 ただ、恥ずかしさを募らせるばかりにありました、 このような変態の姿に、みずからを変容させる、私は、異常な倒錯者なのだと思いました、 しかし、見つめ続けていると、縄を身にまとう、美しさの感じられことにあるのです、 それは、縄を身にまとった私が縄によって意識させられる思いへ向かわされることでした。 ほっそりとした首を振り分け、縦に下ろされている縄は、 綾を作り出すように、各々四筋ある四つの横縄によって左右へ引かれ、 綺麗に四つの菱形を浮かび上がらせては、ふたつの乳房をしっかりと包み込む縄となり、 お臍の愛らしさをのぞかせる縄となり、腰付きの優美さを際立たせる縄となっていました、 その縦縄は、なめらかな腹部を伝い、漆黒の色艶を放ちながら慎ましやかに茂る、 陰毛を掻き分けて、女の割れめへ深々と埋没しているありさまは、 見るからに、恥ずかしく、嫌らしい、卑猥に満ちた露わにあることに違いありません、 しかし、その股間にある縄は、そこに掛けられている縄にあるからこそ、 私の悩める疼きを喜びのある快感へ導いてくれるものとしてあるのです、 すでに、身体への縄掛けが始まったときから、柔肌へ密着する縄は、 単なる道具にある、縄という物質に過ぎない存在から、 私の悩める疼きの発熱を帯びたことで、生き物にあるようなうごめきをあらわし、 柔肌へ密着する縄が増えれば増えるだけ、その圧迫される感触は、 私を包み込んで守ってくれるような抱擁感を意識させていました、 肉体に浮かび上がらせる菱形が数を増せば、上半身の縄の緊張は、 女の割れめへもぐらせた縄の緊張を招いて、下半身を鋭敏とさせていたのです、 私は、縄に魅せられた、縄に囚われた、縄の奴隷です、 生まれたままの全裸にまとう衣服としては、縄の縛めこそがふさわしいと感じる女です、 隷属を嫌う私が縄の奴隷にあるだなんて、矛盾していることにあります、 しかし、性欲と性的官能に高ぶらされる思いにあっては、 縄の奴隷と呼ぶべき私は、思いの矛盾を超越している思いにあるのです、 私は、亀甲縛りにあるみずからの姿態を見つめながら、その縄は、母のものであり、 母も、同じように、この鏡に映して、みずからの姿を見たかと思うと、 母の縄が私を包んでくれる喜びを感じることができました、 母も、縄で縛り上げられたみずからに、美しさを感じたことは、間違いありません、 まっくらななかに、しろくひかるものがあって、 しろくひかるものは、おんなのひとだった、 私も、しろくひかるものとなることが定められた女にあると自覚できることにありました。 私は、タンスの扉を閉めると、父と母のベッドへ上がって、姿態を横臥させていきました、 背後へ垂らした、環をこしらえた縄尻へ、後ろ手にさせた双方の手首を入れて、 拘束された状態を作り上げました、それから、思い念じたのです。 やがて、夫婦の寝室の扉が静かに開け放たれました、 扉の隙間から、私の一部始終を眺め続けていた、 男の人と女の人が入って来たのでした、 緊縛姿の背中を向けていた、私は、ふたりの存在に気が付いて振り向きましたが、 男の人が手にしていた、豆絞りの手拭いで、強引に猿轡を噛まされてしまいました、 言葉を封じられた、私は、もぐもぐしながらも、相手を睨み返すようにしましたが、 舞い降りている薄闇は、ふたりの顔立ちをぼんやりとさせるだけで、誰だか、わかりません、 ただ、ふたりが一糸も身にまとわない全裸の姿にあることだけは、わかりました、 私は、ふたりによって、縄の緊縛姿を仰向けに寝かされると、 足元の方にいた、女の人の手で、両脚を開かされました、 もちろん、私は、足首をつかまれては、懸命に抵抗したのです、 しかし、私の下半身は、女の割れめへ掛けられた縄で疼かされ続けていて、 なよなよしているばかりで、強引にされることは、 むしろ、気持ちが良かったくらいのことでした、 女の人は、割り開かせた両脚の両足首をつかんだまま、ベッドへ上がると、 そこへ横座りになって、伸ばさせた舌先で、片方の足先を舐め始めました、 それは、くすぐったい感じでしたが、舌先で執拗に舐めまわされていくと、 足の指先は、足の甲へ、それから、足首へと移るにつれて、 ぞくぞくとした快感となって伝わってくるのでした、その一方で、男の人は、 やはり、ベッドに上がり、私の横へ添い寝をしてくると、 私のほっそりとした首筋へ唇を押し当て、尖らせた舌先でゆっくりと舐め始めたのです、 それは、舐め上げながら、首元まで下りていくという動きにあって、 逆撫でされているようで、妙な快感を感じさせられることにありました、 男の人と女の人は、上からと下から、徐々に、中心へ向かって愛撫していたことは、 私を後ろ手に縛って、身体を包み込むようにしていた、亀甲縛りの拘束がもたらす、 抱擁されるような感触を気持ちの良い熱さでのぼせ上がるものとさせていました、 女の人の舌先は、ふくらはぎから太腿へ移っていました、 男の人の舌先は、肩から首元へ移っていました、 私は、高ぶらされる快感で、声音をもらしましたが、猿轡は、くぐもらせるばかりにありました、 太腿を舐め上げ舐めまわす、女の人の舌先は、執拗で、もう少しのところで、 中心に触れるというところで、戻っては、また、近付くということを繰り返していました、 男の人の舌先も、ふっくらと膨らんだ、ふたつの乳房の谷間を行き来するばかりで、 中心に近付くのは、お預けというように、つれない素振りの愛撫を繰り返していました、 それは、疼いて高ぶる思いをただもどかしいばかりのことにさせて、 悩めるようなその快感は、腰付きをくねらせて、 みずから、求める仕草さえあらわとさせていたことにありました、 私は、桃色の乳首のまわりには、汗が浮き出し、 縄を締め込まれた女の割れめには、滲み出させた愛液の豊富を意識させられていました、 そんな焦らすような真似は、いやです、もっと私を高ぶらせて、 上げる声音がうめき声にしかならないことにあれば、腰付きをくねらせて、 ねだる仕草を示さなければ、いつまで経っても、中途半端にあるだけだと観念しました、 私は、何度も何度も、腰付きを悩ましそうにひねらせ、色気を滲ませてくねらせました、 やがて、男の人と女の人の舌先は、合図でもあったかのように、同時に、 乳首と女の割れめへ触れていったのです、 乳首を舐め上げては吸い上げる、男の人の舌先と口が片方を行えば、 もう、片方の乳首は、指先がこねり、つまみ、揉み上げるということを繰り返し始めました、 女の人の舌先は、あふれ出させた愛液を舐め上げるように、 女の割れめに沿って執拗な愛撫を始めましたが、 それ以上は、深々と埋没している縄が邪魔して、行うことができませんでした、 しかし、縄は、生き物であったのです、女の人の指先がその縄を撫でれば、 その繊細であって、熱烈な愛撫は、縄がしっかりと伝えるものとしてあるのでした、 縄に擦られて、私の女芽、女の花びら、菊門は、煽られるばかりにありました、 私は、ふたりによって、押し上げられていくばかりの状態になっていました、 しなやかに伸ばさせた両脚は、置き場がないように、ふらふらと悶え続け、 優美な腰付きは、悩ましさをあらわす、うねりくねりで揺さぶられ、 後ろ手とされた、菱形の綺麗に浮き立つ、綾な亀甲縛りの上半身を上気させながら、 豆絞りの猿轡から、声にならない、甘美なうめき声をもらし続けて、 おさげ髪が右に左に揺れるほど、顔立ちをいやいやをするように振っていました、 それは、縄が柔肌を圧迫し続ける拘束感にあって、 女の割れめから突き上げられる快感は、乳房や乳首の快感とねじりあって、 気持ちの良さの絶頂へよじらせられる喜びをもたらすものにありました、 それは、縄の拘束を突き破って解放される、恍惚となることでした、 私は、大きく姿態を硬直させると、びくんとなって、昇りつめていました、 それでも、男の人と女の人は、執拗な愛撫を続けていて、離れることをしません、 私は、大きな波が破裂しても、小さな波の破裂を繰り返されているようで、 緊縛の姿態は、その度に、びくんびくんと痙攣をあらわとさせることにありました、 私は、満たされる快感のうねりに漂わされて、恍惚となっているばかりでしたが、 愛撫をやめた、ふたりは、醒めやらない私を左右から起すと、 抱きかかえるようにして、ベッドから降ろし、床へ立たせるようにさせたのでした、 そこには、白木の柱があって、私は、それを背にして、繋がれたのでした、 私は、立った姿の晒しものにされたのでした、 生まれたままの全裸に、亀甲縛りという、美麗な縄の化粧を施され、 後ろ手に縛られた、自由を奪われた姿態があらわす、倒錯、異常、異化の姿にあって、 縄が浮かび上がらせる、ふっくらとした瑞々しい乳房、愛らしい桃色の乳首、 優美な腰付き、可愛いお臍、締め上げられるように食い込まされた股縄のある股間、 しなやかに伸ばさせた両脚、何もかもをあらわとさせたありさまで、 官能の恍惚の余韻に浸っている、少女があることでした、 情感を帯びたまなざしを投げる、私の眼の前には、父と母のベッドがありました、 ベッドの上には、全裸の姿にある、男の人と女の人が向き合って正座をしていました、 見つめる、私のことなど、一向に気にしていないという素振りで、手と手を取り合うと、 待ちかねていたように、唇と唇を重ね合い、のぞかせた舌先を熱烈に絡め合って、 互いの情感を高ぶらせるのに、夢中になり始めるのでした、 私は、その様子を見ていて、私だけが晒しものという境遇に、 恥ずかしさと惨めさを感じるのと同時に、激しく嫉妬が募りましたが、 縄の緊縛に手拭いの猿轡という拘束にあっては、 眺めさせられる以外に、成す術のないことにありました、 男の人は、女の人を優しく仰向けに寝かせると、女の人の唇から離れて、 相手の柔らかに波打つ髪を手で梳きながら、ほっそりとした首筋へ、唇を伝わせました、 それから、首元へ下りると、ふっくらと隆起した乳房に立ち上がる乳首を吸ったのでした、 男の人の唇と手は、ふたつの乳房と乳首へ執着して、片方が舐めては吸うを繰り返せば、 もう片方は、揉み上げては揉みしだき、こねりまわしては摘むを繰り返すのでした、 じっとしたまま、見つめるしかない、私は、その乳房と乳首の熱烈な愛撫を見せられては、 みずからの感触を思い出させられ、興奮させられる思いとなっていくほかありませんでした、 私の股間に、しっかりとはまり込んでいた、縄も、熱を帯びてくれば、 愛液の滴りを吸い始め、息づいたように、更に、深く埋没する感触となるばかりでした、 その悩めるような苦しさでもあり、快感でもある、疼かせられる感覚は、 ただ、うわずった気持ちにさせられるばかりで、穏やかだった官能は、再び、煽り立てられ、 私の桃色のふたつの乳首も、立ち上がっているのが確かめられたことにありました、 男の人の唇は、優美なくびれをあらわす、腰付きのお臍のあたりへ下りていました、 その両手は、ふたつの乳房を揉み上げることをまだ熱心に続けていましたが、 女の人が、ただ、されるがままになっているだけの状態にあったことは、 その後ろ手になっている様子から、まるで、縛られているように見えたことにありました、 自由を奪われたように、男の人に身を委ねる、女の人は、柔らかな髪を揺らさせて、 顔立ちを右に左にうごめかせながら、溜め息と同時に、甘い声音を漏らさせていたことは、 自由を奪われている姿にある、私の思いと官能を掻き立てずにはおかないものにありました、 男の人の舌先がなめらかな腹部へ及んで、その指先が陰毛へ触れると、 女の人は、びくっとなりましたが、みずから、しなやかな両脚を開いていくのでした、 その開かれた両脚の艶かしい太腿は、両手に取られて、更に開かせられると、 あからさまとなった、女の割れめは、愛液で濡れそぼった、生々しい光沢をあらわとさせ、 男の人の顔付きは、吸い込まれるような勢いで、そこへ覆いかぶさっていくのでした、 その舌先がぴちゃぴちゃと卑猥な音を立て始めたことは、 女芽、女の花びら、菊門の愛撫となっていることが示されていることでしたが、 それは、貪るというくらいに、熱烈で執拗な愛撫であったことは、 女の人の首をのけぞらせての甘美な声音の連続となってあらわされ、 私にあっても、縄の縛めで高ぶらされ続ける、官能は、 眼と耳を通して、激しく飛び込んでくる官能とねじれ合って、 私の女の割れめが舌先で、舐め上げられ舐めまわされているようであり、 豆絞りの猿轡の声音は、くぐもらせる、甘いうめき声となるばかりのことにありました、 男の人は、おもむろに、股間から離れると、相手の顔立ちの前へ跪く姿勢となって、 反り上がって赤く剥き晒した陰茎を見せつけるようにしました、 私には、そのてらてらと輝く、立派な屹立は、美しいものにあると感じられました、 私も、そのようにしたいと思わせたように、女の人は、ためらいもなく、唇を寄せて、 のぞかせた舌先で、陰茎を舐めまわすと、口一杯に頬張っていくのでした、 たっぷりと唾液で湿らされた、陰茎は、もっとたっぷりと濡れている、 女の割れめにある、陰唇へあてがわれると、膣の奥深くまで、難なく差し入れられ、 ゆっくりとした抜き差しが始められていくことにありました、 それは、もう、私の女の割れめにある縄がもどかしいばかりの熱さにあって、 私は、悩ましさにのぼせ上がらせられ、腰付きをうねらせくねらせして、 あたかも、その縄が膣へ入って来るのを求めるかのように、懸命になっていました、 男の人の抜き差しは、段々と激しさを増していき、その息遣いの荒さに呼応するように、 柔らかな髪を打ち振るって、右へ左へ顔立ちを投げる、 女の人の声音も、甘い泣き声となって高ぶっていくばかりのことにありました、 それは、ついに、男の人がびくんとなって、放出する硬直をあらわすのと同時に、 女の人も、絶頂へ昇らされたことは、びくんとなった硬直で示されて、 私も、同様に、快感の極みに達して、立たされた姿勢を突っ張らさせていました、 ああっ、何という気持ちの良い、喜びにあったことでしょうか、 昇りつめた恍惚に漂う、私は、天女にでもなった気分でした、 独りでも行えることにある、縄による緊縛の自慰行為、 それが私の自縄自縛ということであったのでした、 父と母のベッドへ横たわる、緊縛姿の私は、 そのとき、夜が白々と明け始めていることを窓の明るさで感じていました、 それは、新しく目覚める朝にあったのでした。 北海道から帰宅した、父と母と顔を合わせたとき、私は、何事もなかったように、 平然とした態度を取ることができました、普段の母がそうであるようにです。 夫婦の寝室をきちんとさせておいたことは、言うまでもありません、 父と母に、気付かれることは、何ひとつ、ないでしょう。 私の思いは、大きく変化しました、普段の私は、平静であり、平然としています、 縄を見ても、女性が緊縛された光景を見ても、取り乱すことはありません、 私は、少女から大人の女になったのです、 縄による緊縛が私を大きく成長させてくれたのです。 現在の私は、二十歳、希望した国立大学へ入学して、 学校の先生になるための学業に励んでいます。 私は、私を縄で縛る、私の愛する男性がいつの日かあらわれることを望みます、 そのときまで、私は、みずからの手で、私を緊縛することを行います、 どうしてかですって? 生まれたままの全裸の姿を縄で縛られることは、喜びにあることだからです。 冴内は、読み終わるのと同時に、 ふと、前に立つひとの気配を感じて、思わず顔を上げていた。 驚いたことに、先程の古書店の店主である、女性が立っているのであった。 「私の決心がつかず、遅れてしまい、お捜しするのに手間取りました、 お忘れ物になったので、お持ちしました、 お買い求めになった雑誌に付いていたものです」 女性は、澄んだ綺麗な声音でそのように言うと、 衣装箱と思われるものを差し出すのであった。 冴内は、それを受け取ると開いて、中身を見た。 そこには、灰色に脱色した、使い古された麻縄の束が入っているのであった。 おもむろに顔を上げた、冴内は、波打つ艶やかな黒髪に縁取られた、 相手の美しい顔立ちをまじまじと見つめ返すばかりであった。 |
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